助けたかったのは血統を知っていたからか?
エウカリスが自身に忍び寄る霧の腕を感知し、すぐさまアレウスたちの傍から離れた。その際に『緑衣』の先端が現出した腕を切り裂き、霧散させた。それでも、そろそろヴァルゴも魔力を求めているらしい。エウカリスがほぼ全ての鎧の乙女を惹き付けてはいても、先ほどのようにして現れる腕ばかりはクラリエを標的にしている。
「まったく、世界はままならんことばかりが起こる」
ガラハが溜め息をつく。しかし、戦斧を振るって、辺りを漂うヴァルゴの腕を一蹴する。
「オレより長く生きていたとしても、貴様は小娘のようなものだな。喚くだけ喚け。そして、喚いたところで現実が変わらないことを知れ。元は、貴様たちに教えられたことのはずなんだがな」
ただひたすらに戦斧を振るって、ヴァルゴを寄せ付けない。スティンガーも加わり、腕が生じる箇所に妖精の粉を落とし、ガラハの攻撃を先回りさせることで生成を阻害させている。
「あのヒューマンほどではないにせよ、オレはアレウスよりも頑丈だ。貴様がどれだけ喚こうとも、オレは死にはしない」
これは気を遣っているのではない。そもそも、ガラハは仲間意識を持っていても、彼女の心の深奥にまで触れようとも思っていないのだ。まだ打ち解けているとは言いがたい彼はは、未だに口数の少なさや職人気質な一面もあるため、クラリエにどのような言葉を投げかけるべきなのかが分からない。変に刺激するよりも、異界で長時間を共に過ごしていたであろうアレウスに押し付けた。
「だって……私は、私は…………」
「欲を持たなければ、誰も集まってはくれないとエウカリスは言っていました」
「……それが、なに?」
「クラリエさんが、死にたいという欲だけで生きていたのなら、きっと誰もあなたのためにここまでしようとは思っていません」
「それは、私が『賢者』の血統だからで、」
「血筋で決まることもあれば、人格で決まることもあるんじゃないですか? あなたは、全ての人が自身の血筋のために、振り回されていたり、血筋しか見ていないと思い込んでいる」
「だって、実際にその通りだから」
「だったら、僕は……どうなんですか?」
「アレウス、君?」
「僕は、あなたをクラリェット・ナーツェとは知らずに接し、シオンという名前で接してきたあなたを受け入れ、そしてシオンという名に疑いを持ちつつも、あなたを追って異界に堕ちた。そこには血統も、名前も、果てには人種も関係なかったじゃないですか」
「それは、そうだけど……そう、だけど!」
「僕はナーツェの血統だとか、シオンだとか、ダークエルフだとか、そういった外の情報で動いていたと思いますか?」
「じゃぁ、なにを理由にして動いていたの?」
「あなたが、あなただからですよ。名前も人種も関係ない。あなたが、あなたという人物だから。あなたが僕に意地悪で、姑息で、性格の悪い人物であったなら、あの時、あの場所で異界に堕ちたあなたを追いかけはしません。僕は分かりやすい性格をしていますから、絶対にしていないと誓って言える。あなたが、僕にとって手を取らなければならない相手だから。あなたが僕にとって、異界に堕ちてはならない人物だから。あなたが、僕にとって助けなければならない人物だと思ったから、僕はあなたを追いかけて異界に堕ちた。あなたの存在が僕を動かした。エウカリスの言うところの『欲』に当てはまるのかも分かりはしませんけど、あなたは無欲な僕を突き動かした。だったら、もうそれだけでよくないですか? 生きろという言葉に従うだけでよくないですか? 難しいことを考えるよりも、簡単なことを考えて生きる方がずっと楽です。死ぬという選択肢は、与えません。さっきのエウカリスを見て、判断しました。あなたは、生きるに足るだけの人徳を持ち、生きなければならないだけの使命を背負っている」
優しく話しかけているようで、ワガママを言う子供をあやすかのような言葉回しには、どこかアレウスのクラリエに対する“こんな時に駄々をこねるな”という思いが垣間見える。
「あなたは僕に向かって言いましたよね? 『世界が世界じゃないところで君を排除しようとしているんじゃないか』と。それを言われて、少し考えたんですけど……世界が僕を嫌っていても、結局、僕は嫌ってくる世界のために生きて、世界のために正しいことを果たすんだという結論しか出せませんでした。つまり、人のためになる冒険者であり、異界を壊せる唯一無二の職業で生きるってことです。そのためには、あなたの力を必要と感じています。だから、欲深いヒューマンの僕が、あなたを死なせる判断なんて下すわけがないじゃないですか」
