多重に聞こえる
一日の休息を取ったのち、聖水を生成できるアベリアとヴェインの警護という形でアレウスたちはパーティで動き、街の外での浄化作業を開始する。とはいっても、二人を除いて三人ができることは、他の神官からも受け取って鞄の中を一杯にしている聖水を土や木々に撒くことだけである。だが、人手が足りないからこそ、この聖水を撒く作業にも意味はある。
「この不浄の水って部分が、カプリースの持つアーティファクトの短所なんだろうね」
ヴェインが小瓶から聖水を撒きながらアレウスに言う。
「アーティファクトは基本的にネガティブなイメージからロジックに刻まれる。使おうとすれば、その当時のことを思い出して、精神的な苦痛を伴うって話を俺は何度も聞いたんだ。だから、あの時に起こった洪水のような強大な力も、強大であるせいで起こる副作用を持ち合わせていることがよく分かるよ」
「それは知っているけど、やっぱりクラリエも、エウカリスの手帳を見るたびに悲しみや想い出に苛まれるってことだよな」
「そうなんだろうね。でも、その手帳を見ないと大切なことを学ぶことさえできないんだから、クラリエさんは常に向き合い続けるんだ。本当に、強い人になると思うよ。いや、今までも強かったから、精神的な意味でってことだから」
聖水を撒いて、土壌に染み込むところまで見届けてから、ふとアレウスはヴェインを見る。
他人の心配や、アーティファクトについて語ってはいるが、彼もまたアーティファクトを持っている。『純粋なる女神の祝福』と呼ばれる概念が、ロジックには確かに刻まれていたはずだ。
最大の疑問は“ヴェインがアーティファクトを持っていることに気付いていないこと”だ。知らないままに、ロジックにアーティファクトが刻まれることがあるのだろうか。敬虔なる女神の信徒であり、冒険者となって僧侶という職業に就いても、毎日のように祈りを捧げているに違いない。しかし、アレウスはロジックに触れ、そのテキストを読んだ時、分かったことは“女神の祝福から派生した概念であること”だけだ。そこには悲痛な思い、苦しみ、辛さといったものは書かれてはいなかったように思える。
「アーティファクトには、産まれ持った才能めいたものもあるのかもしれない」
「産まれ持った才能?」
「知らないまま、アーティファクトを持って産まれることもあるんじゃないかってことだ」
「それは……新しい理論だ。継承とは異なるんだろう?」
「継承の理屈もあんまり分かっていないんだけどな」
『エウカリスの手記』。アレウスはそのアーティファクトをクラリエのロジックに書き加えた。だがそれは本物ではなく贋作でしかない。だからクラリエが手帳や手記と思って開いているそれは、実際のところは『エウカリスの手記・写本』となる。ヴェインの言うところの継承とは、このように写本や贋作にはならず、アーティファクトを完全な形で他の者に継がせることなのだろう。そんなものをアレウスは見たことがない。
だが、思わぬ形ではあるが、ヴェインが口にした“継承”という言葉によって、彼のそれについての推測が立った。つまり、ヴェインのアーティファクトは他者から継承されたものなのではないかということだ。でなければ、彼が自身のアーティファクトを知らないままに生きられるわけがない。
或いは……とまた別の推測を立てる。『女神の祝福』は回復魔法を唱えることのできる全ての者のロジックに与えられるものだ。でなければ冒険者になる前に回復魔法を唱えることさえできない。あくまで魔法は冒険者限定の代物ではない。ただし、女神を信じ、祈ることのできる者に限られる。全ての者に等しく与えられている『神官の祝福』ではなく、どちらかと言えば任意となる『教会の祝福』寄りのもの。それをどのような場所でロジックに刻まれるのかは定かではないが、ヴェインは他の者たちとは異なる形で『女神の祝福』をロジックに与えられたのではないだろうかとも考えられる。
「あまり不思議そうな顔でこちらを見ないでほしいな」
「ちょっと考え込んでいただけだ。そこまで深いことでもないから気にしなくていい」
ヴェインのアーティファクトが、彼自身の身に起こった苦しみからの産物でないのなら、それはそれで良いことだ。彼は知らないままにあらゆる状態異常への耐性、果てには即死するような攻撃を受けても尚、生き残れるのだから。
ならば、アレウスはどうだろうか。右腕、左耳、右目。そのどれもがアーティファクトなのだ。これはアベリアも確認している。更にはそこに書かれていたことを、彼女に紙に書き出してもらってもいる。だが、そこのどこにも苦しみからの産物と読み取れるような事柄は書かれてはいないのだ。
