だから世界が嫌いになる
クラリエは『白衣』を使用したことによる血の重みで解除後も動けず、アレウスも体から気力が吸い取られたかのように起き上がれず、同じく起き上がれないノックスをセレナが甲斐甲斐しく寄り添っている。ガラハとヴェインはクラリエの傍へ行き、アベリアもアレウスに合流する。
「音痕を残す魔法が、解除の魔法だとは思わなかったよ……」
アベリアの肩を借りつつ起き上がる。
「詠唱の仕方で、声を残すのと声を届かせるのと、あとは聴覚を正常化させるのに使うのかも」
「そこのところはアベリアも分からないんだな」
「私が使える風属性の魔法は重量軽減だけだから」
それでも何度か他の風属性魔法を習得しようと試みていたこともあったように思えるが、自身の扱える魔法への知識の深さと扱えない魔法への知識の深さは決して同一ではない。アレウスだって短剣と剣、弓の扱える技量の深さは同一ではないのだから。
「最後のドワーフの斧があいつの脳まで至ったはずだ。規格外の異界獣じゃねぇから、そこの回復には相当の時間を要するはずだ」
「それより、僕はなんの『技』を使ったんだ? 今まで、あんな風に剣戟が地を走ったりしたことはなかったぞ」
率直な疑問をノックスに問う。
「正式な技の名で呼んでいなかったことと、今回ようやくお前の剣戟が型に入って、『技』として完成したことと、あとはワタシの『技』と共鳴したからだ。獣剣技は合わせて振るうことで共鳴が起こり、威力が高まる。だからワタシは短剣を一本ずつ持つ。一度に二つの『技』を時間差でも放てば、本来の一つの『技』になる。ただ、ワタシはまだそこに至れていない。しかも、父上から学んだせいでワタシの物にはなっていない。父上の獣剣技なら奴の血で固めた鎧ごと中身まで噛み潰していたはずだ」
「姉上とワタシは猫――あなた方がペットと慕うような猫とは違い、もっと野性に適した猫の一族ですが、姉上とあなたで放った『技』は狼。体と『技』の特徴が異なるため、姉上の力も八割程度しか伝達できていないのです」
鉄の大蛇が綻びながら這いより、ノックスの手に触れると骨の短剣を残して消え去る。
「そいつは今までなにをやっていたんだ?」
「どうせ獣人に守られたことを屈辱だと思ってお前に伝えないだろうから言っておいてやろう。エルフの女を守らせていた」
「あたしをお堅いエルフと同一にはしないで」
体を重たそうにしながらクラリエが近寄り、口を挟む。
「ああ、そうだったな。お前は野蛮なエルフだったな」
「エルフの種類の話じゃないわ。あたしは手を組んだ獣人まで小馬鹿にして、自分自身のプライドを大事にするような性格じゃないから。鉄の大蛇が来たときは裏切られたのかと思ったけど、守ってくれているって分かったときには本当にありがたかったの。ありがとう、ノックス」
「……なーんか、調子狂うんだよなぁ」
「絆されてはいけませんよ、姉上。そうやって、獣人を騙し続けてきたのがエルフなのですから」
「言われなくともそこまで信用はしてねぇよ。でも、感謝されたことについては素直に受け入れるべきじゃねぇの? それができなきゃワタシたちも上に立つ役目を務めるのは無理なんじゃねぇかな」
「一理ありますが、このような出来事で悟るのはなんだか癪ですね」
ヴェインの光球がアレウスたちを照らし、ガラハはピジョンの頭部から戦斧を引き抜いている。
「二人はこの建物の最上階を目指していたんだよな?」
屋上といっても、今現在、最上階と呼んでいる場所である。
「なにか用事?」
ノックスにではなくアベリアはセレナに訊ねた。すると、どこかよそよそしかったセレナが彼女に対してのみ態度を軟化させる。
「話してよいものなのかどうか、分からないのですが」
「そんな目でこっちを見るな。いい、話したところで父上になにを言われるわけでもない」
「ここには兄上を殺した者の手掛かりを探りに来ました。これまでもジブンたち以外が何度も訪れており、残すは最上階と屋上のみとなっていたのです。ですが、ジブンたちはそこに繋がる階段や通路を見つけられず、難儀していたというわけです」
クラリエはまたも視線を逸らしていた。『シオン』という名前について、あとで問い質す必要がありそうだ。
「ここに手掛かりがあるという確証はどこから得られていたんだ?」
