足音の罠
意図せずして秘密を共有することになったが、逆にそれが功を奏したのか、ノックスは態度を軟化させた。未だ油断ならない相手であるのは確かだが、彼女が妹と再会するまではともかく命を奪ってくる心配はほぼなくなったように感じられる。おかげでアレウスも彼女以外へ注意を向けられる。
「歩き方に迷いがないけど、迷わないか?」
「裏を掻くためにとぼけたが、臭いを辿れば死体の場所には行ける」
「共闘を持ちかけた時点で、僕のロジックを書き換えることも想定内だったってことか」
「頭が良いわけじゃないぞ。あの時は勘が働いたんだ」
「そういうのを頭の回転が良いと言うけどな」
「褒めたってなんにも出ねぇぞ」
ノックスは獣人の姫と聞いているが、随分と男勝りな言葉を用いる。雰囲気や仕草まで男とは言わないが、女性が持つ繊細さを持ち合わせていないように思ってしまう。
「お前の妹はまだ言い方が丁寧だったな」
「将来を見据えて丁寧な口調を普段から使っているだけだぞ、あいつは。そのせいで怒っているのか怒っていないのかたまに分かんないんだよな」
「怒らせている方が悪いだろ」
「なんにも言ってこないからな。黙って睨んでくるんだ。だから、ワタシの言ったことのどの辺りで傷付いたか推測しなきゃならないんだぞ」
妹の愚痴を吐く相手としては認めてもらえているらしい。しかし、ここでなにかしら言えば、殺意を再び向けられるだろう。アレウスは事なかれ主義ではないのだが、場の雰囲気から言ってはいけないことを推察することはできる。ただし、今回はとても分かりやすかっただけに過ぎない。察するのではなく推察するだけなので、雰囲気を読み切れないことは多々ある。
「着いたぞ」
迷路状の通路から開けた場所に出た。一階の広場には到底及ばないが、複数人が争い合える広さではある。冒険者の死体と鮮血、そして獣人の死体が横たわっている。魔物の死体はどこにも見当たらない。
「魔物とはここで遭遇しなかったのか?」
「どうだったかな……今は直接ここまで来たが、結構な時間迷ったし、ここで初めて戦ったわけじゃないような気もする」
記憶が曖昧なのは死闘を繰り広げたのは過去の話で、もう忘れてしまっているのか、それとも同胞を殺されたことで頭に血が昇ってしまって記憶に残す作業を脳が拒んだからか。どちらにせよ、ここで起こったことにアレウスはあまり干渉してはならないだろう。気持ちとしては殺された冒険者に同情したくなる。だが、ノックスも同胞を殺されているのだからなにかを思わないわけがない。むしろ仲間意識の強い彼女が、ここでアレウスに苛立ちをぶつけずにいることが驚くことだ。
血に濡れた床の上を歩き、冒険者の死体を漁る。衣服などは乱さず、損壊した部位に関しても極力触れないようにしつつ、鞄や懐を調べていく。
「本当に死体を漁るとは」
「倫理を説くなよ? それに僕は『死者への冒涜』と『スカベンジャー』を持っている。お前が言うような『強奪者』以上に、こういうことはやってきている」
凄惨な光景であっても、目を背けたくはならない。これがパーティメンバーだったなら逸らすというのに、ただ同じ冒険者というだけではアレウスの感情は揺れない。死体も見慣れている。漁ることにも慣れている。手際よく、欲しい物を探る。
「そうやって女の死体もまさぐるのか?」
「まさぐるとか言うな」
「気色の悪いことをやっているのは同じだろ」
「地図を誰が持っているのかまでは分からないんだ。そりゃ調べるに決まっているだろ」
しかし、さすがに死体の胸部や局部にまで手を伸ばしはしない。そこは倫理観が抜けているアレウスでさえ決して踏み越えないと決めている境界線だ。こうして死体は漁るものの死者を冒涜するような最低にして下劣、人を人とも思わないような狂気にまで足を踏み入れてはいない。
ただし、異界にいた頃に現在のような情緒を持ち合わせていたかと言えば、恐らくは持ってはいなかった。だから『死者への冒涜』が当時のまま、ロジックに残っているのだろう。
「……見つけた」
地図を死体から回収し、手元で広げる。血に濡れてはいるがなんとか読める。続けて同じ死体を調べ、残りの地図も全て回収し終える。
「どうだ?」
広げていた地図を覗き込んできたので咄嗟にアレウスは距離を取る。
「なんだ?」
「いや……そういう距離の詰め方はやめてほしい」
慣れていない。言動は男勝りだが、顔立ちは一応は女性なのだ。近付けられてしまったら反射的に体が動いてしまう。
「ははぁん? 女に慣れていないな?」
「黙れ」
「ヒューマンは繁殖に困らないから女と交わらない奴もいるんだな。ワタシたちじゃ考えられない話だ」
獣人の常識を語られても、興味が湧かない。
「ま、ワタシとセレナは交わる相手が決まるまでは禁止されているんだけどな」
何故、そんなことを堂々と口にできるのか。ヴェイン以上に鬱陶しさを感じる。しかし、この鬱陶しさは引っ繰り返すとあっけらかんと話すことのできる相手に対する羨ましさなのだ。それを露呈させたくはない。
「話を戻すぞ。この地図は四階の途中まで書いてあるが、そのおかげで他の階の地図と合わせると共通点がある。この建物は中央付近が抜けている」
「一階はそうは見えなかったぞ」
