競争が闘争を生む
帝国騎士団の中でも緑角は冒険者を経験した者たちで構成されている異色の部隊である。魔物との戦闘経験もあり、対人戦闘も習得している。しかしながら、冒険者としての道を歩み続けることをやめ、ロジックに刻まれた『教会の祝福』とギルドによって与えられた称号を捨てた。
軍隊に冒険者を含めてはならない。これは全国における暗黙の了解である。その禁忌を破っているように見えながら、決して冒険者のように甦らずに死んでいく。抵触はしていても、禁忌を破っているわけではない。だが、極めて黒に近い。だから『黒色』が与えられる。
しかしながら帝国も『緑角』の扱いは慎重なようで、国境戦に出すことはなく、主に国内の紛争を制圧するために動く。
「どうしてこの街に?」
「悪魔憑きが出た報せが入り、首都に戻るついでに立ち寄ったまでだ」
無視や軽蔑、もしくはもっと酷いなにかを言ってくるのではないかとアレウスは思いつつも、率直な疑問を投げ、それに対してアレウスよりも、身長も年齢も上なのだろうが、歳はそんなに離れていないように見える男もまた率直な答えを示す。
単に童顔なのか、それとも本当にさほどの年齢差がないだけか。見極めるのが難しい。
「ただ、軍人に向ける言葉ではないな」
「冒険者風情が物を言うな、というわけですか?」
求めていた通りに丁寧な言葉を並べる。それは男――エルヴァージュの神経を逆撫でするような言い方をアレウスはわざと行う。
「なるほど、僕と同様に『冒険者』に心馳せ、それこそが世界を守る全てだとまだ信じているわけか」
自身と同じ一人称を用いてきたために、僅かに動じる。物腰が柔らかいのか、それとも堅いのか。よけいに見極めるのが難しくなる。アレウスがわざと神経を逆撫でたように、エルヴァージュもわざと人格を掴まれないようにしているのかもしれない。
「言ってやろう。そんなものは幻だ。目を覚ます前の夢にすぎない。夢から覚めれば、やっていたことの無意味さを知る。冒険者が人を守っているのではなく、国が人を守っていることに気付く」
「だから冒険者から軍人になったと?」
「冒険者という肩書きは、辞めても延々とロジックに残り続ける。それがあるだけで、あらゆることの制限を受け、あらゆることを求められる。傭兵稼業に手を出そうとも思ったが、好きで人を殺しに行くわけではない。人を守るために人を殺さなければならない。金稼ぎで傭兵になるのは気が引けた上に、『冒険者』の肩書きが邪魔をして、その手に仕事には就ける見込みがなかった。『教会の祝福』を抹消したと説明しても、ロジックを開けない連中は信じてはくれないからな」
「そうまでして軍人になりたかったんですか? 人を守るために人を殺す――つまり、人を殺したいがために?」
「人を殺すことには変わりないが、そこには名誉がある。街での殺人犯も戦場で同様の行いをすれば英雄だ。味方殺しや毒物を用いた殺しをしない限りは」
この男の真意が見えない。わざと見えないようにしているとも取れるが、元々、自己を見せようと思っていない可能性もある。しかし、今日ここで初めて会った冒険者に向かってそこまで自己を見せる理由もない。
「好敵手がいないな?」
唐突にアレウスにエルヴァージュの問いが投げかけられる。ついさっきまでのあらゆる会話が唐突の限りではあったのだが、今回のそれは話の本筋どころか道筋すらないところから持ってこられてしまった。
「好敵手がいないとなにか困りますか?」
「切磋琢磨しようという気概がない。師の教えばかりで鍛え上げられることには限界がある。自己を研鑽するのは思考力以上に、同レベル帯の鼻につく奴にだけは負けたくないと意固地になる闘争力だ。師に教わり、仲間と仲良くやっているだけで『至高』に辿り着けるほど冒険者は甘くない」
知った風なことを言うが、この男は元冒険者なのだから経験談から来るものに違いない。
「なら、あなたは好敵手を見つけられなかったから軍人に?」
「逆だ」
「逆?」
「軍人にならなければ、潰せない奴と会うことさえままならないことに気付いた。そう……絶対に殺さなければならない相手を、殺すためには冒険者であり続けるのには限界があった」
「私情だけで軍人になろうだなんて!」
クラリエがたまらず声を張る
「私情を挟まなければ人は殺しを行えない。それとも、冒険者は殺意もなく魔物を殺し、時にはギルドに仇名す存在すらも殺しているとでも言うのか?」
この言い方はどこか『人狩り』を彷彿とさせる。達観しているとも言えるが、正論に対して極論をぶつけることで強引に話を捻じ曲げているとも言える。揚げ足取りをすることで正論を認めない。そして、揚げ足を取った本人は言い返されても痛くも痒くもない。なぜなら、そこから生じる反論全てを無価値と捉えるためだ。最初の自論で正論を崩したことで満足し、その後のあらゆる言葉は求めていない。
頭がおかしいのではなく、聡く、そして賢しい。正しい意見、世間において当然の意見では、この手の輩は黙らせることができない。
「『緑角』である限り、あなたが帝国の一員として国の存亡をかけた戦いに出向くことはないはずですが?」
