露払いに利用される
実のところ、争っている場合ではない。一刻も早く、ここを抜け出すための策をエウカリスと練っていかなければならない。だが、彼女が面倒事に巻き込まれ続けていれば、その策を練るための貴重な時間が奪われてしまう。エウカリスが女連れの男を無視し、放置したままでは思いもよらぬ方法で足を引っ張られるかもしれない。それを未然に阻止すると考えるならば、この腕試しも必要な過程となる。そのようにアレウスは納得する。強引に納得しておかなければ、亜人でも魔物でもないのに短剣は振るえない。ただし、信用できない神官モドキは例外としておく。
「そうでした、アレウス」
「なんです?」
準備運動をしているアレウスにエウカリスが近付き、左耳に指を滑らせてきた。特に扇情的でも、艶めかしい手付きでもなかったのだが、囁くでもないのに触れられたことがなかったために、男としての本能として全身に甘い痺れが走った。
「なんなんですか?」
だが、その甘美な感覚に酔い痴れていることに彼女が気付けば、築き上げられつつある関係が意図も容易く崩れるだろうと思い、素早く手を払って抗議を示す。
「あなたの左耳に、“聴こえている”と伝えておきたかっただけですが」
「だからっていきなり了承もなしに耳に触れてこないで下さい」
「アレウス君がなにを言いたのか、私は分かるけどエウカリスは多分、分かんないよねぇ」
「その言い方から察するに、大して面白くもないことなのでしょう」
「面白いかどうかは聞いてからにした方が良いかもよ?」
クラリエがエウカリスの、そっち方面に関する動揺の表情を見たいがためにアレウスの信用が落ちかねないことを囁こうとしている。
「僕で遊ぶのはやめてくれません?」
「違う違う、これは遊んでいるんじゃなくて、元侍女に対しての私なりの教育だから」
受け流され、クラリエは結局、エウカリスにアレウスがどうしてあのような反応をしたのかどうかを伝えてしまう。彼女はしばらくしてからきっと殺意に似た視線をアレウスに向けてくるだろうと思い、もはや二人の経過については思考の外に放り出して、剣を鞘から抜いて、独特の構えを取っている男に向き直る。
「二人のエルフと仲良くしているなんて、ガキには勿体無い」
「知識という面で勿体無いという意味ですか?」
「いいや、男と女という意味で勿体無いということさ」
頭脳、思考、その他諸々がどうやらアレウスとは元の部分から異なるらしい。エルフの知識に興味を示さず、その美貌だけを求めている。あまりにも身勝手で、あまりにも幼稚である。
しかし、幼い、稚拙ということは同時に純粋であることを指す。つまり、男は純粋に欲望に従っている。だから男には女を侍らせるだけの魅力があるのだ。
「ガキ相手でも手加減はしないよ」
「こっちも加減は出来ないので、ありがたい限りです」
「まったく、これだからガキは嫌いなんだ」
準備運動を終えて、アレウスは短剣を引き抜いて構えを取る。
「それでも年の功だ。先手はそちらに譲、っおい!!」
言い終えるよりも前にアレウスは男との距離を一気に詰めて、短剣を振るう。後退してこれを避け、男が怒りを乗せた声をぶつけて来る。
「礼儀を知らないのか?!」
「知りませんね」
「親に教えてもらっただろう!?」
「教えてもらってませんね」
アレウスが短剣を振るい、それを男が捌きながら会話を交わす。
「こういう試合にはルールがあるんだよ」
「試合と言われてもいませんし」
「だとしても合図ぐらいは待てないのか!?」
「待っていたら魔物に殺されます」
魔物同士で「合図」というものは存在していても、それが人種に向けて発せられることは絶対にない。そのため、人種はいつだって魔物同士が行う「合図」を読み解いて、意味を知り、そして対策を立てる。時には先読みも行わなければならない。
ルーファスに稽古を付けてもらう際には礼儀、礼節などを弁えるが、ここでは考えない。何故なら、師事をするに値しない相手とグダグダと取り決めたくはなかったからだ。なにより、まず相手方の言うところのルールとやらは互いに身構えるまで語られなかった。
身構える、ということは臨戦態勢に入るということだ。その状態に入った以上は、そこから取り決めの話など出されたところで、どれもこれもが嘘やこちらを惑わす言葉にしか聞こえなくなる。
「そういった類の話はもっと前に。僕とあなたが刃を向ける前に終わらせるべきだったのでは?」
なので、身構えたことが準備完了の合図と受け取ったアレウスは、もう男になにをどう言われようとも止まらない。
「ちっ、これだから礼儀のなっていないガキは!」
完璧に捉えていたはずの剣身がアレウスの目から消える。直後に死の一撃を感知し、後退する。見えない剣身が確かな刃をもって。アレウスが立っていた場所、そして空間を裂いていた。そして、一連の動作が終わったためか消えていたはずの剣身が見えるようになっている。
「魔法か奇術か」
「隠剣ですよ。その男の得意とする技です。剣技とも呼びます」
「おいおい、そうやって俺の手の内を外から暴露するのはよくないことだぜ?」
「あなたの性格上、精神的優位に立った途端に喋るんじゃないですか?」
「よく分かっているじゃないか、エウカリスちゃん。意外と俺のことを見ていてくれたりするのかい?」