「ジブンも姉上もまだ幼い頃のことです。その当時、兄上はここに同胞が囚われているとの情報を受け、父上からの許可を得て出兵しました。しかし、それ以降に兄上の姿を見た者は誰一人としておらず、それどころか出兵した者も一人として戻ってはきませんでした。母上はショックのあまり床に臥せ、ジブンたちが物心付く前に永遠の眠りに……父上は争いや諍いにおいて誰かが死ぬのは必定であり、獣人の王であってもそれは等しいのだと言って気にしてはおられない様子でしたし、ハーレムを壊してまで一人の女の息子に拘り続けるわけにもいかなかったのでしょう」
「……ハーレム?」
面倒臭い言葉にアベリアが引っ掛かってしまった。一夫一妻をならわしとするヒューマンの婚姻制度になんの疑問も抱いていない彼女が『ハーレム』などという言葉と、その意味を知ってもらいたくはなかった。
「獣人は別名、ミディアムビースト。愛した人を永遠に追い続ける情の深さの代償に、孕めるのは生涯で一回のみとされております。そして産まれるのも一人。ジブンたちが双子で産まれたのは獣人の間でも大きな祭りになるほどの出来事であったそうです。ともかくも、王として子孫を残し、また子息や子女だけでなく王の資質を持つ者を残さなければならないために獣人の王にのみハーレムの権利が与えられます。娶る相手は初婚であり、結婚適齢期であれば誰でも構いませんが、王の考えに翻るようなことがないように必ず王を愛する者から選ばれるのです。過去の王のハーレムには本当に愛していない者が混じることもあったそうですが、娶った相手が自らを愛しているか否かを見抜けなかった実例は無く、バレた者は極刑に処されてきました」
「ワタシたちの母上は猫の一族。他にも色んな一族が王妃となった。兄貴とは血が繋がってはいなかったし、容姿も異なった上に年齢も掛け離れてはいたが、侍女曰く面倒をよく見てくれていたそうで、ワタシたちも兄貴のことをぼんやりとだが憶えている。戦の才もあったと聞いている。そんな兄貴がそうも容易く死ぬものなのかとずっと疑い続けていてな。父上もハーレムの安定が取れたことでようやく調査に乗り出したというわけだ」
「お前の短剣はその兄の骨から作ったものだろう? 死体は回収できていたんじゃないのか?」
アレウスは自身が持っていた骨の短剣をノックスに返却する。要求や交渉もせずに返してきたことに彼女は若干ながら驚いていたが「ありがとう」と微笑みながら口にする。
「兄貴がいなくなったのは“六年前”だ。実を言うと父上は兄貴の部隊が帰ってこないことを気にして、その当時に密かに調査隊を出している。その時に兄貴の死体そのものは見つからなかったが、兄貴の腕が見つかった。それを公表するわけにはいかず、ずっと黙っていた。それで、ワタシたちが一年くらい前からこの建物周辺を調べ、一ヶ月ほど前に建物内に入っての調査を始めた」
「腕……六年、前…………」
この腕は『オーガの右腕』だ。腕については、アレウスとはなんの関係もない。
「兄の容姿は、どんなだった?」
「芥を見れば分かるだろ? “蛇”だよ。たまに魔物と異界獣の気配に当てられて野獣化して、スネイクマンなんて呼ばれる亜種が現れる。兄貴はそんなんじゃなかったがな。とはいえ、蛇の見た目も実を言うとトカゲからの突然変異種で、そこから蛇の見た目に派生したようだが」
――……だろう?
――……ば、飢えは凌げる
――その……なら、目も治る。
――喰えばいい。ワレはもうすぐ、息絶える。
一際強く心臓の鼓動が強まり、同時にアレウスは吐き気を催す。
「おい、一体どうした?」
「大丈夫かい?」
この事態に遠目で見ているだけだったガラハとヴェインが駆け付ける。
「気に、するな……」
ギリギリのところで吐き気共々、様々な物を嚥下した。
「あたしの『衣』と同じで、不釣り合いな『技』を使ったから反動が返ってきているのかも」
「ま、ワタシも全然これっぽっちも傷付いていねぇって言ったら嘘になるしな。血が足りないせいでフラフラする」
「『本性化』も使いましたし、頭もクラクラします」
別の解釈をしたクラリエのおかげで、ノックスとセレナから唐突に吐きそうになったことへの追及は免れた。
「体温が下がってる。暖めないと、このままだと一気に軽い不調が重い体調不良になるかもしれないわ」
鞄から幾つかの薬の入った小瓶を取り出し、クラリエがアレウスに手渡す。
「エウカリスの手帳に書かれていた通りに作ったから、一時的だけど効能はあるはず。効いている間にキャンプに戻りましょ」
アレウスが薬を飲んだのを確かめてからクラリエが仲間を見渡し、同意を得る。
「扉は閉じられたまんまだぞ。どうやって出る?」
「非常にリスクを伴うけど、こんなところにずっといるわけにはいかない。ガラハとセレナで通路を塞いだ壁を壊してもらう。場所は記憶している」
