成長の途中で忘れたこと
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「魔力のよすがを辿っては来たけれど、散々な有り様になってしまっているみたいだねぇ……」
「ひっ!」
「……そうか、一度死んだのか……だからこんなにも不安定な感情が流れ込んでくる」
「あなた、誰……? 怖い……嫌だ、誰か……助けて」
「助けられるのは君自身だけだよ。君のロジックに刻まれている事実を君が一つずつ受け入れていかないと、冒険者として立ち上がることは二度とできない」
「それは……嫌。嫌、嫌……だけど……でも、そんなのより……」
「“怒られることの方のが怖い”? それとも“見捨てられるのが怖い”のかなぁ? それよりもっと辛い経験をしているようには見えるけど、そっちはもう乗り越えているのかなぁ……? いや、乗り越えられていないね。乗り越えられないままに、一番の壁を乗り越えようとしている。そんなことができるんだから君はやっぱり……」
「なにを、言って」
「君が彼のロジックを書き換えた」
ビクッと肩を震わせて、アベリアはベッドのシーツを頭から被って縮こまる。
「元々、『読めない部分』じゃなく、彼の特異体質に関する記述を全て塗り潰したんだろう? そのせいで彼は魔の叡智を失った。ただ喪失の速度は緩やかだったから、本人は異界を脱出したことで喪ったと誤認している。特異体質を消したのは……“食べられたくなかったから”」
「……なんで、なんで、そんな……私しか、知らないはず、なのに」
「ねぇ、アベリア・アナリーゼ? 彼は君を大切に想っているけれど、それって君が彼のロジックを書き換えたからなんじゃないの?」
「ナ……シェ……さ、ん?」
「……古くから伝わる血の流ればかりは、どうしても脱ぎ去ることのできない代物みたいだね。けれど、私はそうじゃない。私は、あなたが求めている人とは違うの。だから、私はあなたに意地悪をする」
つばの広いトンガリ帽子を目深に被り直して、女性は言う。
「ちゃんと謝れば、許してもらえるのかなぁ? だって、彼はロジックを書き換える神官を憎んでいる。それも、考え方や生き方を変えるような、その人にとって必須のテキスト部分を書き換えることを」
アベリアはシーツから隠れて顔を出せない。体の震えは止まらず、嗚咽のようなものも聞こえている。
「御免ね。でも、あなたにこれを告げないと私が生きているルートに辿り着けないから……」
***
クルタニカの機嫌を直す。寝起きは機嫌が悪い。そんな風にルーファスたちは言っていたが、実際のところは正気に戻すと言った方が正しい。なのにわざわざ遠回しな言い方をするのは、彼女自身はこちらを攻撃することを申し訳ないと思っているから。思っていると分かるから。
だが、はた迷惑なことに巻き込まれているのは事実である。アレウスは現在、ヴェインとクラリエとスティンガーの回復とアベリアの『衰弱』が終わるのを待っている。言葉は単純であるが、現実との乖離がある。
そう、言葉では単純なのだ。回復を受けている側も回復を待っている側も、単純な言葉の向こう側には想像を絶する辛苦がある。
振り切ってこの場にいるわけじゃない。ガラハだって、妖精が傍にいないだけでいつもの調子の半分も出せてはいない。
だとしても、ガラハはアレウスの心配をした。心に余裕がなく、辛苦の先に立っていても彼は素振りを見せない。それはきっと、アレウスがガラハ以上に落ち込んでおり、いつもの調子を取り戻せるのかどうか怪しいからだ。
街に帰還してすぐの時はリーダーとしての立場を投げ出して、冒険者を辞めてしまうのではないかとガラハは考えていると思っていた。しかし、最近の態度を見るにガラハはアレウスが人として立ち直れるかどうかを強く強く心配している。
情けなくてたまらない。
「いや、情けないんじゃない」
元より情けなさは自覚している。ならば、アレウスの中でなにが変わったのか。
異界で生きていた頃に比べると様々な物が抜け落ちた。
怯えずに休める場所。理解のある仲間。先達者の知恵。学んだ技術や技能。冒険者という肩書き。そして最近では生活面では慎ましく暮らせば一応ながらの安定期に入りつつある。
そのどれもが、アレウスを落とした。
