特使
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「このルートは、どこから違うんだろう。リルートしても人の能力が変わるわけでもないし、ガルダにクルタニカ・カルメンが捕まるのは確定だけど……なにかが違う」
魔女はボソボソと喋る。病室で『衰弱』を乗り越えようとしているアベリアは未だに外の景色を怖がっている。
「……私は、あなたを重要視してきた。あなただけは絶対に欠けてはならないピースだと信じて疑わなかったから……でも今回は、初めて彼に接触してみた。そしたら、私の知っている未来が大きく変わり始めた。私の知らないルートに、入った」
カーテンをかけ、景色を遮断して魔女は呟きを続ける。
「この世界の鍵は……あなたなの? アレウリス・ノールード? だったら、私がやらなきゃならないことは決まってる。他のルートだと、ガルダが守る魔道具の結界の一つには誰も入ることができていなかった。そのせいで多くの犠牲が出て、クルタニカ・カルメンが命を投げ打ってシンギングリンが解放された。でも、このルートはその悲惨な道じゃない」
ツバ広の帽子を目深に被り直し、病室の扉に手をかける。
「私が、あの子のために繋ぐ。それが私の役目……だけど、それをすると私は甦るまで干渉できない。でも、それで失敗したらまたリルートすればいい。だから、彼に期待してみよう。ねぇ、アベリア・アナリーゼ? あなたはどうする? あなたはそのまま、彼の雄姿も見届けないままに過ごす? それとも、過去の苦しみを抱えながらも、たった一人のために命を賭けてみる? どっちでもいいけれど、あなたにその勇気があるのなら、私はあなたのためにも繋いでみせるよ。人生で最後の、百ヶ所目のゲートを」
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聞きたくない音が聞こえる。耳にしたくない声がする。それでもアイシャの体は動かないし動けない。魔力の大半を使い切り、展開した障壁はオニキスの『金配剛爪』によってガラスを割るように壊された。そのあとに起こった惨状の全てを思い出すことはできないし、そもそも魔力切れに近い状態で脳の活動はいつもの半分以下にまで落ちてしまっているので、一つ一つのことを記憶することはできない。
どんなに凄惨であり、どんなに忘れてはならないことであっても、アイシャの記憶にこの現実のほとんどは残らない。それでも今、起こっていることは目に入るし耳に入るし、恐怖も感じている。過去になるにはまだ遠く、現在は尚も自身に冷たい。
「用が済んだら殺すんだけど、どんな風に殺されたい?」
オニキスは女性冒険者に向かって囁いている。が、どんな要求を向けたところで少年が受け入れないことは判明している。
これが最初の犠牲者じゃない。もう既に四人に達している。そしてその前の三人はもう既に死んでいる。抵抗を失い、戦う気力もなにもかもを奪われた冒険者は口を動かすこともなく、返事がないことをオニキスは不満そうにしながら片手に身に付けている爪で女性冒険者の首を掻き切る。
「じゃ、最後のお楽しみと行こうか。君を最後にした理由はやっぱり、一番だと思ったからかな。僕は好きなものや事柄は全て最後まで取っておくんだ。だって、それが一番心地良いだろう?」
オニキスが歩けば地上を覆っている無数の針は地面に沈む。しかし、少年の足跡はすぐに針に覆われる。『金配剛爪』は使用者を傷付けないように未だ範囲魔法のように機能している。そのためアイシャも足の感覚はほとんどないが、残された体力で立ち続けている。しかし、その努力もそろそろ無駄になる。分かってはいるが、魔力切れに近い状態によって、未だに脳の動きが悪い。
「『神官』って女神に純血の誓いを捧げているんだっけ? 純血って言っても、僕たちのような血統のことを指す言葉じゃないよ? 単純に処女かどうかって話なんだけど……それとも、夫と決めたたった一人になら信仰心への反逆にはならないのかな? まぁ、なんにしたってこれからヤれば分かることなんだけど……座れ」
肩に手を乗せられ、抵抗も虚しく強い力でアイシャの足が屈する。膝立ちとなり、地面と接した部位に針が突き刺さる。その痛みで呆然自失としていた意識が戻ってくる。
「あ……」
「どうする? なにから始めたい? なにからシたい? まぁ、なにから始めても僕は気持ちよくなれればいいから」
こんな終わり方があるだろうか。こんな死に様があるだろうか。女としての尊厳どころかなにもかもを奪い取られて死ぬなど、あってはならない。あってたまるものか。
オニキスを呪いたくなるほどの恨み辛みを吐きたくなる。だが、口はまともに動かない。それどころか呪いの言葉を浴びせるのは、『神官』のすることから逸脱している。敬虔なる信徒であるアイシャは自身の思考にすら、物凄い嫌悪感を抱く。
発狂する。大声を上げ、必死に抵抗する。両足は動かないがまだ上半身は動く。両腕を振り回し、杖を振り回し、なにがなんでもオニキスを押し退けようと試みる。
「そういうの、たまらなく興奮するよ」
こんなのは、夢に違いない。
「お前は生かしておく価値がゼロだな」
オニキスが翻り、爪を振るう。
