起こるべくして起こる現実を待つ
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「オニキスが興奮して『悪酒』を発動させるのは想定していたが、クォーツまで発動させたか」
「あくざけ?」
「機械人形が刀に力を貸与する……ああ、そうか。貴様は機械人形を授けられないまま地上に降りたんだったな。知らないのも当然か」
「人を侮蔑するような物言いは控えた方がよろしくってよ?」
「貴様が俺に意見できる立場にあると未だに思っているようだな。気付いているだろう? オニキスがもう何人も殺している。行き場を失った魂は輪廻にも入ることもできず、永遠に異なる世界を彷徨い続ける」
「心が痛まないんですの?」
「これがガルダの魂であったなら……いや、ガルダであっても全く心は痛まないな。貴様が人を救うことに存在意義を見出していたことは知っている。それをこうやって踏みにじることができていることがなによりもの愉悦だ。貴様がここにいなければ、誰一人として犠牲になることもなかったかもしれないな」
なにもかもを見通しているかのようにラブラはクルタニカを煽り、そして言葉の刃で傷付ける。
「……望んで、地上に降りたわけではありませんわ」
「いいや、貴様はいずれ地上に降りていた。それが思いのほか、早かっただけだ」
「なんでそんなことが言い切れるんでして?」
「『蝋冠』に選ばる素質があった以上、逃れられない運命だ。貴様はあのとき、偶然に触れた。だがいずれ、必然として触れることがあっただろう。だから、遅かれ早かれこの未来は待っていた。機械人形を授けられる年齢まで好奇心を抑え込んでいればよかったものを。そうすれば、また少し足掻くこともできただろうに」
ラブラは視線をカーネリアンに向ける。
「分かっている。三つ目の魔道具へ複数の命が向かっている。私の役目だ」
身動きの取れないクルタニカにカーネリアンが近寄る。
「私は貴様が嫌いだ。手も足も出せず、そのまま知人が死んでいく様を感じ取り、絶望しろ」
「わざわざそんなことを言うためにわたくしの前まで歩いてきたんですの? 随分と余裕があるんですのね、カーネリアン」
「吠え面だけは立派だな」
カーネリアンは踵を返し、氷の扉から出て行った。
「彼女がああなったのもエーデルシュタイン家の狂気に触れたからですの?」
「貴様は機械人形の精神修行を知らない。ガルダの教育以上に、あれを乗り越えれば貧弱な精神など捨て去るだろう」
「なにを根拠に、」
「貴様は知らないからそのように言える。機械人形は悪魔との契約だ。甘言を囁き、時には存在意義を言葉で永遠に否定し続ける囁きを跳ね除けなければならない」
「力を貸与……悪魔との契約、悪魔の囁き……? 悪霊が憑依した悪魔憑きではなく、本当の意味での『悪魔憑き』と同じ……まさか!」
「機械人形の動力源は悪魔の心臓だ。直接的な悪魔との契約は肉体を奪われる。だが、機械人形を通した間接的な契約であればそれも逃れられる。受けられる恩恵も制限されてしまうが、その制限一杯まで恩恵を受ける方法が『悪酒』だ」
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「“宴を開こう”」と言った直後にカモミールの体は変形し、オニキスの刀に装着された。人形の残骸とも呼べない醜悪な骨格のみを残して、尚もカモミールは蠢いている。
しかしそれ以上に、オニキスの刀は――刀とは程遠い金属の爪と化しており、五本の刀身を見やって恍惚の笑みを浮かべている。篭手や鉤爪と呼ぶには、刃が――刀身が彼の持っていた刀と同等であるため、異様な長さを誇っている。
そんな奇天烈な武器は取り回しが難しいはずだ。使えと言われていきなり使えるような武器でもない。だが、オニキスは刀身と刀身を擦り合わせてガシャガシャと音を奏でつつ、何度か軽く素振りをしている。事前に聞かされていたが、機械人形を武器に変えることが武器の形状すらも変えてしまうものとまでは教えられてはいなかった。
「金を配する剛の爪」
辺りが異様な雰囲気に包まれている。オニキスのせいで結果以内にいる冒険者はもう両手の指で数えられる程度にまで減らされた。その誰もがほぼ即死であり、神官でありながら救えずにいることにもどかしさを感じずにはいられない。なによりも無力感が自身を包んでいる。拭い去ろうとしても纏わり付いてくる。こんなことは産まれて初めてだった。