アレウスは立ち上がり、一呼吸を置く。
「エウカリスさん、アベリアを連れて来てください!」
中空で翡翠の閃光が起き、エウカリスはすぐさまアベリアの手を取る。それを妨害するかのように鎧の乙女が集うが、そこにアニマートが飛び込んで、杖で打ち飛ばしていく。
「行っていいよ。なにをするか見ものだから」
アニマートの助力によりエウカリスが走る。
「どこにも行かせない」
「その通り」
ニィナが矢を射掛け、ヴェインが鉄棍で叩いて鎧の乙女を一体だけだが引き付ける。その後方でアイシャがいつでも回復魔法を唱えられる状態を維持している。
「良いね。とても良い。嫌いじゃありませんよ、その一見して無謀なのに、その実、仲間に賭けている強い信頼感は私にも響きます」
アニマートの肌が興奮によって総毛立ち、よろめいた体を強引に持ち直させて、杖の一振りで霧を晴らす。
「このヒューマンを前に出させるのは、なにか意図があるのですか?」
アベリアを届けにきたエウカリスが僅かばかりの時間に訊ねてくる。
「エルフのロジックは一人で開くと時間がかかるだろ?」
「まさか? いえ、そんな……理論上は可能ですけど、エルフの中でも成功した者は一人も」
「二人でロジックを開く。昔から、そして今も、僕たちはやっていることだ」
「……分かりました。委ねましょう、その可能性に」
止められるかと思ったが、エウカリスは再び濃霧の中へと身を投じた。
「委ねられたんじゃなく、しょうがなくって感じだった」
「そりゃそうだろ。状況が状況だったら僕とアベリアは、あの鎧の乙女みたいに爆発させられている」
エウカリスが許したのは仕方なくである。彼女は現在、ヴァルゴにとっての最大の脅威となっている。つまり、彼女のいるところが一番、激しい戦場となる。だからこそ、クラリエの傍を離れることで危険を僅かだが下げたかったのだ。
「ガラハ、その調子でどれくらいヴァルゴを押し退けられる?」
「そう長くは続きはしない」
「続かせろ」
「はっ、だったら、それだけの価値をオレに見せろ」
常にガラハはアレウスに要求する。仲間になったことが正しいのか否か。自身の選択が間違いではないことを示せと求めてくる。それに応えたいと思えるのだから、もうアレウスの中ではガラハを強く信頼している。それはきっと、ガラハもまたアレウスを信じているからだろう。信頼には必ず応答がある。信じているからこそ応えることがある。そこに亀裂があったなら、この関係は成立していないのだから。
「私のロジックを開くの?」
「僕とアベリアで開きます」
「なにを、一体、どう書き換えるの? 私を……私を、道具みたいに扱うってこと?」
「違う」
アベリアが一言で否定する。
「私たちはあなたに勇気を与える。たった一つの、とても強力な勇気。あなたの生き様のなにかを消したりとか、書き換えたりとかはしない。ただ、渡して、伝えたい。それが絶対に、あなたの勇気になるから」
アベリアは既にアレウスがやろうとしていることを理解しているらしい。エウカリスに手帳を渡されてからずっとアレウスの持っているそれを気にしていたのも、そのためだろう。
「……怖い」
「怖さの果てに勇気がある。怖いから、変えようと思う。怖くなきゃ、勇気って言葉はない。勇気は、恐怖を乗り越えて動く者がいたからこそ、存在する言葉」
アベリアはクラリエの頬に触れて、朗らかに笑う。
「私たちを信じて。信じてくれたなら、私たちは絶対に、応えるから」
クラリエは答えない。
だが、小さく首を縦に振った。
それを確かめてからアレウスとアベリアはクラリエの背後に回る。
「「“開け”」」
「エルフの生き様は私でも開いたことはありません。大体がエルフの神官が行うこと。開けば、脳の処理が追い付きませんから……ですが、なるほど」
アニマートは濃霧の先に見える輝きに対し、呟く。
「生き様を二人で開けば、負担も二分割……そして、あなたたちは容易くエルフの生き様に触れようと思えたということは、それ以上に巨大な生き様、それどころか情報の源のようなものにも触れたことが、あるんですね?」
アニマートの後ろに迫った鎧の乙女をニィナの矢が貫き、ヴェインが打ち飛ばす。
「理論上は可能です。でも、それは机上の空論であり、成功したところなんて見たことがありません。初めて見ます。二人で一人のロジックを開き、操作する様は」