休めるスペースにはいつ何者かが忍び込んで、物を盗まれるか分からなかった。労働力が資本となる世界で、子供だからと切り捨てられないように必死に働いた。鉱脈を引き当てるためなら寝るのも惜しまなかった。死者から度々、物を盗った。渇きを癒やすために泥水を啜った。飢えを凌ぐために土さえ食べようとした。
生活に困窮していたから強かったわけではない。だが、明日が自身に訪れるかも分からない日々の中で、一日を生きるために全力であったことは間違いない。やること成すことに迷いはなかった。
迷ったのはいつからなのか。
それは間違いなく――救いの手が差し伸べられた時だ。
ゾワッと全身を痺れにも似たものが駆け抜け、鳥肌が立つ。
ようやく思い出した。自分という者が、なにを燃料にして走り続けられるのかを。
「当たり前だけど僕とガラハが飛び込んで、アイシャは回復とサポート。ニィナは隙を作れるように射掛けてくれると助かる」
「港町での一件以来、てんで見ることのできなかったその可能性の一片を見せてくれる気になったか」
「どうだろうな。生憎、彼女にはそこまで苛立ちを持っちゃいないんだ」
『神官』だという理由だけでどこまで憎めるだろうか。分からないが、やってみるしかない。
結局のところ、誰かを守りたいという気持ちよりもアレウスは生き残りたい気持ちの方が強かった。なのに誰かを守ろうとして、自分を守ろうとして無理をした。
自分自身の根源に至る。なぜ、こんなことになったのか。なぜ、こんな道を歩んでいるのか。
救われたせいでもある。しかし、異界に堕ちていなければ救出されることはなかった。
更に遡れば、産まれ直しの要因となった“優しさ”に囚われなければ、アレウスはきっと今でもこの世界ではなく、夢のようにまほろばになりつつある以前の世界で暮らせていた。どれだけ息苦しい生き方をしていたとしても、どれだけ生き辛くとも、この世界に比べればずっと生きやすかったに違いない。
「優しさにさえ、囚われなければ」
悪魔憑きと接触してから何度も夢に出て来る。「――は優しいんじゃないよね?」と言われ続ける夢。“優しい言葉”の裏側と、“優しさ”の虚しさを感じずにはいられなくなる強迫性があるのだ。
だから、どうしようもなく腹が立つ。『優しさ』に対価を求めて、なにが悪いのか、と。
「無償の優しさなんて、僕は知らないからな」
呟きながらアレウスは冷撃の領域に足を踏み入れる。即座にクルタニカが反応し、アレウスの方へと氷塊を飛ばしてくる。右に大きく逸れて、跳躍も合わせて避ける。地面は凍り付いていて滑りやすくはなっているが、これまでの経験上、足を滑らすようなことはない。そんなことに意識を向けるつもりはない。自身のバランス感覚、歩く、走る、跳躍、それら全てに意識を持たせるのはそもそもとして間違いだ。無意識でも体は練習した通りに動くのだから。
冷気から氷のつぶてが生じ、周りを囲う。クルタニカが杖を振った直後、一斉にアレウスの体へと収束する。
魔法は無意識に生じるものではない。そこには必ず意識が介在する。でなければ氷の精霊は魔力に答えてはくれないし、杖を振って空気を切るという動作に意味を持たなくなる。無詠唱であっても、あの動作は氷の精霊に呼びかけるためには行わなければならないもののはずだ。
だから、“間”を盗める。『盗歩』で一気に距離を詰める。氷のつぶては収束するべき中心を見失ってはいるが、ロジックを座標にしているためアレウスを背後から追ってくる。
「その並びなら俺がぶん回せば一発だ」
デルハルトがアレウスの後方に移り、迫る氷のつぶてを鎗で薙ぎ払う。自身の放った魔法が消えたため、クルタニカは次に大地から氷塊を隆起させる。これを避けるのは容易いが、地面が崩れてしまうのが厄介である。見立てでは意識せずに走れても、ヘマをすれば転びかねない。
依然、クルタニカの視線はアレウスに向いている。しかし、氷のつぶてやつららのような物体を単体に当てる魔法ではなく氷塊の隆起という範囲に魔法の形は変わった。アレウスだけを狙うのではなく、一網打尽にするために意識的に無詠唱ながら使う魔法を変えたのだ。つまり、そこには意識がやはり介在する。
「クルタニカ」
ならば、動揺を与えれば魔法の精度は落ちる。
「アベリアが死んだ」
魔法の制動に微弱ながら緩みが生じる。
「有効だが」
「邪道だな」