「“沼よ”」
魔法使いが“沼”の魔法を唱えたことでオニキスを中心として地面が変質し、沼となって彼の足を沈ませる。
「僕はガルダだよ? こんな沼に沈んだところで、なんの意味もない」
沈んだはずの足が軽々と沼から出てきた。アベリアの“沼”よりも泥の成分が少ないとはいえ、重みすら感じていない抜け出し方だった。そして、オニキスは沼に沈まずに接地している。これは水面に立っているくらい不自然で不可思議なことで、なにが起こっているのか頭が追いつかない。
「秘剣の中には接地の技もあるんだよ。僕たちはそれを常々に身に纏っている。“藤不如婦”って言うんだけど……どうやったら解除できるか、教えてあげようか? ……あ、ちょっとだけ期待した? いいなぁ、そういう顔も好きだなぁ」
アイシャに限らず、この場に生き残っている冒険者たちを弄んでいる。そもそも男性を除き、女性だけを選ぶ時点で碌な相手ではないと思うべきだった。
殺人をなんとも思わない残虐性、死者に敬意を払わない道徳性の欠如、なによりも女性を襲おうと虎視眈々と狙っている歪んだ性癖。どれもこれもが少年というガワを被られていては気付けないものばかりだった。
「あんまりお喋りをしたらラブラに怒られるんだ。愉しみの時間も取ることを考えると、もう遊びはやめなきゃね。『金配剛爪』」
オニキスの言霊によって、地面を覆っていた雪が跳ねる。ただし、なにかが地面からせり上がってくるわけではなく、跳ね方もいたって弱い。なのに発生する頻度は極めて多く、迂闊に動いてはならないだろうとアイシャはその場から動静を窺う。
不意に両足に痛みが走った。いつの間にか怪我をしていたというわけではなく、この結界に入れられてから初めての痛みを足が訴えかけている。
「針……うっ!」
両足の惨状に声が詰まった。地面から無数の針が突き出し、アイシャの両足の裏から足の甲までを貫いている。真っ直ぐに生えているのではなく、どれもこれもが乱雑な角度で突き刺さっており、下手に足を動かそうものなら今現在を越える激痛が走るに違いない。
「金属性の、干渉系の魔法みたいなもの……?」
干渉範囲は空間ではなく地面。空間にすら影響を及ぼしていた『冷獄の氷』に比べれば優しいのかもしれないが、身動きを取れないという点においてはこれ以上ない最悪の事態に陥っている。
アイシャは首を横に振る。もう既に最悪の事態は起こり続けている。だからこれは最悪ではない。最悪の中の一つの出来事に過ぎない。
「無理に動くと足が削げるよ? それに、動いたところで君たちはもう一度、針山を踏むんだ。その痛みで転んだりしたらどうなるだろうね。全身が穴だらけになる。はは、それはなんか……うん、それはとてもそそるね。だから僕もカモミールの『悪酒』は嫌いじゃない」
抵抗の意思が失われていくのを感じる。力の差が歴然である以上、覆すには大勢の力が必要となる。しかし、その大勢の力もこうして制されてしまっては借りることもできない。各個撃破されるのは誰にだって明白であり、ここに一筋の光明など見えはしない。
元々、無謀なことだった。進んで名乗りを挙げた。それが正しいことだと信じて疑わなかった。それが今となっては正しいことには思えなくなった。もっと身の丈にあった生き方をするべきだった。両親は嘆き悲しむだろう。
「神よ、愚かな私を許してください」
もはやなにをする気も起きずに天を見上げる。
髪に重みを感じた。それまで違和感などまるでなかったが、この時になってその重みが気になった。手を伸ばし、髪に触れる。それを外して目で確かめる。
これはニィナがシンギングリンを出る際に渡してくれたものだ。状況を打開するための秘密の道具が隠されているわけでも、これ自体が武器になるわけでも決してない、なんの変哲もない髪飾りだ。
「……んでたまるか」
口から自然と声が零れる。
多くの人と死なないと約束した。絶対に生きて帰ると、ニィナと誓い合った。
こんなところで、自分のロジックは閉ざせない。生き様を終わらせたくない。
「死んでたまるか!!」
次は力強く、自身を鼓舞するために叫ぶ。
失念していた。忘れていた。沢山の想いと沢山のことを。それらを髪飾りを見たことで一斉に思い出す。
「漂うは命、響くは心」
杖を前方に構え、言霊を紡ぐ。
「なんだ?!」
オニキスがアイシャを見る。その驚き方から、彼は魔法の全てを熟知しているわけではないようだ。
