命知らず
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「『影踏』をはじめとした調査の報告から、シンギングリンを中心とした異界化は進行中だ。どこからも外に出られず、魔物の数も多数確認。周辺に暮らす人々は街へと退避させ、街の門は閉ざした。魔物と獣人の襲撃と同じように、籠城戦は考慮していない。出来得る限りの戦力で異界化を阻止する。『風巫女』を奴らの手には渡さない」
ギルド長がいつも通りの威厳を携えて、冒険者に通達する。
「中堅冒険者は奴らが作り出した結界に入ることはできなかった。中級冒険者を中心とした討伐隊を結成する。異界化を進めている大元の結界を維持している物体は全部で四つ。一つにつき、一人のガルダが結界を守っているだろう。問題は、決闘を好むために多数で押し寄せても一人を選んで、結界内に籠もられかねないことだ」
「奴らの言う決闘ってのが、本当の意味での一対一を意味しているわけではないからねぇ」
「ヘイロンが言うように、奴らは剣術だけで戦うのではない。常に機械人形を付き従えている。それを人として数えないのは、機械人形には我々と同じような血液と心臓を持たないためだ。だが、我々ほどではないが対象を殺害するための最適解を導き出す程度の思考力は持ち合わせている」
「ついでに奴らはそれを武器にも変える。機械人形は形を変えて、奴らの刀剣になる。物体の質量や変形の限界を無視したもので、そこには魔法の類がまず関わっていると思って間違いないよ。ただし、動力がなにかまでは不明だねぇ」
「以上の話を聞いて、それでもガルダに挑む中級冒険者の命知らずはいるか?」
挙手制ではないが、誰もその話を聞いて名乗り出る者はいない。アレウスも今更、悪目立ちを気にするわけではないが話の流れがどう転ぶかで自身の立ち位置を変えなければならないため、しばし静観する。
「……怯えさせたくて言っているわけではないが、今回に関しては多かれ少なかれ犠牲が出るものと考えている。中堅と上級ばかりが生き残り、中級から下が割を喰うことには弁明の余地もない。廃業も視野に入れてくれて構わない。なによりも命は大切だ。それを投げ出せる者を今は求めている」
どちらにせよ、シンギングリンはもうあとには引けない。クルタニカを引き渡さないのなら、結界を解除できなければ街ごと滅ぶ。ただし、これは最終的にギルド長が決めたことで冒険者の意見が反映されたわけではない。その選択を不服と思うのなら、ギルドを去るか冒険者を辞めるか。そういう話だ。
「あぁ、結界が無事に解除されたなら出戻りでもなんでも構わないからねぇ。この場を乗り切っても、人手が足りなくなってしまっては本末転倒になってしまう」
付け加えられたヘイロンの一言でピリピリとしていた雰囲気が緩和される。一時的に冒険者を辞める。そうすれば、脅威と戦う必要はなくなる。
人々を守る冒険者が、それでいいのだろうか?
