単独行動は選択の外
実を言うと、アレウスは警鐘が鳴る直前まで僅かな期待感を抱いていた。アベリアがシーツを剥ぎ取ったのは、なにかを感知したのではなく自身に覆い被さって、なにかをするためではないか、と。だが、そんなものは幻想であり、同時に男の欲望がもたらす妄想に過ぎない。
アベリアがすぐに外出の準備を始めたのに対し、アレウスが呆けていたのはそのせいだ。それでも警鐘は未だに鳴っているので、すぐに我に返ってアベリアに少し遅れて支度を済ます。
「まだ出るなよ?」
「どうして?」
「街の警鐘が鳴らされた時の各々の行動は決められているんだ。一人でも決められた行動を守れなかったら、全体の統率が乱れる」
「冒険者は外に出ちゃ駄目なの?」
「そうじゃない。街の警鐘を鳴らすのは駐屯兵だ。そこから兵士がギルドに状況を通達して、冒険者が動くべきか否かが決まる」
他国からの進撃、侵略、襲撃であるのなら冒険者は関わることができないため、街の人々の避難のために動かなければならない。だが、兵士にも手に負えない魔物や異界関連の事態であるのなら、冒険者として街を守るために動く。
どちらであるか分からないままに外に飛び出して、国家間での『戦争時に冒険者を投入しない』という暗黙の了解を破ってしまえば、均衡が崩れて、世界中の冒険者を巻き込んでの大戦へと発展してしまう。緊急時ではあるからこそ、冒険者として規律を遵守しなければならない。
「ギルドから冒険者の活動許可が下りたら、音色の違う警鐘が鳴るはずだ。その鳴っている方角に向かう」
「それまで待機?」
「待機だけど、ヴェインから貰っている魔よけの札は貼っておくか……」
「人体にも効果あるのかな?」
「ないよりはマシだろ」
「うん」
アレウスとアベリアは服の上、その左肩付近にヴェインから貰った魔よけの札を貼りつける。これにどれだけの意味があるのかは不明だが、赤い月の夜に出なければならなくなってしまった。気持ちの拠り所にはしておきたい。
「……鳴った。さっきよりもずっと高い音。この音は?」
「魔物の襲撃だから、冒険者による討伐要請だ」
アレウスは家の鍵を開け、アベリアがまず外に飛び出した。彼女が見えなくなる前にアレウスは鍵を掛け直し、あとを追う。こんな時に鍵をかけている場合ではないが、火事場泥棒を行う連中はいるため、自衛はしておかなければならない。アレウスたちの使っている借家は見るからにお金がなさそうで、自分たちもお金に余裕が決してあるわけではない。それでも、明日を生きる見通しすら立てられない浮浪者の中の、特に孤児たちは家を見て物盗りをするかしないかは決められない。入りやすそう、盗りやすそうで決める。そして、自分たちは絶対に失敗しないと思っている。だから相手が冒険者であろうと、それこそ貴族であろうと物を盗ろうとする。身の程を弁えずに行ったことで、自分の生き様がそこで終わるとも思ってはいないのだ。
今回の警鐘で、どれだけの浮浪者が物盗りを行うかは定かではないが、権力者の手によって殺されるような未来がないことを願うしかない。
「アレウス君、アベリアちゃん!」
やや息を乱しながら、クラリエがアレウスたちの前に姿を現す。
「全速力で?」
「あたしが借りている部屋からは割と近いから。それに、一人よりも複数人で行動した方がいいでしょ?」
もっともな意見だが、ここまで迅速に来られてしまってもどう指示を出せばいいのかも分からない。
とにかく、ヴェインやガラハとも合流することを第一に走り出そうとした三人の耳に、鐘の音が届く。
「警鐘?」
「違う。これは教会の鐘の音だ」
クラリエが呟いた疑問にアレウスが即座に答える。警鐘であればもっとけたたましく、そしてどこから襲撃があったのかを知らせるために一方向からに留まる。だがこの鐘の音は街の東西南北に限らず、複数の地点から聞こえている。
「街にある全部の教会が鐘を鳴らしているのは、やっぱり悪魔憑きかな?」
教会の鐘にはいくつもの意味があるのだが、この世界においてはその神聖な音色によって霊的な存在、あるいは悪魔の類を寄せ付けないようにする。街の教会の鐘が全て鳴るのなら、街の中へ人々をおびやかす存在を入れないために抵抗しているか、もしくは既に侵入してしまった存在に対して必死に抵抗しているかのどちらかだ。
「ガラハは大丈夫?」
