それでもまだ
*
「道理でエイミーに手紙を送ろうとしても送れないわけだ」
次の日、アレウスはギルドに立ち寄る前に仲間の見舞いのため病院に顔を出した。気の利いた見舞いの品は用意できなかったが、先日に起きたことやギルドの方針を嘘偽りなく説明した。
もっと、ギルドや自身の立場について絶望するものかと思っていたが、ヴェインがまず最初に口にしたのはエイミーとの手紙のやり取りができないことへの嘆きだった。
「困ることなのか?」
「そりゃ困る。二日に一回のペースで送っていた手紙が途絶えると、浮気を疑われてしまうからね。エイミーはああ見えて、俺を尻に敷いている」
「ああ見えてもなにも、あの人は怒らせると怖いだろうってことぐらいは分かっているつもりだけど」
「あれ? やっぱり分かっていたんだ? 俺が浮気したなんて噂が流れたら村長の孫とはいえマズいし、あと純粋にエイミーが多分、俺の根性を叩き直しにくる」
「異界化が完了しない限りはエイミーも入ってはこれない」
「安心っちゃ安心だけど、居心地が良いわけじゃない。これなら、むしろ浮気を疑われて顔と顔を合わせて話をした方が楽しいってものだよ」
「極論じゃないか?」
「だとしても、俺は彼女を想って生きているからね。会いたいのは当然なんだよ。だから異界化をどうにかするって言うんなら、ギルドの意見に賛成だよ。クルタニカさんには助けてもらったことだってある。あの人を差し出すなんて、あり得ない」
だが、ヴェインは前回の依頼で重傷を負っている。アレウスが風邪を引いたときに薬を飲んで、静養していたのと原理は同じことだ。回復魔法で治せる範囲には限りがあり、それを越えてしまえば魔法ではない医療に頼らざるを得ない。
「心配しなくていいよ。これでもかなり治っているんだ。ただ体力の低下が否めないのと、まだちゃんと塞がっていない傷もあるから過度な運動ができないだけだ」
「……あの時は、動揺してすまなかった。僕がもっと速く指示を出せていたら、傷を負うことだってなかった」
「過ぎたことだよ、アレウス。でも、そうやって謝ってくれるのはありがたい。その言葉で俺は君の誠実さを再認識できる。なにより、君の動揺も分かるよ。俺だってエイミーになにかがあったら、きっと冷静な判断は下せない」
「その時は僕がヴェインを引っ張る」
「そうか、なら頼もうかな。取り敢えず、最初は俺と一緒に手紙の件でエイミーに謝るところから始めようか」
それは違うだろ、と言おうとしたところで「冗談だよ」とヴェインは笑いながら言った。
「まぁなんにせよ、俺はこの通り治りつつある。アベリアさんとクラリエさんの方が心配だよ」
「……そのことなんだけど、一つ訊いていいか?」
「なんだい?」
「アベリアは『身代わりの人形』を持っていなかったのか?」
記憶が確かならば、彼女は冒険者のテストのために配られた『身代わりの人形』をずっと使わずに所持していたはずだ。なのにピジョンの攻撃で即死した。ヴェインもエイミーのことを考えて所持しているが、アベリアと違って攻撃による即死ではなかったために重傷まで防げなかった。なのでヴェインのそれが反応しないのは理屈が通る。だからってアベリアのそれも反応しないのは通らない。
「言っても、アベリアさんを怒らないと誓ってくれるか?」
「事実がどうであれ、まず最初にあいつにぶつけるのは怒りじゃなく質問だ。そのあとの返答次第で怒るし、怒らないかもしれない」
「そうか……」
ヴェインはしばらく目を泳がせ、悩んでいたようだが観念したように溜め息をつく。
「ピジョンの攻撃は、アベリアさんと獣人の二人を捉えていた」
「つまり?」
「あの羽根で貫かれるのは本当は二人だったってことだ。一石二鳥って言葉があるだろう? 一度の攻撃で二人が同時に死ぬ。そんな状態だった」
「……ならアベリアは、『身代わりの人形』を獣人に投げて渡したんだな?」
「そうなる」
