その決めつけを断つ
氷壁での防御、氷塊を中心にした中遠距離での魔法攻撃。近距離においてはその魔法が最大初速で放たれる。まるで弱点がないようにも見えるが、クルタニカの意思が乱れれば僅かだが魔法がブレる。そもそも、彼女の意思が乱れるから魔法がブレるのかも怪しいところではあるが、現状ではこれを起点にして攻めていくしかないのでこれで良い。
クルタニカなら大詠唱を使えるが、言葉を発せられないのなら今は使えない。アベリアに『精霊の戯曲』を教えていたのだから、きっと彼女も使えるのだろうがやはり言葉を発せられないのだから使えない。無詠唱にもデメリットはある。
ルーファスが再度、クルタニカに肉薄する。左にはデルハルト、右にはガラハが迫り、後方にはきっと『影踏』が待っている。前後左右はこれで封じたが、この陣形では上空に逃げられてしまう。そして彼女は魔法に最も耐性の低いガラハを狙い、そこから突破することだってできる。アレウスは立ち止まり、クルタニカが上に逃げるか、ガラハを突破するかの選択を待つ。
杖が空を切る。氷の鎗が向かうのはガラハだ。
やはり、突破を選んだ。逃げるという選択肢は確かにあるが、空へ逃げようとしてもルーファスが正面から、そして真裏に『影踏』が差し迫った記憶がある。あのように挟まれた状況下で何度も切り抜けられると思わないからこそ、強引にでも突破が可能だろうとガラハを狙っている。縦に逃げるのではなく、前進しつつの上空への離脱する気だ。
アレウスはその兆候を見届けてから走り出す。一手遅くなってしまうが、雑に追いかけたところで攻撃は届かない。だからこそ近付けるチャンスを窺った。
「囲んでいる中じゃオレが一番、御しやすいか」
ガラハは呟きながら迫るクルタニカに備えて防御姿勢に移り、氷の鎗を受ける。しかし、体勢は崩れない。これは予想外だったらしく、クルタニカの軌道が逸れる。
アレウスは加速する。運良く、クルタニカはアレウスの方へと逸れた。いや、運ではない。アレウスはクルタニカが離脱の行動を起こした直後、気配を消した。気配消しの技能は『影踏』にもクラリエにも劣るが、中級冒険者というカテゴリーでなら中位か上位に喰い込んでいる。そして、気配の消し方は極めて短期を連続に行った。
消して、発して、消して、発する。これの繰り返しでクルタニカはアレウスの位置を完璧には掴み切れなくなったのだ。
実を言えば、アレウスはクルタニカがどう離脱するかある程度分かっていた。囲まれている中、ガラハだけが中級冒険者なのだからそこを突かないわけがない。
クルタニカに寄り切って、短剣の範囲――懐まで体を滑り込ませた。
ふと、このまま剣戟を浴びせた場合、クルタニカはまた怪我をするのではとも思ったのだが、それよりも自分自身で焚きつけた感情が勝る。
もう敗北は味わいたくない。手心を加えて痛い目を見てきた。もう懲り懲りだ。もう学んだ。もう二度と、もう二度と負けたくない。
でなければ、アレウスはノックスに顔を見せられない。敗北者の顔など彼女は見ない。敗北し続ける限り、彼女との再会は永遠にないものと考えるべきだ。
なにも獣人の姫君に拘らなくとも、と言われたところでアレウスの熱は止まらない。ノックスにだけは負けられない、負けたくない。情けない顔を見せたくない。力も技術も剣技もなにもかも負けていて、これから追い付かなければならないのにどんどんと引き離されたくない。
剣戟に惑いはなかった。確かな軌跡を描いた一撃はクルタニカの右脇腹から左胸にかけて、切り上げるように放たれた。氷の衣が砕けて、その先の柔肌に切れ目が入り、鮮血が迸る。
今のは手応えがあった。自身の体勢はまだまだ未熟ではあるが、それでもそこから獣剣技にまで形を持って行けた。このまま練度を上げていけば、いずれは姿勢に拘らずに形に入って、獣剣技を放てるはずだ。
「なんだ今の剣技は?」
『影踏』が接地後、すぐに地面を蹴ってクルタニカの元へと駆ける。
「獣人の技に少し似てはいますが……まさか、ルーファス君?」
「私が教えているのは剣の使い方だ。短剣の技じゃない。それに、私が一度でも獣人の技を使ったことがあるかい?」
「あんま気持ちの良いもんじゃねぇけど、クルタニカの衣を砕いたなら確かなもんなんだろうぜ」
