薙刀
―アレウス突入より少し前―
カーネリアンが言霊を唱えた瞬間、火柱が立ち周囲一帯の木々は全て炎に包まれた。ニィナとヴェインは急いで山火事にも近しい林の中から逃げ出して、雪原を走り続けていたのだが、それも後ろから迫って来る熱波によって阻まれた。
熱を携えて回り込み、手元で『機械人形』と一体化したことで刀から形状を変え、薙刀となったそれを回し、一定の構えを取りながらカーネリアンは地面に降り立った。彼女の周囲に発せられる熱波は雪をまたたくまに溶かし、本来の大地を覗かせる。しかしながらそこに生えていたはずの野草や野花は熱によって弱り、やがて黒く焦げ付くと火種となって燃え尽き、灰となる。
唯一、運が良かったことと言えば彼女の言霊は完成に時間が掛かったことだ。だから二人は林から逃げ出すこともできたし、追い付かれはしたものの雪原を駆けることもできた。これで即座に炎と熱を振り回されていたのなら、逃げることも叶わずに殺されていた。殺されなくとも暑さで脳をやられ、体中の水分という水分が蒸発して干からびていただろう。
「火属性……で、いいのよね?」
「だと思うよ」
「なによ、ハッキリしないわね」
「俺は慎重派なんだ。アレウスと違って早々と断言できるほどの審美眼があるわけじゃない」
カーネリアンの薙刀は朱色の装飾を纏い、刀身に宿る刃文もどこか朱を交えている。そんな技巧が刀鍛冶にできるのかどうかまで考えたくはないが、見た目はとても美しく、ヴェインはともかくニィナにとっては“あんな薙刀なら握ってみたい”と思わせる代物だった。
「『天炎華』」
薙刀が空を斬った直後、周囲に十二の火柱が均等に上がる。二人をこれ以上、どこかへと逃がさないといった強い意志が感じられる。これまでのカーネリアンはニィナが逃げることを容認していた。強者の余裕ではない。ニィナが最も戦いやすく、最も強く出られる場所で戦うことを認めることで、強者としての格を落とさないためだ。
そういった一切を消し去ったのはエキナシアが現れてからだ。『機械人形』が木々を燃やし始めたところからカーネリアンからは強者の品格が失われていった。そして、言霊を発してからはもはや殺すことだけを考えているとしか思えない立ち居振る舞いだった。
「言霊を短縮しているわ」
『天炎乱華』を『天炎華』と略した。聞き間違いではなく、確かにそう発した。ニィナは目だけではなく耳にもそれなりに自信がある。
「『機械人形』の動力源は悪魔の心臓らしいから、そのせいだろうね。言霊や、あの薙刀の力は最大限に引き出せないけど、短くするだけで精神的な負荷を大きく減らせる。たった一音、たった一文字だけでも大きく変わる。魔法だって似たところがあるから」
短縮は高速詠唱や多重詠唱と異なり、威力を落とす代わりに負荷を軽減する。カーネリアンの言霊も同様らしい。
だが、どうしてわざわざ短縮する必要があるのか。全力で殺しに来るのなら短縮するわけがない。それでも負荷を下げなければならないのは、彼女が『機械人形』の魔力を上手く使えていないか、どちらか一方があまりにも魔力を出し惜しみせずに放出するためにもう一方がそれに耐えられないか。
まさか制御し切れていないなんてことはないだろう。言霊を用いる前の修羅のごとき強さを見ても、精神面で彼女が弱みを抱えているとはとてもではないが思えない。
「俺が後衛と言いたいところだけど、君は後方からの狙撃が得意だったはずだから、俺が前衛か」
ヴェインは鉄棍の握り方を変え、構えもいつものような杖のような持ち方ではなく鎗を扱うような構えを取った。
「その鉄棍は鎗より短いし、先端が鋭くもないけど大丈夫なの? そもそもあんたは僧侶じゃないの?」
「元戦士の現僧侶だよ。ちょっと調べたいことがある」
率先して前に出るヴェインはカーネリアンと一定の間合いを取って対峙する。
「争いを嫌う目をしている。そんな弱さを持つ男と戦う気にはならない」
「誰だって争いは苦手だろ? 俺もその内の一人さ。でも、誰かが争いを止めなければ、争いは永遠に続くんだ。俺は見ているばかりではいられなかった。それだけのことだよ」
どちらが先に攻撃を仕掛けるかとニィナは少しずつ後退し、同時に弓に矢をつがえながら窺う。しかし、どちらも攻撃に移ろうとはしない。
姿勢は中段、先端は下向き。構え方に違いはあれど薙刀や鎗を用いる者の基本姿勢を取っている。先端を地面すれすれにすることで、くぐり抜けて間合いに入ることを不可能とし、容易く近付こうものなら振り上げて切り裂く。これを徹底するだけで間合いは詰め切れない。