ノックスの妹はアベリアに比較的、心を許していたがそれでも獣人とヒューマンの間にある亀裂は大きなものだ。そう簡単にヒューマンの言うことや自身の行動について謝るはずがない。なのにノックスの妹はひたすらに謝っていた。それはアベリアが彼女のためにと『身代わりの人形』を押し付けたからだ。そこまでされて、更には自分自身は無傷なのだから目の前の惨状を受け入れられなくなったのだろう。
「僕には散々、命を投げ捨てるなって言っていたクセに……」
「でも、判断は正しかったと思うよ。アベリアさんは甦ることができるけど、獣人に『教会の祝福』に近しいものがあるかどうかは分からない。二人が助かる道は、アベリアさんが死んで甦り、獣人が『身代わりの人形』で助かる以外になかった」
「だとしても、僕はアベリアが無傷であってほしかったよ……いや、それは僕の感情の問題だ。あいつの判断は僕と同じだ。僕も『教会の祝福』を受けていて、同じような場面に陥ったならそうする」
二人三脚で生きてきた。だからアベリアの判断はアレウスの判断に近い。
「気配を消せる魔物を倒した気になって、本当に死んでいるかどうかも確かめずに外に出た。思えば、日没も近付いていたし体も冷えていたしで焦っていたんだろう。僕はいつも大事なことを見落とす」
「それは俺だって同じだよ。不思議とさ、アレウスが言うことがいつだって最善のはずだって雰囲気が出来上がっていたんだよ。慎重派のクラリエやガラハでさえ、倒れているピジョンを調べようとしなかったんだから……俺も、そう思ってしまっていた」
「……傷が完治したあと、また僕のパーティで活動してくれるか?」
「俺だけじゃなく、クラリエさんだって同じ気持ちのはずだ。でも、この件でエイミーにちょっと叱られるかもしれない」
「説明はするし、それで彼女が僕を信じるに足る存在だと思えないなら、その時は諦めるしかない。僕は諦めたくないけど」
「頼むよ、リーダー」
ヴェインとの面会を終え、アレウスは次にクラリエの病室へ訪れる。
「えっと、クラリエ」
「しみったれた話はしないでねぇ。あたしはもうヴェイン君との話を盗み聞きさせてもらっていたから」
「え、あ、そうか……」
「妖精さんはかなり疲労困憊していたけど、昨日ぐらいからまだフラフラだけど飛べるようにもなっていたから、もう一日か二日くらいにはガラハのところに戻るんじゃないかなぁ」
「スティンガーがクラリエの病室にいるのはどうしてなんだ?」
「あたしが神域にいた元ハーフエルフだからだろうねぇ……まぁ、あたしの傍にいても魔力を与えることなんてできないけど」
「でも居心地が良いはずだ。でなきゃ、傍になんているわけない」
「それもそうだね」
「クラリエ、『衣』のことなんだけど」
「気にしなくていいよ。あれは実験の一つだったから」
「実験?」
「実質、燃やした時間は三秒。三秒でどのくらい生き様が燃えるのかと、あとは低燃費でどれぐらいの威力になるか調べたかったから」
「低燃費?」
「燃やす生き様を意識的に選択するの。これができたからエウカリスも自我を保っていられた。もっと厳密に言うと、毎日当たり前のようにやっている生活サイクルを燃やす感じ」
「いつものようにやっていることを燃やしたところで、記憶の弊害はほとんどない?」
「そういうこと。それに毎日のようにしているから、一部分が燃えたところで他の部分で補って、また同じ生活サイクルを送れる。その分、燃やしても威力はあんな感じ。終末個体のピジョンを一発で仕留めるはできなかった。死んでいるかどうか、生きているかどうかはあたしが気付くべきだったのに、気付けなかった」
「お前のミスなんかじゃない」
「そう言うと思ったよ。でもね、ちょっとは責任を感じさせて。アレウスだけが責任を負うことなんて、ないんだから」
「……『衣』は今後も使っていくのか?」
