憶測を立てて、仕組みを知る
この異界に滞在してから、二度目の夜が訪れる。朝に力関係――もとい手合わせがあったおかげか、エウカリスの小屋には彼女を衣食住で支援している人以外が訪れることはなかった。それでも片手の指で数えられる程度だ。外との関係をなるべく作らないようにしているのかもしれないが、アレウスとアベリアの借家にも彼女の人間関係の乏しさを批判できるほど来訪する者はいないので、逆にこれが一般的なのではと思い込みたくなってしまう。
「なにか?」
「いえ」
「今、絶対に私を小馬鹿にするようなことを考えていらっしゃいましたね?」
「被害妄想も甚だしいですね」
「仲が良いんだか悪いんだか……というか、顔を見ただけで相手の心情を疑うのは良くないよ、エウカリス。話も逸れちゃうし」
そうやってクラリエが釘を刺すのだが、そもそもの主従関係は崩壊しているのでエウカリスが彼女の言ったことに従わないだろう。
「はい、互いに疑うのは終わり。話を戻すよ? エウカリスがここに来てから“穴”は見つけたことがない?」
エウカリスが描き上げた地図をテーブルに広げつつ、アレウスやクラリエよりもこの異界のことには詳しいだろうエウカリスから情報を掻き集める。
「危険なところまで足を運んだこともありませんので、確証を持っては言えませんが、見つけたことはありません。その、異界を渡るための穴がアレウスの言うように空気を吸い込む、又は吐き出すような性質を持っているのであれば、当然ながら空気中に漂う魔力も吸い込んだり、吐き出したりしていると思われます。ですが、私はそんな光景を見たことはありませんし、森の声も耳にしたことはありません」
「堕ちる穴と登る穴……あるんだよね?」
クラリエがアレウスに強く返事を求めてくる。
「有る……場合もあれば無い場合もあります」
「え、なにそれ。さっきまでは有るって言っていたのに」
「今までの異界では存在していました。でも、この異界には無いのかも知れません」
アレウスは地図に指を滑らしながら考えを伝える。
「全何界層か。それを考える以前に、この界層そのものが広すぎるんです。エウカリスさん、見えない壁に阻まれるようなこともないんですよね?」
「ありませんね。何度も言いますが、そこまで遠くに足を運んでいないのも要因としてあることは踏まえておいてください」
「それにしても、こんな大きな地図になるほどの広さは異常です」
そう、とにかくこの異界、この界層は広すぎる。
「広間、通路、広間といった異界の典型的な形状を取っているわけでもなく、なにかしらの方法で異界に堕ちた人種を分断するような物が働いているわけでもなく、だだっ広い。僕が知る異界のどの形状にも当てはまりません」
リオンの異界は洞窟で、広間と通路が交互に並ぶような形状で、ベース付近は太陽のような光に照らされてはいたが、しっかりとした岩壁があり、空間の終わりを示していた。ピスケスの異界は魔力の海ではあったが、あれは堕ちた者をほぼ行動不能に陥らせるための仕掛けであって、ここまで広いわけでは決してないはずだ。もし広いのだとしても、この異界に比べればまだ狭いに違いない。
「ただただ広い。ただただ亜人が争い、喰うか喰われるかの戦いを繰り広げ、ベースへとやってくる。魂の虜囚と魔物が異界獣の力で無理にくっ付いて、人のようで人でない魔物を生み出し続けている」
「穴が無ければ脱出も不可能では?」
「いえ、堕ちる穴が無いだけで、脱出するための穴はあるんです。つまり、なにが言いたいかと言うと……僕たちがいるこの界層が、第一界層であり、それ以外の界層がない。外に出るための穴しか存在しないところなのでは、という予想です」
洞窟、森林、海底と体験してきた異界を表すのなら、この異界は『戦場』だ。
「それは、異界獣にとっては良くないことなのでは? 逃げられやすいじゃありませんか」
「決して逃げられないという自信を異界獣が持っていたとしたら?」
アレウスはもう一度、地図を眺める。
「異界獣にとって、このベースは最終感知エリアではないんです。恐らく、ここの異界獣の最終感知エリアは極端に狭い。それこそ、脱出するための穴の周辺……その穴も場合によっては移動するので、移動するたびに感知する範囲を変更してはいるものの、どの異界にもある安全地帯であるベースにまで範囲を伸ばせない」
そもそも、魂の虜囚が作り出した村や集落が存在し続けることができるのは、異界獣の監視の外にあるためだ。界層を深くすればするほど異界獣は自分の巣穴の管理が行き届かなくなる。界層を浅くすればベースそのものが存在しないが、代わりに獲物には逃げられやすい。
