探索は程々にして
白墨で印を付けた箇所を避けて進み、アレウスたちはギルドの地図通りの行き止まりに到達する。壁の装飾や形状は過去の遺物らしく、現代で芸術と呼ばれる物と照らし合わせてもどこにも共通項が見出せない。逆にこれは珍しい。通常であれば現代芸術のほとんどは過去の芸術からなにかしら影響を受けている場合が多い。文筆家ですら過去に影響を受けた偉人の文筆家の書体に似てしまう。
しかし、過去と現代において芸術では断絶が起こっている。
過去に拘らないヒューマンだからこそ、新たな境地や独自の観念から過去と繋がることのない芸術を萌芽させているのだと考えることもできる。しかし、これほどまで過去の芸術と現代の芸術が重ならないのは不思議で仕方がない。
「相変わらず、アレウスはこういうのを調べるの好きだね」
「調べているんじゃなくて、驚いているんだよ」
墳墓のときもそうだが、ここにある装飾品には人種の叡智が詰まっているかもしれない。無造作に放置され、このように時とともに劣化し、失われていく。あまりにも勿体無い。かといって、ギルドからの許可もなしに持ち出すのは禁じられている。
ダンジョンにある物を身勝手に持ち出し、それがもし魔物を惹き寄せるような効果を持つ物体であったなら、どんな責任を負わされるか分からない。アーティファクトは生き様に刻まれた概念だが、無機物もまた同様に、開けるか開けないかの違いはあれどロジックを持つとされている。であれば、ここにある装飾品のロジック内にアーティファクトが内包されていないとは言い切れない。
「罠だらけの通路の先が行き止まりなのは不自然だな。隠し通路があるのではないか?」
ガラハが床と壁に付けられた白墨の印を気にしつつ、壁に触れる。
「思うには思うが、これだけある罠のスイッチの中から正解を見つけるのは無理だ。それとも、罠にかかって死ぬことも作業にして一つずつ解除していくか?」
そんな非人道的な解除方法はあってはならないだろうし、誰もやりたくはない。
「ともかく、マッピング不足の部分を埋めていくのを優先する。隠し通路の有る無しを確かめるのは、描き損じている部分をキッチリと埋めてからだ。ただ、そこまで猶予があるかどうかも言い切れないけど」
自信なさげに言うアレウスを見て、ガラハは意地悪なことを言ったと思ったのか、どこか落ち着かない雰囲気を見せながら頭を掻く。
「アレウスは好奇心を抑えているんだよ。ガラハも好奇心と調査への欲が出ているんだろうけど、パーティとして抑えていかなきゃ」
「……エルフの小娘の言う通りだ」
「でも、あたしもあたしで気になるから、本当に時間ができたらこの通路は調べようよ。まぁ、あまりにも危険だったら断念する方向になっちゃうけど」
クラリエが来た道に付けられている印の数を見て、苦笑いを浮かべながらそう提案する。意見で対立していたわけでもないため、アレウスとガラハはこの提案に首を縦に振って答えた。
「話はまとまったし、引き返そうか……と言っても、アレウスのことだからこのまま真っ直ぐ広間に戻らせてはくれないんだろ?」
「まぁ、罠の見落としがあったら困るし、僕が先頭で引き返す。袋小路を背にするわけだから、クラリエも一番前に出て罠の確認をしてほしい」
バックアタックがないのなら、クラリエを後ろに置く理由は今のところない。それよりも見落とした罠を踏んでのパーティ崩壊の方が懸念すべきことなので、アレウスだけでなくクラリエの協力を求める。
「ここは一応、行き止まりって形で描いておくから」
アベリアの報告を受けたのち、アレウスとクラリエが先頭に立って来た道を戻る。
罠は、床に関しては見落としがゼロだったが、やはり壁の仕掛けに関してはそうもいかなかった。体で触れる率よりも足で踏む率を優先したためだが、思った以上の見落としであったため、広間に戻ってからアレウスは落ち込みを見せる。
「あれだけの速度で調べていったんだから、しょうがない。それに、どんなことでも完璧にできる人の方が少ないよ。むしろ、向上心を殺すことになる完璧さは怖い。大事なのは肝心なところでは完璧であることを努めようとすることだよ」
「わざわざ、ありがとう」
ヴェインに慰めてもらって、アレウスは気合いを入れ直す。
「よし、次に行こう」
こんなことで一々、気を荒立たせるわけにはいかない。
アレウスたちは残った三つの扉のうち、先ほど入った扉と同様に一つだけ独立している扉に向かう。今回も念入りに扉を調べて開けた。こちらは先ほどの通路に比べて幾分か狭いのだが、壁や床に罠のスイッチは見受けられない。
「見て、溝がある。これって、ここから水が流れていたってことじゃない?」
通路としては入り組んでいたが、行き止まりに到着するまでの時間は先ほどよりも圧倒的に早い。
「この辺りに水源はほとんど無かったけど」
「昔は水場があったってことでしょ?」