痺れを切らしてカーネリアンが薙刀を振りにいく。ただし間合いは詰め切らない。刀身――切っ先がギリギリ接触するところで留まり、狙った箇所は手、そして流れるように足へ向かう。そのどちらも鉄棍で弾き、だが決してヴェインも間合いを詰めることはなく、一定の距離感を保つように後退と横への移動を繰り返し、狙われる部位への攻撃全てをさばく。その後、ヴェインが反撃のように攻めに転じ、それらをカーネリアンも全て弾く。長さに関してはヴェインの方が見劣りするため、大胆に攻めることができないことも理由の一つだが、なによりカーネリアンも決して大きく歩を進めない。堅い守りと堅い攻撃。その応酬が続いている。
二人の詰め切らない攻守の交代が何度か続き、ニィナは矢を射るタイミングを逸した。どこに隙があるのかが明確に見えてこない。長物になった以上、刀を振るっていたときよりもカーネリアンの隙は増えているはずなのだが、むしろ隙が減っているようにすら感じる。
「薙刀をほぼ完璧に扱っている」
「確認したかったのはそこ?」
「そうだよ。長物は間合いの有利を押し付けて、大振りになりやすいのに彼女にはそれがない。刀だけじゃなく、ちゃんと薙刀の武芸を習っている」
長物は集団戦においては一方向に構えての騎兵玉砕が主になりやすく、人数の多い場で振り回せばそれだけで味方を傷付けやすい。だから冒険者の中でも鎗の長さの調整はよく行われる傾向にある。カーネリアンの薙刀はそんな調整は一切ない。ガルダの決闘好きによるものだろう。
「薙刀を振りながら、手と足を正確に狙えている」
「それのなにが凄いの?」
「俺たちは武器を握るのに手を使って、逃げるのに足を使う。どっちか片方を削がれたら、それだけでほぼ死が確定する。ついでに刺突まで強力だ。正直、さっきまで対面でなんとかなっていたのは向こうが手を抜いていたからだ。俺は薙刀と対面で同等だったことなんて一度もないんだから」
知り合いに薙刀の使い手がいるのだろう。だから危険な方法であったがカーネリアンの腕前がどれほどかを見極めたかった。もしも素人然とした使い方だったならヴェインはそこを弱点として一気に叩くつもりだったに違いない。
実際、ニィナもそれを願っていた。刀から薙刀に変わった以上、カーネリアンはきっと刀以上には扱い切れないはずだ、と。しかし、現実は刀以上にカーネリアンは薙刀を上手く扱えている。
激しさのある刀での攻撃から打って変わって堅さのある薙刀での戦いに変わり、突破口が見えなくなった。しかし、その事実に気付かないままに攻勢に出ていたならば返り討ちに遭っていた。それが分かっただけでも、ヴェインの確認は身を危険に晒した意味はある。
「多少、武芸の浅知恵はあるようだ。だが、このまま貴様と無意味な間合いの優位の取り合いをするつもりもない」
カーネリアンは中段から上段に薙刀を構え直す。
「秘剣」
「その形状からでも撃てるのか?!」
ヴェインが叫び、走り出す。ニィナは一足先に距離を取り切っているが狙い撃たれないように同様に走り出す。
「“松鶴”!」
縦一文字に放たれる気力の刃は鶴のように縦に伸びつつ、そこに火属性も付随されて奔る。“松鶴”が通過した地面は黒く焦げ、雪という雪は接触する前に跡形もなく溶けていく。
「これは避けられるんだけど、問題は」
カーネリアンは一旦、中段に戻した薙刀を身を一回転させながら横に薙ぐ。
「“柳燕”!!」
ニィナが危惧した通り、カーネリアンは翼を広げた燕のごとく、横に伸びる気力の刃を撃つ。勿論、火も纏っている。
縦一文字の秘剣はまだ横へと大きく逃れるようにすれば避けられる。だが、問題のこの横一文字の秘剣は、縦にではなく横に伸びる。ガルダはその限りではないのかもしれないが、ヒューマンであるニィナとヴェインには上へ逃れる術は木々に登るなどの外部のなにかに頼る以外にない。
「全速力でこっちに来られるかい?!」
言われ、ニィナは返事もせずにヴェインの元へと駆け抜ける。
「なにをする気?」
「避けるのができないなら、防ぐしかない」
「防げると思ってんの?」
「火属性が付いたことで厄介事が増えたように感じたかもしれないけど、俺にとってはどちらにしても関係がないんだ」
鉄棍が地面を打つ。
「“空気よ、縛り付けろ”」
「風属性で彼女を阻んだって、放たれた秘剣は止められないわよ!?」
「俺が阻むのは彼女じゃないよ。魔力は通常の刃で切れるし、魔力と魔力は激突する。普通のどこにでも売っている剣で魔力を切るという干渉ができるのなら、魔力でも魔法には干渉できる」
