血の重み
「引き上げるぞ」
アレウスはアベリアとガラハに指示を出し、三人で固まって移動し始める。
「手を貸さなくていいのか?」
「さっきアニマートさんが言っていただろ。『衣』を使っているエルフとは協力が難しい」
エウカリスだけでなくクラリエまで生き様を燃やし、『衣』を用いるというのなら、もはやそこにアレウスたちの居場所はなく、そして出番すらない。
とはいえ、『衣』を纏っている者は『衣』を纏っている者同士で息を合わせてもらいたいのだが、それはただの願望である。クラリエをこの先、アレウスが見守ることをエウカリスと約束した以上は、彼女が『衣』を纏っている状態でも上手く協力することができるように訓練しなければならない。
「でも、それは今じゃない」
こんな状況で早速、実戦練習に入るのは頭が悪すぎる。あくまで先の課題であり、現在の課題ではない。ここは素直に引き下がる場面である。
アレウスたちはエウカリスの翡翠の爆発をやり過ごす。
「こっちだ!」
ヴェインの声がする。ヴァルゴの音色による混乱はその言葉だけで凌ぎ、二人には目で合図を送って、共に同じ方向へと走る。
「ぐっ……」
クラリエが動き出そうとした刹那、彼女は前につんのめり、そのまま倒れ込んだ。
「生き様を燃やした弊害ですか?」
アレウスたちを迎えにきたアニマートに訊ねる。
「いえ、違います。あれは血の重みです」
「簡単に説明してください」
「はぁ……近頃の若者は目上の人に対する所作がなっていませんね……」
なにやら余計な一言を零している。事態が困窮しているというのに、この人はどこまでもマイペースだ。
「彼女は初めて生き様を燃やしています。誰から、どのようにしてその方法を学んだのかは分かりませんが、そこでやってくるのが血の重みです。ナーツェは四大血統の中でも最上位。つまり、クラリェット・ナーツェまで繋がってきた血統が、着火と同時に重さを増し、彼女の内側で重しとなっていて、倒れてしまったんです」
「繋がってきた血統? でも、あの人は自由に動けている」
アベリアはエウカリスを指差す。
「彼女の血統は、こう言うのも悪いのですが、血が軽いのです。『衣』を宿している以上はそれなりの血統なのですが、それはナーツェの血統よりもはるかに軽い。それに、生き様を燃やすのは今日が初めてというわけではないのでしょう。自らに流れる血の重みを克服し、そして変色はせずとも、焦熱状態に入ることさえ可能としている。どれほどの精神鍛錬を経て、その境地に達したのかも定かではありませんが、初めて着火した彼女には、残念ながらその時間がありません」
《……ちょうだい》
「なにか、聞こえたような」
「あたしに! ありったけの風の加護をちょうだい!!」
クラリエが意地でも立ち上がろうとしている。それでも動けない。ならば、動けるようになればいい。しかし、その魔法を受けている間は動けるが、その魔法が解けたあとには相応の負荷が返ってくる。そうなると、彼女はしばらくまともに動くことさえできなくなる。
「短期決戦ですね……」
アニマートが呟きながら杖の先端で空気に渦を作る。
「そこのエルフ! 私の矢を受け取りなさい! 残りはもう僅かだけど、私なんかの腕よりもあなたの力に託す!」
ニィナが矢筒ごと投げて、それを高速で動くエウカリスが受け取る。
「感謝します、ヒューマンの射手」
ヴェインは鉄棍で地面を打つ。アイシャの杖を前方に構え、瞼を閉じている。
「アベリア!」
「大丈夫!」
そして、アベリアの杖に輝きが集う。
「“軽やかなる力を”」「“軽やかに”」「“風よ、一方より身軽さを与えたまえ”」「“軽やか”」
四人の重量軽減の魔法が一斉にクラリエへに送り込まれ、その大量の魔力に反応してあらゆる鎧の乙女が彼女へと向かう。
起き上がりは一瞬で、跳躍は目にも止まらない速さで。そして、短刀の閃撃は繊細に鎧の隙間を切り裂いて、クラリエの前方を塞いでいた複数の鎧の乙女を霧へと返す。
《イプロシア・ナーツェはその生涯において、『衣』を纏ったことはないそうです。正確には行方知れずなので、私たちが知らないところで纏っているのやもしれませんが》
感嘆しているエウカリスの声が耳に響く。
《つまり、『衣』を纏えたということは、クラリェット様には偉大なる母を越える才覚があるということ!》
翡翠の矢が千変万化の軌道を描いてクラリエの後方に迫っていた鎧の乙女を貫き、爆発する。
《そして『衣』を纏えたということは、ハーフエルフでもダークエルフでも、その種がハイエルフやエルフに劣ってはいない証明となる。そして、エルフに変わりないことの証明にすらなる。クラリェット・ナーツェ様は今、この時、ハイエルフが絶対的地位を敷く、血統至上主義をも覆す存在となったのです!》
短刀を地面に速やかに投擲し、クラリエの褐色の肌に『白衣』は非常に映える。
「我が名において命じる!」
地面に突き立てた短刀を線引きとして、周囲一帯の鎧の乙女の動きが鈍る。
「走ること能わず!!」
『エルフという人類種は、どこまでも我らの神経を逆撫でする!』
ほぼ動けなくなっていた鎧の乙女に翡翠の矢が刺さり、爆発して霧散する。しかし、ヴァルゴは鎧の乙女の生成をやめない。
『貴様らにかかずらえば、原初の劫火を見失いかねない。ようやく、この世に再び現れたその火を、見逃すわけにはいかない』
