血統の力か、鍛え上げた力か
「さて、当面の面倒事からは解放されましたね」
男が降参後もアレウスに刃を向けることがなかったので、試合のようなそれとも試合じゃないような手合わせはそこで完全に終わりとなった。男はとても悔しそうに、そしてアレウスを憎らしそうに睨み付けてから、連れていた女と共に大きな家屋へと姿を消した。
「エウカリスさんの面倒事であって僕たちの面倒事じゃないですよ」
「それにしても年下に負かされるのはどうなんですかね。悔しいのは当然でしょうけれど」
「プライドが邪魔さえしなければ、自身の鍛錬不足と戦術の弱さを反省すると思います」
「世の中の者たちが皆、そのように省みることのできる性根を持っているわけではありませんよ。あの男の場合は、あなたが夜道で歩いていたらならば突如として後ろから襲い掛かるぐらいはするでしょうし、もし亜人を殺す際に協力することになってもあなたの足を引っ張って、事故という形で死んでくれないかと願うはずです」
あまりにも具体的なことを言うので、アレウスもクラリエもエウカリスから半歩ほど距離を置いて歩く。
「そういえば、僕の耳を触りましたけど、特になんにも変わりませんでしたよ?」
「つい先ほどまで血が通っていないような、そんな同胞の耳に語り掛けたところですぐにあなたが理解するほどの現象が起きることはありません。私はあくまで、あなたの耳にまだ“生きている”ことを伝えたに過ぎません。それをどう受け取るかは、あなたのその同化している同胞の耳次第です」
アーティファクトにはなっているが、しかし肉体の一部として現出しているのがアレウスの左耳だ。死体から奪ったものであるので、エウカリスの言うように血が通い、その機能が彼女の求めるようなものになるには時間を要するのかもしれない。だが、どのように変わるのかは教えてもらっていない。
「これまでも左耳で違和感は?」
「あったと言えばありましたけど……ああ、そうだ。外の世界でエルフを見るよりも先に、強い耳鳴りを感じました」
「強い……耳鳴り?」
エウカリスは考えながら、到着した小屋の扉の鍵を開け、アレウスたちを中に通す。
「クリュプトン・ロゼが矢を放つよりも先に、アレウス君はクルタニカちゃんに声をかけていたよね」
そこにクラリエが補足する。すると、彼女の口から零れ出た名前がエウカリスにとっては聞き流せない代物だったらしく、テーブルに置くはずだった紙袋を落とし、食材を床に落としてしまう。
「ロゼ……? ロゼ……の血統? その直系ですか?」
「なにをそんなに驚いて……あ、御免……『灰銀』、か」
クラリエが申し訳なさそうに言って、それからゆっくりと下がる。恐らくはエウカリスの逆鱗に触れてしまったのではという不安からの対応だろう。しかし、アレウスはその逆鱗にはまだ触れていないので、転がった食材を一つ一つ丁寧に拾い、テーブルに置いていく。
「『灰銀』であっても、英雄になれるやもしれない。そう思わせてくれたのが、クリュプトン・ロゼ。『星狩り』と謳われるハイエルフです」
「あのエルフは、『灰銀』という理由だけで森の外に出ることも叶わず、飼い殺されると」
「実際、『灰銀』に与えられる生き様は、豪華絢爛な冒険譚からは外れてしまうのです。クリュプトン・ロゼは『灰銀』の中でも、蔑みを受けつつも森を飛び出し、名を上げた冒険者。しかし、どれだけ名を上げようと、ナーツェの血統を第一とする森だけでなく、全てのエルフの森は、英雄として認めることはありませんでした。私もまた『灰銀』です。そのことを隠してクラリェット様の侍女として暮らしていたのですが……その事実を知り、絶望しました。世界はこんなにも、同族ですらも、簡単に迫害するのだ……と。その努力を認めはしないのだ、と。獣人の囁きに乗ってしまったのは、その一面もあるのです。でも、それが正しかったとは、今や思ってもいませんが」
「あたしはそのクリュプトン・ロゼに異界に堕とされた。ナーツェの血統に強い恨みと執着を感じたのは、冒険者の中で『星狩り』と謳われても、故郷では決して認められることがなかったから……だから、ナーツェという、産まれただけで全てのエルフに認められる血統のあたしを、狙った?」
「ロゼの血統がまさか、クラリェット様を襲うなんて……外の世界は、私がこの異界で生き抜いていた間に、とんでもないことになっているようですね」
アレウスが拾い上げた食材を、屈んだエウカリスに手渡す。動揺の色は消えてはいないが、ともかくも動けるようにはなったらしい。
「ロゼ……そう、ロゼの血統なんだけど。赤い矢は一体、なんなの?」
「私はあなたのお母様のような『賢者』ではありませんので、訊ねられたことに全て答えられるわけじゃありません。なので、知っていることを伝えるならば、ロゼの血統だからこそですよ」
「アーティファクトってこと?」
「そうとも言いますし、同時にそうとも限りません」
「ん~、分かんないけど、エウカリスがそういうこと言うときって絶対に教えてくれないからなぁ」
クラリエは早々に根を上げた。
「一子相伝、門外不出の技が全人種にあるように、そのロゼの血統であるからこその一子相伝、或いは伝わる能力や技能があると言いたんじゃないですか?」
