表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第4章 -その手はなにを掴む?-】
172/705

警鐘

【赤い月】

 ドワーフの間では「月に赤い花が咲く」という意味で「月花」。エルフの間では「月の赤」を略して月赤と呼ぶ。ドワーフは魔の叡智に触れられず、霊的な、或いは悪魔的なものを感じ取る能力が低いため、どちらかと言えば優美なイメージを抱いている場合が多いので花に喩えているとされている。

 ヒューマンの間では「赤い月」が通例。星辰、その他の占い師によって予知される凶兆であり、その日の夜は月が真っ赤に染まる。赤くなる原因は突き止められてはいないが、この日は悪魔が降りる日とされており、真夜中の外出を固く禁じる村々がほとんどである。占い師や祓魔(ふつま)の心得を持つ僧侶の魔よけの札を扉や窓に貼る習慣を持つところもある。


【悪魔憑き】

 悪魔の言葉に惑わされ、かどわかされてしまい、肉体の自由を奪われた者は悪魔憑きと呼ばれる。精神的に束縛をされはしないのだが、大半は悪魔に思考すらも奪われる。進行度合いによって対応が変わり、極めて初期の段階であれば祓魔の術やお札が効果的であり、一度や二度の術で悪魔を追い払うことができる。中期になると専門の祓魔師か僧侶の助力を得ての霊的なものを排除する――除霊が必要となる。後期となると祓う術は無いに等しく、肉体を奪われた者と悪魔ごと祓魔の術で殺さなければならない。

 呼び名も状態によって変化し、悪魔憑き→魔人→悪魔である。後期をそもそもの悪魔と同列に呼ぶ理由は、“既に人の領域を越えて、完全に悪魔と同調してしまった状態”にあるため。とはいえ、中期の魔人ですらも冒険者の手を煩わせる存在となる。

 悪魔は成長期の子供を狙う。純粋で、目の前に現れた存在を信じ、そして言葉を鵜呑みにしやすく憑りつきやすいためとも言われているが、肉体の成長が活発な時期に同調することでより強力な魔人となるためではとも言われている。事例は多いが、大半が魔人になる前に悪魔祓いによって処理されるため、検証例が少ない。


 悪魔憑きは総じてロジックの書き換えに強い抵抗力を持っており、神官では対応が難しい。だが、教会に助けを求められることが当たり前となっているため、教会では祓魔の術を心得を持つ祓魔師や僧侶も常駐させている。

「川の方はそう時間をかけずとも、自然に回復はしていくだろうな」

 夕陽を眺めながらアレウスは、疲労を誤魔化すように声を発する。

「川の三作用のこと? 侵食、運搬、堆積?」

 アベリアが鞄の中にある聖水の入った小瓶を使い果たしたらしく、やや途方に暮れながら返事をする。

「ああ。川そのものが常に穢れているわけじゃなく、上流から綺麗な水が流れているから浄化作業と合わせれば、すぐに利用できるようにはなるはずだ」

「でも堆積の作用もあるから、下流は酷いことになるよ。特に土壌汚染が深刻になる。中流域をあたしたちが使っているからって、下流の事情を無視するのはどうかなって」

 クラリエの問題提起にはなにも言い返せない。確かに自分たちだけが利用する流域だけが綺麗になっても、完全に浄化されたとは言えない。

「川であろうとなかろうと、堆積が課題になる。聖水による浄化がどの程度、効果があるのかオレはあまり知らんからな」

「まぁ、アレウスの言うところも分かるよ。侵食の作用があるなら、汚染された土壌にも川に撒いた聖水が届けられるから、河川周りはクラリエさんが危惧したほど酷いことにはならないと思うから」

「なら、一番大変なのは河川から遠い土壌ってことか。だからあたしたち、ずっと草原に聖水を撒いているのね」

 草花が枯れる前に浄化を済ませないと、草原から荒野に変わってしまう。聖水がどれだけの範囲に及ぶのかは不明だが、人手の多さに比べて撒かれる聖水の量は微々たるものにしか思えない。それでも一定の効果が得られるからこそギルドが冒険者に依頼を出しているのだろう。

「他のところの浄化作業でどれだけ穢れを浄化できたのかを教えてもらってないから、いまいちやっていることが正しいのかが見えないのが、疲れを加速させている原因か」

 だが、聖水がなくなったのだから今日はここで引き上げなければならない。アレウスはともかくとして、ヴェインは日が沈むまでに帰りたいという意思が先ほどから垣間見える。

「今日の作業を終えて街に戻っている人もちらほらいるから、ここまでだな」

 気持ちとしては切り上げたくはないのだが、聖水がないのだから仕方がない。なにより、赤い月を気にして作業をしても効率は落ちる。眠気も効率を悪くする要因になる上に深夜に作業して、魔物に襲われたくもない。