どれにも共通していたことは、『十二分に機能していない』という一文があったということだけだ。なので、右腕の筋力には補正が掛かっているのだが、実を言うとこれは不完全であって実際の筋力補正から見ればマイナスとなっている。左耳も、エウカリスとの接触があるまでは『森の声』を聞くことさえできなかった。そしてその効力は異界を出ると共に失われた。聴力としては問題なくとも、エルフの耳としては不十分である。そして右目も、熱源感知で暗闇に便利であるだけで、暗視としての機能はあまりにも足りていない。
アレウスからしてみれば、どれもがプラスに働いているように感じられるが、実際の代物に比べれば劣っている。それがアレウスが持つアーティファクトの現状である。
「ロジックを開く……そこまではできても、応用ができていない気がする」
書き換えることでの一時的な付与魔法を超える強化。だが、開かれている側は意識を失うし、それを伴わない方法ではエルフの『栞』が必要不可欠だ。エウカリスの願いで『栞』を消費したが、また手に入れなければならない。報奨金の大半を使ってしまうことになっても、冒険者の最後の生命線は保持しておきたい。『身代わりの人形』を辛うじて使わずに済んだのが、ヴァルゴの異界での唯一の救いだっただろうか。
「リュコスの素早さ、オーガの強靭さ、魔人の如き一撃、ヒューマンの生存本能、英雄の如き勇敢さ、聖者が如き信仰の強さ……使った表現は、これくらいか?」
『栞』で強化した際に、ロジックに書き込んだ表現を思い出しながら口に出していく。ロジックの書き換えは、なによりも表現力と想像力が必要となる。見たことのない存在も想像力で表現する。それだけでテキストは意味を持つ。だが、テキストを書く者の想像力が不足していると強化は半端なものになる。これができなかったせいでテストの際に何人かが死んだ。
「ヴェインはロジックについてどこまで知っている?」
「いやぁ、俺は僧侶だけど神官じゃないからね。そういうのは産まれた頃から神官のことを知っているような人じゃないと」
「そんな人、いるのか?」
「ほら、あそこにいるだろ」
「はい? なんでしょうか?」
ヴェインが指差した方を向くと、アイシャがいた。言い方からしてもう少し遠くにいると思いきや、意外と近かったので首を傾げる所作にしばし呆けた。
「さっきまでの会話は聞こえていました?」
それよりも、気になることがある。
「ニィナも一緒ですか?」
「えっと、私は街で活動する冒険者なので、今回は単独です。ニィナさんとはクエストを受ける際に合流する形です」
「公私を分けている感じですか?」
「いえ、別にそういうわけではなく。むしろ本職の方も忙しい私にニィナさんが合わせてくださっているんです」
「本職?」
「神官として教会に所属しています。私は父の教会を継ぐ予定はありますが、世間知らずでは懺悔室で罪の告白をする方たちに神の教えを説くこともできませんので、父の教会とは別の教会で修行と言いますか、ご奉仕させてもらっています」
「そうだったんですか」
冒険者稼業は親に反対されたらしいとシエラが言っていたが、ただ単に親の教育が嫌で外の世界に飛び出したわけではないらしい。
「浄化作業になにか不便が? 聖水が足りないのでしょうか? それとも、どこかお怪我でもなされましたか?」
「いえ、そうではなく」
「では、なにを?」
「ロジックについて、僕たちが知らないことを知っているんじゃないかと思ったので。本職が神官であるのなら、その方面への知識も深いのではないかと思って」
「では、他意はないと?」
「他意?」
話をしている間に、アレウスはアイシャに疑りの視線を向けられていた。
「そうやって私を口説こうとしているのでは?」
隣で聞いていたヴェインが息を吹き出し、それから大きく咳き込みながら必死に笑いを堪えている。
毎回のことながら、どうにもアレウスの言動は女性に怪しまれやすいらしい。口説こうと思っていなくとも、相手が身を守ろうという意思を伝えてくることが多い。
この世界そのものが、男女平等ではないことや人命が軽いことなどもあるのだろうが、なによりも、その手の輩が蔓延っているせいでもある。奴隷商人が孤児などを誘拐する事案が絶えないことも要因としてある。とにかく、女性というだけで何事にも疑ってかからなければならない。箱入り娘であることを自覚し、シエラからそのように教えられたのだろう。
「なんで浄化作業の最中に口説かなきゃならないんですか?」
「ニィナさんからアレウスさんは要注意と聞いています」
「あいつは僕に恨みでもあるのか……いや、あるか」
思い起こせば、恨みを買うことばかりしているので強く否定できなくなってしまった。
