クラリエの将来
「いつから気付いていた、とお尋ねしても?」
「出会ったときにはもう気付いていました」
「では何故、そこですぐには訊ねてこなかったのですか?」
「すぐに死んでいることを伝えていいものかどうか分かりませんでした。魂の虜囚の中には気付かないまま死んでいる者もいるので、エウカリスさんも気付いていらっしゃらない場合、僕は疑われ、そしてあなたの矢で射殺されるのでは不安がありました。あと、クラリエさんがこれっぽっちも気付いていないように見えたので、そちらへのショックも考え、今まで黙っていました」
「賢明な判断とは言えますが、ある意味では問題の先送りとも言えますね」
「それを言うなら、エウカリスさんもクラリエさんと再会した当初に、現状をお伝えすればよかったのでは?」
「……でしょうね。確かに、アレウスの言うことが正しいのでしょう。ですが、正しさは形を変えるのです。伝えることよりも伝えないことが正しいこともあります」
「けれどそれは、結果的に見なければ分からない。すぐには正しいという答えが出ないものでもあります」
「そう、これもまた問題の先送り。あなたも私も、正しいと信じて黙っていました。そしてそれが、結果的に正しくなるかどうかは、この時点ではまだ分からない」
エウカリスが首筋の傷痕を指でなぞる。
「クラリェット様の叔父様は、決して詰めが甘くはありませんでした。ただ、クラリエ様の言葉に一種の情念が、そして私の表情から僅かな迷いが生じたのは確かなこと。それでも、あの方は使命を全うするために刃を振るった。私はそこで絶命こそしませんでしたが、その刃は致命傷に足る代物でした。しかしながら息がある私にトドメを刺さなかったのは、いずれ死に行く命を刈り取ることの無意味さを知っていたのでしょう。自然に任せて死に至らせることが私への厳罰であり、それよりも私がクラリェット様に与えた毒の処置を急いだのです」
「なら、どうして異界に?」
「……私はいつ死ぬやもしれない状態で放置され、死を待っていました。しかし、そこにミディアムビーストが押し寄せてきたのです。そう、あのとき、私が壊そうとしたクラリェット様の故郷である森は、争いの惨禍に呑まれる間際にありました。だからこそ、この異界の主は食指を動かしたのでしょう。私のすぐ傍に“穴”は現れました。けれど、私は身を動かすこともままなりませんでしたし、“穴”に吸い寄せられるほどの距離にいたわけでもありません」
「誰かに放り込まれた?」
「ええ。恐らくはミディアムビーストの、名のある者でした。王の気質を纏い、私を『灰銀』と罵り、弔いとでも言いたげに見つめながら“穴”へと堕としたのです」
獣人の王がアレウスの世代の王なのか、それとも一世代も二世代も前の世代なのかまでは訊ね辛い。そして訊ねたところで、アレウスがその王を探せるわけも、そして立てるわけでもない。いずれにせよ、外に出れば分かることをここで聞いても仕方がないのだ。
「そして、異界で絶命した……というわけですか」
「はい。この異界はそういった光景がよく見られます。私が堕ちて、その後も何度か堕ちる者を見ましたが、瀕死の者がほとんどで、無傷で堕ちてくる者は一人としていない。これも異界の主の好みなのでしょう?」
「争いの場に“穴”を用意し、死にかけ、そして死んでいる者を争いで気の狂った者に堕としてもらう。そして、既に死んでいるのなら魂ではなく死体を利用して魔物とこねくり合わせて亜人を作る。魂と魔物だけでなく、死体と魔物も組み合わせているとしか思えないんですよ」
「思えないとは?」
「でなければ、蠱毒のように争い合わせ、殺し合わせることができるほどの数を確保できません。ベースに残る魂の虜囚の数を見ても、外を歩き回る亜人とでは数に差がありすぎるんです」
「数が減っているのか増えているのかはともかくとして、魔物の中でも亜人ばかりが蔓延る異界にはならない」
「そういうことです」
話が一段落し、エウカリスは小さく息を吐く。
「クラリェット様には、私が死んでいることは内密にお願いいたします」
「自身の口から伝えるということですか?」
「いえ……あの方は、とても泣き虫でしたし、森ではいつも私を振り回していました。なので、私が死んでいると知ったら絶対に異界から出て行きません。知らないまま、そして知らされないまま、私との決別が行われた方が、よいのです」
それをアレウスはエウカリスの言う「よい」とは思わない。
「分かりました」
