風に乗せる
【『悪酒』の範囲】
言霊によって生じる魔法に等しい範囲への攻撃だが、その大抵は地面への干渉に限られ空間への干渉はほとんどない。これは魔法でも空間に持続的な範囲攻撃を行うのが困難なことと、“下界の人種は地面に触れていなければ歩くことも走ることもできない”とガルダが思っていることが大きい。それがそのまま“地面へ干渉さえすれば戦闘において有利になる”ことに繋がる。
ガルダ自身は秘剣の『藤不如婦』によってどのような地面でも難なく動けるので、更に優位に立ち回れる。
ただし、『悪酒』そのものは決闘では避けられる傾向にある。使うとしても対象が悪魔憑きや悪魔、手に余る魔物などが通常である。
それでも決闘において『悪酒』を使うとすれば、自身の誇りを失おうとも勝ちたい相手や、なりふり構ってはいられない相手、『悪酒』を使ってようやく対等になる相手、そして取るに足らない相手へのささやかな絶望への贈り物となってくる。
アレウスが訓練をしているところを見せてもらったことがあるが、彼は戦闘中に気配消しを行ったり解いたりと器用に使いこなしていた。ニィナにはそこまでの技能の深度はない。ましてやクラリエ――カーネリアンの念話によって素性を知っていてもシオンと呼ぶしかない彼女や『影踏』ほど高められた気配消しを行えるわけでもない。狩人としての最低限の気配消しだ。いくらカーネリアンの感知能力が低いとしても見られている中で気配を消したところで一瞬でバレる。
だから、ヴェインが彼女の注意を引かなければならない。魔物で言うところの脅威度を上げる。僅かでもカーネリアンがニィナから視線を外せば、恐らくだが数分間は居場所を隠せる。ただし、奇襲を仕掛けても彼女は攻撃を感知して防ぐため、そこで気配を掴まれてしまう。
「熱気で頭が回らなくなってきたわ」
防寒対策をした上で装備を身に付けているため、上着を脱ぐには装備を外さなければならない。そんな猶予は勿論ながらに与えられていないので我慢するしかない。本当に耐えられないときは護身用の短剣で服を切り裂かなければならない。
「囲っている火柱は熱気を維持するためか」
もしくは、逃げようとしたならば火炙りにするためか。どちらにせよ十二の火柱に囲われている状況は変わらない。だが、気配を消した状態でニィナがあの火柱に近付いた場合、カーネリアンは感知できるのかが気掛かりとなる。それが分かればニィナとヴェインの動ける範囲は狭まりもするし広がりもする。とはいえ、進んで火柱に近付きたくはない。それでも懸念材料になるのなら絶対に調べなければならないことだ。
「三つの秘剣を受けて尚、動けるか。私はまだまだ、精進が足りないようだ。それとも、一度目の敗北が私を弱者へと落としたか」
「どういう意味?」
動き出そうとしていたニィナは彼女の言葉を聞いて足を止める。
「話している余地はないよ。彼女の目的は俺たちを熱で動けなくするための時間稼ぎだ」
「だとしても、聞いておきたい」
「……本当に無茶なところはアレウスに似ているよ」
止められたところで話は続けるつもりだったが、認めてくれたので後ろめたさはなくなった。
「私たちにとって強者であるあなたが自分自身を弱者だと貶めるのはどうして?」
「私は誰よりも強くならなければならない。なのに、才能も閃きもなにもかも、かけ違えた歯車が噛み合うがごとき運の良さを見させられた。分かるか? どれほどの研鑽を積んだとしても、その時その場所で起こる一つ二つの偶然が、三つ四つと増えて劣勢となり苦汁を飲まされる。単純な力比べれば勝っていたというのに」
カーネリアンは一度、デルハルトと戦って負けている。そして彼はあらゆる事象において自身に好都合なことが起きたとき、それを「幸運」や「俺はツイている」と言ってのける。その戦い方がカーネリアンの信条には合わなかったのだ。
「運も実力じゃないの?」