「されど無辜なる命は奪われ、悲しくも眠る」
いつもとは詠唱方法を変えている。自身の中で意味を二回、重ねる。『ロジックへの深度は詠唱にそのまま乗せられる。『ヒール』と『癒し』が重なって聞こえるのなら、重なって唱えられるようにしてしまえばいい』。訓練の最中にアニマートに言われたときはまるで意味が分からなかったが、この場になってようやく分かった。実戦で初めて用いるのは不安が残るが、意地でも成功させなければならない。
「カモミール、止めろ」
機械人形の骨格が飛び跳ね、アイシャに向かうが別の冒険者が放った矢が直撃して吹き飛ぶ。
「歳月は巡り、衰えるは世の常。されど一瞬、世界を救う真なる輝きとならん」
アイシャに向かってオニキスが走り出す。その体を針山を走り抜いた冒険者が掴みかかり、投げ飛ばす。
「死んででも彼女を守る理由がどこにあるって言うんだ」
自身を投げ飛ばした冒険者が体勢を整え直して殺そうと思ったところ、既に失血死していたためにオニキスは疑問に思う。
「故に築け、故に固まれ、故に命じる。害なす悉くを拒め」
アイシャの背後、その中空に複数の魔法陣が出現し、五芒星を描く。その中でも五芒星の中心よりやや外れた位置にある光属性を表す一点の星が一際強く煌めく。
「大詠唱、“光よ、守護の神となれ”!!」
詠唱直後、まばゆい光が結界全体を飲み込み、オニキスでさえ目が眩んで足を止めた。
「……ただのハッタリか。興を削ぐようなこ、っ!」
発光がやんだのち、オニキスはアイシャに直行しようとしたが歩んだ先に見えない壁があり、頭から激突して後退する。激突した箇所は淡く光り、波紋を広がらせながらやがて静まる。
「まさか」
オニキスは爪を振るう。障壁は波紋を発するのみでビクともしない。続いて走り出し色んな角度から攻撃を繰り出すも、それらは全て障壁が弾かれる。
「まさか!!」
更にオニキスは爪を振るって、飛刃を生存している冒険者に放つが、それも全て障壁によって弾かれる。
「僕を障壁と結界の狭間に閉じ込めて……! 馬鹿なのか?!」
「馬鹿げていようと、あなたになんか殺されてたまるか!」
汚い言葉遣いをしている。人前で見せるには間違っているが、生命を脅かす者の前であれば構わない。そういった判断を脳内が勝手に行っている。
「こんな大きな障壁、そう長く維持できるないんだろう? 我慢比べをしているつもりだろうけど、君たちは足を針で貫かれて動けず、痛みと出血に耐え続ける。でも僕はなんの圧もかかっていない。死の時間を遅らせてなんになる?!」
「命を繋げば、果てに奇跡があるかもしれない」
「奇跡はない!」
「だったら、起こるべくして起こる現実を待つ!! もしその現実が私に死を伝えてくるんだとしても、あなたに殺される前に死んでやる!」
聖職者としてあるまじきことを言っているが、それも気にしない。
泥臭い粘り方で、展望のない未来を思い描いている。いずれ魔力が尽きてしまうのは明白だが、アイシャの中で失いかけた色々な物が再び湧き起こり、自分自身を奮い立たせている。
「私の障壁なんてアニマートさんに比べたらちっぽけだけど、あなたの斬撃では簡単に破られたりしない!」
【『妖精』、『衣』、『本性化』、『悪酒』など】
固有の相棒、特質、あるいは能力。ヒューマンを除く大半の種族が持っている。全ては種の存続と繁栄のために得たもので、種族によって求めた方向性が異なる。
ドワーフは山の守り手となるために超自然的な『妖精』との交流を求め、エルフは自身が刻み続けた生き様を有効活用する術を求め、獣人は内に秘められている本能の顕現を重要視し、ガルダは自らが用いる武器に可能性を見出した。
彼らにとってこれらは奥の手であり(ドワーフのみ異なるが)、使う場は常に限られる。それでも使わなければならない状況は、絶対に死んではならない場面か、全力を出さなければ相手を殺せない場面となってくる。また、ここに記載されていないハゥフルにも同様の奥の手が存在する。
・『悪酒』について
ガルダは『羽生えの儀』から定期的に低濃度のアルコール(酒を薄めた物)を摂取する。摂取する量は一日に一回、一杯限りであるため酔うことはほぼ無いが、飲み続けることでロジックに『悪酒』を溜め込む。これを機械人形に対して一定量を譲り渡すことで制限を解除し、刀に本来の性能以上の力を貸与する。『神酒』と呼ばないのは、捧げている相手が『悪魔の心臓』を動力源としている機械人形であるため。