「アベリアは二階までの地図までしかチェックしていなかったし、僕は僕で彼女にマッピングを任せっぱなしだったから違和感に気付けなかったんだ。僕たちが入った地点は別に建物のど真ん中――左右対称の中心じゃない。実際にはこの建物は非対称で、二階や三階も一階とは微妙に形が違うんだ」
「外側からはそうは見えなかったぞ」
「多分、二階より上の外壁は一階の外壁に合わせて作られている。あれは全て偽物で、実際はその奥に本物の外壁がある」
「分かりやすく言え。あんまり難しいことを言われると癇癪を起こしそうになる」
「アベリアたちはこの抜けの部分に落ちていったが、この地図にはどこにもその落とし穴に通ずる道は書かれていない。この冒険者たちはあの落とし穴にすら気付けていなかったのかもしれない」
地図を折り畳んで、アレウスは腰の鞄に収納する。
「まだ他の死体を漁るか?」
「いや、これで大体は把握できる」
そして恐らく、この冒険者はアベリアと同じでギルドから手渡された地図に書き足す形でマッピングを行っていたはずだ。他のパーティの死体を漁っても、似たような地図が出てくるだけで情報量としては薄くなってしまう。
「戻るぞ」
「さすがに帰り道までワタシが案内しなくてもいいよな?」
ノックスの歩き方に規則性はなかったが、アレウスもアベリアほどではないがマッピングを行う技量はある。脳内で通った道はしっかりと地図に起こせている上に、先ほど眺めた地図も加わって迷路で惑わされることはない。
死体の瞼が開いたままだったため、それを閉じさせてからアレウスは踵を返してノックスと共に引き返す。
「分かるか、アレウス?」
その最中、ノックスが訊ねてくる。
「後ろに複数の気配を感じる」
「足音が多い。それに歩き方はワタシたちのように二足歩行じゃなく四足歩行だ」
「ガルム系か」
「いいや、ハウンド……ワイルドキャットも混ざっているな」
「戦ったから分かるのか?」
「ワタシたちが相手にしたのはガルムだ。下の階で同胞が死んだのはワイルドキャットの強襲を受けたせいだが」
「ガルムの群れにワイルドキャットがいるのか?」
「付き従わせていたんだよ。どんな魔物も、敵わない相手には歯向かわない。そして、敵わない相手と利害が一致すれば群れの統率者にする。ガルムを統率していたワイルドキャットは殺し切ったと思ったが、今度はハウンドを抱えたワイルドキャットか」
「僕はまだワイルドキャットと戦ったことがない」
「だろうな。かく言うワタシも、魔物との付き合い方を知らないんでね。お前たちの街を襲った時には、馬鹿げたエルフに騙されちまったが、ありゃ魔物もこっちに歯向かわなかったから成立してたもんだ。あいつらは絶対に従えられない。遠いところで魔物の血が流れていようと、魔物と獣人を同一視されたらたまったもんじゃない」
後ろで聞こえる足音が加速する。ノックスが短剣を抜き、翻った。アレウスの感知ではまだ距離があり、構えるには早いと思っていたのだが、ワイルドキャットは既に跳躍し、翻ったノックスの正面まで迫ってきていた。振るわれる爪を弾くも、尚に体に強引にしがみ付こうとする魔物の腹を蹴って阻止する。
「もっと距離があると思ったんだろ? ここは建物内部のクセして音の反響が弱いことは知っているよな? ワタシたちもそれに見事にハマった。そのせいで武器を構えるが遅くてね、ワタシと妹を守るために何人も犠牲になった」
ノックスとセレナがいれば獣人があのような部屋で魔物と戦って死なないはずだ。しかし、この反響音に騙されたのだとすれば、腑に落ちる。実際にアレウスはノックスが早めに動かなければ後ろから首に噛み付かれていた。
腹を蹴られたワイルドキャットは床で転がりながらもすぐに体勢を整え、小さく唸る。その声に呼応してワラワラとハウンドが迷路の脇道から現れてくる。
「お前の仲間のいるところまで逃げるか?」
「僕はともかく、お前の足なら逃げ切れるのか?」
「どうだろうな。試したことはないが、試したくはない」
「ハウンドは可能な限り無視しろ。統率しているワイルドキャットだけを狙え。殺してもいいが殺さなくてもいい。とにかく、あいつを動けなくすればハウンドの群れも僕たちを追い掛けてこない」
アレウスは剣を抜きながら指示を出す。
「ワタシから奪った短剣を使うんだとばかり思っていた」
「お前と違って短剣の間合いから詰め切られると爪にやられる。剣の間合いで対処したい」
「はっ、怯えて足を竦ませんじゃないぞ」
ガルムよりもハウンドもワイルドキャットも体躯は大きい。懐には入り込まれない。だが、短剣の間合いまで近付けさせたくはない。反響音の少なさから距離を感じ切れなかったが、脳内で組み上げた距離感から算出しても、ワイルドキャットの跳躍距離はハウンドのそれの二倍は軽く越えている。それでも、手が馴染んでいる武器で挑むべきではある。
ワイルドキャットだけならばアレウスも短剣を抜いた。しかし、ハウンドが混じっているとなると数の暴力によって正攻法が成立しない。ノックスの力を過信することになるが、手堅く攻めなければならない。
「暴れてくれれば僕も合わせに行く。その時は剣よりも短剣の方が馬が合う」
「ふははははっ、面白ぇことを言うじゃないか。お前じゃ力不足なんだよ。合わせられると思うな」
「合わせるのは力量云々は関係ない」
「だったら、ここからは言葉じゃなく態度で示してもらおうか」




