未来が見えていようとも
***
「――ですので、あなたが殺したのはカールという少年ではありません」
悪魔を祓った翌日に、まだ精神的にも体力的にも疲労を蓄えていたアレウスはギルドの連絡員から呼び出しを受け、アベリアを起こさないように家を出た。いつものようにリスティからなにかしらの連絡事項を受けるのだろうと思っていたが、何故かギルドの奥にある審判女神の眷族の部屋に通された。
椅子に座らされたので、またもやなにかしらの嫌がらせ――ではなく、なにか審判女神の眷族による問答をするのかと気を張っていたのだが、眷族の口から語られたのは昨夜に殺した人物の詳細であった。
カールという名前の少年ではなく、どこの出身かも不明な人物。年齢はアレウスよりも一つ下か上で、少年と呼ぶよりも青年や成人男性と呼んでも差し支えないらしい。
「実際のカールはもっと幼く、齢にしておよそ十三歳ほどと教会からは伺っています。あの肉体で十三歳とはとてもではありませんが想像できません」
「根拠はあるんですか?」
「なければこうして連絡をするつもりもありませんでした」
「掃除屋――『鬼哭』より報告を受けています。あの悪魔が繋げていたもう一人の悪魔憑きを始末したと。そちらは教会から伺ったカールの特徴と似通っており、我々は情報を精査した結果、あなたが殺したのは決して少年ではなかったという結論に至ったのです」
「だから、どうだって言うんですか?」
アレウスはそんなことをわざわざ言うために呼び出されたのかと嘆息する。
「喜ばしいことでは?」
「どこがですか? 僕は確かに少年を殺さなかった。けれど、人は殺した。それも同年代の若者を殺した。そして、『鬼哭』と呼ばれる冒険者は少年を殺した。犠牲者が減るわけでもなんでもない。結局、冒険者ではない人が二人死んだ事実は変わらない。僕が人殺しであることも変わらない。未来ある若者と少年が死んだ事実も変わらない。喜ぶべきところがどこにもありません」
子供を殺さなかったから良かった。そんな風にアレウスは思えない。年齢を問わず。殺したことに変わりはないのだ。アレウスが殺した人間は実は魔物だったぐらいの衝撃の事実でなければ、手に残る血の臭いも、そして心臓を一突きにした感触も消え失せてはくれないだろう。
魔物を殺す、野生動物を殺す。どれもこれもやって来たことなのに、同族を殺すことだけで怖ろしいまでに後味が悪い。
「僕はそういう安直な安心感が欲しかったわけじゃありません。それに、これから先、このことでどんなことを言われたとしても冒険者を辞めるつもりもありません」
精神的にはキツいのだが、まだ頑張れる。まだ前を向いて歩ける。立ち止まって、倒れてしまう前にただがむしゃらに前進するしかないのだ。
「驚くべき精神力」
「並大抵の中級冒険者であれば、殺人の苦しみと罪の意識で冒険者を辞めて隠棲するというのに」
「やはり、アレウリス・ノールード……いや『異端』は」
「ええ、そうね。『異端』は“裏”に向いている」
「裏?」
「『影踏』が間諜や密偵。『鬼哭』が掃除屋」
「二人に留まらず、シンギングリンには少数ではあるものの、裏を支える冒険者がいる」
「街にとっての不穏分子の始末、悪魔の討伐、汚職の調査に奴隷商人の密売ルートの破壊」
「あなたはそういった、人が安心して平和に暮らすことのできる社会の裏で行う仕事に向いている」
「平和の礎を築くべく必要な悪意の排除」
「「興味はないか?」」
「ありません」
眷族の二人が顔を見合わせ、続いてこちらを見ながら椅子に腰かけた。
「驚いた」
「受けると思ったのに」
「我々の秤では、この者を従わせるのは難しいということか」
「しかし、少なからずの邪な心は持ち合わせているはず」
今度はアレウスを品定めするかのように全身を舐め回すように眷族は見つめる。
「なぜ、断るのか訊ねても?」
「僕は冒険者として果たさなきゃならない約束があると言ったはずです。裏社会みたいな、ヤバいところに身を置くことなんて絶対にしません。本来の目的から遠ざかってしまいますから」
大体、“裏”という言葉には総じて美味い話がないことぐらいはアレウスも知っている。そんなところに「一回だけ」などと言って片足でも突っ込んだなら、あとは底無し沼のようにズブズブと沈んでいってしまうだろう。
「意志が固い」
「ではなぜ、邪な心があるように見えるのだろうか」
「いや、性格的にも裏向きであることは確かなはず。ならば、我々が見落としていたもう一つのことが、天秤を惑わせたに違いない」
「見落とし……? アイリーンはもう分かっているのか?」
「ええ、ジェーン。簡単なことだった」
なにかされるのではないか。そのような気配を感じ、アレウスは息を呑む。
「『異端』は女に飢えている」
「ああ……そういう年頃」
