生き様を燃やす
炎色反応というものがある。特定の金属の粉末が過熱される際に炎の色が変わる現象だ。エウカリスは「生き様の色」と呼んだ。即ち、あの『緑衣』と呼ばれる羽衣はエウカリスの生き様そのものに違いない。
そして、「生き様を燃やし」とも言った。それが意味することは単純にして明快だ。
エウカリスは、自身のロジックを燃やして『緑衣』を纏っている。
「ヒューマンじゃ絶対にできない。エルフだからできること……か?」
エルフのロジックは、その長寿を証明するように膨大な量となっている。それを薪として燃焼させているのならば、ヒューマンの寿命ではその燃焼行為によってロジックが燃え尽きてしまう。一体、どのような速度でロジックが燃えているのかは分からない。ジリジリと燃えているのか、それとも激しく燃え上がっているのか。それはエウカリスの感覚の範囲の話になる。
それでも、彼女がこのエルフの秘儀を使用したのは、クラリエを守るためだ。クラリエを異界から出すためだ。
だからエウカリスは、アレウスの言葉には従っていない。彼女は逃げ出してベースまで戻り、態勢を整え、改めて“穴”を探そうとはしていない。ここでヴァルゴを押し退け、力尽くで、それこそ無理やり、先ほど見つけた“穴”にクラリエを辿り着かせるつもりなのだ。そして、アレウスはその脱出のための礎にされそうになっている。
裏切られたわけではない。エウカリスはアレウスならばヴァルゴの時間稼ぎを出来ると判断した。ある意味で信用された。信用したからこそ、ここで“切る”選択を取ったのだ。
「クラリェット様、立てますか?」
エウカリスはクラリエを降ろし、訊ねる。
「その姿は、なに?」
「これは『衣』。我らがエルフにのみ伝わる、ロジックを燃焼させて起こす秘儀。炎のように揺らめき、炎のように輝き、そして炎のように儚く消える。不必要と思われるロジックのテキストから燃えていきますが、力の要求を強めれば強めるほど、必要と思っているテキストが燃えていきます。なので、私があなたのことを分からなくなってしまう前に、あなた様の脱出を果たしてみせましょう」
この会話ののち、クラリエは直感で回避を。そしてエウカリスはヴァルゴの振るった大剣によって引き起こされた剣圧を浴びて、滑らかに移動する。いや、移動ではない。彼女は本当の本当に、剣圧が持つ風の流れを受けて、滑っただけなのだ。
「私の全身は僅かばかりではありますが、空気を纏っています。そして私の体重は、この『緑衣』によって非常に軽くなっています。この意味が分かりますか? 異界の主よ」
今のエウカリスは羽虫、もしくは風に飛ばされてしまって空を揺蕩う布と同等ということだろうか。そうであるならば、彼女はアレウスから見れば地面に接しているが、空気の層によって僅かだが浮いていることになる。だから摩擦が作用しない。そして体重が極端に軽くなっているのなら、剣圧によって吹き飛ばされる。僅かな空気の流れで彼女は考える必要もなく、回避行動が取れるのだ。
宙を舞うあらゆる物が捕らえにくいのは、自在に飛び回ること以外にも、この空気の流れで体が押し飛ばされることにも要因はある。
だが、軽いのであればエウカリスは衝撃一つで跳ね上がり、自由が利かなくなるはずだ。よって、あの『緑衣』にはエルフにとっての秘儀であり、魔法であることから、都合の良い部分だけが作用しており、都合の悪い部分は切り取られていると見るのが正しい。エルフの秘儀はそこまで常識を捻じ曲げるレベルまで高められているのだ。
ヴァルゴは摩擦を無視したエウカリスを追い掛け、大剣を振るい続ける。しかし、そのどれもが彼女を捉えることはない。
「我が矢は我が命を糧に輝き、我が一射は必ず傷を与える!!」
エウカリスの矢に緑の輝きが灯り、それを弓につがえて放つ。ヴァルゴは凄まじい反応速度でこれをかわし、そのまま彼女へと向かうのだが、避けたはずの矢はヴァルゴの後方で反転し、再びの加速を受けて戻る。