他力本願で、物事の解決を祈るのが冒険者の在り方だろうか。アレウスは学んできたこと、そして先達者の後ろ姿を見ている限り、そうは思わない。
時間を無駄に消費すれば、事態は悪化する。一刻の猶予もなくなるほどに追い詰められるわけにはいかない。悪目立ちだっていつものことだ。なにを気にしているのだろうか。クルタニカが助けると決めたのだから、すぐに動くべきだ。
「私が行きます」
冒険者の中から手が挙げられ、その人物が隙間を縫うように進んでギルド長とテーブルを挟んで姿を現す。
「ちょっ、本気で言ってんの?!」
数秒置いて、その人物に素っ頓狂な声をあげながらニィナがギルド長の前に出る。
「私たち聖職者は人々を救済するために存在します。ですが、異界に神はいないのです。神々がいない世界で、物を説いても誰も学びはしないですし、神々が聞いていらっしゃらないところでは懺悔することさえできやしません。退廃的な未来になってしまう前に、神官として出来る限りのことはします」
「まずは一人」
「あなたらしい決断だと思う。その言葉、その道に、一寸の迷いがないのなら私もあなたの背中を力強く押します」
シエラはアイシャの勇気に賞賛の意を表す。
「……っ、あーもう! 私もやります。本当はやりたくないけど……この子だけを行かせて自分は隠れているなんてできないし……! なにより、この結界を解かなきゃ私は故郷にすら帰ることだってできないんだから」
苦渋の決断をニィナは下す。
「これで二人か」
「故郷か……里帰りができなければ、オレが見聞きしたことを土産話にすることすらできないか。ならば、付き合ってやろう。たとえ死地に向かう道だとしても」
ガラハが微かな笑みを浮かべて、ギルド長の前に出る。
「三人目。他にはいないか?」
物事は最初が肝心である。一人目、二人目三人目と現れればあとは自然と増えていく。どの冒険者も中級冒険者以下であることには変わりないが、その本質は恐らく誰一人として中堅以上の冒険者と違いはない。
「まだだ」
「……はぁ、なにを躊躇っているんですか」
ギルド長は参加を表明した面々を見ても、まだ決定を下さない。そして、待てなくなったリスティが口を開く。
「体裁を保つため、悪目立ちをしないため、自問自答を繰り返しているため……まぁ、きっと色々と理由はあるんでしょうけれど、待ちあぐねているのが分かりませんか? 私は待っている。テストも含めて異界を五度経験しながらパーティの死亡人数はゼロ。あなたがいれば、犠牲は出ようともきっと乗り越えられる。正直、いつも背中を押すのは怖いのですが、あなたはそれでも進むと言うはずです。あなたの生き様が異界化を越えるためには必要です」
担当者にここまで言わせてしまったことに申し訳なさを覚えつつ、アレウスはゆっくりとギルド長の前へと歩み出た。
「真打ち登場ってな」
「出てくるのが遅いです。あれは絶対に粋がりたいだけですね」
「だが、待ち望んでいた」
「そうだ。私たちは彼に期待をどうしてか抱かずにはいられない」
アレウスの登場にデルハルトをはじめとしたルーファスたちが各々、声を零す。
「結界を壊すのは可能だと思うか、『異端』?」
「可能かどうかは分かりませんが、可能な限り僕は僕自身の知識を投入して窮状を乗り切るつもりです」
「ではまずなにが必要だ?」
「異界化しているシンギングリン周辺の法則を見つけなければなりません。ガルダの意思で展開されているものであるなら、彼らにとって有利な空間になっているのは当然ですが、合わせて彼らがどういった魔物をシンギングリンにけしかけるのか。これらが分かれば、ガルダにとって嫌がることがなんなのかも分かるはずです」
「時間はない」
「半日……いえ、六時間もあれば中堅から上級冒険者の方々が総出で取りかかれば法則は掴めると思います」
「ランクが上の冒険者を足掛かりにするか?」
「ガルダと争うのは中級冒険者以下の僕たちです。争いの場に立つことさえ拒まれているのなら、シンギングリンの防衛とその他の情報収集に動いてもらうのが得策ですし、僕たちみたいな未熟な冒険者たちに命運を委ねることなどできないはずです。ですので、僕たちに少ない時間の中で最小限ではなく最大限の訓練も求めます」
「結界の破壊にどれほどの時間が必要だと思う?」
「結界の位置や異界化している範囲、そして魔物の数などによりますが、大きく見積もって三時間もあれば到達は難しくないと僕は思っています。ガルダとの交戦に入れば、およそ一時間。一時間以上かかる戦いなんて、それはもうアライアンスによる魔物との戦闘、街の防衛、異界獣を仕留める以外にあり得ないはずです」