 アレウスの血を撒いて魔物除けにするのも手なのかもしれないが、聖水が撒かれた土壌では機能しない可能性もある。

「悪魔が出る前に撤収しよう」

 最後に口にしたその言葉に、誰も文句を言うことはなかった。


 街道を伝って街へと帰り、ギルドで経過報告を終えたあと、ヴェインが自前で用意した魔よけの札をアレウスたちに配る。

「俺が祓魔の術を使えるのはしっているだろう? これは形だけじゃなく、ちゃんと機能するものだ。まぁ、俺はまだまだ未熟者だから二日か三日で効力を失うけど、その期間は幽霊だろうと悪魔だろうと寄せ付けはしないよ」

「悪魔すらもか?」

「回復魔法は自分で学んだけど、祓魔のあれこれについては、実家の方で教えてもらっている。僧侶の才があったのも、結局は血筋って部分も大きいけど、こういうときはそれにあやかれるのがありがたいよ」

「ありがたいのはこっちの方だ。使わせてもらう」

「ああ、使ってくれなきゃわざわざ作った意味がないからね」

 そして、ギルドの前でパーティは解散となる。


「赤い月は、異界でもたまに見る」

「そういえばそうだったな。太陽の色なんかもおかしかったりする」

 昼なのか夜なのかも分からない洞窟の生活の中で、中途半端な太陽光が異界を照らしていた。あの頃のことを思い出すと、やはり気分が悪くなってくる。今日はひょっとするとよくは眠れないかもしれない。

「なんでわざわざそんなことを言ったんだ?」

 嫌な気分になるのはアレウスだけでなくアベリアも同じはずだ。なのに異界の頃を思い出させるようなことを言ったのは、なにか意図的なものではないかと思った。

「悪魔が降りる日って、魔物が異界から出てくる日なのかも」

「……あり得ると言えばあり得るのか」

 世界の魔物の個体数がどれほどなのかは分からない。増えているのか減っているのかも曖昧で、ギルドでもきっと答えは出ていない。実際、冒険者という仕事がなくならないのは魔物の数が未だに減少傾向にないからではないかとも窺える。減っているのならギルドでも徐々に冒険者の足切りを行い、少数精鋭に切り替えるはずだ。なのにアレウスたちが受けた試験は毎月、しっかりと行われていると聞く。

 一日に一定数が異界から現れるのではなく、ある特定の日に全ての異界から一斉に湧き出てくる。もしそうだとするのなら、赤い月が生じる理由を探さなければならない。

「理由、理由……理由か。街を襲うために多くの魔物が獣人と共にやってきて、カプリースのアーティファクトの餌食になった。世界に蔓延る魔物の数が全体的に減ったから、一定数が世界に投入される……とかか?」

「分かんない。でも、そんな概念があるのなら、狂っているのは異界じゃなくて世界の方」

「……どうなんだろうな」

 あくまで憶測に過ぎないため、ギルドに報告するわけにもいかない。どうせ中級冒険者の妄想など聞く耳を持たないだろう。それよりも重要なのは、この赤い月を乗り切ることであり、同時になにも起こらないことを祈ることである。


 日が沈み切る前にアレウスとアベリアは借家に入り、ヴェインから貰った魔よけの札を扉に貼り付け、鍵を掛けた。窓にも貼って、雨戸を閉じた。家の中は暗くなってしまったがアベリアが先に用意してテーブルに置いたランタンの灯りを頼りに、夕食の準備に入る。アレウスが調理を行っている間にアベリアは家中のランタン全てに火を移して回っていた。

 夕食は野菜のスープに干し肉を加えた簡単な物だが、アレウスの味覚としては塩分をやや強めにした。日中の水分補給だけでは、体から排出された塩分をしっかりと取れていたとは言い切れない。濃い味付けにはなってしまったかもしれないが、明日も同様の作業をやることを考えれば、ここで塩分は摂取しておきたい。野菜スープだけでは物足りないかもしれないので、朝食時に残していたパンも出し、リンゴにハチミツを絡めたものをデザートとした。


 アベリアが祈りを捧げ、アレウスが「いただきます」と言って、夕食を摂る。


「報奨金が出たら食材を買う?」

「質素ではあっても、喰えてはいるからな。そりゃちょっとぐらい高めの料理を食べてみたいとも思うけど、防具や剣を新調したい。アベリアも、良質な繊維でできたローブの方が魔力の流れはよくなるんだろ?」