後ろでルーファスと『影踏』の呟きが聞こえた。しかし、それに返事をするよりもクルタニカの動揺によるチャンスを無価値にはできない。
なにより、アレウスはこんなことでしか動揺を取ることができないのだ。身を切るような思いをしたのだから、一気に終わらせてしまいたい。
三十秒が経った。魔法は受けていないが、体に確かな衝撃が走り、魔法の盾が一つ剥がれ落ちた。アニマートの言った通り、現在のクルタニカの領域には最長でも百八十秒しかいられない。距離を詰めるのに三十秒を要した。攻撃するまでにあとどれだけ時間を消費してしまうのだろうか。
しかし、アニマートは魔法の重複はできないが、かけ直しはできる。最長の百八十秒を待つ前に何度でもかけ直してくれれば、そもそも時間の制約なんて受けないはずだ。
可能性はあるが、同時に不可能性も見えた。アニマートはわざわざ自分から不調を訴えていた。『蜜眼』の力は以前にも見せてもらったが、その時も魔力を他人から借り受けていた。よって、好調であればまだしも不調である彼女が定期的に魔法のかけ直しはできないのだ。この領域での活動の限界は彼女が魔法を唱えられなくなった時なのだ。
このメンバーには環境適応の魔法を唱えられる者はいない。アニマートが倒れれば、この場の誰もクルタニカの領域で戦い続けられない。
クルタニカがアレウスの接近を阻むために氷壁を張る。
「ガラハ!」
時間差でガラハが前に出る。戦斧で氷壁を叩き割り、クルタニカの姿を再び視界に捉える。
彼女は声にならない声を発する。
割った氷壁の欠片がどれもこれも鋭利な切っ先を形成し、全てが襲いかかる。直後の魔法にはガラハでも対応はし切れない。
「“闇に紛れし、森の音」
『影踏』が掌底を横っ腹に軽く当てて、生じた波動でガラハが弾き飛ばされる。氷の欠片はロジックを座標として指定しているため、これもまたアレウスが『盗歩』で抜けた時のように吹き飛んだガラハを追尾する。体勢を立て直している彼の前にルーファスが立ち、剣に身を任せた剣戟で氷の欠片を全て払い落とした。
「ここ!!」
ニィナが強く引き絞った弦を放した。鋭く一直線に突き進む矢はクルタニカの右肩に命中する直前に鏃が凍て付き、砕け散った。
「貫けるとは思ったのに、刺さりもしないなんて」
彼女が使ったのは速射を中心に改良していた自前の弓ではなく、強弓――即ち、弦を強く引き絞らなければならないがその分、矢の威力を強めたものだ。小型の魔物であれば突き刺さるだけに留まらず貫通するほどの威力を持つのだが、クルタニカは止めてしまった。そして意趣返しのように鎗状だった氷が矢の形に変わって、ニィナへと間髪入れずに放たれる。音速とも呼べる一射を避けられるわけもなく、直撃したニィナが魔法の盾を散らしながら衝撃で吹き飛ぶ。後ろに立っていたアイシャが受け止めはしたがそれでも支え切れるものではなく、二人して地面を転がって、二枚、三枚と魔法の盾が剥がれていく。
当然だが、アニマートの魔法の盾は肉体を絶対に死守する。だが衝撃まで吸収するわけではない。そして肉体はどれだけ無傷でも、氷の矢が直撃したことで生じる恐怖心までも消し去れるわけではない。ニィナはすぐに起き上がろうとしているが、足が竦んで思うように立てていない。回復魔法は負傷が生じてから唱えるものなので、手が空いているアイシャが彼女を介抱している。ガラハも魔法は『影踏』に避けさせてはもらったがクルタニカからは距離ができてしまった。
「アベリアはどうなったと思う?」
再び揺さぶりをかける。冒険者であるクルタニカならアベリアが死んでも甦ることぐらいは分かるはずだ。それが分からないほどに意識が混濁している、もしくはアベリアを死なせたアレウスに対しての怒りにも似たなにかをぶつけるために感情に起伏が生じている。
鎮めて起こす。その二つを成立させるためにとことん邪道に走る。むしろ、このやり方がアレウスの性分には合っている。『優しい人』にはならなくていい。『親切心』は捨てていく。正しさには縛られない。邪道であっても突き進む。
捨てなくていい物もある。唯一、不安があるとするならば自身を引き止めてくれる役目のアベリアがいないことだ。境界だけは踏み外さないようにしないと、クルタニカを救っても感謝されずに殺されかねない。人は単純な言葉をぶつけただけでも、殺意を抱くものなのだから。