「非常に近いですね。ただ、それ以上は調べないようにしてください。或いは……私がこの手で、調べなくともいいように形として示すことになるやもしれません」
「どういうこと? エウカリスもなにか隠しているの?」
「はい。そりゃもう沢山。当たり前じゃないですか。だって私は、あなたを殺そうとした暗殺者みたいなものなんですから」
普段は冷静に物事を並べ、順序良く説明してくれるエウカリスだが、クラリエと話すときだけは調子を崩す。いや、昔を懐かしむかのようにクラリエを困らせている。命を取り合ったからこそ成立しているのか、それとも過去にしがみ付いているせいでお互いに離れられていないのか。そのどちらかだろうとアレウスは即座に判断したが、答えをどちらか一方に絞ることはできない。
「血統……血統か」
この世では産まれが全てなのだとすれば、アレウスが『至高』に登るなど夢のまた夢になる。同時に、異界獣を倒す目的も霞んでしまいかねない。産まれたときから恵まれている者、そうでない者の差はあれど、冒険者としての素質はその限りではないと思いたい。
「ロゼの血統は、『命』という言霊を用いてはいませんでしたか?」
立ち上がり、考えていたアレウスに対してエウカリスが訊ねる。
「はい」
「では、私の見立て通りのことをロゼの血統はやっているのでしょう。私よりも長く生きているのですから、躊躇いがないということです」
それではエウカリスやクラリエが同じような力を秘めていた場合、躊躇うということなのだろうか。
とにかく、あの赤い矢の力には秘めたるなにかがあるのだ。『命』を言霊とするように、あのエルフが本当に寿命を削って力を行使しているとも考えられるが、長命のエルフにとってそれはデメリットとはならない。一回の発動で年単位で削っているなら話は別だが、それほど削るならもっと力としては強く顕現してもおかしくはない。
「星を穿つとも言っていましたが」
「言葉通りです。クリュプトン・ロゼは実際に流星を射抜いています」
「本当ですか?」
眉唾な話なので、アレウスはエウカリスに確認を求める。
「私たちエルフの間では有名な話です。でなければ『星狩り』などという異名が与えられますでしょうか?」
「そりゃそうですけど」
「もしも、流星を射抜いていないのだとしても、流星が如き矢を放ち、星を砕くほどの力を持ち合わせているとも受け取れます」
アレウスは見たものしか信じないので、そっちの言い回しの方がしっくりと来る。クルタニカを追尾し、貫いた矢はエウカリスが言った通りの力を持ち合わせているに違いない。それこそ、全身全霊で射っていたならば、クルタニカは避けることさえ出来なかったのではないだろうか。
「あの力の根源がなんなのか、エウカリスさんは分かっている。けれど、教えないと?」
「教えないとは言っていません。ただ、教えるべき時が今ではないと言っているのです」
「何故?」
「教えたなら、絶対にあなたとクラリェット様が無茶をなさると想像できるからです」
クリュプトンの力は血統によるものではなく、アレウスやクラリエでも再現――又は、それに近い力を獲得可能であるということを暗に伝えている。だが、それをすぐに教えてこないのなら、きっと代償を伴うのだ。
力はなにもないところから突然、手に入るものではない。得たのなら代償を支払う。単純に武器を振るう攻撃においても、体力を代償として支払っている。魔法は魔力を支払っている。それらを超越する力は、それらを凌駕する代償が待っている。
「じゃ、本格的にこの異界からの脱出作戦を練ろっか」
敢えて、なのかそれともエウカリスの発言から幾つかの推測を立てられているからなのか、クラリエは一切、話には乗ってはこない。興味本位で知る力の代償を怖れているとも受け取れる。
「あたしたちはまだ、この異界が何界層に渡って作られているかも知らないままだし、ここが深いところなのかそれとも浅いところなのかも分からない。ベースがあるってことは深いところだとアレウス君は言っていたような気もするけど」
「確認できていない以上は、ここが浅い界層であることも可能性としてはあります。でも、だからって簡単に脱出できるわけでもないんです。出口が近ければ近いほどに異界獣の最終感知エリアとなります。ここを通れば、必ず異界獣に気付かれる場所とも言えます。異界獣は自身の魔力供給源を見逃すことをしません。それでも逃げ出そうとするならば、殺して魂の虜囚にします」
「すぐ殺さないのはなんで?」
「生きている方が魔力の純度が高くて吸収効率が良いんです。だから、定期的に人種を異界に堕とします。でも、異界獣は脱出を試みようとしない限りは生きている者と魂の虜囚の区別が付いていません。なので僕たちは異界獣の目から逃れられているんです」
「異界知識が豊富なところ申し訳ないけど、もうちょっとゆっくり喋ってくれない?」
「自分の知識をひけらかす時ほど饒舌になるのはヒューマンに限らず、全ての人種の特徴です。沢山ある情報量をとにかく一刻も早く伝えたいと思うことで生じるのに、何故か頭では纏まっているのに口にすると全然、纏められないという現象を伴います」
「否定されるより分析される方が嫌なんでやめてくれませんか?」




