覚める
---
――おはよ、クルタニカ! 今日も一日、乗り切ろ?
――分かりません! クルタニカは確かに剣術が駄目かもしれませんけど、魔法は誰よりも優れています! なのにどうして彼女ばかりが怠けていると言われるのか、あたしには分かりません!
――クォーツはどう思う? うん……だよね……あたしも最初はクルタニカは劣等生なのかなって思ってたけど、あの子の魔法を見たら、そんなのどこかに行っちゃった。
――あなたは年下だけど、あたしよりも剣術の才能があるのは目に見えてる。だから、あたしと一緒にクルタニカを守ってくれない? ホント?! ありがと!!
――カルメン家のことをあたしはよく知らないから、オニキスがあの子を支えてくれたら安心できる。
――なんであたしがあの子のことを気に掛けるかって? そんなの決まっているじゃない。彼女を潰すのは、大いなる世界の損失だからよ!
――昔からそういう人は沢山いたと思う。その多くが大成するのに時間を要しても、傍には必ず理解者がいたはずよ。もしいなくても大成できるのだとしても、あの子の傍にあたしはいたいから。
――ねぇ、お母様……クルタニカはどこへ行ったんですか?
――あたしが家の掟に従って強くなったらクルタニカがどこに行ったか教えてくれますか?!
――あなた……が、あた……私の『機械人形』? はじめまして、私はカーネリアン・エーデルシュタインよ。
――なぜ、轡をさせる必要があるのですか?! 言葉で私を誑かすから?! エキナシアは今まで一度もそのようなことをしたことはありません!
――私が弱いから……私が、強くないから……みんなみんな、縛られる。私の意見は誰にも……届かないで、みんな、いなくなる……。
――誰にも、私の内側を見せなければいい。私が、孤独になれば誰も傷付かない。誰にも好かれず、誰も愛されず……生きれば、いいんだ。
――エキナシア? 誰かの気配があるところでは語らいを一切禁じます。誰もいない一人の夜ならば、少しばかりは付き合いましょう。
――クルタニカ……あなた、今、どこにいるの?
――家の掟には全て従いました。従った上で、私がお父様をくだしました。当主の権利は私の物と考えてよろしいですね、お母様。
――今すぐに継ぐ気はありませんよ。こんなガルダの当主になったところで、私は一つも強くなれたわけじゃない。
――なぜ私がカルメン家の死刑執行の見届け人にならなければならない? エーデルシュタインの当主だから? 納得が行かないな。それに、腹を切るべきはクルタニカを傷付けた両親だけと捉えているが?
――クルタニカの捜索? 本当に生きているのだとすれば私にとっては朗報だが、翼をもがれた彼女には空で生きるのは酷だ。下界で生きていられるのなら、それに越したことはない。
――会いたくないと言えば嘘になる。だが、私と会うことでクルタニカは空の記憶を思い出すだろう。辛い思い出など、思い出のままにしておいた方がいい。色褪せればいずれは痛みも薄れはするだろうが、痛みは痛みだ。思い起こさない安寧の日々を与えることのなにが悪い?
――あなたが生きているというだけで、私の心がこんなにも揺らぐ……ああ、クルタニカ。あなたが、こんなにも愛おしい。
――私は空で、あなたは大地で。いつかどこかで巡り会うことを願いましょう。そのときは以前のように笑い合って……あなたと語り合いたい。そんなこと、もはやできないのかもしれないとしても、夢物語のように胸に抱き続けてもいいでしょう? 孤独だった私は、この想いだけでまた一つ強くなれたのですから。
――……おい、貴様。このようなことを他の当主が許すと思っているのか? どういった了見だ? 説明次第では牢獄にぶち込むだけに留まるが、場合によってはこの場で貴様を殺さなければならない。
――『蝋冠』? カルメン家のそれに今や権力などない。私をこれ以上怒らせるな。貴様の剣の腕、私に一度も敵ったことなどないだろう?
――オニキス?! どうして生きて……っ!! 貴様の仕業か!?
――あなたはそちら側に付いたということですか、クォーツ……いいえ、構いませんよ。ただし、二度と私に剣を向けることはできなくなるぞ。
――決闘に横槍を入れるなど、恥を知れ!! ……なにを…………私に、なにを、する気だ!? ラブラ・ド・ライト!!
――こんな……不義理が、通ると思うな……貴様になにをされても、私は……絶対に……!