横一文字に広がる気力の刃――その中央付近に風が纏わり付き、重力に押されて地面に落ちながら激しく炎上する。そこには既に秘剣として放たれた“勢い”はなく、残された『柳燕』は中央付近を喪失しつつ、横へとニィナとヴェインを呑み込むことなく左右を通過した。
「今さっき言ったのは、物凄く当たり前の理論なんだ。以前から魔法を使っている冒険者はやっていることだから、俺が発見したことじゃない」
「でも、今の魔法は?」
「酸素供給の魔法を更に応用した魔法だよ。異界で魔物の足止めに使えるってことが分かったから、水中じゃなく地上でなら相手を縛る魔法に変えられるって分かった。魔法は込められた魔力分の倍か、三倍ぐらいの重みがかかる。秘剣の一部分を指定すれば、こっちは少ない魔力でその一部を潰せる」
詳しく語ってはくれたものの、ニィナが分かったことはヴェインの先ほどの魔法ならば人だけでなく魔力や気力を帯びた物すらも止められるということぐらいだった。その複雑な魔法の理論はアイシャやアベリアならばもっとよく分かるのだろう。それでもアレウスの戦術論はスッと入ってくるのだ。ヴェインの説明が下手なのではなく、職業柄、魔法のことは不勉強だったので頭に入ってこないだけだ。
「なにをボーッとしている?」
カーネリアンはその場から動かずに薙刀で刺突を繰り出す。
「“萩猪”!」
頭から抜け落ちていた。カーネリアンはニィナが受けた限りでは秘剣を連続で三つ撃てるのだ。
「“風よ、結界となれ”」
即座に反応してヴェインが半球状の風圧の壁を築く。
火については問題ない。吹き上げる風に乗って秘剣の火は天高くへと昇るだけだ。ニィナが咄嗟にヴェインを守るように前に出る。しかし、それをヴェインが拒んで彼女を押し退けた。
“萩猪”は気力の刃を止めても、衝撃波は貫通する。ヴェインが風圧の壁を築いて大半を凌いでも、刺突の衝撃ばかりは消し去れない。一度、カーネリアンと共に突っ込んで来たこの秘剣を受けているからこそニィナは知っていた。だから守るために彼の前に立とうとしたのだ。それを拒まれたため、刺突の衝撃波は全てヴェインが受けて膝を折る。
「なんで?」
「“傷を癒やせ”」
自身に回復魔法を唱え、ヴェインは立ち上がる。
「回復魔法を唱えることができても、縫合には時間がかかる。俺の方が頑強だから、受けるのは俺の役目だよ」
「私、なんにもできていないんだよ? ならせめて肉壁に」
「いいや、ニィナさんにしかできないことを思い付いたから、俺はこの選択をしたんだ。気配消しはできるかい?」
「アレウスと同じぐらいには」
「観察して分かったことなんだけど、彼女はどうにも目線で俺たちを追っている。全てのガルダがそうなのかまでは分からないけど、気配を消すことが有効な可能性がある」
「確かに私も、彼女が目線で追っているようには思っていたけど攻撃を反射的に弾くのはどう説明するつもり?」
「恐らくだけど感知の範囲が極めて狭い。自身に身が迫る距離でしか気配だけじゃ存在を認識できないんだ。攻撃を弾けるのは、迫ってから感知して対処できる距離ってことになる。これさえ分かれば、俺が組み立てた策がギリギリ通る。俺はアレウスほど策を無理やり押し通せるほどの突破力はないけど、協力してくれるかい?」
この頼もしさはダンジョン探索に行く前のヴェインにはなかったものだ。終末個体と戦って、パーティを半壊させられたことまでアレウスからニィナは聞いているが、死線をくぐったことで彼は一つ自身の中にある壁を乗り越えたのかもしれない。
「やってやるわよ」
悔しいが、ニィナではカーネリアンに打ち勝つ術を見出せない。ここは策を聞くべきだ。なによりヴェインはアレウスのパーティ内では冒険者として一番の経験を持つ。信じない道理もない。
彼方から合唱が響く。神を讃える歌声が、ただ耳に入っただけなのに二人の体に強く沁み渡る。
「神官の合唱団による一時的な強化だ。神を漠然と信じさえしていれば恩恵を受けられる。この状況ならありがたいよ」
「……それ、アレウスは受けられないんじゃない?」
「俺も思った。だけど、さすがにアベリアさんも復帰できていない中でアレウスが無茶をすることはない、と思うよ」
「本当にそう思っているの? 私は逆に期待しているわ。こんな状況でも、とんでもない無茶をやらかすんじゃないかって」
「はははは、分かるよ。で、無茶をやらかしながらもやり遂げてしまうんだ」
「そうそう」
「まぁ、今は俺たちが無茶をやり遂げるのが先なんだけどさ」
頑張ろうよ、と言ってからヴェインはニィナに作戦を小声で伝えた。