「剣技には様々なものがあります。秘剣も当てはまりますが、これは一子相伝であり門外不出ですので、それを見るにはその手の剣技を持った直系の嫡子に出会わなければなりません。秘剣とは見せた相手を殺すための秘密にして秘匿の剣技なので、アレウスが今後も見ることは一生ないでしょう」
男の足運びに気を付けつつも、エウカリスの言葉に耳を傾ける。
「しかし、秘剣のような一子相伝に比べれば、門戸を開き、多くの者に己の技を盗み、習得してもらいたいという者も少なからずいるのです。隠剣もその内の一つ。剣身を相手から見えないように惑わせます。その原理は学んだ者しか知らないので私も把握してはおりません」
「他にどんな剣技があるんですか?」
「俺と戦いながらエウカリスちゃんに質問とは余裕じゃないか!」
実際、男の剣戟は剣身が消えることにさえ注意していれば避けやすい。殺意が高く、アレウスの技能に『隠剣』は引っ掛かるからだ。
「そこまで詳しくはありません。あと知っているのは、獣剣ぐらい。とはいえ、剣に限らず武器を用いた技や名称は沢山あるものですので、調べるのであれば己の戦法にあったものを知り、学ぶべきではないかと思われます」
ルーファスから学んだ『盗歩』は、間合いを詰めるための方法であって剣技ではない。剣の扱い方は教えてもらい、戦い方も叩き込んでくれた。だが、剣技までは教えてはくれていない。そもそも、剣術を真似られたくはないと言っていたし、あの人はアレウスに剣技を教えるつもりはないのだろう。
しかし、ただ意地が悪いから教えてくれていなかったのではなく、アレウス自身が必要だと思う剣技を知り、求め、学んでもらいたいという気持ちの表れでもあったのかもしれない。
「いや、そこまで気前のいい人じゃないか」
あの人を良い人と思うのは構わないが、もしも裏切られるようなことがあった時に受ける心の痛みのことを考え、羨望が暴走しないように自制をかける。
「見えない剣身を一体どうやって受け止めて、俺の懐に入る気かな!?」
男はさながら勝った気にでもなっているかのように、自信満々に叫びながら訊ねてくる。防戦一方にはなっているが、これを劣勢とは思っていない。そして、相手にしているのは魔物ではなく人であるのに、握っている短剣がいつもより軽く感じる。空を滑る感じも悪くない。
「亜人ではあれ、人型の生物の殺し方を知り、殺した以上は加減の良し悪しが分かるものです。殺す欲を知り、殺した感触を心に刻み付けたならば、あなたはこれから先、力加減を誤って誰かを殺すようなこともなくなり、力加減を誤って殺さなければならない相手を殺し損ねることすらも少なくなるでしょう。百の質問よりも一の視認。百の知識よりも一の経験。なので、あなたがその男に負ける理由は私の目が節穴でない限りは、見当たりません」
「買い被りすぎだって、エウカリスちゃ、」
「その隙は、“わざと”作ったものじゃない」
男の懐に滑り込む。見えない太刀筋を短剣で弾くのではなく、見えているかのようにしてアレウスは避け、続いて真横を取る。振り切った剣が男の回転と共に戻ってくる。そこまでは予想の範囲内だ。だから真横から攻めない。男が回転する速度よりも深く、更に回り込む。男の一回転よりもアレウスの素早さが勝り、剣はアレウスを捉える前に止まる。男の膝裏を蹴り、前方に素っ転んだのでアレウスは馬乗りになり、背中に短剣の切っ先を突き付けた。
「剣技に自信を持っている者ほど、足元をすくわれやすいとは言いますが」
「いやいや、剣技云々含めたても、アレウス君の方が強かっただけでしょ。身軽さ、短剣術、足運びに戦略、どれもこれも勝っていたわけだし」
「ですね。ベースに襲い掛かって来る亜人を一人で殺していますから、その時点でもう勝ちは決まっていたようなものです」
「あの亜人を基準にするのはどうかと思いますが」
アレウスは男が降参の意思を示したので、短剣を下げ、立ち上がる。しかし、そこから急転して襲ってこないとも限らないため構えはまだ解かない。
「説明したじゃありませんか。ベースにやって来る亜人は蠱毒の術のように、亜人同士で争い合った強力な個体だと。私の援護はありましたが、あなたはそんな個体を意識せず、すんなりと殺したのです。その時点で、多数で亜人をようやく一匹倒せるような者たちよりも強いのは読み取れました」
「じゃぁ、最初からアレウス君が勝つこと前提で、男の人を遠ざける口実を作りたかったってこと?」
「そんなところです」
「……上手く利用された」
「上手く利用できました。私の手の平で華麗に踊ってくれるとは、さすがはお人好しのヒューマンです」
「これだから、すぐに人を信用したくはないんだ」
「なにを言ったって、利用された事実は変わりませんので、あなたは今後、悪い人に利用されないよう気を付けてください」
では、エウカリスは悪い人ではないのかとアレウスは問いたかったのだが、ドワーフの大長老の件もある。彼女の言葉はこちらを煽っているようなものではあるが、しかし一理あるので、怒りで掻き消していいものではない。
簡単に騙されることのないように。
緩んでいた気持ちを引き締めなければならない。そう思い改めた。




