次を考える
迷いがあるのはカールが子供だからという理由だけではない。たとえば、魔物や純粋な『異端審問会』であったなら、一切の情念は湧かない。それは純粋に悪だと断言できるからだ。『異端審問会』のやっていることは人道に反しており、魔物は人間を襲う化け物だ。倒さなければ世界に被害が広がっていく。それらを止めるためならば刃を向けられる。『異端審問会』は人種の集団だが、そこで躊躇いは起こらない。殺すと決めた以上は殺す。殺さなければ殺されるという極論なのではなく、アレウスの中にある復讐心は、奪われたものを清算するまでは燃え尽きない。
要は善悪にある。魔物や『異端審問会』は悪であるが、カールは果たして悪だろうか。悪魔に惑わされた先に殺意を見出し、今、ここで悪意と殺意をばら撒いているのだとしても、悪魔と接触する前のカールは悪と呼べるような子供だったのだろうか。
教会の孤児たちが語り、そして慕われているカールは善としか思えない。だが、冒険者を数人ほど殺しても怒りから表情を一つも変えようとしない少年は、悪に見える。善悪の区別は独断と偏見でアレウスもつけてきたつもりだが、こればかりはまだ決められない。
だから弱気な指示になった。こうして距離を測りながら、体を動かしながら自身の言ったことを思い返すが、あまりにも中身がなかった。どうやって近付く隙を作るか、どうやれば注意を惹くことができるか。戦略や戦法、そして仲間の配置すら告げていない。前衛と中衛、そして後衛。これらを怠ってしまった。
陣形の乱れはパーティの崩壊に繋がる。一見して、パーティとして動けているように見えても、それは仲間が自己判断で位置取りを決めているからだ。指示されずに決めた隊列、陣形は常に苦しみに満ちている。リーダーの判断で決めた立ち位置ではないために、あらゆることに判断、責任、犠牲が付き纏う。本来ならそれは、慣れているアレウスが背負うべきものだ。責任の分散と言えば聞こえはいいが、その実、一番重要な部分の責任を誰が担当するかが決まっていないために、責任の押し付け合いが生じてしまう。
「次を考える! 一旦、組み直すために、とにかく攻撃を凌げ!」
動いてしまった以上、この一連の流れ、そして動作は止められない。止めてしまえば逆に狙われやすくなる。自然に動けている内に、次の動きへの指示を出す。一回の流れで困惑を断つ。現状ではこれが精一杯となる。
しかし、仲間にしてみればそれこそが求めていた言葉となる。困惑と不安の中で動かしていたところに与えられる「次」という言葉は、生存本能を奮い立たせる。それはアレウスへの強い期待が成すものだ。今の流れを凌げば、次からは思考の先で導き出された戦略や戦法について語り合え、自身に役割が与えられる。たとえそれが的確な指示とは程遠くとも、納得した上での行動が起こせる。アレウスの言葉は一番重要な責任と、それ以上の物を背負うという覚悟の言葉である。それはアベリアのみならず、彼に誘われてパーティに入った誰もが共有していることだ。
「馬鹿みたいに突っ込まないでよ、ガラハ」
「エルフの割には口が悪い。オレのスティンガーの方がよっぽど清楚だな」
「ヴェイン、悪魔を祓うのは分かるけど前に出過ぎだと思う」
「ああ、どうやら焦っていたみたいだ。アベリアさんに言われるまで気が付かなかったよ」
各々の判断に、仲間のアドバイスが加わることでパーティの統制が辛うじて取れている。しかし、アレウスだけは例外である。困惑させてしまったツケとして、仲間から声を掛けてもらえない。拒否されているのではなく、みんなはアレウスのことにまで気が回らないのだ。自分たちに指示を出したのだから、アレウスは冷静に状況を見ており、そして焦らずにカールから行われるであろう攻撃を決して受けはしないと信じられている。次を約束した以上は、自力で乗り越えなければならない。
『迷うことはないよ、カール。俺はいつだって君の味方さ。君がなにをやろうと、絶対に見離したりなんかしない』
風の鳥が周辺を飛び回り、続いてカールの傍にまで戻る。
『少し厄介な気配を感じる。俺たちの仲を引き裂こうとする意地汚い大人の気配だ』
「どこだ?」
『あっちだ。カールなら、分かるだろう?』
アレウスは足を止め、警戒姿勢に入る。エウカリスとは異界で僅かな間、稽古をつけてもらっただけに過ぎないが、その経験から以前よりも低い姿勢を取れるようになった。懐に入っての剣戟を主とするので、この姿勢の方が合っている。ただし、短剣ではなく剣を持つのなら、ルーファスとの稽古時の姿勢が望ましいだろう。要は武器によって姿勢の変化を身に付けた。姿勢の変化は攻撃、防御、回避の変化に繋がる。使い分ければ相手を攪乱しやすくなり、同時に魔物の本能から外れたところから一撃を与えやすくなる。異界獣のヴァルゴにも通用した『獣剣』はこの姿勢で行使できた。まぐれではなく、確実な『技』として手に入れるためにも積極的に変化は盛り込んでいきたい。