今すぐにでも椅子から立ち上がって、目の前にいるこのとんでも発言をした眷族を張り飛ばしたくなった。
「仮にも女を冠する神を信仰している人が言うことじゃないでしょう……」
「女神は清廉潔白で純血。そういう捉え方もあるけれど」
「その土地土地によって感じ方は異なる。男神も女神も、性に関しては奔放であったりなかったり」
「一部の女神が神聖視されているように、ごく一部の女神が性に奔放であっても不思議じゃない」
「「大体、神は眷族に対して子孫繁栄を願うことが多いのだから、その辺りは重要じゃない」」
「僕にとっては重要なんですが」
この世界においてアレウスが知る世界と大きく違うのは、やはり性の価値観だろう。この世界の人種は性に関することをさほど隠さない。川での沐浴も男女が混じることはままあり、そういった大衆の目から逃れるために貴族や高給取りは家に浴場を持っている。街の人々のために用意された大衆浴場も男女で分けられはするものの、お金を取られるとなれば最も寒くなる時期でもない限りは無料の沐浴で済ます。男女ともに、肌を見せることに対する羞恥心が小さいのだ。それでも風紀の乱れは起きていないと街長は豪語する。つまり、アレウスの価値観は少数意見であって、大多数には呑まれてしまう。
酒場で出会い、夜を過ごした相手が実は知り合いの妻だった。娼館で現れた女性が昔の恋人だった。女性たっての要望で友人同士がパートナーを一夜だけ交換する。
そんなアレウスにしてみれば、頭のおかしいことが日常のごく一部で起きている。鉱夫として働いていた時に嫌というほど聞かされた。
そして、女神を信仰しているはずの眷族でさえも性について語ってくる。これらは性について目覚めてしまったアレウスにとって都合の良いように働くのではなく、むしろ恐怖の対象にもなりつつある。
価値観が極端に違うことは、つまりアレウスの思う常識が通用せず、むしろ非常識と捉えかねない。そして、非常識な者を周囲の者は異質な目で見るのが世の常だ。その非常識が世界の常識になったとしても、それは非常識を説いていた者が死んだあとになる。
偉人の栄光は生きている内に得られることもあれば、死んでから評価されることもある。画家の描いたもの、見えるものが当時に評価されるのもごく僅かだ。そして、皮肉なことに死んでから作風を評価された画家の絵画は、そんなごく僅かに入り込んだ画家の生涯年収を越えた額で取引されることだってある。
アレウスは偉人でも画家でもない上に、栄光を掴んですらいないのに、自分自身がそちら側の人物として認識されているのではないかと疑っている。迫害や差別、虐げられるのは過去に受けたことがあっても、そう何度も味わいたくはない。
「邪念を捨ててから天秤で見定め直すのはどうだろう?」
「それは名案ね」
「支払いはギルド側が持つから、『異端』は今すぐ歓楽街に行きなさい」
「清廉潔白になって戻ってきたら、改めて話をするから」
「いや、むしろ汚れるイメージの方が強いんですけど。あと、そんなことをギルド側に負担されたくないです」
「でも心は少し傾いているわ」
「やはり、女体に触れてあれこれ試したいという欲望があるように見える」
「僕には心のプライバシーすら存在しないんですか……?」
そもそも、審判女神の眷族とこういった話をするのが間違っている。いや、どのような話であれ間違っている。こちらの嘘は全て看破され、そしてこちらの心は全て読まれてしまう。
「けれど、ジェーン? 歓楽街は成人していないと罰則があるはず」
「街長の目を盗めばいい。全てを取り締まるのは限界があるから、目を盗んでいる連中なんていくらでもいる」
「それは信仰を捨てることと同義」
「……確かにその通りね」
ギルド長の前では決して使わないような口調と単語を飛ばし合っているが、そこにアレウスが口を挟む隙はないようだ。
「困ったわね、いい加減にこの『異端』の行く先を見出しておきたいのに」
「ギルド長にとって利となるか、それとも損となるか。ハッキリしていないと扱いに困る」
「はっきりと扱いに困ると言うのはやめてください」
アレウスとしてはギルドに貢献しているつもりではあるのだが、信用はされても疑い続けられていることが分かる。口ではいくらでも信用、信頼という言葉を使うことはできる。だが、実際にその言葉通りであるかどうかは別問題だ。ドワーフの騒動から復讐鬼や『異端審問会』と関わりがあるという疑惑は晴れている。だが、獣人と魔物の周期襲来、合わせてナーツェの血統のエルフと異界。そして今回の悪魔騒ぎ。その渦中には常にアレウスがいる。それが懸念にならないわけがない。魔物の周期と悪魔騒動はシンギングリンを拠点にする以上は関わらざるを得ないことであったので、もしかたら懸念材料からは外されているかもしれないが、それでもアレウスの関わるところに異界が関わらないという証明は未だにできていない。