「どれもこれも私の想定と似通ったものを返すとはな」
「このガキは鼻につくところも多いが、異界じゃ一番使えるガキになる。そうだろう、リスティー?」
「そうでなければ街長の話に私は乗るつもりもありませんでしたし」
「で、このガキのレベルは?」
「登録した時点で中級相応でしたよ」
「そりゃまたとんでもないくらい異例なことだ。そこからどれくらい上がっているかって聞いてんだ」
「……恐らく、1か2ほど」
「経験した修羅場にしては上昇が遅いねぇ。壁を越えられていないのもそうだが、扱ってきた依頼がガキのレベルに足りてなかったってことかい?」
「異界を五度経験して、戦った環境がレベルに足りていないというのは暴言です。アレウスさんの場合、上がるために必要な経験が通常より多い……或いは、壁で詰まってしまっているかのどちらかでしょう」
「壁を越えれば?」
「詰まっていた経験の量が吐き出されることになりますから、一気にレベルアップするかもしれません。こんなこと、担当者を取り仕切っているあなたなら分かり切っていることでしょう?」
「あんたに言わせなきゃガキが信じないからだよ。まぁ、そんなところだよ。さっさと壁を越えられるかどうか。それがカギになるかもしれない戦いだ。肝に銘じておきな」
「中堅以上の冒険者で訓練の担当を決めていく。中級以下冒険者は職業によって組を分け、複合職なら戦い方にあった職業の者と訓練してもらう。焦りで仲間と、訓練する相手を酷使するな。精神をすり潰す真似をすれば、肝心な戦いで無駄死にをする。非効率的な訓練などしていれば、私が訓練の意味を教え込ませてもらう。常に私が監視していると思え。それでも楯突くなら、その心根を折るまで付き合ってやろう」
何故だか分からないがリスティがギルド長の言葉で微かに震えた。「常に私が監視している」という言葉が、特に彼女の心に突き刺さっていたようだった。
「ご報告します!」
『審判女神の眷族』が扉を開いた。
「ギルド指定の病院よりクルタニカ・カルメンが姿を消しました!」
「なんだと?!」
「ギルド長、監視を付けていたんじゃないのかい?!」
「監視していた上級冒険者の五名は、病室内で氷漬けにされていました」
「氷漬けではありますが、肌に触れるか触れないかのところで氷に包まれているだけです。氷の一部には丸い穴も空いており、空気の通りもできており呼吸には差し支えがありません」
「ただし、全身を氷に覆われてしまっては力任せに砕くことも難しく」
「なにより、クルタニカ・カルメンの魔力が氷に残滓として残されていれば、無理に壊そうと肌を氷に接するようなことがあれば凍傷以上の被害が出ることも考えられ」
「口を動かすことさえ困難であったことから、監視していた上級冒険者に一切の落ち度はなく」
「クルタニカ・カルメンが一枚上手であったとしか言いようがありません」
「空気の層を残して氷で包むなんて芸当は、『風』を知り『氷』に愛されている『風巫女』にしかできないか」
「ギルド長、私の仲間の『影踏』を走らせます」
「頼む。他にも気配を消して素早く動ける者たちは『風巫女』をただちに捜索せよ」
ギルドから何人かの気配が一気に消え、そして姿も見えなくなった。『審判女神の眷族』も姿こそ消してはいないが、すぐさまギルドから飛び出していった。
「まさかとは思うけれど、クルタニカちゃんは自分を犠牲にしてシンギングリンを守ろうとしているんじゃ」
「目を覚ましたばっかで寝惚けてんじゃねぇぞ! お前ごと『蝋冠』を渡したところで、ガルダが異界化を止める約束を本気で守ると思ってんのか!」
この事態にデルハルトが珍しく感情を昂ぶらせていた。
「誰かを助けるっつーのは、自分自身を犠牲にしたりしてすることじゃねぇ。人を助けて自分も助かることができる奴以外がやったら、より多くの犠牲が出ちまう。そいつが一番嫌ぇだ、俺は」
その言葉は自身を犠牲にしてまで獣人を助けたアベリアのやり方を否定されているようで心に刺さる。同時に、アレウスがやってきたことを軽く否定された気にもなってしまう。しかし、デルハルトの言っていることは間違いなく正しいことなので反対の言葉を見つけて声にすることさえできない。
「『風巫女』の捜索は進める。だが、同時に訓練も進める。私たちには個別に対応できる時間がない」
「あとは担当者がやっていくさ。ギルド長は行動を起こすタイミングを見計らってくれたらいい」
「そういうことですので、アレウスさんのパーティはこちらに来てください」
「ニィナとアイシャはこっち。上級以上の冒険者たちの参加人数や性格、職業なんかが分かり次第、振り分けていくから」