「担当者さんとも話はしているけど、使わざるを得ない状況では使っていく。でも、異界で戦ったときみたいな高威力の『衣』は作れない。まだ作るべきじゃない。あたしにはきっと使命があるから。で、多分だけどあたしは直感的に思うはずなんだ。ここが本当の本当に強力な『衣』を使うときだって。そのために、次にやるのは低燃費状態での『衣』の維持。心配しないで? あたしには半分、エルフの血が流れているからヒューマン以上にロジックは膨大だし、そんな簡単に全部を燃やし尽くすつもりないし。だからアレウスはあたしじゃなくて、アベリアちゃんのところに行ってあげて」
「病室には入れないけどな」
「でも確かめたいこともあるんでしょ? あたしもヴェイン君と同じで怪我としての峠は越えているし……あと、盗み聞きもしないから」
「そもそも、アベリアはここに入院していないぞ」
「あたしがこっそり付いて行って、聞くことはないってことだよ」
「こっそり付いてくる気が多少なりともないと出て来ない言葉だな」
「逆に言えばそれぐらい体を動かす気にはなれているってことだから」
良いことのように言うが、依頼達成以外での盗み聞きは褒められたものではない。しかし、顔を見せてからずっと笑顔のクラリエを前にして、たしなめるようなことは言い出し辛かった。なので、当たり障りのない言葉を口にして、アレウスは病室をあとにした。
アベリアは街の人が利用する病院とは異なり、ギルドが指定している病院にいるため、そちらに足を運ぶ。しかし、衰弱状態を脱するまでは面会謝絶であるため病室の前に来て、その扉を開けることはアレウスに許されていない。
ほんの少し前まではパーティだった。家族だった。なのに、今は扉一枚がとても大きな隔たりに感じるほど心の距離は遠い。
「アベリア」
だが、確かめなければならないことがある。伝えなければならないことがある。自身の声がアベリアに届くかどうかは別として、ともかく扉越しに彼女の名を呼ぶ。
「……答えたくないなら答えなくていい。話したくないなら話さなくていい。でも、訊いていいか? いや、ただの独り言だ」
いつまで経っても返事がなかったため、アレウスは孤独を感じながらも声を発する。
「僕のロジックを書き換えたのか?」
ノックスの兄が蛇の姿をしていたと聞いたとき、アレウスの頭の片隅で様々な景色が閃光のように迸った。その中でアレウスはスネイクマンと会話を交わした。
そして、その肉を食した――のではないか。
なのにアレウスには全くその記憶はなく、トラウマにすらなっていない。一瞬、吐き気を催しこそしたが、最終的に本の中の物語のような、いまいち自身に起きた出来事として処理できていないのだ。他人事にしか思えないのだ。自分自身に起こったことのはずなのに、それに対する申し訳なさや、やむを得なさ、やり切れなさ、その他様々な負の感情が湧き上がらない。
それら全てがロジックの書き換えによって制限されているとすれば――書き換えることで記憶と感情の繋がりが断たれていたならば、それをできるのは世界でただ一人、アベリアしかいない。
「……もし、僕の考えていることが本当だとするなら……物凄くショックだ。物凄く悲しいし、打ち明けてくれなかったことに対しても苛立ちを覚える。それと……君へ向けている感情が、どれもこれも書き換えたことによって生じているものなのだとすれば……僕は僕自身の感情すらも信じることができなくなってしまう」
アベリアが生きている限り、アレウスのロジックは書き換えられたままだ。彼女以外、誰もそのロジックに触れることはできないのだから。
しかし、彼女が死ねば解決するという話ではない。もしも死のうとしても『教会の祝福』がある限り、アベリアに死は訪れない。寿命や精神的な死ならばあるかもしれないが、魔力の器、魔の叡智と呼ばれるものがアベリアの体から永久に消え去らない限り、彼女の書き換えた部分はいつまで経っても戻らない。それぐらい彼女の魔力は強く、書き換える力も強力なのだ。そしてアレウスは、ロジックに干渉する力に耐性があるわけではない。アベリア以外が触れられないという強みだけで、大抵を防げているだけにすぎない。
