上と下
街長の言うことは事なかれ主義に近しいが、最も現実的な話でもある。冒険者に限らずギルドの中でも「どうしてクルタニカのために」と思う人も少なからずいるだろう。どれだけ神官として世の中に貢献していようとも、誰も面識の乏しい他人のために命は投げ出せないのだ。特にクルタニカの場合は相手によって強気であったり、攻撃的であったり、高飛車な一面があった。そのようにして意図せず反感を買ってしまってもいるのだ。
「この教会において三番手の神官です。手放すには惜しい人材とは思いませんか?」
「三番手だからこそ手放しても構わんだろうに。これが一番手や二番手であったなら大事であるが、ならば四番手から全員を繰り上げれば済むことだ」
「たとえ三番手と四番手の間に雲泥の差が生じていても、ですか?」
「神官のやることなど昔からそんな変わっておらん。女神に祈りを捧げ、生き様を読めるようにし、冒険者には『教会の祝福』を与える。たったそれだけの仕事しかせんような奴らだ。変わりはいくらでもいるものだ」
アレウスは神官の仕事を放棄し、神官の能力を悪用している者によって神官嫌いになったが、さすがに人のためにと尽くしている真っ当な神官の仕事ぶりにまで思うことはない。どんな仕事であれ、外から見たことだけで中まで知った気になるのは失礼なことだ。他人の仕事に否定的であったり懐疑的である人のやっている仕事をアレウスはむしろ、真っ当に務めあげているのかと疑問に思ってしまう。街長であろうと、その浮かび上がった疑問は変わらない。
シンギングリンを良くしようと心に決めて街長になったのか、それとも地位と名誉、そして金に目が眩んだだけの暗愚な者か。既にアレウスの心は後者に傾きかけている。
しかし、そんなアレウスとは裏腹に周囲からは街長を支持するような声が溢れてくる。一番簡単で、更に自分自身の命に関わらないことであれば、窮状から脱せられるのならどのような行いであっても認めようとしている。もはや現実逃避に近い。
「人命救助と魂の救済に深く関わってきた『風巫女』を犠牲にしてまで得る平和に、どれほどの価値があると仰るのですか?」
「ではあなたは、神官一人のために街を犠牲にすると?」
街長はシンギングリンを盾にして、ギルド長を抑え込もうとしている。
街一つと神官一人。天秤に掛ければ通常ならアレウスも神官一人を差し出す方を選ぶ。ただでさえ嫌っている神官が一人減るのなら、一年と少し前のアレウスであれば逆にありがたいとすら思うだろう。
「僕が身命を賭して守り続けたいと思っているシンギングリンは、問題が起これば冒険者を見捨てる街……ということでよろしいですか?」
アレウスが訊ねた瞬間、ヘイロンが笑みを浮かべ、シエラは額に手を当てる。しかし視線の端に見えたリスティはアレウスの発言を信じていることを示すように首を小さく縦に振っていた。
「命を賭けて死ぬ気で戦って、そうして守り通そうとしている街は冒険者を守ってくれないのですか? それはつまり、“冒険者にとって守る価値のない街”と仰っていることに他ならないと思うのですが、その認識でよろしいですか? もしそうであれば、魔物が襲撃しても僕は助けには行きませんし、脱出の方法を見つけても僕が慕う人や信じられる一部の人たちを連れていくだけで済みそうですね」
「ギルド長、この少年は?」
面倒と受け取られた。アレウスの捻じれた理論によって街長が抱く正当な理論とやらが屈服されるのを避けたように見えた。しかし、主観の話であって、客観的に見ればアレウスという少年冒険者が街長に噛み付いたとしか見えない。
「今年度のルーキーです」
「新人はちゃんと教育したらどうかね?」
話し相手を変えられてしまった。ここで再び強引に話そうとすれば、付き人に捕らえられてしまう。
「これでもかなり丸くなりましたよ。そこらの上級冒険者にも負けないくらいの矜持と向上心を胸にした異例のルーキーです」
「目標や矜持など、届かなければ結局は意味がない」
「ところが冒険者には度々、壁が訪れるものでしてね。才能の壁、努力の壁、能力の壁、意識の壁、矜持の壁……まぁ、それはもう沢山ありまして、壁は高ければ高いほど乗り越えるのに時間がかかります。けれど、本人が足踏みをしているように思えても、挫けず乗り越えようとし続ける限り、いつかは越えられる。越えた瞬間、蓄積していたものが一気に自分の糧として返ってくるものです」