アベリアが不安そうに口にする。
「あいつにはスティンガーがいる。悪魔が近付いたら教えてくれるだろ」
それよりも問題なのは、このような緊急事態において、集合場所を決めていなかったことだ。冒険者のパーティとして行動するために時間を合わせ、ギルドの前で集合したりもしていたが、今回は勝手が違う。クラリエはその俊敏さで真っ先にアレウスたちの家の前までやって来たが、ガラハとヴェインにはそれができない。クラリエが現れてくれたからこそ家の前で留まっているが、もしそうでなかったなら、既に家の前で佇まずに街中へと飛び込んでいた。そうなれば騒乱と混乱が起こっている中では合流することは不可能だ。
「このまま僕たちの家の前で待っていてもいいが」
アレウスは警鐘の鳴っている方角を眺める。
「ここで集合してから現場に向かうと、よけいに時間がかかる」
「じゃぁギルドの前は? あたしたちは冒険者なんだから、そこに来るって二人も分かるんじゃない?」
「街のいる冒険者の大半はギルドの前で集まっているだろうから、その中からヴェインとガラハを探さなきゃならない」
冒険者であれば、ギルドという場所が全ての仲間にとっての情報共有の場所となる。この警鐘を聞いて飛び起き、行動に移り始めた冒険者はまず仲間との合流を果たすために最も分かりやすい場所――ギルドに足を運んでいてもおかしくない。
「ならどうするの? 二人はジッとしていないよ、きっと」
ここの判断はとても難しい。どこに行けば確実に二人と合流できるのか。行くべき場所を間違えれば、別行動を強いられる。ヴェインとガラハが単独行動を取っているのなら、どうにかして見つけ出さなければならない。
アレウスたちは経験が足りない。単独で動けるほどの冒険を積んでいないからパーティを組む。上級冒険者であっても単独で動けるのは一握りのはずだ。単身、異界に飛び込んだクルタニカも、絶対に死なない自信を抱いていたからこそ、ルーファスの指示を呑んだ。
だから、『至高』の冒険者との線引きはまさにパーティを組むか組まないかにあるのではないかとアレウスは思う。身を守る術を有していても最善と安定を求め、あらゆる冒険者はパーティを組む。だが、耳にした限りでは『至高』の冒険者はその限りではないのだ。
たとえば、『大賢者』や『賢者』と呼ばれているイプロシア・ナーツェ――クラリエの母親は百ヶ所目のゲートを作ると言って姿を消した。死んだかどうかも分からない。それでもギルドは生きている前提で物事を進めている。行方知れずであっても、生きているに違いないと思わせるだけの実力を持っており、単独で動かしても死なないだろうという判断があったに違いない。
「急がなきゃだよ、アレウス? 考え事は後回しにして」
アベリアがアレウスの表情から、思考の渦に呑まれていることを察し、急かしてきた。
「ヴェインは敬虔な僧侶だ。ガラハは教会と神官を嫌っている」
「うん、だから別行動をしているかもね」
「だとしても、ガラハは自身の感情論だけで行動を決めるようなやつじゃない」
冒険者なら警鐘の鳴っている方角に向かう。ガラハも真っ先に向かうだろう。だが、ヴェインは慎重さを持っている分、すぐには向かわない。パーティの中で『赤い月』を最も怖れ、魔よけの札を用意していたくらいだ。
「警鐘が鳴っている方角にある、一番最寄りの教会に行く」
アレウスは二人に目的地を告げる。
「教会?」
「行きながらでいいから、あたしたちに説明してくれる?」
留まって話をしている暇はない。なので、アレウスの言葉をまずは否定せずにクラリエが走り出した。アレウスとアベリアがそのあとを追う。彼女の身軽さならばもっと速く走れるはずだが、速度を合わせてくれている。
「ヴェインは敬虔な僧侶だ」
「さっきも言っていたから、もっと深く説明して」
「教会の鐘が悪魔を追い払うために鳴っているのなら、ヴェインはそこが最も安全であることを知っている。ガラハはああ見えて結構、慎重なところはあるが、事態の鎮静のためには現場に向かうのが最良だと判断して動いていると思う。でも、単独行動が危険なことは苦い経験から痛いほど分かっている。そのまま突き進んでいいだろうかと疑問を抱いて走る。その時に、ヴェインの言っていたことを思い出す。赤い月、悪魔、そしてそれを追い払うための鐘の音色」