本来なら『影踏』の速度が勝るところをアレウスの技に戸惑ったために、デルハルトが先んじて到着する。傷を受けたクルタニカが振り返り様に彼を捉え、無詠唱の鎗を放つ。高速に対して高速。文字通りの意味で、氷の鎗を受けながらデルハルトは痛み分けとばかりにクルタニカの氷の衣に鎗の穂先を届かせた。そこからは互いに繰り出した魔法と鎗撃の衝撃を受けて、反発する磁石のように吹き飛ぶ。クルタニカは地面に接するか接しないかの中空で体勢を整え、砕けた氷の衣を新調する。
ヌルリと現れた『影踏』がクルタニカの首元に刃を当て、掻き切る。
氷の衣は首を守っていない。だからこその『首刈り』だったのだが、『影踏』はなにかを察したらしく、即座にクルタニカから離れた。切ったはずの首は繋がっている。ただし、攻撃の余韻は示すかのように喉元のやや下辺りに横に一筋の切り傷が浮かび上がっている。
「防がれてしまったな」
「二発も攻撃を入れられたあとに一度見ている『首刈り』だからね。薄い氷の膜を張って即死を凌いだんだ」
首元の傷、そしてアレウスが刻んだ傷を氷の膜で止血したクルタニカの視線が動く。アレウスと『影踏』を順に見て、空中に氷塊が生じて二人に向かって放たれる。
「乗り越えろ」
『影踏』はそう言って視界から消え、氷塊は直後に彼がいた場所を通過する。それを見て、あの氷塊は収束する氷とは異なり、ロジックを座標として指定していないことが分かる。つまり、一度避けてしまえば追ってはこない。
立ち止まっていてはいけない。避けなければならない。だが、迫る氷塊の速度に比べてアレウスの回避は緩慢だった。左右に避けるだけでいいのだが、避け方が分からない。直線的な魔法に見えて、実はそうじゃない。一度避けるまでは追尾がかかっている。よって、右に避けようとすれば右に、左に避けようとすれば左にこの氷塊は軌道を変えるのだ。氷の鎗は音速かと思うほどの速度で放っていたが、この氷塊は酷く遅い。
目は速さに慣れる。そのため速い物を見続けたあとに遅い物を見ると、本来の速度を見誤る。逆であれば致命的だが、今回はその“慣れ”がアレウスに猶予を与えてくれている。
本当に猶予なのだろうか。クルタニカがわざわざ緩急を付ける理由が見当たらない。もしも付けるとすれば、そこには一定の意図が組まれることになる。
あなたにはこれを避けることはできない。そう言われているような気がする。『影踏』には避けられるが、アレウスは避けられないだろう。そのように判断されているような気になってしまう。なぜなら、彼女は上級冒険者だから。強さと弱さを知り、弱者を素早く始末する。魔物は群れの長を倒せば散っていくが、人種相手には通用しない。だからこそ弱い方をさっさと始末し、強者との戦いに身を投じる。
「冗談じゃない!」
クルタニカは口ではアレウスを評価していたが、心の内では言葉ほどの評価をしていない。元々、彼女の言葉を全て真っ直ぐに受け止めていたわけではないし、評価に関しては過大だといつも思っていた。だが、こうしてハッキリと分かる出来事があると胸の内の黒い物が沸騰する。そして、自分は思った以上に俗物であったことも思い知らされる。
期待され、評価され、上辺だけの言葉と知っていながらも良い気になっていた。だからこうして言葉ではなく事実が白日の下に晒されたことで苦しみを覚えている。しっかりと自身を分析していたのなら、こんなにも感情の振れ幅が激しくなることもなかった。
目で見極めようにも、アレウスはそのような“神のごとき眼”は持っていない。どうやって避けるのが適切なのかが見出せない。
そもそも避ける必要はあるのだろうか。アレウスは未だに魔法の盾を身に纏っている。あの氷塊を避けずとも、魔法の盾が守ってくれるはずだ。しかし、避けなければならない気がする。避けなければならないと生存本能が訴えかけている。
見下されたことに対しての激しい怒りで意地でも避けてやろうと無意識に思っているのだろうか。それこそ驕りが過ぎるだけでなく冷静さを欠いている。
だとしても、自身の生存本能まで疑うわけにはいかない。避けるよりも攻める。攻めるためには、進む。前進こそが今のアレウスには求められている。
瞬間、目の前が一気に開けたような感覚が訪れる。なぜ避けなければならないのか。どうして前進を脳が求めてきたのか。冷静に、客観的に答えが見えた。
「潰されてたまるか」