「なにが言いたいのだ?」
「街長はそのような壁を前にして乗り越えたことがあるのか、と思いまして」
「なにを言うか。私は選挙によって人々に選ばれたんだぞ。比べてギルド長という役職は、冒険者の経験さえあれば誰でもなることができると聞いたがね……? こんなごろつきどもと馴れ合っていては街の景色すらよく見えてはおらんのではないか? 街ではギルド不要論も上がっている。否定派も多い。それを私がどうにか抑え込んでいることに相応の感謝ぐらいしてはいかがかな?」
「ええ、とても感謝していますよ」
ギルド長はやはり心から言っているようには思えない。
「ならば誠意でもって示したらどうだね? たとえば」
街長は舐めるような視線をギルド内にいる担当者たちに向ける。アレウスですら下卑た視線であることが一目で分かる。
「今夜、私邸に彼女たちがギルドからの感謝状を手渡しにきていただけるかな?」
「……構いませんよ。そのように手配しましょう。私も男です。そこの辺りは、しっかりと教育してあるのでご心配なさらずに」
嫌な笑い方をしながら街長はギルドをあとにした。
「厄介な時に厄介な話を持ってくるものだ」
ギルド長は声のトーンを街長と話していたときよりも明らかに落とし、若干の苛立ちを混ぜていた。
「まだしばらくは対立構造を作っておいて、現状維持としていたかったんだが……分からせる必要があるか」
「それより、私たちを街長のところへ送るって本気で仰っているんですか?! 私はそんなことまで仕事の内となんて考えていません!! 考えたくもない!!」
担当者の一人が発した感情の吐露により、ギルド長に担当者たちの叫びが波のように押し寄せる。
「ゴタゴタ言ってんじゃないよ!」
ヘイロンがその波を切った。
「一つ確認だが、さっきのやり取りは以前と同様の手を取るってことでいいんだね?」
「でなければ私も、大切な仕事仲間を身売りさせるようなことを言いはしない」
ギルド長の目を見て、ヘイロンがニヤリと笑みを零す。
「仕方がないねぇ、シエラとリスティ。お前たちも一肌脱いでもらおうか」
「な?! どうして私や先輩まで!」
「あの街長が最初に視線を向けたのがシエラで、次にお前を見た時に唇を舐めた。シエラは元より人気で、リスティは裏方の仕事をしていて最近になってギルドの表に出て来たんで目を惹いたんだろうよ。性格はともかくとして、容姿は褒めるところが多いからね、お前たちは。私はお前たちを管理している一番のお偉いさんって形で付いて行かせてもらうよ」
「私は!」
「乗ってもいいわよ、私は」
「先輩?」
「そんな自信あり気な顔をしているんだから、信じていいのよね? ヘイロン」
「勿論さ。それで、リスティ? お前はどうする? 別に来なくても構わないんだよ、私は」
「……先輩が行くなら、私も」
なにやらとんでもないことが決まりそうになっている。そのせいで外野の冒険者たちの騒ぎは更に大きくなる。ガルダと異界化に合わせて、街長の問題まで起こってしまった。もうギルド内の混乱の渦は誰にも止められそうにない。
「よーし、支度をする前にシエラは……問題ないがリスティ」
「なんですか?」
「取り敢えず、見せてもいいと思っている男に下着――しかも意中の相手にしか絶対に見せないような勝負下着を見せておきな」
「はっ?!」
「でないとお前は段取りを台無しにしそうだからねぇ」
ワケの分からなさでリスティも混乱している。傍から聞いていてもヘイロンがトチ狂っているようにしか聞こえないのだから、きっとその混乱は正しい。
「それとこれがどう関係するんですか?!」
「いや、だって嫌だろ? 見せてもいい相手にも見せてない下着を初めて見せるのが中肉中背のおっさんは。このあとの段取り次第だが、場合によっちゃ下着まではあるだろうからねぇ」
街長になにかを仕掛ける算段なのだろうが、恐らくそれはリスティの許容範囲を越えている。それでも、ギルド長の決めたことに口出しできる権限をアレウスは持っていない。できることは想像していることが現実にならないことを祈ることぐらいなのだ。