ブラッドポーションを鞄から取り出して、アレウスはその一本を飲む。
「必要ならお前も飲むか?」
「あんまり回復魔法もそうだが薬ってもんを信用していない。」
「ジブンたちは獣人の姫ということで、その立場上、毒を盛られかねないために薬は危険と教えられてきています。回復魔法については、獣人の中では魔法の叡智を掴む者が少数です。あなたたちは馬鹿にするかもしれませんが、魔法についても傷は自然に治癒させる方が獣人はより強くなるという思想もありますから、好ましく思えないのです」
「思想を馬鹿にできるほど僕は高潔なヒューマンでもないし、位が高いわけじゃない。お前たちが必要ないと思うのなら、緊急性がないのなら無理強いはしない」
ドワーフとエルフの観念を知っているアレウスには今更、獣人の思想について文句を付ける価値観はない。元々、信仰や思想などに疎いのだ。深く踏み込まない限りは拒絶もされない。逆に深く踏み入られそうになれば相応に拒む。
自分自身のアーティファクトについて思うところがあり、頭の中はグチャグチャだが脱出しなければならない。アレウスはアベリアとクラリエの肩を借りつつ、通路を閉ざしている壁に近付き、手筈通りにガラハとセレナが慎重に壁を叩いて破壊する。
「この壁は思った以上に薄かったな。入り口の方が壊せる感じはしなかった」
「扉を二重にしてあるんだったら、片方は適度に脆い方が良いんだよ。その方が、次の扉を開けられない、壊せないことに絶望する」
苦労して扉を壊し、登った先に見える出口の扉。それはどこまでも頑丈で決して壊すことのできない扉。希望を見せた上で絶望に突き落とす。抗う力を奪い去り、体力を削り、息絶える。
「罠に詳しいんじゃなく、卑劣な手段について詳しいの間違いじゃないか?」
「一理あるけど、それだと人聞きが悪い」
的を射ているどころか核心を突いたガラハの発言にアレウスは強い否定を示さない。
「まぁ、アレウス君はどっちかと言えばそっち側だし」
「そっち側の知識があったおかげでアベリアも助け出せたんだ。それなら僕はなにを言われたってなんともないね」
繊細で弱々しい一面があるところをイジられたくないからこそ、わけもなく虚勢を張る。
なだらかな登り坂を進み、開けたままにしておいた入り口の扉を潜り、アレウスたちは外へと出る。日は今にも沈んでしまいそうで、空は薄暗くなっている。風は昼間とは比べものにならないほどに寒い。既にキャンプで経験済みだが、近くに焚き火がないだけで感じる寒さはグンと強まる。
「アベリアちゃんも地下でずっと気を張っていただろうから、キャンプでしっかりと休も?」
「私は、人質みたいなものだったけど……地下ではセレナが見張っていてくれたから」
「色々と理由はありますが、人質として連れ去った手前、死なれては困りますから。ですが、意外と肝の据わった方です。さらった相手に食べ物や水を提供する上に随分と落ち着いていたようにも見えました」
「暗闇に近いくらいの薄暗さには慣れていて、落ちている間に私を見捨てない時点ですぐに殺されることはないんだろうなって思った」
アレウスたちが一生懸命に地下に続く通路を探している時、二人は地下で打ち解けあっていたようだ。アベリアにだけセレナが態度を軟化させたのも、暗闇で耐えたことで絆に近いものが芽生えたのだろう。きっとセレナは認めようとはしないが。
「焚き火に当たっていくか? 事情があるのは分かった。だから、お前たちが件の調査を終えるまでは建物に入らない。他に冒険者が入るところを見掛ければ止めもする。ずっと見張るわけにはいかないから何人かは入ってしまうかもだけど」
「調べられていないのが最上階と屋上。どっちかに兄貴が死んだ理由や痕跡が残っているとは思えねぇけどな……どーせ、屋上だってあの鳥に荒らされているだろうし」
「鳥がいなくなって、次の建物の主が現れる前に調べ尽くしたいところではありますが……ジブンも疲れていますし、なによりお腹が空きました」
「別にお前たちの食糧にありつきたいわけじゃないからな。ワタシたちもワタシたちで食べるもんは保管しているしな」
「……それも持ってきてくれたら、まとめて料理にしてやるけど」
どういうわけか、この言葉が決め手だったらしく二人は首を縦に振った。料理に釣られたとは思われたくないだろうが、そうとしか思えないのでそういうことにした。
この日の夕食は、ノックスとセレナが野生動物の肉も合わさって豪華な物となり、アベリアはとても美味しそうに頬張っていた。また、獣人の二人も素朴な味付けが気に入ったらしく、何度もおかわりを要求した。