*
「私は……なにを……一体、なぜ……?」
詰めてくるかと思ったがカーネリアンは呟きこそしているが、動かない。ニィナは剣圧で貫かれた腹を抑えながら急いで走り、吹っ飛ばされたヴェインの傍に行く。
「……息はある。なら目を覚ますまで、やるしかない」
打ちどころが悪ければ即死に違いないが、ヴェインの呼吸は安定している。一時の気絶ならば叩き起こしたいが、それ以上にカーネリアンが怖ろしい。彼が自らの意思で起きるまで守るしかない。
エキナシアの存在は完全に思考の外だった。だとしてもまさかあのタイミングで飛び出してくるなど考えもしない。
「……なぜ、追い詰められているのか分かるか?」
カーネリアンが空から言葉を落としてくる。
「私の秘剣を貴様たちは撃ち破ったのではなく、凌いだだけだからだ。全力で防いだところで、私にはまだ余力が残っている。なのに強者をくだしたかのように自惚れた。その自惚れがこれを招いている」
「……分かっているわよ、そんなこと!」
ポーションを飲んでもすぐに腹の傷は塞がらない。ニィナは強弓を構えながら、苦し気に叫ぶ。
「だが、あの一瞬、私は確かに負けた。それもまた事実だ。覆したのは、エキナシア」
カーネリアンは焦げ付いた翼を羽ばたかせて地上に降り立ち、エキナシアの残骸を眺める。
「私は守れと命じていなかった。エキナシアが自己犠牲でもって私を守ることはこれまで一度もなかった。貴様の矢は、届いていたのだ……確実に」
彼女はゆっくりと近付いてくる。ニィナはすぐにでも矢を放ちたいところだったが、限界まで引き付けてからの方が威力が上がる。そのギリギリを見定めている最中だ。
「ここで負ければ……シンギングリンが終わる。シンギングリンが終わったら……大勢の人が死ぬ……」
自身の立場を口にして、覚悟の度合いを高める。薄れゆく力をどうにかして引き戻し、奮い立たせなければならない。
「終宴だ、エキナシア」
地面に突き刺さっていた薙刀を引き抜くと、機械人形の部品が全て外れて刀に戻り、残骸に部品が合わさってエキナシアが元の姿に戻る。
「仕舞いにしよう、ニィナリィ・テイルズワース。私はもう貴様たちと戦う気がない」
刀を鞘に戻し、矢を受けて動かなかったエキナシアは変形を終えて、すっかり元通りになって起き上がる。
「油断させて殺す気なんでしょ?」
「ガルダの誇りにかけて、殺さないと誓おう」
「決着もついていないのに?」
「これは私の意思が全て込められた決闘ではない」
ニィナは強弓に込めていた力を緩めて、矢をその場に落とす。
「もしかして、書き換えられたロジックに気付いたの?」
「気付いたかどうかなど知りはしないが」
カーネリアンは空を見上げる。
「私は、クルタニカに恨みも憎しみも抱いてはいなかった。それだけは事実のはずだった…………いつから私は、あのような意思を彼女に……一度の敗北を味わう前から、もう既に憎んでいた。そんなものは絶対にありはしないはずなのに」
「……ロジックへの抵抗力は人それぞれなんだ」
ヴェインが目を覚まし、上体を起こしながら言う。
「変えられたと気付いた瞬間からロジックは元のテキストに戻り始める。その気付きは過去の記憶との整合性の不一致から起こりやすい。君は抵抗力が弱かったけど、この戦いで“おかしい”と気付けた。だから段々と君は君自身が抱いていた本当の感情を取り戻しつつある」
「そうか……そう、か」
「あなたは、私と戦う前に情報の平等性と言って外部との念話を通した。あなたたちの中で一番強いガルダに歯向かうような行為を取ったのは、少しずつ自身の取っている行動の不自然さに気付いていたからだと思う」
「一番強いガルダ……か。笑わせるな。ラブラ・ド・ライトは私よりも弱いミディアムガルーダだ。捕らえられていたクルタニカが一度も強気な態度を崩さなかったのは、元からそれに気付いていたことと、ミーディアムであることも知っていたからだろう。だが、知らなかったフリを押し通しすことで彼奴の思い通りに事が進んでいると錯覚させたかったのだろう」
それからカーネリアンは発作のように刀を抜こうとし、それを片手が止める。
「許されないことを沢山言ってしまった。できればここで腹を切ってしまいたいが、詫びることさえできていない。介錯の相手も見つけていない。それらはクルタニカに話をつけてからだ」
クルタニカを言葉で傷付けた。その事実を思い出し、自身を許せず自殺しようとした。それを驚異的な精神力で抑え込んでいる。
「あなたたちを取りまとめていたガルダはあなたよりも弱いの?」
「それが事実なら、反抗するときに抑え込めるように君の能力や行動を制限できるようにテキストを書き換えられているかもしれないよ。でなきゃ合唱団の強化を受けていたってあんなとんでもない秘剣を俺の魔法程度で凌げるわけがないんだ」
「なら最初の敗北もあなたの能力が下げられていたからかも」
ニィナの言葉にカーネリアンは首を小さく横に振った。
「……だとしてもそれは終わったことだ。制限がかけられていようと、あのときの私は負けた。そこに拘ったところで強くはなれない。無論、死にたくなるほどの屈辱ではあるが……まだ死ぬには至らない。しかしそうだな、再戦はしてみたいところだ。殺生に関わらない程度に抑えてな」
言っていることが戦う前と比べて穏やかなものになっている。勝利への拘りもあるにはあるが、あり得ないほど執着しているようには感じられない。
「どちらの方が動ける? 傷が浅いのはどちらだ?」
「俺が大半を受けていたから、ニィナさんだろうけど、どうしてだい?」
「次にクルタニカに刀を向けるようなことがあれば、そして再びどちらかに刀を向けないように、どちらか一方には付いて来てもらいたい。要は私をいつでも殺せる状態に置いてほしい。そうでもしなければ貴様たちも私をこのままラブラの拠点まで帰したくはないだろう?」
カーネリアンが鞘を指で弾く。その一つの動作だけでこの場に展開されていた結界が解けていく
「魔道具の結界も合わせて解除した。まもなく貴様たちの同胞が壊すだろう。あとはラブラ自身を倒せば、異界化の結界は解ける」
「じゃぁニィナさんで」
「なんで?!」
「俺は病み上がりだし、女性と二人で歩くなんて婚約者になにを言われるか分かったものじゃないからね。それに性格的にも君の方が打ち解けやすいだろう。俺じゃ急所を突いて殺せるかどうかも怪しい。それに比べて君は殺気を感じれば飛び退いて、射抜ける。そのときは彼女も自身の行動に抗うだろうし」
「よろしく頼む。エキナシアにも言って聞かせる」
カーネリアンは礼儀正しく頭を下げる。それを見て、傍まで駆け寄ってきたエキナシアも似たように頭を下げた。