クラリエはエルフとしてヒューマンの遺物を調べることができているありがたさを理解したのか、装飾品を眺めていたときよりも気分を高揚させている。これはエルフが壁画や絵画といった芸術に興味がないわけではなく、単純な芸術の価値観の相違である。ヒューマンが素晴らしいと思う芸術をエルフが同様に素晴らしいと思うかと言えば、そうではない。「芸術品はどんな文明においても等しく同様の価値が与えられる」と時の芸術家は語るが、よその文明からもたらされた文学、医学がそうであるように、芸術もまた、内側にのみ存在していた価値観から遠くかけ離れた物珍しさや隔たりが起こす感覚なのだ。彼女はまさにその感覚に眩暈を覚えるほどの喜びを感じているのだろう。
元よりガラハもクラリエも、外の世界を望んで生きてきた。アレウスに限らず、このパーティは基本的に好奇心旺盛だ。その興奮に足元をすくわれないようにしなければならないのだが、アレウスもクラリエの高揚感に呑まれかける。
「洗い場や水飲み場だったなら、扉は必要ない。ましてやその先を入り組ませる理由も見当たらない」
アレウスは溝を眺めて、小さく溜め息をつく。
「ここは昔のトイレだ、クラリエ」
「え゛っ!」
「通路が入り組んでいたのは扉を開けても、広間からトイレが見えないようにするためだ」
「え゛っ!」
驚嘆の声を二度上げて、一気に彼女の高揚感は失われていく。
「それでも、昔に水洗式の考え方があったのは驚きだけど……水源一つを潰してまで、水洗式にする理由があったのかどうかは不明だけど」
未だ汲み取り式が大半を占めるシンギングリンに比べれば、この建築物は水質汚染に目を瞑れば、清潔であったのだろう。
「あっちは罠だらけで、こっちはトイレ。ダンジョンになる前は、どういう建物?」
アベリアが地図を描き足しながら首を傾げていた。
「廃墟……って呼べばいいのか分からないけど、この建築物を誰も使わなくなってから、別の誰かが罠を仕掛けたって説はどうだろう?」
「それはあり得る。どれくらいの年月が経っているかは不明だけど、持ち主や利用者が変わってから改築や改造を行うのは変なことじゃない」
アレウスとアベリアだってボロボロだった借家を暮らせる程度には改築したのだ。
「だが、それは人間か? それとも魔物か?」
「さぁな、そこまでは知りようがないだろ」
アレウスはガラハの問いに答えにならない言葉を答えとし、通路の全体を見回してからパーティ全体で踵を返し、広間まで戻った。
「残り二つだけど、右側が階段に繋がっていて、左側は……開けていないみたい」
「開けていない?」
「だって描いてないから」
アベリアがアレウスにギルドの地図を見せる。確かに左側の扉の先はなにも描かれていない。これはさすがに怠慢だろうと思い、広間には魔物の気配が一切なかったため、すぐさまアレウスは左側の扉に手をかける。
押しても引いても、開かない。左右に開く形式かと思いきや、それでも開かない。
「鍵が掛かっているんだろうね。ほらここ、見てみなよ」
ヴェインに言われ、アレウスは扉に鍵穴を見つける。さっきまで触れていた扉は鍵穴など無かったために、この扉も錆びていて開きが悪くなっているだけかと思ったがゆえの盲点だった。
「アレウス君は鍵開けも出来たよね?」
「それはクラリエもだろ」
「あたしは初歩の初歩。一番簡単なのしか開けられないよ」
このやり取りは罠の解除方法を話した時と同様であるため、深く掘り下げる意味もない。
「錆びている上に、アベリアの魔法の光で眺めても中の構造が分からないから、どうやったって開けられないよ」
この扉のために作られた鍵を見つけて、ようやくこの扉は開く。それも、錆を落とすことも必要となるだろう。
「仕事が増えた?」
「増えたと言えば増えたけど、ギルドの人がお手上げだって言っているんだったら無理して開ける理由もないっちゃない」
記憶に留めておくくらいで充分だろう。使命感を持って扉を開けるための鍵を探すのは無意味だ。金銀財宝があったとしても、持ち帰ることもできないのだから。
「今は二階に行こう。上からの気配が全く感じ取れないのが不自然だ。このダンジョンが防音構造だとするなら、二回に上がった途端に魔物と戦うことになる」
感知の技能は平面的に機能するものではない。二次元ではなく三次元的に魔物の居場所を探ることができる。それは足音であったり、その他諸々の魔物が発する呼吸音や独特の魔力、更には気の流れを読み取っているからなのだが、どういうわけかダンジョンに入ってからは三次元性が失われ、二次元的にしか辺りを探れていない。
この感知は、アレウスが推測したように防音構造であった場合、一気に精度が落ちる。感知の大半は音から始まるため、音を拾えなければ気配にまで行き着けない。気配に行き着けないならば、視認できる範囲まで能力が制限される。また、アレウスは怨霊を読み取れない。そこを補うのが怨霊すらも感知できるクラリエとスティンガーなのだが、どちらもアレウスと同様に平面でしか気配を読み取れていない。勿論、限りなく感知の技能を高めていれば、防音という理由だけで精度が落ちないのだが、この場にいる誰もがその域には達していない。
達している者を挙げるならば『影踏』や、あの『灰銀』のハイエルフ。ただし、その二人に限らず、『中堅』以上の探索技能を高めている冒険者たちも精度が落ちることはないだろう。
「あたしは今から気配を消すから、いなくても気にしないで。そこはちゃんと、大事な場面では気配を戻すから」
肯くよりも先にクラリエの気配はその場から消えた。