「急くな。それとも早漏と笑ってやろうか?」
「男……?! 僕の結界にどうして男が!?」
「そう、お前の結界は他と違って条件と設定が異なる。『男』であることと『ランク』を制限し、排除する。私――いや、“俺”も昔は冒険者だったものでね。ロジックから削除はしても、記憶では自分自身がどの辺りの『ランク』だったかを記憶しているせいで、弾かれる。まぁ、そんなものは刻まれているわけでもないからそこまで条件に重なるわけじゃない。とはいえ、お前にとって不都合な条件ではあるから俺はもう少ししたら結界に弾かれて、異界化の結界を張っているシンギングリンの周辺のどこかに飛ばされるもんだと考えている」
爪を巧みに避け、どれだけの連撃を前にしても男の体にはかすりもしない。
「カモミール!」
機械人形の残骸が男の死角から飛んでかかるが、体を逸らして避けるだけでなく残骸を掴んでオニキスへと投げる。
「『金配剛爪』!」
男の動く先の地面に無数の針が敷かれる。だが男はそれを踏み締めてもなお、オニキスの攻撃を軽く避ける。
「こいつ!」
「地面に縫い付けるわけじゃなく、地面から生えてきた針に刺されるだけってのがお前の『悪酒』の弱点だ。しかも集中力を乱したら針で動けなくした相手の周り以外に生えていた針は地面に沈んでしまう。そうして言霊で呼び出さなきゃ維持できない。もう少し鍛えることができたなら、俺を縛ることもできたのだろうが……お前にもうその成長の機会は与えられない。で、どうして俺が針を踏み締めても動けるかって聞かれたら、まぁガルダが使える接地の剣技を、他種族が技能として習得できないわけもないという話だ。踏んでいるように見えて踏んでない。俺は地面に今、踏んでいるんじゃなく足を乗せているだけだ」
講釈を垂れる男にオニキスが激しく苛立つ。
「まるでおあずけされた発情期の獣だな。で、お前の結界に入れているのはロジックを書き換えたことで俺の性別に『女』が付随され、種族に『物』が付随しているから。『審判女神の眷族』に開けさせればいくらでも書き換えられる範囲だが、こんなもんは俺のロジックへの抵抗力ですぐに元のテキストに戻ってしまう。ならなんで俺がこんな小難しいことをしているのかって言うと、エルフのロジックはヒューマンには開けられない。処理を複数人で分けて種族の項目に『物』を書き足すという手法もあるが、問題はそいつの素性だ。不特定多数にロジックを開かせて、事実を知られたらガルダ以上の厄介が舞い込む。いずれにせよ、いつかは舞い込むにしても時間は遅らせたい。ならどうやればお前の結界の中にロジックの書き換えを行わずに送り込むことができるか。答えは、こうだ」
男は自身の体に両手を当て、更にオニキスの攻撃をかわすために大きく後退する。
「俺は触れた物を基点に戻す代わりに俺を存在させられるんだが、今回は基点から今ここにいる俺とそいつを転換する。唯一、惜しむらくは……お前を俺がこの手で八つ裂きにして首をお前の住んでいる空に浮かぶ島に送り付けられないことだ。だが、その役目は俺じゃなくそいつがやってくれるだろう。安心してくれていい。お前が大好きな女だ。ただし、お前が殺せる女とは限らない」
男の体が肉片となって崩れていき、中から異なる気配が溢れ出す。肉片だと思っていたそれは気配の欠片であったことに気付き、それらはその認識に合わせて塵のようになって消え去る。
「長い人生を生きてきたけど、復讐以外で絶対に殺さなきゃならないと思った男はあなたが生まれて初めてよ」
「……なーんだ、弱そうな女。しかもエルフじゃなくてダークエル、っ!」
オニキスが爪を振り上げ、首を取りにきたダークエルフ――クラリエの短刀を防ぐ。
「弱そうなダークエルフの『首刈り』を、どうして止めたのかなぁ?」
オニキスの体を蹴ってクラリエは跳躍し、アイシャの傍に着地する。
「大丈夫だった?」
「駄、目。この近くは」
「僕の『金配剛爪』の範囲だ!」
アイシャは恐怖で瞼を閉じる。針の沈んでいる地面よりもアイシャを捕らえている範囲の針を動かす方がオニキスにとっては集中力を分散させずに済む。
「なにこれ? ガルダはみんな強いと聞いていたけどさぁ」
クラリエの足には針が一つも刺さっていない。
「こんなの、あたしみたいな足音、痕跡、気配を消す冒険者には通用しない。ああ、そっか。あなたの結界の条件ってまだあったんだ? 今あたしが言った技能が使えないこと。これを足して全部で三つだったんだねぇ。自分が圧倒的優位な相手としか戦わない上に、尊厳を踏み躙るなんて…………外道のすることだよ」
「なんなんだ、なんなんだよ君……せっかくの僕の遊びが……僕の至福の時間が」
「ご主人様、さっさと殺してしまうのが正解かと」
「そうだ、そうだね。ありがとう……っ! 今、何回目だ?!」
「二度目です」
「もう次はない。僕に話しかけるな、カモミール!!」
機械人形の残骸と一通りの話を終えて、激怒の炎を燃やすオニキスは片手に備わっていた爪を全て外す。五本の刀身に五本分の柄が備わり、三本を鞘に納めて片手に一本ずつ握って身構える。
「確かに僕はラブラより秘剣でも二刀流の腕でも劣るけど、弱くない」
「それ、弱い人はみんな言うよ?」