「貴様たちヒューマンはどいつもこいつも癪に障ることを言う。運が実力であるのなら、その運を含めて丸ごと叩きのめせるはずなのだ。それこそが本当の実力と呼ぶのではないのか?」
辺りを包む熱が少し強くなった。感情も込みでカーネリアンは範囲魔法とも呼べる言霊を制御している。もっと揺さぶりをかければ自滅するのかもしれないが、そのときにニィナたちが生き残っている保障はない。
「けれど君は、その一つの敗北にずっと『運』という言葉で負けた理由にしている。『運』がなかったのだから負けても仕方がないと思っている。弱者だなんだと言ったところで、自分自身がそこに落ちていないと決め付けているだけじゃないか」
「秘剣」
カーネリアンが頭上で薙刀を回す。
「“芒月”」
薙刀が描いた円がカーネリアンの頭上から足元へと降り、その背後へと回る。月のように輝き、同時に彼女の持っている気配そのものが増大した。
「俺がここに飛び込む前の情報だけど、“芒月”は自己強化だ。もしかしたら神経を逆撫でしてしまったかもしれない」
「それが狙いだったんじゃないの?」
「いや、そこまでは考えちゃいなかったよ」
ニィナはヴェインの発言がカーネリアンを激情させることで注意を向けたのだと思っていたのだが、この様子だと違うらしい。
「あなたって、婚約者にも余計な一言を言って怒られていそうよね」
「察しがいいじゃないか。一日、口を利いてくれなかったこともあるよ」
冗談を言っている場合ではないが、人生で最後の日常会話になるかもしれなかったので自然と口が動いてしまっていた。
「月が欠け切るまで、強化は続くよ」
「生き残れるかどうかはそれこそ運次第?」
「いいや、実力で生き残らなきゃ勝ち目はないよ」
ヴェインの作戦では両方が生き残っていなければならない。片方が死ねば、もう片方も死ぬ。思わぬところでの一心同体になってしまった。それがヴェインであることに多少の違和感がある。しかし、アレウスだったなら意識しすぎてぎこちなくなっていたに違いないので、このぐらいの距離感の相手と生存を賭けて立ち回るのが丁度良い。私情を挟まない分、思考は巡る。
カーネリアンが堅さを捨てて動く。その速度はまさに俊足。風圧の壁が残っていなければ悠々と間合いに入り込まれていた。彼女はまずヴェインを狙う。ニィナは後回しにされた。
彼女だって命の取り合いは心得ている。この状況においてカーネリアンが真っ先に排除しなければならないのはヴェインだ。彼の魔法がある限り、秘剣は阻止されやすく、間合いに入り込むことも鉄棍と風圧の壁で妨げられやすい。発言によって怒りを買っていることもあるかもしれないが、感情的に思考も体も動かしてはいない。
冷静に、ニィナは死角へと入り込む。それをカーネリアンは容認する。彼女にとってニィナの居場所は問題ではない。死角に入ったところで攻撃を感知して反射的に防御に入ればいいだけなのだ。防ぎにくい角度であれば回避に移る。ガルダであれば空への逃げるのも容易い。
妨害と防御と補助。それらを一手に引き受けているヴェインさえ視界に収め、その動静を制御しておけばカーネリアンの『天炎乱華』によって生じている炎から発せられる熱によって二人はいずれ意識を失う。
制限時間は定められてはいないが、二人の活動限界が制限時間そのものとなっている。肉体の限界が男女差かつ能力差で出てしまうため同時に意識は失わないが、一手を失えば全てを失うも同時である。だからニィナは気配を消しつつもヴェインがカーネリアンに殺されないか心配でならない。ただでは殺されないだろうが、殺される可能性は常々にある。
カーネリアンはこの場において絶対的な強者だ。異界でたとえれば異界獣にも等しい。彼女よりも強いガルダがもう一人いるが、二人にとっては彼女こそが突破すべき異界の主そのものだ。そんな彼女の裏を掻き、殺す。できれば生かしたいが、生かすだけの加減ができる相手では決してない。