だが、伝えれば信用を失う。脱出するには、エウカリスとクラリエのように気配を限りなくゼロにして景色に溶け込めるような斥候が必要不可欠だ。そして、異界のことをよく知る彼女の協力がなければ、効率よく調査することもできはしない。
「なにも問題はありません。クリュプトン・ロゼが用いる力の謎は、そこで解明します」
「クラリエさんの脱出のために、同じような力を行使するんですか?」
「ロゼの血統には決して及びはしませんが、異界の主の足を止めさせるには足るのでは、と……少し、異界獣を軽んじすぎでしょうか?」
「異界獣は僕たちの想定を越えて来ます。通用しなかった場合の第二の手段も、考えてくださるとありがたいです。僕も逃げる方法を幾つか考え出しますので」
「分かりました」
そう答えるエウカリスだったが、アレウスの考えているあらゆる逃走方法よりも、自らの手でどうにかするという強い意思が瞳からは伝わってきている。
「外では、クラリェット様をよろしくお願いします」
「よろしくされなくとも、クラリエさんはそこまで心配するほど世間知らずではないと思いますけど」
「その辺りは世間に揉まれて育ったでしょうから、心配しておりません。心配なのは、交友関係なのです」
「それはつまり、僕みたいな人と仲良くしないように見張れと?」
「アレウスはクラリェット様が見込んで、連れ立っている者です。ならば、とやかく言うことはしません。本当ならば、とやかく言いたいところですが」
所々で本音が出てくる。
「エルフは私の知っている時代より以前から、その血が弱まっていることをご存知ですか?」
「知りません」
「昔は子宝にも恵まれ、少なくとも五人、多くて十人という大所帯なんてこともありました。ですが、創世より生き続けた血の定めなのか、最盛期を過ぎてしまいました。だからか、エルフは子供を産んでも一人、良くて二人となってしまいました。そう考えるならば、ナーツェの一族はまだ子宝に恵まれていたのでしょうね」
「それは、肉体的な問題なのかそれとも精神的な問題なのか」
性欲が衰えているだとか、そのような話ならば異性であるエウカリスと深く話したくはない。それはどうにも慣れていない上に、いわゆるムラムラとした感情に振り回されかねないからだ。
「両者ともにあります。エルフは妊娠すればするほど生殖能力が弱まっていくのです。それはパートナーであるエルフもまた同じです。恐らく、母性と父性を宿すとエルフは衰えるように、血が変質してしまったのでしょう。ですが、エルフはまだ良い。望めば、願えば、そして魔法の叡智さえあれば、三人、四人と恵まれる者も現れます。極めて、少数にはなりますが」
「エルフの出生率について語るのと、クラリエさんをよろしくされる理由が繋がりません」
「クラリェット様はダークエルフであり、そしてハーフエルフでもあると私はこの場で知りました。ハーフエルフはヒューマンの世間に溶け込んではいますが、ミーディアム。もっと専門的な言葉で言えばミディアムエルフ。ヒューマンと交わったが故に産まれました」
「そうですね」
「交雑は、生殖能力を失わせます」
「……他人種同士で交わると、動物と同じような異種交配の現象が起こると?」
種の違う動物同士で交配を行うと、産まれた個体は高確率で生殖能力を持たない。だが、他人種とはいえ、“人間”と分類さえされていれば交わっても、生殖能力の欠落は滅多なことでは生じないとアレウスの知識にはある。
「ヒューマンの血がそうでないのだとしても、エルフやドワーフはそうであるのでしょう」
「つまり、ミーディアムは子孫を残せない?」
「現実的に言えば、残せはします。ただし、産めるのは一人とエルフの研究では結論が出ています」
「全てのミーディアムが?」
「全てのミーディアムが、です。これは男性にも言えることです。不思議なことに、特定の異性とパートナーとなり、その異性が子供を身ごもると生殖機能を喪失します。母性、父性が関わっている可能性もありますが、やはり交雑のリスクが起こっているのではと」
では、ハーフエルフのクラリエやミディアムガルーダのクルタニカは子供を作りたいと思っても、たった一人しか身ごもれないということなのだろうか。いや、そもそも二人の子孫云々について深く考えるのは嫌なのだが、生物学的な観点からはエウカリスの言っていることを含めるとそうなる。
「……だから交友関係を見張れということなんですね。ろくでなしに引っ掛からないように」