そう、氷塊は直線的ではあれどやや追尾性を持ち、そして斜角を持って放たれている。即ち、クルタニカの頭上より高い位置から、低い位置へ。この場合、受けてしまえばアレウスは氷塊を受ければ勢いを殺せず、地面との間に挟まれる。そうなると魔法の盾で守られていても数度の衝撃ののち、押し潰される。
だからこその前進だ。アレウスは氷塊に真正面から立ち向かい、そしてさながら閉ざされる門扉のようにアレウスの前方を完全に塞ぎにかかっている氷塊の真下を体ごと滑らすことで潜り抜け、すぐに上体を起こして走り出す。あと数秒遅れていれば氷塊に真上から、更に数秒遅れていたならば前方から潰されていた。よもやそんな危険な避け方をするとは思っていなかったようでクルタニカはルーファスたちと応戦している最中に現れたアレウスに面喰らっている。やはり彼女は今の魔法で終わらせたつもりだったのだ。
「獣剣技」
呼吸は整っている。なにより、アレウス自身が剣技の形に入ったという実感があった。
「狼頭の――」
言い終える前に足が動かなくなった。その意味は見なくても分かる。アニマートのかけてくれた魔法が切れ、冷撃によって地面に靴底が張り付いたのだ。その内、声も出せなくなった。口腔内の水気が凍ったせいだ。声帯が震えても、口の形を変えられないために技名を叫べない。だが、体の構えも、腕のスイングまでも止めない。
ノックス曰く、技は叫んだ方が形に入りやすい。だとしても、そこで学んだことは絶対に叫ばなければならないわけではないということ。実際、構えが形になってさえいれば下から上への剣戟はヴァルゴの鎧も跳ね除けたのだから。
止まらないアレウスの剣戟を浴びて、再びクルタニカの氷の衣が砕け散る。一度目と異なるのは、刃が肌にまで届かなかったことだ。それでも彼女にとっては相当に腹が立つことだったらしく、全ての対処を終えてから杖は空を切り、視線はアレウスに向いたままだ。
一、二本の矢がクルタニカが生成しようとしている氷塊を中心から穿ち、砕く。後方で足の竦みがやんだニィナが強弓で次から次へと矢を放っている。作られる氷塊はどれもこれも彼女が射抜き、砕く。いつもの弓より速射には劣るが、魔法が生み出す氷塊よりも射掛けるのは速い。
なによりもこれが魔法での戦いしかできない――“複数の詠唱を行えない”彼女にとっては有効だった。どれだけ魔法の威力が高くとも、どれもこれも無詠唱であっても放たれる魔法の種類は一つずつ。氷塊、収束、氷の矢、氷壁、隆起。他にもあるのは間違いないが、どれもこれも一つずつしか彼女は無詠唱であっても使えない。
そのため、ニィナの速射のように魔法を発動直後で止められてしまうと、無詠唱であっても詠唱を物理的に止められている状態と同義なのだ。
「“癒しよ”!」
アレウスに回復魔法がかけられる。凍て付いた箇所から起こる凍傷を治癒しているだけで、足や口腔内の氷を退けるものではないが、次の冷撃で間違いなく氷漬けにされるアレウスの生存を少しでも長引かせるための魔法だ。
「もう凍り付いちまっているから、離脱させんのは無理だぞ」
「分かっているよ」
「私の魔法でも凍り付いちゃったら防げない」
「分かっているよ!」
デルハルトとアニマートに焦らされながらもルーファスが剣を見つめて動かない。
「俺が行く」
『影踏』が現れ、クルタニカを真正面から切り裂く。しかし、氷の膜を剥がすだけでその先には届かない。
「斬撃と剣戟じゃ駄目だ。破壊力が足りない」
ズォッ。
そんな音を立てながらガラハの手によって戦斧は持ち上がり、渾身の力を込めてクルタニカに叩き付けられる。
「砕いたぞ!」
残されていた氷の膜が全て剥げ落ちた。ガラハとの間に氷壁を生み出し、体勢を整えようとしているがルーファスは後ろに回っている。クルタニカは焦らず、彼を捉えて大量の氷の粒で囲う。
「俺を忘れんなよ、クルタニカちゃんよぉ!!」
皮肉たっぷりに『ちゃん』付けをして、矢では足りないほど氷の粒をデルハルトは鎗を振り回して払い除ける。そんな彼の鎗撃を邪魔にならないように跳躍して避け、斜め上空から剣に身を任せ、ルーファスが踊るようにしてクルタニカを切り裂いた。
幾重にも切り刻まれた彼女の体に複数の傷が生じ、一挙に血を噴き出す。黒氷の翼が砕け、彼女は膝を折って動かなくなり、辺りを包んでいた異常な冷気が消失していく。