「うん。もしかしたら、魔法を唱える前に『満たせ』って言わなくてもよくなるかもしれない」

「服装で変わるものなのか?」

「金属質なものより、肌に触れやすい布製の方が、魔力を感じやすいし魔力を流しやすいから」

「でも鎖帷子は着ろよ?」

「言われた通りにするけど、クルタニカは着てないらしいよ?」

「死ぬ恐怖よりも魔力を感じ取る方が大事なのかもな……アベリアもそうするか?」

「さっきは着ろって言ったのに」

「いや、僕の判断でアベリアの成長を妨げていたら嫌だなって」

「私は、どんなに強くなっても最低限の防護用の物は身に付けておきたい。魔法に自信はあるけど、それだけで自分自身を守り抜ける自信はないから」

 鎖帷子がもたらす防御力など、微々たるものだ。しかし、小型の魔物との戦闘においてはその微々たる防御力が機能する。小型の魔物への対策に手を抜いて、中型や大型の魔物を倒そうという考えはどちらかといえば浅ましいようにアレウスは思う。アベリアもそのように思ってくれているとありがたいが、それはアレウスの願望に過ぎない。彼女の好きなようにしてもらうことが一番、生存率を高めるのだから。


 食事を終えて、二人で皿を洗ったあとに就寝の準備に入る。アベリアから入浴し、アレウスはその間に歯磨きを済ます。ここはいつもと変わらない。変わっているのは入浴時に用いるのがお湯ではなく水という点。風呂釜は外だ。出るのを控える以上は、水風呂が望ましい。まだ残暑の続く日で良かった。これが寒い時期であったなら、水風呂に入れば風邪を引いていることだろう。

「普段、こんなこと考えもしていなかったはずなのにな……」

 赤い月はこれまでの生活でも何度か訪れていたはずだ。だが、そんなこと気にも留めないでこれまでいつものように風呂釜でお湯を沸かしていたはずだ。

 意識し始めればするほどに慎重になってしまう。思い込みが強すぎるのだろうか、それとも警戒心がそうさせているのか。なんにせよ、これまで運が良かっただけと考えるべきだ。誰もが対策してきたことをしていなかった。やっていたことと言えば、赤い月の日は夜に出歩かないことだけだ。それで被害が出ていないからと、これからも大丈夫だろうと気を抜くのはなにかが違う。


 入浴を終え、アレウスは戸締まりを改めて確認してから、テーブルに置いたままにしていた読みかけの本を取って、ランタンの火を一つずつ消していく。借家はそこまで大きくはない。だが、アベリアは若干だが家にいる間だけ夜を怖がるので、ランタンが家の大きさに反して多いのだ。

「アベリア、もう寝るぞ? 廊下のランタンは消していいか?」

「全部消さなきゃ駄目?」

「用心に越したことはないからな。火元は少なければ少ないほどいい」

「だったら、アレウスと一緒に寝る」

「どうやったらそういう話になる?」

「だって、寝る前にランタンを消すのが一つで済む。赤い月、怖い」

 普段なら断ることなのだが、アレウスもそこそこに今日は警戒していて、なによりも年齢相応に赤い月に怯えの感情を抱いている。アレウスよりも年下のアベリアが耐えられるわけがない。

「霊的な物には強いイメージなんだけどな」

「幽霊を見るより、怖い話を聞く方が怖い」

「その感覚はよく分からない。でも、今日だけだからな?」

「やった」

 アベリアと一緒に寝るのは今日に始まったことではないのだが、最近は避けていた。どうやら赤い月に怯えるだけでなく、今夜は悶々とした時間を過ごす羽目になりそうだ。明日も同様の浄化作業が続くのなら、寝不足で倒れてしまわないかだけが心配である。

 アレウスの部屋以外のランタンを全て消し、アベリアが一足先にベッドに潜り込んでいた。どうしたものかと思いつつ、わざとらしく彼女が空けているスペースにアレウスは横になり、シーツを被る。


「明日はどうなるかな?」

「どうもこうもないだろ」

「なにも起こらなければいいけど」

「起こらないよ、きっと」

「そう?」

「そうだよ」

 起こってたまるかと思いつつ、アレウスは本を開く。しかし、ランタンの灯りが一つだけではどうにも読み辛い。読書を諦め、アレウスはアベリアを背にするようにして眠りに入ろうとする。

 どうにも落ち着かない。アベリアの寝息はまだ聞こえないので、それが逆に気を昂ぶらせてしまっているのかもしれない。

 隣で、女の子が、まだ眠ってはいないが、一緒に寝ようとしている。家族同然と思っていた子に対する感情が変化し始めてきているために、この状況は非常にアレウスにとってはどれだけ自我を保てるかの戦いになっている。


 そんな風にアレウスが本能と争っていると、突如、アベリアがシーツを剥ぎ取って上半身を起こした。


「どうした?」

「……魔が降りた」

「なんだって?」


 アベリアから詳しく聞こうとした直後、街の警鐘が鳴り響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