「そうです。ナーツェの血統を穢してはならない、というのはエルフとしての建前。そしてここからは私の意見です。クラリェット様がどこの馬の骨かも分からないような男に引っ掛かり、そして子供を身ごもるようなことがあってはなりません」
そこにはきっと、アレウスも含まれている。別にアレウスはクラリエとそういう関係になりたいと思ったことはない。しかし、淫らな妄想の中で彼女を思い描いたことはあるので、なんともエウカリスとは目を合わせ辛くなってしまう。
「クラリエさんは、エウカリスさんの中ではまだまだ子供のようなイメージがあるのかも知れませんが、分別や変な男に引っ掛からない程度の常識は持っていますよ?」
「ミーディアムは惚れると、止まらなくなります」
「え?」
「こればかりは私も、どれだけの偏見を取っ払おうと思っても取っ払えない、ミーディアムの最低な本能だと思っています。言いますよ? 全てのミーディアムは、一度惚れると、ずっとその相手を追いかけてしまいます。それは子供を宿すまで、子供を宿してもらえるまで続きます」
アレウスは顔を両手で覆い、深く、深くその事実を飲み込むのに時間を要す。
「変な男に惚れたら、その男をずっと追いかける……?」
エウカリスが肯いた。
「けれども、ハーフエルフは非常に惚れにくいです。他のミーディアムもすべからくそうであるかは不明ですが」
「惚れにくいやら惚れやすいやら研究結果があっても、結局はろくでなしに惚れたら無意味じゃありません?」
「確かに」
とんでもない問題をクラリエが抱えていることを知り、そして同時にそれはクルタニカにも言えることとも知り、なんで異性のそういう一面を知らなきゃならないんだと、三つの理由でアレウスはこの話題に根を上げたくなった。
「もしもクラリェット様がろくでなしになびきそうなことがあったなら、あなたが無理やりにでも惚れさせてください。それが、一番……いえ、十番ぐらいですけど、マシなので」
「え……普通に嫌なんですけど」
この日一番の、エウカリスの強い殺意をアレウスは感じ取る。
「クラリェット様の容姿や性格がご不満があると?」
「いえ、いや、いえいえいえ、そうじゃなくてですね」
言い繕う。繕わなければならない。
「僕、別に色情狂でもないですし、多数の女性に好意を向けられても、それに応えるだけの甲斐性を持ち合わせていないので無理です」
「良いじゃないですか、一夫多妻制。確か、ヒューマンの間ではハーレムとも言われていたような」
「じゃぁエウカリスさん、考えてみてください」
「はい」
「あなたの周りには、十人十色とも言うべき様々な異性が立っています。その誰もが美男子、或いは美形であり、なにかしらの強い個性を持った者たちです。独特の口癖、独特の過去、独特の価値観を持っています。けれど、その誰もが無条件であなたに好意を向けています。それも信じられないほどの好意です。暇さえあれば接吻でもしそうなレベルで言い寄られています。そして、それは一日で終わらず、一妻多夫制度によって結婚し、その後何年、何十年も続きます。どう思いますか?」
「死ぬほど面倒なので途中で逃げ出しそうですね」
「それが僕の気持ちです」
「……ですが、男性は色んな女性の味を知りたいのでは?」
「そんな男にあなたはクラリエさんを惚れさせたいですか?」
「させたくはありませんが、あなたがクラリェット様と相思相愛になれば、最終手段としてはマシになるのでは?」
解決策を見つけたかのような表情である。それが間違いだということにも気付いていないらしい。
「クラリエさんの将来を心配するあまり、エウカリスさんの頭がおかしくなってますよ?」
「エルフにとって、クラリェット様は希望の星なのです」
「それを殺そうとした頃もあったんですよね?」
「死んだ今となっては、クラリェット様が死んでいないのであれば幸せに生きてもらいたいんですよ」
エウカリスは血を妬んでいた。ナーツェの血統であることを強く強く妬んでいた。しかし、クラリエがハイエルフでなかったことや、ダークエルフになった事実を知り、血統への妬みは未だ残るものの、同時に彼女が背負わされているものに気付いたのかもしれない。
それでも、殺そうとした罪は消え去らない。
こんな、クラリエの将来を心配している彼女にさえ、どこまでが嘘でどこまでが真実なのかという疑いの目を向け続けなければならない。
そしてエウカリスもまた、アレウスを信用するとは口にしてはいても、いついかなるときも気を張り続けている。これはきっと、異界から脱出するそのときまで、終わることはないのだろう。