ニィナは弓につがえた矢を炎に向かって放つ。矢は真っ直ぐと飛び、当然ながら炎に呑まれる。すぐさまニィナはその視線をカーネリアンに向ける。ヴェインが鉄棍で凌ぎつつ、しかしながら薙刀による強烈な攻勢によって押されている様を見て、彼女が炎の周囲に対して感知にも近い反応めいたものがないかを確かめる。
隠しているのか、それとも気付いていないのか。表情からも動きからも読み取れない。分かり切っていたことだが、彼女は怒りを露わにすることはあれどその他の表情はほぼほぼ出さない。矢に対してなにかしら感知できたとしても、それが悪手に繋がると本能的に察して、反応できなかったフリをしているかもしれない。
「秘剣」
薙刀の持ち方を変え、構えも変えた。
「“紅葉鹿”!」
またたきをしていれば見逃した。それほどまでにカーネリアンの薙刀は速かった。両手両足の四ヶ所――ニィナの体感で二秒以内に四点への刺突を放ったのだ。二秒を長いと取るか短いと取るかは人それぞれだが、受けたヴェインからしてみればほぼ同時に四点へ刺突が飛んできたにも等しい。それでも鉄棍棒で二点を凌ぎ、残った右手と左足を貫かれた。
が、思ったほどの深い傷ではないならしくヴェインは流血こそしていたがすぐさま飛び退いて、『癒やし』を唱えて傷の縫合を始める。
「“紅葉鹿”」
そこに再び四点を狙った刺突が飛ぶ。今度は左手と右足から流血する。
「“紅葉鹿”」
更に四点の刺突が続く。
「“紅葉鹿”」
執拗な両手と両足への刺突。それも瞬撃にも等しい速度で繰り出され続けられ、ヴェインは両手両足から血を流しながら『癒やし』による縫合を繰り返す。
「もう二、三度続けてもいいんだがな」
踏み込みが深い。
「終わりだ。“紅葉鹿”」
二秒から三秒に間延びこそすれ、繰り出されたのは狙う部位が四点から五点に増えた瞬撃の刺突。両手両足を狙ってくることは把握できても、最後の一ヶ所である喉元までは予測できない。
ニィナは思わず目を逸らしそうになったのだが、五点の刺突を受けながらもヴェインは未だ生きている。
「……何故だ?」
純粋な疑問をカーネリアンが零す。
「薙刀は手と足を傷付けて、まず相手の戦力と戦意を削ぐものだ。これが刀だったなら一刀両断されて両腕も両足も吹き飛んでいただろうけど、薙刀だったから読みやすい。“傷を癒やせ”」
傷の縫合が続く。
「人体の急所は多々あれど、失血死ではなく即死させるなら限られてくる。刺突の連続だったけど、どれもこれも傷は浅かったから脳天を貫かれることはないだろうし、だったら喉元や胸部だ。腹部も危ないと言えば危ないけど、秘剣の出し方に拘っているならむしろ狙われにくい」
「型に拘っていたことを逆手に取ったというのか? まさか、二度目三度目からはわざと受けていたとでも?」
「受けていたよ。完璧には受け切れないし、どうやっても二ヶ所までしか防げないんだけど、もしも完璧に受けられるようになっていたら君の刺突で狙う部位が変わるかもしれないじゃないか」
冴えているとは思うが効率的とは程遠い。ニィナは弦を引き絞りながらヴェインの対処をそう解釈する。
「こうして追い詰められているのだから評価には値しない」
押しに押されて、ヴェインの背後には火柱が迫っている。
「追い詰められているのは事実だ。でも、まだ試していないことがあるんだ」
ニィナは矢を放つ。
「言ってみろ」
「君は攻撃を感知できるけど、その速度が急に変わったらどうなるのかな、って」
ヴェインが呟いている間にカーネリアンは薙刀を構えていたが、振り切る前にニィナの放った矢が彼女の脇腹に突き刺さる。
「なっ?!」
「“疾走させよ”。風に乗せて矢を加速させた」
衝撃で横に揺らぎ、ヴェインはその隙に急いで火柱から離れる。
「どれぐらい加速するか分からなかったから詠唱は無しにした。押されている最中に魔力をコネて置いただけ。だから正確に射抜ける矢ぐらいしか乗せられなかった」
この魔法こそが、ニィナとヴェインだからこそ成立するカーネリアンへの対抗策である。




