机の上で学んだ知識は正しく扱わなければならない
【短弓】
小型の弓と矢。射手や狩人が用いる弓矢に比べて、誰にでも扱いやすいとされる。ただし、狙った獲物に命中させられるかは経験と技能、能力値が求められる。短弓は比較的、求める数値が低い。代わりに威力は低く、距離は短くなっており、使う場は非常に限られてしまう。
それでも遠距離からの攻撃、及び魔物への挑発や牽制として戦士でも用意している者は多い。
『こんな弓でも、近くで射れば普通の弓と同じくらいの威力は出るもんだ』
「アレウス」
アベリアが危機感を持った声音で呼んで来る。
「僕の筋力じゃこいつを掴んで逃げられない」
見捨てたくはないのだが、一時的に見捨てるしかない。そう判断して二人が男から離れ、丘下へと退避する。
「おいおい、ゴブリン一匹に逃げてちゃ冒険者にはなれないぞ」
そうやって笑った男の頭部を石矢が掠める。掠めたのち、次々と矢が飛来し、男の鎧が覆っていない生身の部分に突き刺さって行く。
「馬鹿なフリして一匹で行動して、弓兵役が枯れ木の上から襲撃か」
三匹、いや四匹はアレウスの目には映った。しかし、そこに向かうよりも先にやらなければならないことがある。
「回復」
「アレウス以外を回復するのは嫌」
「そんなことを言っている場合か」
ワガママなアベリアに言い聞かせようとしたのだが、近くに男のパーティらしき三人を見つけて駆け寄る。
「あの馬鹿な男はなんであそこでゴブリンを一人で挑発しているんだ?」
恐らくは苛立ちを全てぶつけるような剣幕でアレウスは問い詰める。
「釣るって言っていたから」
呆れた返事だった。
「こんな“広い場所で釣る”もなにもないだろ。神官か僧侶、そのどっちかは知らないけど回復魔法を早く。あの男はこのままだと一回死ぬぞ」
「一回なら甦ることが出来るんじゃ」
「一回命を落とした奴が、二回目も命を落とさないと言い切れるのか? 僕と喋っている暇があるなら早く唱えろ」
悠長にも程がある。『身代わりの人形』はたった一回しか効力を持たないのだ。つまりあの冒険者が言いたかったことは「一回も死なずに戻って来い」ということだ。異界では一度でも死んだら虜囚になるのだから一度の死がどれほど重いのかを教えるためのアイテムだ。そもそも、アレウスやアベリアだけじゃなく志望者は全員、教会の祝福を受けていない。虜囚どころか、二度目の死でその人生が終わる。だから「たった一度切り、守ってくれるようなアイテムに頼った愚行は起こすな」という意味も含まれる。
「だから私、あいつの言うこと利いて下がっているのは嫌だったのよ」
舌打ちをしながら射手の女は言い、丘下から駆け出す。なにをするのかと思っていたが、どうやら一人で突出した状態にある男を下がらせるために、矢の援護射撃を始めるらしい。ここで、判断を仰がずに勝手な行動を取っていることについては、あとでなにかしら言われるのかも知れないが、彼女はそれぐらいどうってことないようだ。とにかく、何匹かの意識がそっちに向かってくれるのはありがたい。
「アベリア、燃やせるか?」
三人の内、二人が回復魔法を唱えたところで訊ねる。
「位置を特定してくれたら」
「しばらく離れる」
「死んだら怒る」
「死なせないように燃やしてくれ」
短弓をアベリアに預けた荷物から取り出し、続いて鏑矢を弦に乗せてから走る。恐らくは自身が出会った全員の迷惑にならない位置に至ったと判断して、真上に目掛けて鏑矢を放つ。痛烈な音を鳴らしながら空高くへと飛んで行くそれを見届けてから、次に飛来する矢を一本、紙一重でかわす。
脅威度は分からないが、音の鳴る方にゴブリンが反応し、狙いを変えた。それとも、馬鹿みたいに丘の上で挑発していた男がもう一回分の命を落としたのか。それは分からないが、飛来して来た方角に見える枯れ木に登り、石矢で攻撃して来るゴブリンを見据えて再び矢を弦に乗せる。
「今度はさっきのとは違うぞ」
丘下に身を隠し、石矢を凌ぐ。呼吸を整えて焦りを消し去り、不安に押し潰されそうになりながら体を出す。首元を石矢が掠めた。出るタイミングがもう少し遅かったなら、喉に突き立っていただろう。そんな恐怖に怯えつつも、矢を放つ。山なりの弾道で枯れ木に届きはしたが、ゴブリンを射抜くことはない。だからゴブリンはアレウスが外したのだと思って、変わらず枯れ木から降りずに弓を構え直した。丘下に再び隠れ、時を待つ。
「“火よ”」
その声と同時に顔を半分だけ出して、枯れ木が燃え上がりゴブリンが慌てて降りて行き、散り散りになって行く様を見届ける。囮となっていたゴブリンも、その内の一匹を追い掛けて退散した。
「なんで、他人の馬鹿で骨を折らなきゃならないんだよ」
鏑矢と飾矢を一本ずつ失った。収支としてはマイナスしかない。
アレウスは周囲に気を張りつつ、アベリアの元へと戻る。
「助かった」
「ここからだと、ギリギリでしか見えなかった」