「街長の件は私らでなんとかするとして、あとは異界化の方かい? 一度、これに似た手法で決闘しているんならちょっとは弱所も分かるだろう?」
無理やり街長の話を区切らせて、ヘイロンが元の話へと戻した。
「結界について一番詳しいのは『影踏』君だけど、私も少々かじっています。なので、確定ではありませんがこういった大々的な結界を張る場合、絶対に基点を用意しなければなりません」
「だろうな。あとでまた足の速い連中に走らせるが、まずこの手の物には基点が存在する」
ギルド長はアニマートの発言を膨らませる。
「数については遠くから観察すれば把握できるだろう。問題なのは、その基点を壊すとなった場合に『礼讃』が言っていたように特定の条件を満たす者を入らせない、通らせないように防衛用の結界についてだ。あることを前提で話すことになるが、前回において煮え湯を飲まされたのだから『礼讃』は通れない」
「俺に勝ちたがっていたように思えたが、違うんですかい?」
「『礼讃』に勝つことより『蝋冠』の獲得を優先するはずだ。それに、今回は『礼讃』がガルダに戦いたがっている形になる。それを戦わせない、戦う土俵にすら立たせないというのは屈辱を与えられる上に優越感にも浸れる。同様の理由とはならないが、『影踏』も入らせてはもらえないだろう。『魔剣』と『神愛』が入れる余地はあるように見えるが、しかし実際のところはないだろう」
「どうしてですか?」
ルーファスはやや悔しげに問う。
「『異界渡り』をガルダは要注意と捉えている。前回も今回も見えない範囲からの応援でやってきた。『魔剣』と『神愛』を通せば、同程度の強さを持っている『異界渡り』もまた入れてしまう余地を残す。また負けるつもりはないが二人で組まれると、まかり間違って『蝋冠』の入手が再び阻まれるようなことは避けるはずだ。よって中堅冒険者から上級冒険者はほぼ結界に入れないと考えるべきだ。試したいところではあるが、入れる入れないのギリギリのラインまでは探れない。入れないだろう上級と中堅で調べていく」
ギリギリのラインを調べるとなると、誰かが試している内に結界に入れてしまう事態が起こる。甦れない以上、そこでガルダに迎え撃たれてしまうと本当の死とはかけ離れた魂の虜囚になりかねない。
「早急に答えを出してもらいたいが、結界やガルダについての情報収集や街長の件もある。今ここで出せとまでは言わない。だが、時間がないのも事実だ。明日中には募ることになる。死ぬことを怖れつつもなお、踏み出すことのできる冒険者を」
この男の中にはクルタニカを『蝋冠』と共に引き渡すという選択肢はないらしい。もうこの場でアレウスは名乗り出てもよかったが、死地に向かう前にどうにかして面会拒否中のアベリアとも話をしておきたい。
「アレウスさん、少し良いですか?」
一応の議論は終わり、冒険者たちがギルドから出ていくさなかにリスティに引き止められた。
「なんですか?」
街長の一件についてはあまり首を突っ込みたくない。アレウスにとって信頼できる担当者がどうして色仕掛けに使われなければならないのかと、本当にそれでいいのかと問い詰めたいが、それは私情に過ぎず、声にしてしまえば場を乱す。だから、物事が片付いてからいつも通りに話をするようになるのが一番だと思ったのだが、リスティはそうではないらしい。
「……なんとも言いにくいことなんですけど」
「普段から迷惑をかけてばかりですから、リスティさんから頼まれることなんて滅多にないですし。僕にできることなら、なんでもいいですよ?」
「そう言ってくださると助かります」
リスティはアレウスの手を掴むと早足で歩き出す。突然のことで、足がもつれて転びかけた。
「え、どこに行くんですか?」
「個室です」
「どうして?」
「下着を見せるためですけど、なにか? さっきヘイロンが言っていましたよね?」
「…………え、あ……え?」
「『僕にできることなら、なんでもいいですよ?』と仰いましたよね?」
個室の扉を荒々しく開き、リスティにアレウスは物凄い勢いで連れ込まれ、そしてその扉は虚しくもゆっくりと閉ざされる。
その後、アレウスはそこで見たことを永遠に記憶に刻み込まされることとなった。