「クリュプトン・ロゼの赤い矢と同じだ」
あの矢はクルタニカを半永久的に追いかけ続け、遂には彼女の体を穿った。もしそれと同等の魔力が込められているのならヴァルゴは絶対にあの矢を避けられない。
そして、更に命中精度を上げるためにアレウスは動く。ヴァルゴの周辺を駆け回り、フェイントを交えた剣戟を放つ。これらを造作もなく跳ね除けるのは変わらないが、ただ一つ、ヴァルゴはひたすらに緑に輝く矢を避け続けるという負荷が掛かる。
あの矢が命中すれば、剣戟は無駄にはならない。そして、矢を警戒し過ぎればヴァルゴは自分からアレウスの剣戟に入ってきてくれる。クラリエも戦線に復帰すれば、徐々に状況は良くなるはずだ。
だが、アレウスはヴァルゴが鎧を剥離したことで一定の速度を獲得していたことを失念していた。頭の中から抜け落ちていた。油断していたわけではなう、ヴァルゴの奏でる鼻歌が起こす思考の混乱の一つである。
踏み込みが強過ぎた。下がろうにも下がれない。下がってもヴァルゴの大剣が自身を両断する。防御は間に合わない。
そんな八方塞がりの状況下でも、アレウスは不敵な笑みを崩さない。その不可解さが、思考力を持つヴァルゴが剣戟を乱す。乱れた隙間をアレウスは縫うように、そして急いで防御姿勢を取り、軌道修正が行われた先ほどの一撃を受け流す。
直後にエウカリスの矢はヴァルゴの背中に至り、しかし鎧を前にして速度はそのままに、蛇のように軌道をうねらせ、隙間を穿つ。
『難儀な力だ』
姿勢を崩しかけるも、大剣を杖代わりにしてよろめいた体をヴァルゴは留めさせる。
『だが、永劫に続く力ではない。貴様の生き様が燃えている。貴様の、産まれてからここに至るまでの全てが燃えているのなら、いずれは尽きる力だ』
「異界の主よ。それがいつ、どの瞬間までは分かりますか?」
『分かりはしない。しかし、貴様はいずれ燃え尽き、消える。その先で我はこの世界に君臨し続ける。変わりはしない。そう、なにも変えられはしない』
自身を穿った矢を引き抜き、凄まじい握力で圧し折る。続いて穿たれた部位からは大量に霧が噴き出し、辺り一面に撒き散らされる。
霧によって隔絶された空間が、濃霧によって覆い尽くされた空間に変化した。
「これで私の目を欺いたおつもりですか?」
声だけが聞こえる。
「我が矢は我が命を糧に輝き、我が一射は必ず傷を与える!!」
濃霧の先、緑の輝きを見つけてそこにエウカリスがいることを把握する。
だが、その輝きが強く瞬いたのち、激しく揺れた。
「エウカリス」
「エウカリスさん!?」
「……見誤って、いたのは、私の方……というわけ、ですか」
なにが起こっているのか分からない。情報を得るためにはエウカリスがいるであろう方角へと走らなければならない。しかし、方向不全に陥っているであろう状況で、輝きを頼りに走ったとして、アレウスは辿り着けるかも怪しい。
《こちら、です》
左耳だけが、その“声”を聞き取る。地面を蹴るようにしてアレウスは駆け出し、濃霧の中で短剣を振りかぶる。霧の先――おおよそ視界に収めるよりも早い段階で振るわれたアレウスの剣戟が、エウカリスの喉元を掴んでいたヴァルゴの腕を切り裂いた。
傷からは血ではなく、霧が噴き出し、再び視界不良に陥るが、傍にいるエウカリスの手を掴んで引き寄せる。
「今……“声”が、届いて……?」
「何故だか分かりませんが、聞こえました」
「……“森の声”に乗せたものが聞こえるようになったのなら、あなたの左耳は、」
「それより、なにがあったんですか? その『緑衣』なら避けられるんじゃないんですか?」
「物体、生命体の動作であれば必ず風が起きます。そこから生じる空気の流れに身を任せれば、どんな攻撃であろうと避けることは可能です」
「じゃぁなんで」
「霧が腕を成し、私の喉元を捉えました」
「……まさか」
「ヴァルゴは、鎧を着込んだ生命体を基準として動いてはいますが、本体ではないのです。異界の主は、私たちを覆い尽くしている霧そのものです」