「そんなに距離が無いから見えると思ったんだけど、駄目か。でもあれ以上、目立つ飾りを付けるともっと距離が短くなる」
「うーん……」
「身を隠していたのに、どうして魔法を撃つところを決められたんだ?」
「飾りの付いた矢をアレウスが射った。射って、刺さったところが私の魔法を撃つ地点。火球にしようかと思ったけど、魔力が勿体無いから火を起こす魔法にした」
これ以上は説明したくないといった様子でアベリアはアレウスの後ろに付く。
「鏑矢で注意を引いたのは回復を間に合わせるためと、この位置からだと男を外した矢が降って来るかも知れなかったから」
「協力してくれて、感謝する」
「協力? こっちはまるで助かっていない。大事な矢を二本使って、アベリアも魔力を使った。協力じゃない。これはただ僕たちが救援しただけだ。言葉を間違えるな。僕たちに、お前たちは助けられただけ。お前たちは、僕たちを助けていない」
それだけ告げて、アレウスはアベリアと共にその場を引き上げる。四人の男たちは二人に掛ける言葉も見つからず、ただ見送るだけだった。
「敵を作るよ?」
「もし彼らが冒険者になったとしても、あんな馬鹿とは組まない」
「それは同感だけど……それなら、助けなくても」
「冒険者は守る仕事だと、教わった」
「……うん」
「信じたい奴だけ信じて、信じられない奴は信じない。あとは信じたい時だけ都合良く信じる。今のところ、信じられるのは君だけだ」
「ありがと」
アベリアはアレウスの信じた通りに枯れ木を燃やした。やれると言えば絶対にやるし、駄目だと言ったなら絶対に駄目なのだろうと思わせるだけの意思の強さがある。そんな彼女以上に信じられる者などこの先、現れるかどうか。難しいところかも知れない。
「問題は、二人だけじゃ異界を壊すには足りない」
「ずっと言ってる」
「ずっと抱えている問題だからな」
壁沿いまで注意深く戻り、アベリアがマッピングをし直す。面倒なことはあったが、地図そのものが大きく乱れている様子は無い。この冷静さはアレウスには無いものだ。交戦状態になっている、或いはなにかをやらなければと思っている時に、他のことまで頭は回らない。地図のことなんて頭から遠のいてしまう。だからアレウスは前衛にはなれてもマッピングをすることが出来ない。
「ゴブリンはどうする?」
「戦闘は極力避ける。ゴブリンは数で勝負して来るから、二人じゃ手数が怪しい」
「アレウスに集まるかも」
「それでも避けるだけ避ける。避けられないなら、覚悟を決める」
一年間の学びの中で、『アーティファクト』なる物の存在をアレウスたちは知った。そして、自身は『大鬼の右腕』――『オーガの右腕』をロジック内に収めている。筋力にボーナスが付く代わりに、魔物の臭いを僅かながら体臭として発するために、一部の魔物がそれを嗅ぎ付けて寄って来るというもの。ゴブリンやオーク、コボルトのようなオーガに従属しやすい魔物が特に寄り付き、逆にそれらの魔物に使役される側の四足歩行の獣は例外を除いて寄り付かない。その例外も多数あり過ぎるので、本当の本当に下級の魔物ぐらいしか追い払えないと思った方が良い。
「ゴブリンやコボルトなんかは僅かに精霊の祝福が掛かっているって聞いたけどな」
思い出したように、以前から抱えていた疑問をアベリアにぶつける。
「精霊はなにに対しても平等で中立だから、魔物だろうと命があるなら祝福するみたい。ただ、魔物は祝福に抵抗力があるから、ほんの僅かになっちゃう」
人間にしか協力しない精霊の物語なら、記憶の範疇で幾らでも思い出せるのだが、この世界の精霊は人種だけを特別扱いしてはくれないようだ。そんな平等なのかちょっと不平等なのか分からない精霊のことを考えつつも進み続け、遠くに目当ての登るための穴を見つけるものの立ち止まらされる。またもゴブリンが行く手を阻んでいる。今回は一匹ではなく、しっかりと徒党を組んで人語では理解し難い声でなにやら喚き散らしている。
「これぐらい離れていたら、まだ臭いでは気付かれないみたいだな」
「臭いがどれくらいで感知されるかを調べるには丁度良いのかも」
「一匹だったら良いんだが、ゴブリンがそう都合良く一匹で活動はしない」
さっきも一匹は囮で、しっかりと弓兵が居た。穴の前でたむろしているゴブリンが先ほど交戦した相手かの判断は付けられない。そこまでの見極める経験が無い。ゴブリンとの交戦自体が初めてなのだ。魔物の知識など大抵が文献や記録を読んで頭に入れただけに過ぎない。このような実戦では、それらに書かれている通りの対処が果たして正しいのかどうかすら分からなくなる。得た知識を有効に活用できるか否か。それもまた冒険者にとって必要な技能だ。それは分かる。だが、今ここで経験したことの方が強烈でそして刺激的だったために、書かれていた内容に疑心暗鬼にならざるを得ない。