左右の手に大剣を携えた鎧の乙女が、剣身を隠した剣戟をクラリエに繰り出す。生み出される剣戟の軌跡、そしてこれまで倒れているフリをしていたとはとてもではないが思えないほどの足運びで、見えない剣身を確実に見切って避けている。得物の長さを把握し切っている。銀色の瞳は炎のように揺らめいて、ただの一瞬も隙を見逃さず、二本の大剣が振り切られた時を狙った短刀の一撃が綺麗に鎧の乙女に入る。
アベリアの泥を食したことで生じる激しい炎から『白衣』が守り、尚且つ周囲の霧を振り払って、両手に再び魔法で生み出した短刀を指の間に挟み、そこから後退しながら鎧の乙女へと投擲する。
「こいつがヴァルゴの本体ではないけど、核に近い」
「なんだって?」
エウカリスには劣るものの、それでも素早い動きでアレウスの傍に下がってきたクラリエが呟く。
「この霧を生み出している核だよ。間違いない」
と言われても、アレウスの眼は熱源を感知するものの、中身が見えるわけではない。表面温度はどれも均一であるため、彼女の発現の信憑性を得られない。
「なにをすればいい?」
「あたしとエウカリスで決める」
「分かった」
一言、二言で了承したものの、やってほしいことがなんなのかは分かっていない。ただ、全ての魔物と対峙している際に必要なことをやればいいのだと思い、アレウスはガラハと共に前に出る。
魔物を倒せる決定打。それを確実に打ち込むためにやるべきこと。それは単純明快で、魔物の隙を作ることだ。つまり、アレウスとガラハで二本の大剣を振り回している鎧の乙女に隙を作らせる。
それがとても困難であることは、こうして前に出て、対峙し始めてから分かった。ガラハの表情からも、アレウスの勢いに押されて飛び出したはいいが、どう処理していいものかと悩んでいることが受け取れる。
それほどまでに、これまでの鎧の乙女とは一線を画す覇気を有している。体躯も僅かだが、この鎧の乙女だけが大きい。そして得物は二本となり、それを一切の重さを感じさせずに振り回しているのだ。クラリエは見切り、エウカリスは遠隔から沢山の鎧の乙女を霧散させていたが、遠目から見れば簡単そうなことがこうして近場で見れば怖ろしいまでに難しいことを思い知らされる。
だが、ガラハと競争するかのように――それこそチキンレースでもしているかのように二人の足は止まらない。振られる大剣、繰り出される剣戟。それらを読み解いていく。全てを読み解くのは不可能だ。片方を凌げば、もう片方にやられる。なので、四肢を欠損するような一撃や、致命傷足り得る剣戟のみを優先して受け止めているだけだ。クラリエやエウカリスに比べれば、随分とスマートではないが、アレウスたちの役割はこれだけでいい。
「もっと、確実性を上げるには……」
呟き、強欲に生存率を上げにいく。鎧の乙女の懐に滑り込みながら深く屈み、そこから右腕を振り上げる。
その一撃は鎧に弾かれてしまっていたが、ガラハも驚くほどに鎧の乙女が衝撃で後方にたじろいでいた。
「エリス!!」
「受け取ってください、クラリエ!!」
エウカリスが渾身の魔力を込めた一射をクラリエ目掛けて放つ。疾走するクラリエの背後を追いかける翡翠の矢が次第に追い付く。そこで右に逸れて、彼女は翡翠の矢を銀色の瞳で捉える。たったその一度の視認によって、矢の軌道どころか矢に乗せられていた魔力がクラリエの物に書き換わる。
翡翠の輝きが灰色混じりの銀色に輝きと化し、直後にクラリエが投擲した短剣と共に鎧の乙女へと迫る。
「“皆の盾となれ”」
アレウスとガラハに全身に大量の六角形で形成された魔法の盾が貼り付く。
刹那、鎧の乙女が内部から灰と銀色の爆発を起こし、その衝撃波が周囲を覆い尽くしていた濃霧をも消し飛ばす。間近にいたアレウスとガラハは吹き飛ばされつつも、アニマートが唱えた付与魔法によって無傷のまま地面を転がる。
『我が生み出せし、亜人の分身を壊すか……』
どこからともなく声がする。
『魔の力を浪費してしまった…………我が世界の維持も難しいか』
「二人とも寝転んでいる暇はありませんよ」
アニマートに蹴飛ばされて、アレウスは思うところがありつつも起き上がり、ガラハも続けて蹴られたのち起き上がる。
地面を転がったことで三半規管が乱れたのかと思ったのだが、地面が確実に揺れている。
「異界の主が巣を捨てます。決定打ではなく有効打だったようですが、上々です。そもそも異界で、異界の主を討伐することなど不可能に近いのですから、こうして異界を捨て、新たなる異界へと逃走させるのは、もはや勝利に近い」
『白衣』が千切れながら消えていき、クラリエの体に重量軽減の魔法が解けたことでその反動たる負荷が掛かり、彼女は立つこともできずに倒れる。エウカリスが『緑衣』を解いて、彼女に肩を貸して立ち上がらせた。
「さぁ、早くここを出ましょう。異界獣が異界を捨てる時、縮小が起こります。主を失った巣が廃れるのは自然の道理。ただ、異界ではそれが直後に起こり、一定の縮小を終えたのち、ゆっくりと消失していきます」
アニマートはアレウスとガラハの容態を確認したのち、フラフラとした足取りで進みだす。
「縮小による崩壊に巻き込まれれば、魂の虜囚共々、この世とあの世でもないところで永遠の迷子になってしまいます。幸い、異界獣を痛め付けてからなので、脱出に手間取ることはないでしょう」




