たった一度切りの一撃
【『栞』】
エルフのみに伝わる製紙技術によって作られた紙。その形から書物に挟む『栞』と呼ばれるが、エルフ内ではまた別の呼び方がされている。
所有者が『栞』を握り締めている間、ロジックを開かれようとも意識が保たれる。即ち、ロジックを開く者と呼吸を合わせて、求める通りの絶大な身体能力の強化が行える。ただし付与魔法と異なり短時間であり、同時に『栞』からエルフの純粋な魔力を流し込まれるため、場合によっては意識が保てずに暴走する。
抗えるかどうかはロジックの刻まれた生き様によって決まる。エルフは長命であるため、あらゆることを知り尽くし、長い生き様を保有する。そんなエルフすらも知り得ないような壮絶な過去、凄絶な人生こそが魔力を跳ね除けながらもブーストを維持する抵抗力となる。
アレウスの場合はロジックそのものが強い抵抗力を持っているため、使用しても他の者と比べて極めて短い間しか恩恵を受けられない。
*
「この先に穴は無いわ!」
射手の女の声が前方より響く。どうやらアベリアと彼女はアレウスの言葉を受け、逃げていたらしい。しかし、袋小路に当たってしまいどうしようもないようだ。そしてこのままアレウスが逃げれば、彼女たちも巻き添えにしてしまう。
「……っ!」
声にならない逡巡をしたのちアレウスは翻って、オーガがいずれ来るだろう通路を見つめる。
「アベリア!」
『栞』をポケットから取り出し、彼女を呼ぶ。
「『栞』は奇跡のアイテムなんかじゃないわ。あなたが使っても、オーガは止められない!」
「さっきの男と同じ末路を歩むだけだぞ?」
射手の女は理解して、戦士の男は理解せずにアレウスを止めようとしている。
「止める暇があるなら、時間をくれ。アベリア、三十秒以内に終わらせる」
「うん」
「……三十秒あれば良いのね? 三十秒あれば、死んでも死に切れないような最期にはならないのね?」
「約束は出来ない」
「そう言うと思ったわよ」
射手の女は木を登って、高い位置から弓矢を構える。戦士の男はアレウスの前に立つ。魔法使いは詠唱を開始する。
「“開け”」
アベリアがアレウスのロジックを開く。大量の文字が溢れ出す。意識を保ったままに自身の生き様を覗かれるのはどうにも落ち着かないが、それを見ているのがアベリアだと思えば自然と緊張は解けて行く。受け入れ、同調し、感情を重ねて行く。
なにも怖れなくて良い。二人はこの『栞』の使い方を知っている。どうやって扱えば良いのかを、その目で刻んでいる。その時、あの女性の声は聞こえては来なかったが、きっと今のように二人で一人のような感覚を共有していたはずだ。
「「フレーバーテキスト最後尾」」
二人の言葉が重なり合う。文字の一部が加速して、他のどの文章よりも速く一つのテキストを構成させる。
「「『魔狼の如き素早さを、大鬼の如き強靭さを、魔人の如き一撃を、人の内に秘められし生存本能を、この者は宿している』」」
彼女の手が、自身の生き様に触れている。感情を合致させ、書き加える文章も一字一句外さない。
オーガの眼球に目掛けて二発の矢が飛ぶ。腕で遮り、刺さった矢など意に介さず向かって来る。戦士の男が盾を打ち鳴らすも、その進行を止めることは出来ず、剣でもって切り掛かろうとしたが、やはりオーガの気迫には立ち向かえずに横へと退く。魔法使いの炎がオーガの胴体を焼く。行く手を阻むように炎の柱が幾重にも生じるが、それを石斧の一振りで消し去った。
テキストが文字に戻り、アレウスの体へと戻って行く。全てを押し込んだのち、アベリアが「死なないで」と言い残し、アレウスの傍から急いで離れる。
オーガが振るった石斧を紙一重で避け、そして生じる風圧を物ともせずにアレウスが走る。その加速も、その身軽さも、どれもこれもが自身の感じていた全てと異なる。むしろ溢れ出る速度に身体が付いて行かないのではと思うほどでもってオーガの周囲を走り回り、その目を攪乱する。
「なにあいつ、ヤバい」
射手の女がそんな声を漏らすほどに、アレウスの加速は人智を超えている。
エルフの魔力を感じる。身体中を駆け巡っている全ては、この魔力によってブーストが掛けられているからだ。維持できる時間は少ない。まやかしの強さであり、場合によっては魔力が自身を脅かす。
しかし、アレウスは跳ね除ける。冒険者は言っていた。「生き様に左右されやすい」と。「人より凄絶に、苦難と対峙した回数が多ければ多いほど制御は利く」と。
ならば、蝕まれるはずもない。自身はどれほど凄絶な日々を過ごしていたか。苦難と対峙したことは人より少ないかも知れない。だが、壮絶な生き方をして今、ここに立っていることだけは誇れることではなくとも、誰よりも勝る。
