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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第4章 -その手はなにを掴む?-】
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不自然さから見出す

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 理不尽な世の中を生きていたわけじゃない。ただ自分の環境に不満を持っていただけだ。

 なにかが得られるわけでもなく、なにかを得ようと思ったこともなく。

 漠然とした数年先を見据えながら、無味乾燥に生きていた。

 将来の夢を力強く言えたことはなく、抱いたところで叶わないと決めつけて放り出した。なのになりたい職業としてはいつも頭の中をチラついて、決して就くことができないと分かっていても、心の奥底から消え去ることもなく。

 だからといって、行動を起こしたことはなく、起こそうと思ってもなにから手を付けていいのかも分からなかったから投げっ放しにした。

 人付き合いはあまり得意な方ではなかった。運動神経が悪いわけではなかったが、なにかのスポーツに秀でているわけでもなく、平々凡々と、できることをできるだけやって、一生懸命に取り組んだことなんて一度だってありはしない。

 変わり映えのしない道を歩いている。いつまでも、どこまでも変わらない道を歩いている。


 きっと、ずっと、己はこの狭い世界から出られはしないのだろう。焦燥感はあっても、出ようと思い立つことは一度もないのだから。


 だったらせめて、真っ当に見えるように生きている方がいいのだろう。

 優しさなんて誰もが持っている取り得だけを頼りに生きるのは苦しいけれど。


 他の誰でもない己を投げ出したくはない。


「――は優しいんじゃないよね?」

「は?」

「優しいフリをして、優しくした対価を求めてる。優しさの裏側で、期待した顔をしてる。そんな甘い言葉に騙されたりしないから」


 じゃぁ、どうすれば己の優しさを認めてもらえるというのだろうか――。



 産まれ直す前のアレウスの記憶が脳裏をよぎる。当時に抱いていた諸々の感情が一瞬にして波濤となって押し寄せて、頭の中で激しく暴れ回る。

 なにがキッカケで記憶が刺激されたのかは分からない。だが、“優しい言葉”に引っかかりを感じたのだ。どうやら、産まれ直す前の自分も“優しい言葉”の裏側をよく知っているらしい。


 この世に産まれ直してから備わった感覚が――産まれ付きの感覚が悪魔の囁きに乗るなと警告してくる。生存本能ではない。言葉では説明することのできない第六感めいたものが、とにかく頭の中で「誘いに乗るな」と叫んでやまない。


 痛みの中で差し伸べられる言葉は、たとえそれが間違っているのだとしても縋りたくなるものだ。言葉は人を救うこともあれば、人を殺すこともできる猛毒だ。不意に出る言葉一つに様々な感情が乗る。しかし、乗せた側と受け取る側で情報に混線が生じると、本来の意図として伝わらないこともある。どれだけ気を付けていようとも、どれだけ気を配っていようとも、笑いを取るための言葉が場を凍り付かせ、軽く自虐しただけで強く同情される。だから、いつまで経っても人間は意図を汲み取り続けることを余儀なくされ、意図を汲み取り過ぎて苦悩する。


 痛みからの解放。悪魔の囁きはあまりにも甘く、なによりもアレウスが求めている言葉であった。


 だが、そのおかげで狭まった視野が一気に広がる。脳内を興奮物質が駆け抜けて、思考が弾ける。優しさの裏側を知っているからこそ、惑わされることなくトラウマで放り出していた全てを引き戻す。


 右の前腕に噛み付いて、過去の痛みよりも現在の痛みによって更に覚醒を促す。依然として気分は悪いままだが、痛みで動けない状態からは脱した。

「僕は甘い言葉なんかには騙されない」

 断言し、噛み付き跡から血が滲み出る。

「最初から優しく接してくる存在を僕は信じない」

 本音や建前とは違う。アレウスは、誰もが正しいと信じて疑わない神官に裏切られ、拷問を受け、異界に堕とされた。だからこそ、悪魔の優しく相手を信じさせようとしてくる言葉が、なによりもの痛み止めであり、トラウマから気を逸らすことができた。

『誰もが最初はそうやって断るんだ。けれど、人間は最後には俺に頭を下げる。どうか、力を貸してください、と』

 血は手を伝い、地面を濡らす。

『っ……! 人間が、人間とは異なる血を流している……だと? カール! あの大人はとても危険だ。俺たちの至福の時間を邪魔したエルフよりも先に始末した方がいい』

「契約を持ち掛けてきたクセに、態度を翻すのが早いな」

『人間じゃない血を流している人間……一体、どちらが悪魔なんだろうな』

「僕は騙したりなんかしない」

『詭弁だな。人間たちは騙し合いながら日々、生きている。強がり、欺瞞、怠慢、虚偽、虚栄心。その中のどれも持っていないような人間なんて見たことがない』

 風がカールを包み込む。

『だからこんな子供が悪魔に引っかかる』

 重低音の声が、段々と喜びながらも狂っているような甲高い声へと変わっていく。アレウスは表現しようのない腹立たしさを胸に抱きながらも、悪魔の言葉に一つとして疑問を抱いていないカールの突撃を防ぐ。

「こいつ、また俺の鎗を……!」

『焦らなくていい。俺がいるんだから』

 カールの刺突は熾烈を極めるものであるが、異界で争った亜人の爪ほどの脅威はない。ただ、最初の踏み込みが速すぎるだけだ。『盗歩』を身に付けているアレウスであれば、対応ができる。

 アレウスもまだ成人していないため子供のようなものだが、それでもカールほどの幼さは残していない。この場合の幼さとは、判断力、行動力、足運び、鎗の腕前といった冒険者の立場として見れる部分である。