「ヴェインは赤い月を知っているからこそ、その日に起こる事態への対策を常々に考えているかも?」
「ああ」
アベリアの問いに肯く。
「ヴェインだって前線には向かいたい。でも、赤い月で最も注意すべきは悪魔にかどわかされることだ。だとすれば、前線に近い教会に身を寄せる。僧侶として教会に寄って、そこで指示を出しているか指示を出されているか」
そもそも、ヴェインが悪魔憑きになる可能性は限りなくゼロに近いのだが、本人はその事実を知らない。避ける行動を取るだろう。
「僧侶として活動しながらあたしたちの到着を待っているってことか。ガラハもヴェインがいると思って教会に立ち寄るかも」
クラリエは得心が行ったらしく、走る速度を上げた。アレウスとアベリアもできる限り、彼女の速度には合わせたが、やはり追い付けそうもない。
「教会に行く前に現場――前線の状況を見てきてほしい。僕たちはなにが起こったって一番最寄りの教会に行くから」
そこにヴェインとガラハがいないとしても、クラリエが孤立しないことを伝える。
「分かった。教会で会いましょう」
景色に溶けるようにクラリエは消えて、気配もアレウスでは感知できなくなった。
「気配を消せる偵察っていうのはありがたいな」
「今までは二人でやっていたから。でも、相手が人種だったら控えさせないと駄目」
「魔物に比べて、冒険者でなくとも技能を持っている場合があるからだろ? 僕では感知できなくても、敵……とは言いたくはないが、とにかくそういった敵側の人種が感知できるかもしれない」
『影踏』のような者がいたなら、一発でバレてしまう。クリュプトン・ロゼは分からない。『影踏』の気配は感知できていたが、クラリエの気配については感知できていないように見えた。ムラがあるのか、特定のなにかだけを強く感知できる技能があるのか。とにかく、『影踏』は同じ冒険者だが、これから『影踏』のような相手が現れないとは言い切れない。これからも変わらず、慎重に慎重を重ねていかなければならない。
やや息を切らしつつ、アレウスたちは教会に到着する。門扉は閉じられており、ただただ鐘だけが鳴らされている。こじ開けて入ってもいいが、侵入者対策を取られていたなら殺されてもおかしくはない。
「アベリア、頼む」
「えー……私だって神官は嫌いなのに」
「でも、お前じゃなきゃ信用が得られない」
「……うん」
アベリアは神官の外套を纏っている。門扉に取り付けられている輪っかを握り、それを用いて扉を叩く。数回繰り返すが、反応がない。
「悪魔対策で扉を開ける気がないな」
「中に二人がいるなら、気付いてもらえるかも」
そう言ってアベリアは「満たせ」と呟き、衣服に魔力を流す。
「なにをする気だ?」
「“光”」
魔法で生み出された、眩しすぎる光球が宙を漂い、教会の備えられている窓から中へと光を送る。
「分かるもんなのか?」
「魔法にも人それぞれ、癖がある。異界でヴェインは私の魔法の光を見ている。中にいるなら、絶対に反応するはず」
本当なのか、と半分ほどしか信じていなかったがアベリアの放った光球のおかげが門扉が恐る恐る開かれる。
「やっぱり、アベリアさんだったのか」
扉の隙間からヴェインがアベリアとアレウスを見て安堵の息をついた。
「大きくは開けない。滑り込ませるようにして入ってくれ」
人が一人、なんとか入れるくらいにしか扉を開いてはくれなかったが、とりあえずは迎え入れられる。二人を教会内に入れてから、ヴェインはすぐに扉を閉じた。
「こじ開けていたらどうなっていた?」
「そこの」
ヴェインが指差した方向にはガラハが立っていた。
「とても頼りになる用心棒に殺されていたかもしれないね。なにせ、入ってくる者は全て悪魔と疑わなきゃならない」
「僕たちが悪魔じゃないと判断したのは?」
「アベリアさんの光を放つ魔法は、なんと言うか、俺が見るような光球よりも輝きが強いんだよ。悪魔は光を放つような魔法は使わないとされている。ギルドにある資料でも光を扱う悪魔を見たことがないとなっている。だから本物だと分かるんだ」
「僕は?」
そう訊ねると、ヴェインが小さく笑った。
「アベリアさんが一人で来るわけがないし、君がアベリアさんを一人にするわけもないだろう? 片方が本物なら、もう片方も本物。君たちは、二人でいることで本物の証明をしてくれているんだよ」