『異端審問会』は人のロジックに干渉し、その生き様を歪め、世界を乱れさせる。場合によってはアレウスのように人生を狂わされる者さえ現れる。だからアレウスは『異端審問会』を許さない。ロジックに容易く干渉し、生き様を書き換えようとする者たちをのさばらせておきたくはない。
そこまで固く誓っているはずなのに、アベリアのやったことを容認するのは筋が通らない。仲間がやったからと全力でそれを擁護するのは同じような歪みだ。仲間が、身内がやったからといって、罪の形が変わるわけがない。
「元通りにしろとは言わない。だって、ロジックを書き直してもらうためにはロジックを開いてもらわなきゃならない。だけど、君にしか開けないロジックなのだとしても、今は……触れてほしくない」
アベリアに向けている感情のほとんどが作り物。そう決め付けるのはまだ早計なのかもしれない。
しかし、あの時だけだろうか? あの時、アベリアに食べ物を渡したのは本当にあの時だけだっただろうか? ひょっとしたら記憶に残らないところでアベリアにアレウスは食べ物を与えていたのではないだろうか。それにしては飢えに飢えていたのだが、バレないように最低限、生きるための量だけをもらえるようにロジックに書いていたとすれば、強引だが論理としては成り立つ。なにより、どうしてあの時、アベリアに食べ物を渡したのだろう。他にも飢えと渇きに苦しんでいた者は沢山いたはずだ。その中で何故、アレウスはアベリアを選んだのか。たまたま、目に付いたからだろうか。あの人たちに注意されたから、その反抗心から手を差し伸べたのだろうか。
もう分からない。
「ただ……アベリア」
ここからは身勝手な想いになる。
「僕は君が傍にいないと苦しくて仕方がない。たとえこれが作り物で、君にロジックを書き換えられたことで起きている感情や心の揺らぎなのだとしても……嘘や偽りに満ちた感情なのだとしても、実を言うとあんまり悪い気分にはなっちゃいない」
今の今まで、アベリアとの生活を苦しいと思ったことは一度もない。
「なんなんだろうね。許せない気持ちと、許してやりたい気持ちがごちゃまぜになって、片付けられない。君が、僕を見て話せるようになったら、この気持ちの整理もつくのかな」
そして、どのようにアベリアを罰するのだろうか。
「ひょっとしたら嬉しかったのかもしれない。君みたいな綺麗で可愛い子を守ろうとしている自分自身に酔っていたのかも……嘘や偽りであっても、君が君ならそれでいいじゃないかって思ってしまう自分がいるんだから、君の容姿を信用できる材料にしていたのはきっと事実……うん、最低な男だと思う」
少し気持ちが沈んだ。
「君は、どうだった? ロジックを書き換えた男に守られて、嫌じゃなかった? 一緒に生活して、怖くなかった? いつ自分がやったことがバレるんだろうって、怯える毎日じゃなかった? 僕が思い描いていた君との生活は、君から見たら……地獄だったのかな……」
想いの丈は吐き出した。届いたかどうかまでは分からない上に、未だ答えは出てこないままだが、言いたいことは言えた。
「アベリア? 君の友達がね、ちょっと大変なことに巻き込まれているみたいなんだ。結構、面倒を見てもらったり助けてもらったりもしたからさ……神官なんだけど助けたいと僕は思っている。助ける気でいる。ギルドがどう僕を扱うかまでは分からないけど、君の友達を見殺しになんかしない。絶対に、君の友達を傷付ける相手を追い返す」
扉の前から離れて、アレウスは廊下を歩く。
一人でなにができるのだろうか。
そうやって笑われることは承知の上だ。
それでもアレウスは、まだこの生き様を進む。