「あなたは異界関係専門の冒険者になりたいの?」
「できれば、そうなりたいですけど」
「……推すことはできない」
「でしょうね」
「異界に興味を抱く冒険者や研究者は多い。けれどその大半が帰ってこないし、帰ってきても精神をやられてしまっている。少数精鋭で順調に“渡り”を行えていたパーティは我々の知る限りでは片手の指で数えられるくらい」
「これは我々がギルド長に拾われる前のことだが、『勇者』も異界に関わったがゆえに、廃人になったとも言われている」
「あれに、それほどの魅力があるようには到底思えないのに」
「どう考えても利得となるようなことは一切ないというのに」
「「どういうわけか、危険を省みずに異界へ挑む者はあとを絶たない。あなたはなぜ、異界に拘る? 約束を抜きにして答えてみて」」
「……僕は僕自身の答えを探しています。そして、恐らくはこの世界にその答えはない」
「答えが異界にはあると?」
「それはあまりにも浅はかな考え」
「そう……浅はかな考えだとしても僕は、それが正しいのだと信じています。この世界にないものが、あの世界にあったなら……僕は僕の答えを見つけられる」
自身の生き様に刻まれているのに、誰にも読めないテキスト。アベリアから特徴を掴んで紙に書いてもらっても読めなかったテキスト。その答えを見つけ出さなければならない。
アレウスの答えに眷族の二人が顔を見合わせたのち、再びアレウスを見る。
「……ならば、我々はあなたに少しばかり意地悪をする」
「課題を与える」
「意地悪……課題?」
またか、と思う。
「一つは、『風巫女』の目覚めにおいて協力してもらうこと。これはルーファスのパーティに既に協力してもらうことになっているが、数は多い方がよく、そしてお喋りが得意な者は少ない方がいい」
「そして、その次にダンジョン探索」
「全五階層からなる中級冒険者の腕試しとも言われるダンジョンの地図を描き切ってもらう」
「これは異界のイメージトレーニングにも近い。死んで世界に戻れないわけではないが、死なないことを前提で全五階層を制覇してもらう。帰還の魔法を刻んだ巻物の使用は認めない。この意味が分かるか?」
「底まで、あるいは最上階まで登って、そこから出入り口まで戻らなきゃならないってことですか?」
行って終わりではなく、帰りが必要となる。
「その通り」
「だからあなたたちは全五階層ではあるけれど、十階層に挑むと思ってくれていい」
「そして最後に」
「「あなたたちが二つの課題を終えた頃には調査を終えているだろう、奴隷商人の流通破壊に参加すること」」
リスティにはその手のことには首を突っ込むなと言われている。突っ込んだなら、最後の最後まで手を出さなければならないからだ。顔を覚えられ、更には奴隷商人にとっての禍根を残せば、様々なところで裏からの介入が行われてしまう。だからアレウスは先ほどの裏への誘いも断ったというのに、眷族は嫌でも関わらせるつもりらしい。
「何故、僕たちなんですか?」
「「アベリア・アナリーゼ」」
「彼女がなにか?」
「羊皮紙に転写されたロジックはこちらも読ませてもらっている」
「彼女には隷属の過去がある」
「現在、調査している奴隷商人は、アベリア・アナリーゼの誘拐に関わっているやもしれない人物となる」
「だから協力しろと?」
さすがに耐え切れず、アレウスは立ち上がる。
「それは酷な話でしょう?! 僕はまだいい。でも、アベリアは奴隷だった頃を思い出したくもないはずだ! 彼女に奴隷商人の話を持ち出すのはやめてもらいたい!!」
自身の誘拐に関わった人物には、アベリアは会いたくもないはずだ。そして会ってしまえば、精神的に追い込まれて今のアベリアはいなくなるかもしれない。
「我々はアベリア・アナリーゼ――『泥花』の出自を知らなければならない」
「あまりにも才に溢れすぎている。これまでも『賢者』から始まりはしたが『神愛』、『風巫女』、『奇術師』のように膨大な魔力を抱える者の多くの出自は謎めいている。ロジックを見ても、把握ができない」
「法則性があるとすれば、その誰もが一時的に不幸を抱えることになったこと」
「でも、世の中に不幸を抱える者などいくらでもいる。その中でどうして、彼ら彼女らのような者が現れ出でるのかを調べなければならない」
「だから、アベリアが傷付いてもいいと?」
「最後の課題まで行き着き、務めを果たしたなら我々もギルド長に異界を渡ることを認めるように推そう」
「それを言えば、僕がなんでも肯くと思っているんですか? 絶対に受けません。そんなのは、絶対に」
アレウスは踵を返して部屋の扉を開ける。
「あなたは絶対に我々の要求を飲む」
「そのように、あなたの未来は我々には見えている」
歯が軋むほどに強く顎に力を入れ、怒りを露わにしながらアレウスは退室して扉を乱暴に閉ざした。




