祝福はあっても奇跡は無い
【アーティファクト】
ロジックを開いた先の、その者の生き様が記されている文章――フレーバーテキストの中に納められている事柄の総称。文章でのみ触れられるために現実に形となって現れることはほとんど無い。それは物体、概念、物事、景色などと多岐に渡る。
保有する者は限られているが、アーティファクトはその者にとっての悲劇、苦痛、苦悩、辛酸、絶望といったあらゆる負の感情によって文章に刻まれるため、持たざる者ほど幸福に満ちた生き方をしていると言える。
能力値への恒常的なボーナスを与える事柄であったり、なにかしらの特異体質を貸与する、或いは保有する者が武器として持つ物体に干渉することもある。
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オーガと交戦し始めてどれくらい経っただろうか。自分を残して、みんなは逃げ切れただろうか。そんな心配をしながらも、アレウスは未だオーガの攻撃を避け続けている。スタミナ切れはまだ起こさない。これほどの極限状態であっても、動けなくなることはない。足が言うことを利かなくなることもない。
何故なら、五年を異界で過ごして来た。労働力が全ての異界で、ひたすらに鉱石を掘り続けて来た。止まれば、一日の食事にすらあり付けない。十二歳の頃に、死ぬほどの空腹と死にたいほどの虚無感に襲われ、いつだって死んでやろうとすら考えた。
それでも生きて来た。それでも生きた。足が動かないと思っても気力で動かし続け、腕が鉱石を掘ることを拒んでいても意地でツルハシを振るった。そうしなければ、生きられなかったからだ。
オーガの攻撃を避ける。これにどれほどの体力が奪われると言うのだろうか。毎日毎日、ひたすらに洞窟に入って、鉱石を掘り続けた日々。子供だからと大人に虐げられ、無理難題を要求され続けた日々。それに比べれば、たった一度喰らえば死ぬと分かっている攻撃を、死ぬ気で避けるくらいは造作も無い。オーガは体が大きい分、石斧を振るう際も動きが大きい。構え方も乱暴で荒々しく、一つ一つの筋肉の動きさえ捉え続けていれば、縦に振るのか横に振るのか、それとも斜めか、予想を裏切って距離を詰めて来るのか。なにもかもが分かりやすい。
一つ問題があるとするなら、地面を砕く度に生じる礫。これが体に打ち付けて来る。胴体や腕ならまだ構わない。どうせ避けるのだから、腕を振るう理由は無いし、胴体は鎖帷子で防ぐことが出来る。問題は足と、そして頭だ。未だ強烈な礫が足を襲っては来ていないが、頭はそんなに強く飛来しなくとも、当たれば意識が飛びかねない。だから絶対に頭だけは防護し続けなければならない。身軽さを求めて、防御を捨てた。兜や帽子を被れば、まだマシだったのかも知れないが、それももしもの話だ。
だから、考えない。ああすれば良かった、もっとこうしていれば、などとは考えない。出来ることだけをやる。やれることだけをやり遂げる。
その意思は、その強い内側にある生存への炎は、多少の風が吹こうと消え去らない。
「っらぁあああああああ!!」
アレウスとオーガのやり取りに横槍が入る。弱腰だった男が繰り出した斬撃が、オーガの足を切り裂いた。
だから、それがなんだと言うのだろうか。やってやったという表情を男は見せて来る。
「なんで……逃げていないんだ……!」
「奇跡の一手ってヤツだよ。アリス」
踏みにじられた。
アレウスが必死に稼いだ全ての時間が無意味に終わった。それを告げるかのようにぞろぞろと広場へとみんながやって来る。
「全員で掛かれば倒せる」
オーガの一撃を避けて、アレウスは目を見開き、激昂する。
「どうしてお前たちはそんなに死にたがるんだ!? 戦う以外のことをお前たちは知らないのか?!」
「俺たちは冒険者になるんだ。目の前の敵も倒せずに、逃げるなんて出来ないだろ」
「違う!! 冒険者は最終防衛の要だ! 闇雲に戦って死ぬ仕事じゃない! 逃げて逃げて命を拾って、守る者を確実に守る!! 倒せない魔物に、がむしゃらに挑むわけじゃない!!」
がむしゃらとひたむきは違う。蛮勇と勇気が異なるように。
「『栞』を使ったんだ。今の俺ならオーガくらいなんてことな――」
弱腰の男がオーガの石斧の一振りで吹き飛び、不可視の壁に激突して大量の血を散らして、地面に落ちる。腕も足も首でさえも、あり得ない方向に曲がってしまっている。もはや、あの男は生きてはいない。
「なにをどう読み取って、オーガの攻撃を防御せずに喰らっても大丈夫だと思ったんだ……!」
『栞』を使えば、誰もが超人的な強さを得て、あらゆる攻撃を受け付けず、あらゆる攻撃が通る。そんな奇跡のアイテムなどとでも思ったのだろうか。あくまでテキストへの干渉を意識を保ったまま受けられ、一部の文章を書き換える、書き加える。一時的な付与魔法を超える強化。それでも人種を超えた強さが得られるわけではない。書き換え方、書き加え方に理解が必要不可欠であり、更には所有者とロジックを開く側の意識を統一しなければならない。
まやかしの強さに憧れても、それは絶対に得られない。祝福はあれど“奇跡は無い”。