食後はアレウスも体調を安定し、着替えを済ました。ピジョンの音波が振動となって水源を刺激したらしく、前日よりも水の流れは強まっていた。そのため、、自身が汚した下着や衣服の水洗いを行った。こんなことに大事な飲み水を使うのは気が引けていたのだが、洗わずに放っておけば臭い、洗わず着込んでいても、肌がかぶれる要因にもなる。この歳で漏らしたことも恥ずかしいが、それが別の形で仲間たちに知られるのも恥辱に近いものだ。
「ちびったから洗ってんのか?」
「っくりした」
声に驚き、言葉の最初が口からは出てこなかった。
「気配を掴めよ」
「気を抜いていた」
「なんだそりゃ。ワタシが一気にお前たちを殺すかもしれねぇってのに」
「夕食を食べた恩をそんな形で返すような輩じゃないだろ。まぁ、気を抜いてしまったのは確かに悪いことだけど」
アレウスは洗い終わった下着類を持ち運びやすいように手元で丸める。
「お前も使うんだろ?」
どのように使うかまでは訊ねない。
「臭いに敏感なら尚更、放っておけないはずだからな」
獣人とはいえ、ノックスは女性だ。それだけならまだマシだが、姫でもある。不躾なことは言えない。アレウスはそそくさとその場を立ち去ろうとする。
「すまなかったな、巻き込んでしまって」
「……僕たちはあの場でお前たちに殺されるところだった。そうならなかったのは、お前が罠のスイッチを押してくれたおかげだ」
「なんだ? 馬鹿にしてんのか?」
「それがなかったら僕は死んでいただろうし、それが起こったからアベリアとセレナは落ちていった。それが不幸中の幸いで、お互いに共闘するまでに至れた。正直、アベリアを危険な目に遭わせたことについては今でも許せてはいないし、これからも思い出すたびに腹が煮えくり返ると思う」
「そりゃどうも」
「でも、そのリスクの裏側で僕は獣人とも話せば一応の理解を得られる相手がいることを知ったし、同じように大切な人を守りたい気持ちを持っていることも知れた。それどころか今に至ってはちゃんと謝ってさえくれる。こちらこそ、感謝しなきゃならない。ありがとう」
「……なんだろうな…………なんか、むず痒い」
「ただ、世の中ってのは上手いようにはいかない」
「だろうな。次に会った時にゃ、ワタシはお前を殺す使命を負っているかもな」
「僕だって獣人討伐の命令をギルドから出されるかもしれない。問題なのはそうなった時、今のままだと僕はお前に勝てないってこと。だから、次に会う時までに、お前と互角かそれ以上の力量にまで成長したい。お前にだけは何度も負けたくはないからな」
アレウスの中でなにかが燃えている。なぜ、ノックスに対してのみ負けたくないという気持ちが湧き出てくる。
同じような過去を持っているわけでも、同じような目標を抱いているわけでもない。ロジックを開く力、自身のロジックを開ける相手はただ一人。どんな相手とも共有できなかったその二つの共通点が、彼女への対抗心へと変換されているようだった。
「……ま、どうなることだか分かんねぇけど、一応は耳に入れておいてやらぁな。んじゃ、ついでに教えておいてやるよ。ワタシの愛称は『ノックス』だけど、本名はノクターン・カッツェ」
「僕はアレウリス・ノールード」
「はっ、ヒューマンに愛称以外を名乗ったのは初めてだな」
そんなに本名は伏せなければならないことなのだろうか。
「ちなみにワタシの手を掴んだ男は父上と兄貴以外じゃお前だけだぞ」
「あれを回数に加えるのは違う気もする」
「もっとありがたがれよ」
手を繋いだ程度でありがたがれるほどアレウスは女性に飢えていない。それは獣人の姫に対しても言えることで、ドギマギするようなこともない。しかし、ノックスはもっとアレウスに戸惑いの表情を浮かべたがっている。どういった心境の変化なのかまでは窺い知ることができない。
何事も上手く進んでいる。
危険なことはあったが無事に乗り越えた。
その達成感が特段、大きな油断を生んだわけではない。
頭の潰れた凶鳥が天高くに飛び上がり、月明かりの下でアレウスとノックスにではなく、キャンプ地点に羽根の雨を降らせる。けたたましい啼き声を上げながら、凶鳥の体には深いヒビが入り、翼の先端から石のように砕け散っていく。自身の身が砕けていく中でも凶鳥は決して攻撃の手を止めず、降り注ぐ羽根はキャンプ地点一体の木々を薙ぎ倒し、岩や地面を抉り、破壊する。
この世界はいつだってアレウスに過酷な試練を課すことを失念していた。