「でも、深い界層でそれをやった方が良いんじゃない?」
「界層で分けると、争いが小規模になってしまいます。異界獣は広い戦場で、亜人同士の争いと、そこから派生した亜人と魂の虜囚同士の争いを望んでいます。衝突による魔力の放出、そして争う景色を眺めているのが好きなんでしょう」
「随分と趣味の悪い異界獣ですね」
エウカリスは腕を組んで、寒気を示すように身を少しだけ震えさせる。
「深さと浅さと同じように、狭さと広さも同義です。狭ければ僕たちにとっては逃げやすく、広ければ逃げにくいものの異界獣にとっての盲点が生じて、このように安全地帯が生まれるんです」
「確かに、私たちがずっとベースに身を潜めているのにも関わらず、異界獣は一度として姿を現したことはありません。しかし、これは不自然ではありませんか? 通常、自身の巣穴たる異界となれば、常々に無法者が入らないように見張るものだと思うのですが」
「ピスケスと呼ばれる異界獣は僕たちが堕ちた途端に姿を見せました。泳ぎ続けることで魔力を吸収しますが、同時に運動によって魔力を消費する。そのサイクルを続けている異界獣でした。僕とアベリアが堕ちていた異界獣がどうだったかは定かではありませんが、やはりそこでもベースには姿を見せることはなく、界層を登るまでの五年、姿すら見たことがありませんでした。なので、推測になるんですが、」
「異界獣は自分自身を動かすためのエネルギーが段違いで多い。そうでしょ?」
クラリエに言いたいことを言われた。
「はい。なので、全ての異界という巣穴では、入り込んだ獲物から手を下すことなく常々に魔力を供給するような仕組み――概念となっているわけです」
「なるべく動かずに食べるものだけ食べたいというわけですか。なんともぐうたらな生命体じゃないですか」
「そのぐうたらな生命体が僕たちの生殺与奪の権利を握っています」
そして、ぐうたらしていてくれればいいのに、逃げ出そうとする者を決して許さない。それでも逃げ出さなければならない。
「あたしはギルドで、異界獣は獲物を追いかけて外の世界にも出てしまうって聞いたよ?」
「はい。なので、アベリアが絶対に助けに来てくれることを前提として話しますが、外に出てすぐに僕たちで異界の穴のロジックを開きます」
「異界のロジックを開く?」
「概念に干渉します。“有る”を“無い”に書き換える。開いているものを閉じます。なので、異界獣が出てくる前に穴は塞ぐことができます。でも……概念を開くためには、異界について深く知っておかなきゃなりません」
出て来る魔物もそうだが、異界獣がどのような性質を持っているのか。更にはベースのルールや、魂の虜囚がどのような生活をしているのか。元々の職業、そしてその生き様についても知っておきたい。それらから導き出される異界の仕組みを把握してようやく概念には干渉できる。
現状、アレウスとアベリアが閉じられるのはリオンの異界だけだ。ピスケスの異界は勝手に消えた。けれど、リオンもピスケスも倒せていない。異界獣が生きている限り、異界は作られ続ける。それでも、異界獣が世界に飛び出すことだけは防げる。
「ヒューマンは神官のみがロジックを開くことができると聞いています。アレウスはそういった場所で修業をしていたのですか?」
「いえ、僕は元からロジックを開けます」
「……魔法の叡智に触れていないのにですか?」
「はい」
「あたしから見ても、アレウス君が魔力を持っているようには感じられないけど、エウカリスはどう? ハイエルフのあなたなら、もっと深く魔力の流れを見ることができるはずでしょ?」
「『灰銀』とはいえ、腐ってもハイエルフです。クラリェット様の言うように体内を流れる魔力を見ることは可能ですが……アレウスには、魔力の器を見ることができません。なのにどうして、ロジックを開く……? 書き換えることだってできる……? それも、異界の概念に触れることさえ可能とは……?」
「近いんですけど」
アレウスの能力について、探究心が芽生えたらしく、エウカリスは間近でジッと見つめてくる。
「…………一つ、可能性が見えてはきたのですが、極めて特殊な者なのやもしれません。おいそれと口にしていいものか憚られますね」
「あたしたち以外いないんだから、いいんじゃない?」
「いえ、まだ私の中で理論的に説明できるかどうか不安なのです。憶測や推測だけでアレウスに思い込ませてしまえば、真実の能力から遠ざかってしまいます。なので、私の中でもう少しだけ考えさせてください」