 そう、カールの立ち回りはアレウスにしてみれば児戯にも等しい。しかし、考えてみればそれも当たり前のことだ。カールは冒険者ではなく、教会が預かっていた孤児なのだ。身を守る術は子供の域を出ず、武芸を学んでいたわけでもない。一年前に悪魔と契約し、強大な力を得てはいても、カール自身の能力自体はさほどの成長もしていない。

 なにがあったのかは知らないが、アレウスからしてみればカールはまだ甘い。体を傷付けられたわけでもなく、地獄を見たわけでもない。殺意を帯びていようと、単調な攻撃には捕まらない。

 カールを鎗ごと弾いたところで、ガラハがやや前進し、斧で十字の軌道を描く。カールは反応しなかったが、悪魔が飛来する十字の飛刃をその身を包んでいる風で打ち払う。

「ヴェインが立てるようになるまでオレが出る」

「頼む」

 悪魔の放った風によって、アレウスとガラハの会話が断ち切られる。必要最低限の情報交換で済ますことはできたが、問題はこの次にある。


 未だにアレウスとヴェインを襲った風の刃の出どころが分からない。効率を考えるのであれば、アレウスがカールと戦っている最中に悪魔が放つはずだ。片方に集中していれば精細を欠くのは当然のことで、悪魔がそこを狙わない理由が見つけられない。かと言って、カールの腕の動きに合わせて風の刃が放たれているのであれば、やはり鎗で攻撃している最中に放てばいい。風の刃が飛来したタイミングにも疑念が残る。

 こうして疑問に思うのは、悪魔とカール、そして風の刃の組み合わせがあまりにも雑に感じるためだ。呼吸が合っていない。絶好の機会からややズレている。だからヴェインは感知してアレウスを庇えた上に、首が飛ぶのではなく腕が飛ぶだけで済んでいる。


「お前は絶対に殺す」

 再びカールがアレウスの前に出る。刺突を避けなければならないが、その動作に移る最中に傍まで寄ってきているスティンガーが目に入る。カールの鎗を防ぐ、弾いたところで少し間を置いて妖精を手招きする。

「ガラハに了承を得てからで構わない。カールを抑えている間に、不自然な魔力の流れがないか探ってくれ」

 それを聞いたスティンガーが発光しながらガラハの元へと飛んでいく。その全てを見届けることはできず、アレウスは風を起こすカールの鎗を一度、二度、三度、四度と捌く。

 何度も鎗を振るっているにも関わらず、アレウスを傷付けられないことへの苛立ちを感じる。カールの思考がどこまで正常で、どこまでが異常かの判断はとても難しいが、こうした一面は年相応に見える。むしろアレウスの方が年不相応と言える。剣、短剣、短弓などを用いてはきたが、相手を傷付けられないことにここまでの分かりやすい苛立ちを表現したことはない。あるとすれば、『異端審問会』に対しての復讐心ぐらいだろうか。とはいえ、これはあくまでアレウスの自己分析だ。ひょっとしたら、仲間には戦っている最中も子供のような一面を晒しているのやもしれない。

 苛立つカールの鎗を払って、五歩ほど引いてガラハと交代する。戦斧の振り方は乱暴ではあるものの、鎗の捌き方は丁寧である。力はドワーフの方が勝る。そして、力任せに留まらない技術力も相まって、少年はアレウス以上にガラハとの対面を嫌っているように見える。

『感情的になっても仕方がないよ、カール。無理なら下がるんだ。ちゃぁんと俺が守ってあげるから』

「お前は喋るな」

 風が渦巻いている方へとアレウスは走り、目には見えない悪魔へ短剣を振るう。

『はははは、そんな剣で俺を切れると思っているのかな?』

 風圧で押し飛ばされそうになる体を、姿勢を低くしてその場に留まらせる。

「仲間を傷付けた罪は償ってもらう」

『俺みたいな悪魔に、なにを償わせると言うんだい? 言ってごらんよ、この悪魔に、ちゃんと』


 こいつはなにを言わせたいんだ?


 明らかな言葉の挑発に対して、アレウスはすぐには乗らずに冷静に思考する。売り言葉に買い言葉は世の常で、アレウスも結構な頻度で乗り、そして乗らせる。しかし、今回は違和感が先行した。

「……お前をこの世から消し去ることで償えるだろ」

『お前だなんて言わないことだ。俺は悪魔だろう?』


 不自然さが残る。

「ガラハ、まだ凌げるか?」

「先日の異界獣に比べればいくらでも耐えられる」

「ならもう少し頼む。あと、これ以降は僕が良いと言うまで絶対に喋るな」

 返事はない。これは了解を得たと考えていいだろう。ガラハは言葉ではなく態度で表すことが多い。もうアレウスが言ったことを実行に移している。

「三人とも、あいつを名称で呼ぶな」

 アレウスは後方にいる三人に簡潔に伝える。

「どうにも、僕にそう呼ばせたいみたいで何度か挑発をしている。呪言や魔法と同じだ。あいつの風の刃は、その言葉で発動する。無差別にはできないんだろうな。範囲ではなく、単体で狙うことしかできない。カールと協力すると、そういった制限が解けるが、鎗の範囲に上乗せした距離にまで縮む。だから、あいつを名称で呼ばないことと、カールが言霊を唱えた時だけに注意する」

 ヴェインの腕の縫合が終わる。

「でも、あいつは気に障ることを頭の中に投げかけてくる。僕たちは注意していても会話の中でつい、使ってしまうかもしれない。だからここからは、言葉じゃない合図で乗り切る」

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