「特に女性を口説くのが上手いと」
「それはさすがに悪評が過ぎる」
女性を口説いたことなど今まで一度もない。女性を口説こうと思ったことさえ一度もない。
「本当の本当ですか?」
「もうどう思われてもいいんで、ロジックについてなにか知っていることってありますか? 特に冒険者や担当者が一般的に知っていること以外で」
アイシャの誤解は今後、ゆっくりと解いていくことにして、知りたいことを優先する。
「ん~、そうですねぇ。神官の位が高いとか低いとか関係無く、あんまり知られていないことはあると言えばあります」
「それを教えてほしい」
「ずばり、読解力と翻訳です」
「……読解力? 翻訳?」
「ロジックは元々、人種が誰一人として解読できるものじゃなかったのはご存じですか?」
「ああ」
「表現力、想像力が重要とされるんですけど、私の父は他にも読解力と翻訳能力を挙げていました。人種にロジックを与えたのは『神官の祝福』の賜物。ですがその構造は、実のところ神官も分かってはいません。儀式、礼式……昔ながらに伝えられてきた方法で『神官の祝福』を授けています。これはロジックを人種が読み解けるようにするものです。神官が与えたから、神官はロジックを開き、読むことができます。ですが、そこに生き様という名のテキストの解釈は読み解く神官によって様々です」
先ほどとは打って変わって、実入りのありそうな話を始めたので、アレウスは相槌を打ちつつ、先を求める。
「たとえばですけど、草花の生い茂る景色があるとします。そして、ある神官はそれをそのまま『草花の生い茂る景色』と表現します。ですが、同じ景色を見た神官は『緑の生い茂る草原地帯』と表現するかもしれません。別にそこに大きな違いはなく、あるのは神官同士の間にある解釈や感性の違いとなるのです。テキストにおいては、感性という言葉を翻訳に置き換えます。なので、解釈と翻訳の違いが起こるというわけです」
「なるほど……」
「実はこの解釈と翻訳の違いは、ロジックのテキストを書き換える際に大きな弊害や影響を及ぼします。ロジックを書き換えられた側も、自身とは異なる解釈で書かれたテキストに抵抗が起こり、次第に元のテキストに戻るわけです。『栞』が一時的な強化に過ぎないのは主にこのためで、ロジックの抵抗力という言葉があるのもこのためです。ですが、解釈と翻訳がロジックを開かれた側と大きな差異がない場合、書き換えられた側は書き換えられたことさえ気付かずに、生き様の改ざんを受けることとなります。『異端審問会』がこの手法で、冒険者ほどの抵抗力を持たない多くの一般人を狙い、その生き様を乱しています」
「エルフがロジックの扱いを得意としているのは、解釈や翻訳がヒューマンと異なるからか?」
「人種それぞれに解釈の仕方は異なりますし、翻訳の仕方も異なります。ですが私たちはロジックを開いた際、実際にそこにあるテキストを自身が学んで、身に付けた語学で読むことができています。ここで大事なのが、読解力となります。表現語彙、理解語彙が多ければ多いほどに一つの単語に複数の意味合いを持たせることができます。魔法なんかが顕著ですね」
「いや、そこが分からない」
魔法に顕著に表れているだろうか。アレウスにはピンと来ない。
「神官の父は深度なんて呼んでいましたね。えーっと、深度が浅いと聞こえる言葉は一つ。深度が深まると、言葉が重なって聞こえます。私なんかは言霊として魔法を唱えた時、私自身は『ヒール』と声に出していますが、同時に『癒して』とも聞こえています」
「……それは普通なんじゃ」
アレウスはヴェインの方を見る。
「え、いや、俺はいつも『ヒール』としか唱えていないんだけど……アレウスってよく、『解毒』とか言うけど、それって『デトックス』や『アンチトード』のことだよね? パーティを組んで初期の頃は混乱することがあったよ」
「もしかして、言葉が重なって聞こえていたのは、普通じゃなかったのか?」
「普通じゃないよ」
「韻の踏み方、あとはアクセントの位置なんかで言霊も変化しますが、なによりも重なって聞こえてくる際に混じるのは、詠唱者がどの精霊の力に寄っているかでも変化しますね……というか、もしかしてアレウスさんも多重に聞こえていたりします?」
アレウスは静かに肯く。
「そういえば、異界でも……え、まさかあの時、ロジックを開いていたのは……? 神官じゃないのに、アレウスさんはロジックを開けるんですか?」
同時に、いつかはバレるであろう事実にアイシャが辿り着いた。
世間知らず、箱入り娘と言われてはいても、思考の回転速度は他者よりも速いように感じられた。




