アベリアの『好き』について
「アベリアちゃんとは普段、どんなことをしてるの?」
歩く最中にクラリエがアレウスに訊ねる。そんなことを訊いて一体、なにになるのか。彼女にとって利益になるものが見えないため、返答に困る。
「いや、普段のことを話してみてってことなんだけど」
「裏は?」
「なんでアレウス君は会話をギブアンドテイクで考えちゃうかな」
先ほどから呆れられてばかりだが、今日一番の溜め息をつかれてしまう。
「アベリアとどう過ごしているかを話せばいいのか?」
「その言い方だとあたしが脅したみたいになるよねぇ」
心境としては限りなくそれに近しいのだが、そこに同意してしまうとまたなにかしら呆れられてしまう。私生活には語れるほど面白いことは、なに一つとしてないのだが、そのように返事をしてしまってもやはり呆れられてしまうような気がした。
「朝は僕が先に起きて調理を始めて、その最中にアベリアが部屋で着替えてから出てきて、手紙が届いていないか確認するついでに井戸水を汲みに行ってもらって……朝食が出来上がったくらいに帰ってくるから、そのあと一緒に朝食を摂る」
「へー」
「食べ終えてからは、鉱夫の仕事があるときはそのまま僕は出掛けて、夕方に帰る。冒険者稼業がちょっとだけ安定してきたから、鉱夫としての仕事は減らしてきているから、休みの日もある。その休日の中にルーファスさんに剣術を教えてもらう日があって、残った休日は大体、家で過ごす。雨漏り対策のために屋根の修繕は怠らないし、雨水の濾過槽にゴミが入っていないかの確認もして、あとは建て付けの悪い箇所を直したり、防寒対策のために隙間風が入りすぎるところに蓋をしたり」
「へー」
「……訊ねてきた割に、物凄く興味のなさそうな返事をしないでほしい」
「一つ屋根の下なんだからもうちょっと男女の面白い話が聞けると思ったら全然、そんなことがなくて拍子抜けしただけ」
「結構、周りからそういうこと言われるけど僕とアベリアは健全だから」
「なにを根拠に? アレウス君は寝相のせいにして胸を揉んできたじゃん」
忘れていると思っていたことを忘れていなかったことと、アレウスが忘れかけていた自身の不祥事を思い出してしまい気持ちが沈む。
「あれは……本当に、寝相のせいで」
「でもアベリアちゃんと一緒に寝ることもあるんでしょ? その時は揉まないらしいじゃん」
この言い方から察するにアベリアから色々と聞いているらしい。ならば日常生活について語っていた今の時間はなんだったんだと自問自答したくなってしまう。
「寝相の悪さって眠り方とか寝る姿勢とか色んな要因があると思うから、僕は自分のベッドでは心地良く眠れているんだろ」
追及されれば追及されるほどクラリエの前から逃げ出したい気持ちが湧き上がってきてしまうからと、根も葉もない理由を並べ立てて誤魔化そうとする。しかし、クラリエがそんな言葉で騙されるわけもなく、アレウスに向ける視線は冷たいものだった。
「あたしがハーフエルフなの知っているでしょ?」
「そりゃ、異界でエウカリスに聞かされ続けてきたからな」
「つまり、どういうことだと思う?」
どうもこうも、話の流れが掴み辛くて察するには情報が足りなさすぎる。クラリエはなにを言ってほしく、そしてなにをしてほしいのか。女心などアレウスが読み取れるわけもない。
「ミーディアムの恋愛はヤバいって聞いた」
「あたしもそれについては戦々恐々としていたんだけど、最近、身をもって知ってしまったんだよねぇ」
「……は?」
その言い方だとクラリエが誰かと付き合っているかのようだ。それは非常にマズい。アレウスはエウカリスにどこの馬の骨とも知らない男性とクラリエが付き合わないように見張るように言われている。魂はこの世界に還り、アレウスの目の前に彼女が現れることはないのだが、怨嗟や呪いは時間が経ってから発動することもある。別れる直前にアレウスに呪いを遺していたならば、呪殺される可能性すらある。
別にそこまで自分自身がクラリエの恋愛に首を突っ込む意味はないのだが、託されてしまった以上は使命感を抱かずにはいられない。
「物凄く個人的な意見なんだけど、どこの誰と身をもって知ったんだ?」
「知りたい?」
「知りたいというか知らないとマズいというか」
交信の方法など知らないが、エウカリスの墓にお供え物をしてひたすら頭を下げればひょっとしたら許されるかもしれない。そのためにはクラリエから言葉の真意を聞き出さなければならない。