だから、アレウスは嫌がらせをする。エルヴァージュが反論全てを受け付けない姿勢を向けているのなら、話している内容を変えてしまう。それも相手が最も嫌がるだろう話題にすることで、僅かだが仕返しをする、した気になる。
「どこの誰を殺したいと思っているのかは分かりませんが、軍人にならなければ殺せないのであれば相手は冒険者ではなく、同様に軍人。それも国内ではなく国外の相手なのではないですか? 国内の紛争だけにしか出ることの許されない『緑角』では、いつまで経っても殺したい相手には辿り着けませんね」
一体、どのような手段でもってアレウスに暴力を振るってくるか。ある種の覚悟を決めて発言してみたが、剣を抜く素振りもなく、殺意すら見せてはこない。
「ここのところ、冒険者になにを言われても構わなくなってしまったんだ。確かに君の言う意見は最もだ」
認めた上で、男は笑みを浮かべる。
「だが、冒険者という枷を嵌められていては、そもそも殺すことさえ叶わない。軍人にさえなってしまえば、いつかは殺すチャンスがやってくる」
アレウスは読み間違えていた。この男は人を殺したいから軍人になったわけではない。殺したい人がいるから軍人を選んだのだ。冒険者はそれこそ国家転覆の危機、世界をかけた戦争、全国で統一されている禁忌を破ることがなければ、戦場に出ることも、軍人をその手にかけることもできない。
気が狂ってしまった軍人を目の前にして致し方なく殺さなければならない状況でも起こらない限り、そもそも国外の軍人と顔を合わせることさえ稀有なことだろう。
だから、この男は冒険者を辞めたのだ。互いに切磋琢磨する者なのではなく、それこそ言葉通りの好敵手を討つためだけに生きている。
自身の浅はかさに、言いようのない恐怖が走る。言葉ではなく力で屈服してくるだろうと踏んで、相応に体勢を整えていた。しかし、果たしてそれは正しいことだったのだろうか。
むしろ、自分から死に向かっていくような選択だったのではないだろうか。この男のどの動きにだって合わせてみせると意気込んでいたが、自殺行為も甚だしい。技術、そして技能において、アレウスが男に勝っている面など一つとしてないのだ。
「まだ生きていることのありがたみを理解したみたいだな」
表情を読み、エルヴァージュはアレウスに冷ややかな言葉を浴びせ、騎士を連れて、アレウスたちが歩いていた方角とは真反対へと歩いて行った。
「アレウス君?」
「……体中の震えが止まらないよ。久し振りに、人を前にして怯えたな」
「あと一歩、相手の懐に踏み込むようなことを言っていたら殺されていたよね?」
「ああ……きっと、僕は死んでいた」
「あたしたちは帝国の冒険者、あの人たちは帝国の騎士団。同じ国を守る意味では手を取り合えるはずなのに、そんな気配が全くなかった」
「『緑角』が異例ってだけで、他の騎士団は違うのかもな」
「だよね。あたしたちは魔物退治をして、騎士団は他国からの侵略を防ぐ。やっていることはどっちも、国のためなはずだし」
だが、軍人が冒険者をどのように見ているかなど、推察の域を出ない。『緑角』はむしろ、元冒険者であったためにアレウスたちの話を聞いた。これが別の騎士団だったなら聞く耳すら持たなかったかもしれない。
『祝福知らず』は甦らないが、冒険者は基本的に甦る。軍人は死んだら甦らない。命の価値に違いがあるのなら、そこには絶対に軋轢があるはずだ。
「あまり関わるようなことがなければいいけど……というか、関わりたくないな」
「共同戦線を張るような事態が起こらなければいいけど」
そんな未来が訪れないように願うしかない。
「好敵手……か」
しかし、エルヴァージュの言葉は尾を引く。
誰かと競い合って強くなるのは、正しい成長ではない。そう決め付けていた。だが、逆に決め付けることで逃げてきたことでもある。魔物との命の取り合いにおいての勝負事は絶対に譲らないが、それ以外での勝負事は結局、命の取り合いにはならないのだからと勝ち負けを気にしたことはない。競争は協調性も必要になる。高め合う相手の気持ちも汲まなければならない。しかし、汲みすぎれば手を抜いていると思われ、関係性が崩れる。かと言って、汲まないばかりでは今と変わらないただの嫌われ者だ。
「目標はあっても、同い年に張り合う相手がいないんじゃ……自分が強くなっているのかどうかも、分からないな」
比べるべき相手は周囲の結構な数ほどいるのだが、アレウスと同様の動き――それこそ同じ職業の冒険者がいない。
珍しい複合職であることが問題なのだ。アベリアも複合職ではあるが、魔法に特別な物はない。そして、クルタニカは歳がまだ近いために目指すべき参考にもなる。だがアレウスはルーファスに師事してもらってこそいるが、教えてもらっているのは剣士としての基礎ばかりとなる。それはアレウスの思う動きとは違う足運びであったり、剣の扱い方であったり、自分自身で応用を利かせていかなければならないことばかりだ。同格の、参考できるような者はやはりいない。
「……取り敢えず、今は休暇をどう過ごそうかを考えなよ、ね?」
クラリエはアレウスの悩みを解決できそうな妙案を思い付くことができず、申し訳なさそうにしながらそう言った。