「そ、んな……馬鹿な」
神官が立ち竦んでいる。あの男が連れていた最後の一人だ。
「逃げろ!」
「う……ぉえ」
嘔吐した。そして、そのまま動かない。オーガは楯突いた男の臭いを残している神官へと向かっている。復讐を果たす前に邪魔者を始末する気でいるらしい。
「お前の相手は僕だろ?!」
そう叫んでみるが、オーガの行く道は変わらない。
男が潰れた様を見て、誰もが動揺を隠せていない。人種とは、ああも容易く肉塊へと成り果てるものなのか。そんな戦慄に心と体が追い付かないでいる。惨状も、惨憺たる異界も知らないが故に、死体を見慣れていない。堕ちたところが死体の山だったアレウスとはやはり違う。
「もう助からない!」
アレウスは戦士、魔法使い、神官に向かって叫び、彼らに思考を取り戻させたのち、四人で一目散に逃げる。背後に男が連れていた神官の叫びを聞きながら。
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『もう限界です。これ以上、死体を増やすわけには行きません』
「分かっている。だが、君たちに指示を出したところで、きっとその体は動かない。『身代わりの人形』が使われていないからだ」
冒険者は自身の爪を触りながら、自分たちが陥っている状況について語る。
『それは……確かに、その通りです。どういうわけか、俺たちの体はちっとも言うことを利いてくれません』
「捨てられた異界のオーガだ。角の数は先ほど聞いた限りでは一本。倒すなど造作も無い。しかしそれが出来なかった。何故か? 答えは単純にして明快」
冒険者は隣に居る神官を睨む。
「私も君たちも、ここに居る神官によって“ロジックを書き換えられてしまった”からだ。どこぞの教会から派遣されたか、それとも異端審問会か。私たちは知らず知らずの内に潜入を許してしまった。だから、こうして私たちの足は動かせない。答えろ、浅ましき我欲に捕らわれし神官風情。一体、どうしてこのテストに介入した?」
「アレウリス・ノールード」
「彼が一体、なんだと言うんだい?」
「この世界に居てはならない」
「笑わせてくれるじゃないか」
冒険者は剣を抜き、神官目掛けて振るう。
「おや、どうやら異界におけるあらゆる出来事に干渉するなとは書き換えられているようだが、君にこの途方も無い怒りをぶつけることはどうやら出来るらしい」
自身の剣が思ったよりも加速したことに冒険者は驚いた風に言いつつ、笑みを零す。
「やはり、自分の神官以外を信じてはならないな。休みを取らせたことを後悔してはいないが、異界に手を出せないことには後悔ばかりが募る。しかし、君を殺せば書き換えられたテキストは元に戻る。自然に元通りになるのを待っているわけにも行かない」
「無駄だ。貴様は私には危害を加えられない。そのようにロジックを書き換えた。その剣の刃は決して私の体には届かない」
冒険者はその言葉を確かめるかのように力強く剣を振るう。しかし、法則すら無視した異様な筋肉の働きが起こり、剣は神官の眼前で停止する。
「これは……困ったものだ」
「黙って見ているが良い。アレウリス・ノールードが死んだあと、貴様には全ての責任を被せて死んでもらわなければならないのだからな」
自身に危険が迫ることはない。そう信じて疑わない神官を見て、冒険者は溜め息をつきながら剣を下げる。
「身の程を弁えろ。冒険者風情が」
「特にドワーフがよく口にする言葉だ。だが、私はもう聞き飽きた」
冒険者は剣身を眺めるように持ち上げて、そこに宿る輝きに不敵な笑みを零す。
「剣を尊重し、剣を愛せ。剣に敬意を払い、剣を従えよ。私たちは剣に守られ、剣に認められ、剣によって悪を切るのだから」
そう呟いた直後に冒険者が再び神官に剣を奔らせる。
「だから無駄だと、」
その先の言葉を失って、神官は飛び退いた。
「何故だ……? 何故、私に剣を向けられる?!」
「おやおや、随分と焦っているじゃないか。なんだい? 私のロジックを書き換えたクセに、その中身はちゃんと読んではいなかったのかい?」
「……まさか、アーティファクト」
「私の体は意思に反して君を切ってはならないと訴えている。だが、“剣が悪を切り捨てる”と言っている。そこに私の意思など介在しない。剣が勝手に動くんだ。君を切りたいと願っている。私の腕はただ引っ張られているだけだよ」
「剣に魅せられた化け物め」
「剣にすら愛されない神官如きが化け物などと罵るとは、愚の骨頂だな。それで、どうする? 剣のロジックでも開くかい? はははっ、冗談だよ。“普通の神官”は、生命を持たない物のロジックは開けられないんだったね。もしかするとだけど、君はそんな、なんにもない普通の神官でしかないのかな?」
冒険者は剣に求められるがままに体を動かし、神官との間合いを詰めて行く。
「私たちのロジックが元通りになるのを待つよりも、君を始末してその源を断ち切ってしまった方が、手っ取り早いんだ。だから、怖がらずに受け入れるんだ。剣によって下される審判を。ほら? 得意だろう、審判に立ち会うのは」