「ミーディアムは一人に恋をしたら延々、恋をし続けるから悲恋になりやすいって」
「そうなんだー」
「恋に落ちるどうこうに口出しするつもりはないけど、人格者なのかとか収入や職業なんかもしっかりと把握した上で」
「でも誰かを好きになるってそういうことじゃないじゃん?」
「僕にはさっぱり分かんないけど、どこの馬の骨とも知らない男に惚れでもしたらパーティが乱れるからやめてもらいたいというか」
だが、恋愛に夢中になるとミーディアムはやめろと言ってもやめられない。種を残すための本能がそうさせている。
ならばいっそのこと、ロジックを書き換えてしまえばいいのではないか。そのようにも思ったが、こんなわけの分からない理由でクラリエのロジックを書き換えたくはない。更に種族としてはエルフに近い彼女のロジックはアレウス一人では開き切れない。
「せめて誰とどのような結果で、身をもって知ることになったのか教えてもらいたいというか」
「アレウス君はスケベだねぇ」
ニヤリと、小悪魔のような笑みを浮かべてクラリエに言われてしまう。アレウスは弁明、或いは釈明をしようとしたが口の動きに声が追い付かない。そのため、発声することができないまま口だけが意味もなく動く。
「今、ちょっと想像した? あたしが、どこかの誰かと、」
「してない」
ようやく声は出たのだが、喰い気味に否定してしまったために説得力を失う。
そして、彼女の言葉はあながち間違ってはいない。一瞬ではあるが、想像してしまった。だから今、アレウスはクラリエの顔を見ることができずに視線を泳がせる。次に目を合わせたなら、それはもう生々しい想像と妄想が加速してしまう。
「……ま、意地悪はこれぐらいにして」
先ほどよりも軽い口調になる。
「それだけ想像力と妄想力がたくましいのに、なんでアベリアちゃんにはなんにもしないのかなぁ。あの子、絶対にアレウス君がすることなら受け入れると思うけど」
話を切り替えてくれてはいるが、まだからかいの延長線上だった。
「妥協と受容は違う」
「アベリアちゃんはアレウス君のすることを受容じゃなくて妥協してるってこと?」
「クラリエのことだから僕とアベリアの身の上話は調べ尽くしているだろ? あいつは、僕に心を許しているけど、それは別に僕だからってわけじゃない」
「そうかな?」
「あいつにとって僕は、命の恩人。救ってくれた命で恩を返すつもりなんだよ。だから、命の恩人だったら誰でもいいんだ。手を差し伸べたのが僕じゃなくても、あいつの態度は変わらない」
「でも、好意にしか見えないけど」
「あいつの中の『好き』は、僕の思う『好き』じゃない」
「……なんか、恋愛に臆病な子が言いそうな気持ち悪いこと言わないで」
誤魔化しに来ているのか、それとも本気でそう思われたのか。どっちなのかは分からないが、ハッキリとさせておくべきことはさせておく。
「アベリアは救ってくれた僕のすることなら無条件で受け入れる。でもそれは受容じゃない。どんなに嫌なことだろうと、僕だからって部分で妥協しているだけなんだ。そして僕は、その妥協を利用して、無茶ばかりをさせている」
ほぼ無条件で彼女は肯いてくれるし、ついて来てくれる。傍にイエスマンがいるのは心地が良い。なにせ、絶対に孤立はしないのだ。必ず彼女がアレウスの言うことには賛成してくれる。多少、否定的な態度を取られることがあっても、最終的に孤立してしまわないように上手く彼女が間を取り持つ。その仲介役がいることにも、安心感を抱いてしまう。
「あいつの『好き』は、助けてくれたから好きなんであって、本当の意味での『好き』じゃない。だから、本当の意味での『好き』に気付いてくれるのを僕は待つしかない。その『好き』に気付いてくれたら、僕はアベリアを冒険者から辞めさせることだって考える」
「……と言いつつも、体は正直なアレウス君はアベリアちゃんの猛アプローチに自制心の糸が切れて、」
「なんでそういう話に持っていく?」
ほんの少し、心の闇を見せたのにクラリエに茶化されてしまう。
「将来的に見て、アレウス君は絶対に我慢できないと思うんだよねぇ。スケベだし」
「スケベじゃない」
「はいはい、そういうことにしておくから。でもさ、アレウス君?」
「ん?」
「本当の意味での『好き』をアベリアちゃんが理解したとするじゃん? でも、それがアレウス君じゃない別の誰かに向けたものだったとしても、君は妥協じゃなくて、ちゃんと受容することはできるのかな?」