身体が痛みを訴えて来る。ロジックへの干渉に対する抵抗力。それが更にアレウスのブーストの効果時間を短くしている。恐らく、あと十数秒も経てばアレウスはオーガにも捕捉できるほどの速度に戻り、石斧が振り下ろされるだろう。
「その! 前に!!」
地面を滑りながら停止し、オーガと睨み合う。石斧が振り下ろされる。アレウスが左に避ける。続いて、オーガが左に薙ぐ。高く跳躍し、これをかわす。
次に腕を振ろうとしたオーガは、動きを止める。目標とする仇討ちの相手――アレウスを見失った。首を動かし、居場所を探っている。
目と目が合う。
石斧が振られた瞬間、跳躍した。その後、地面に着地してすぐにアレウスは二度目の跳躍を経て石斧へと飛び乗ったのだ。そして、そこから前方へと跳ねる。
「これが、たった一度切りの……魔人が如き一撃」
オーガの喉元に剣を突き立てる。振り解かれるのは分かり切っていたので、柄から手を離して飛び退く。少し走ったところで、カクンッと膝が曲がりアレウスの意思に反して体が地面に投げ出された。
『栞』の効果が切れた。身を起こそうとしても、それがままならない。アベリアが駆け付け、アレウスに肩を貸す。
オーガは喉元から血を流しながらも、倒れずこちらを睨んでいた。
「死んで……いない、のか?」
「逃げよう、アレウス」
「いや、僕は置いて行け」
「嫌だ。絶対に嫌だ」
アベリアはアレウスから離れようとはせず、意地でも運ぼうとしている。オーガは声こそ発してはいないが、そんな二人を確実に殺そうと石斧を振り上げた。
刹那、複数の人影が介入し、オーガの両腕が一太刀、二太刀ほどで断ち切られる。続いて炎の雨が降り注ぎ、オーガが上空を見上げればその眼球に複数の矢が何本も突き刺さり、やがて仰向けに倒れる。最後に剣が胸部に突き立てられ、オーガの全身の筋肉が緩み、絶命する。
「間に合っ……ては、いないか」
剣を納め、弓を背に、杖を片手に。複数の冒険者が惨憺たる光景の中、立っている。
「怪我をしている者に回復魔法を。四人の死体は、こちらで運ぶ」
冒険者は指示を出したのち、こちらに手を差し伸べて来る。アレウスはその手を力強く払う。
「見ていたんならもっと早く……! それとも、オーガを倒すのが、テストだったとでも!?」
「……全ての罵詈雑言は受け止めよう。俺たちにだって事情はあるが、それは恐怖の前に立った君たちにとって、全てどうでも良いことだ。だから、俺たちは非難を浴びながらも君たちをこれから安全に、この異界から脱出させる」
アレウスの怒りは収まらないが、立ち上がる力も無いままでは歯向かうことさえままならない。だから怒りは全て自分自身に持って行く。
もっと、出来なかったか。もっと、どうにかならなかったか。もっと、もっと、と。その時は確かにそれが正しいと信じていた。しかし、終わってからでは本当にそれが正しかったのかと思わないわけには行かないのだ。
省みて、間違いに気付き、苦しんで、前を見る。アレウスはアベリアの手を握りながら、一年前の誓いを再び思い出しながら、空を仰いだ。
そのままアベリアの肩を借りたまま、冒険者に連れられて生存者六名が異界から脱出する。
「すまないね、アレウリス・ノールード、そしてアベリア・アナリーゼ。ロジックを書き換えられて、私たちはただの一人も助けに入ることが出来なかった。結局、殺して打ち消すしかなかった」
外で待っていた冒険者の前に、神官の死体が転がっている。
「死んだのは四名。波乱の志望者テストとなってしまった。だが、これでもまだ残った方だ。いつぞやのテストでは、誰一人として残らなかった……あれも、この輩が一枚噛んでいたのだとしたら、全てを吐き出させるために殺さず生かすべきだったのかも知れない。しかし、それで異界で起こっている殺戮に目を瞑るなど出来はしなかった。教会の祝福を受けているのなら、恐らくはもう魂はこの者を寄越した所へと回帰してしまっているだろう」
神官にロジックを書き換えられて、手を出すことが止められていた。抵抗力を持たないが故に、冒険者であってもこうも容易く長時間、神官の思うがままになってしまう。
そしてそれが、冒険者だけに留まらず世界中に暮らす人々にまで蔓延しているのだとすれば……そう考えるとアレウスは言葉を失ってしまう。そして更に神官への嫌悪感が強くなる。自分自身の第二の人生をここまで捻じ曲がらせたのは、世界に祝福を与えるべきはずの神官だったのだから。
試しに死んでいる神官の前で手の平を動かす。死んだ者のロジックはやはり開かない。この肉体における生き様が終わったのだ。綴られる人生が無くなればロジックは永久に閉ざされる。魂が回帰した新たな肉体に、ロジックが移ったのだ。
「合否は後日、通達する」
血に濡れた剣を鞘に納め、冒険者はこれ以上の詮索を拒むかのように歩き出した。