しかし、低めの姿勢を取ったのは隙を見つけて懐に飛び込む余地が生まれたからではない。回避を主体とし、集中力を高めるためだ。なによりも、カールの視線はアレウスにではなく、別方向――僧侶の集団に向いている。
「“鐘の音”!」
ヴェインが過去に用いた祓魔の術のように、鐘の音が響く。しかし、ヴェインの用いたものよりも音色は小さい。つまり、これは単体にのみ効果のある魔法だ。ヴェインのそれはもっと大きな音色で広範囲の悪霊全ての動きを止めていたはずだ。
カールは鐘の音を聞いて、僅かだが表情を歪めた。そこから推測すれば、恐らくは音色に苦しんではいた。だが、すぐに元通りの殺意に満ちた表情に戻った。動きが止まっていたのは二秒ほど。ほぼ効果がなかったようにしか見えなかった。
「馬鹿な……!」
「俺に鐘の音は聞こえない。聞こえるのは、風の音だけだ」
『そうだよ。風の音だけを聞いていればいいんだ。でも、少し不安ではあったよ』
「気にするな」
戸惑う僧侶の方へとカールが地面を蹴って、急接近する。アレウスがアベリアに重量軽減の魔法を受けていても、絶対に届かない距離、そして跳躍のような移動に目を疑うことしかできない。
アレウスよりも身長からして年齢は下に見える。しかし、そんな少年がアレウスの持っている能力の全てを上回っている。まだ刃を交えてはいないが、鎗と短剣ではリーチの差で圧倒的に敵わない。だから、速度で勝って掻き乱す。そのように戦法を構築しつつあった。だが、僧侶へと瞬く間に近付いたあの速度を見てしまっては、その戦法はただの自殺行為にしかならない。
「いや、それよりも」
カールを止められない。アレウスの位置から僧侶の集団までは距離が開きすぎている。アベリアが咄嗟にアレウスへ魔法を唱えていても、この距離では助けには入れない。
「俺たちを騙した大人たちを蹂躙する!!」
鎗を振るう構えを取る。
「我が名において宣告する。“振るうこと能わず”」
カールの腕と鎗が止まる。しかし、足は止まらない。その奇妙な体の感覚に危険を感じたのか、少年は僧侶の集団を薙ぎ払うことを諦めて、またも異常な跳躍で後退した。
「明らかに危ない雰囲気が漂っていたもんね。念のため、先に線を築いておいて正解だった。呪言に守られたのは僧侶にとっては憤死ものかもしれないけど」
姿勢を解いたアレウスの元にクラリエが走り寄ってくる。
「悪魔が最も警戒するのは僧侶、祓うことができるのも僧侶だし、守らなきゃ……駄目だった?」
「確認する必要があるか? クラリエのやったことで、少なくともあの僧侶たちは助かった。そして、助かったおかげでまだ絶望的じゃない」
僧侶一人だけで、魔人に近しい悪魔憑きには敵わない。それは先ほどの祓魔の術を払い除けてしまったカールを見て分かった。ヴェインだけを頼るのではなく、この場にいる全ての僧侶が一丸となって唱えなければ、きっとカールと悪魔は止められない。
「おかげで、こっちに敵意が向けられているけどな」
魔物と同列に考えるとするならば、これでカールと悪魔が殺すべき優先順位をアレウスたちへと変更しただろう。彼らにとっての最高の瞬間を妨害されたことで、特にクラリエはしばらく狙われ続けることになる。
「今ので次に移ったって考えていい?」
アベリアが急ぎ足でやって来る。
「次じゃなくとも、エルフに殺意が向いている。無理にでも、次と考えろ」
「アレウス、俺はどうすればいい?」
攻撃を凌いだと言えば凌いだ。パーティは崩壊していない。それどころか、僧侶たちも殺されなかったのならば、最高の結果が出ている。
「集中的に狙われるクラリエを一番後ろに置く。その隣にアベリア、中衛にガラハ。前衛は僕、半歩引いた隣にヴェイン。僧侶を前衛に置くことで、悪魔憑きが接近しにくいように見せる。ガラハを中衛に置くのは、僕とヴェインの合間を抜けられた時にアベリアとクラリエの盾になってもらうためだ。とにかく、クラリエへの強い殺意が途切れるまではこの隊列、陣形で行く。絶対に悪魔憑きを正面に捉えるように位置取りを調整してほしい」
隊列や陣形を組んでも、対象と正面から当たらなければ機能しない。そして左右を取られてしまえば、前衛と後衛の概念も無駄になってしまう。
「俺は悪魔の類が扱う力を跳ね除けられるように装備に魔力を流すけど、冒険者を薙いだ一撃は受け切れない。あまり前衛としての立ち回りを期待はしないでくれ」
「隙を見つけるまで粘るだけだ。ここで突撃するのは無謀が過ぎる」
悪魔憑きがどのような力を持っているのか。アレウスはまだ測り切れていない。もしも、魔法のように悪魔の力も種類があるとすれば、薙いだ一撃以外にもカールは幾つか『技』を持っていることになる。アレウスたちの考える『技』と異なるのは、“必ず殺す技”と呼んでしまっても差し支えないほどに強力で兇悪な点だ。
「『必殺技』って、懐かしい言葉だな……」
産まれ直す前の記憶では空想に過ぎなかったものが、ここでは現実として目の前に立ちはだかっていた。




