葛藤を越えて
【エルフ】
ヒューマン、ドワーフと同じくこの世界における一般的な人種。精霊のしもべ、妖精の落とし子、或いは妖精そのものなどと形容されるが内臓自体は他の人種と大きな差異はない。骨格や肉付きについてはヒューマンを平均と取るなら、細身、痩せ型、長身、耳が長いといった特徴になりやすい。しかしながら男女問わず、容姿端麗、眉目秀麗である場合が多く、他人種からは羨望の目で見られることが多い。
森に住まい、森と共に生きる。中でもエルフが定めた神域、聖域などと呼ばれる神樹を中心とした特定の範囲で生活している者はハイエルフ、その外で住まう者のエルフに分けられる。ハイエルフは全ての人種の中で最も長寿であり、個体によっては三千年を生きるとされる。魔の叡智に最も近しいとされ、『森の声』というものを聴き取って、自然元素に働きかけるために木火土金水の全ての属性に干渉できる。
戒律に厳しい半面、非常に偏った教えを説いており、ヒューマンは「世界を蹂躙した種族」、「獣人は人種の中で最も地位の低い者たち」などという考えが横行している。
そのため、理知的ではあるのだが他種族を前にすると横柄で不遜な態度を取りやすい。冒険者の中でエルフが少ないのはこの態度にヒューマンが耐えられないことと、エルフ側がパーティを見限ることが多いためである。
戒律の中でも最も抵触してはならないとされる禁忌に触れた者は問答無用でダークエルフの呪いを浴びる。これはハイエルフ、エルフが独自に生み出した魔法で門外不出である。呪いを浴びたエルフは肌の色が変わり、髪も色褪せ、『森の声』を失う。また、ダークエルフであることを示す『呪いのピアス』が外せなくなる。こうなったダークエルフは獣人にすら気味悪がられ、世界に溶け込むのは難しく、天涯孤独の生き方を見つけなければならなくなる。
呪いを浴びたエルフは大半が金色から銀色に髪質が変わるため、銀髪やそれに近い灰色混じりの髪をもって産まれた者を、森の中で『灰銀』と罵る。これは他人種でも風変わりな者たちを「自分たちに染まらないから」、「自分たちと異質であるから」、「自分たちと違うことが怖い」など理由を付けて迫害する行為に近く、決してエルフだけの問題には留まらない。
ハーフエルフはヒューマンとの間に産まれた者。ハイエルフやエルフと違って元から『森の声』を聴くことはできないが魔の叡智には容易に触れられる。また容姿もエルフに劣らず小奇麗であり、更には社会性を身に付けているため、冒険者の中ではこちらの方が数は多く、またヒューマンからも受け入れられているため、ミーディアムの中でも最も地位が安定している人種と言える。
獣や魔物を殺した時よりも、生々しい感覚がずっと両手に残っている。肉を裂いた感触も、首を断つ感覚も、どれもこれも魔物とさほど変わるものはなかったはずなのに、何故だか手はずっと震えている。短剣を鞘に納めるのさえ一苦労だったくらいだ。
なのに吐き気はまるで来ない。生者から死者に変わった亜人は、アレウスが見慣れてしまった死体と変わらない。だから、それを見たところでなにを思うこともないのだろう。だからこそ、過程に苦しんでいる。
「ヒューマンが脆いと思う部分は、まさにあなたのような一面があるからですよ」
小屋へ帰り、弓と矢筒を置いたエウカリスが落ち込んでいるアレウスに向かって発する。
「エルフもドワーフも、侵略されればありとあらゆる人種を敵とみなして排除する。それは過去から現在まで続くものなのです。ですから、私たちは敵を殺したり、手を汚すことに関しては、全て自身の種を存続させるためという強い大義名分によって成すことができるのです。なのにヒューマンは、世界を蹂躙しながらも、人殺しをすれば苦しみ、いつまでも引きずる。どうしてそんな種が、世界で一番の繁栄を果たしているんでしょうね」
「思いやりがあるからじゃないですか?」
「……確かに、ヒューマンは私が想像していた以上にお人好しなようです。ただ、それが逸脱しすぎると、女性と見れば誰彼構わず声をかけるような輩にもなってしまうようですが」
「別に誰彼構わず声をかけているわけじゃないですよ。外見が良ければ内面なんてどうだって良いって連中が紛れているんです。一夜を共に出来れば、あとは知ったことではない」
「あなたも、そのような輩の一人だと?」
怪訝な表情で訊ねられる。
「そんなお気楽な性格に見えますか?」
「まぁ、なにかされるようなことがあれば容赦なく、その下半身に付いているものを切り落とすだけなのですが」
異界でも世界でも、アレウスが出会った女性が発する言葉にはどれもこれも、やると言ったら本当にやりそうなだけの言葉の強さがある。こんなことを言われて、これから異界を脱出するまでの協力体制が揺らがないのかどうかの方が今は大事ではあるのだが、想像するだけで縮み上がる思いだ。
「あらゆる誤解を生まないためにも、やっぱり僕は外で寝かせてもらいます」
「ええ、そうしてくれるとありがたいです」
この言い方からするに、エウカリスは異界に堕ちてから男のそういった欲望の視線を浴び続けてきたのだろう。だからアレウスにすら、この手の話になれば一切合切の緩みを見せはしない。しかし、話を振ってきたのは彼女からだ。なんとも面倒臭い性格をしているらしい。
「それでは、アレウス。また明日」
「……また明日」
愛称で呼ぶようになったのは、どういった心境の変化があったのか。それすらも把握することは難しい。女心を学べるその日は、まだ遠そうだ。
その後、アレウスはよく眠れないままに異界に朝がやって来る。どうやら当初に見た赤い夕陽は本当に夕方を表していたらしい。日が落ちた時点で、この世界でも一応ながらに朝昼晩のサイクルが働いているのではと推測していたが、この朝日で確定となった。だが、外の世界で見る太陽ではなく、怖ろしいほどに真っ赤に染まった太陽の日差しが人種にとって悪影響のない代物なのかどうかまでは分からない。
だが、そんなことは後回しでいい。アレウスはとにかく、手にこびり付いて離れてくれない殺人の感触に苛まれている。魔物を倒した時も、鹿狩りをした時も、こんな風にはならなかった。
亜人があまりにも人種に近しい。たったそれだけ。たったその一つが、アレウスの心に傷を残している。そもそも葛藤を全て押し退けて、殺すという欲望だけに全神経を投入してようやく一匹、殺した。ベースにやって来る亜人は蠱毒のように殺し合った強力な亜人と聞いていたのだが、殺すまでの流れは至ってシンプルで、それでいてあまりにも簡単すぎた。
「眠ればけろっとしているかと思えば、眠っても青褪めたままだとは」
小屋で睡眠を取り終えたエウカリスが、なんだかんだとアレウスに気遣ってなのか様子を見に来ていた。
「眠ったようで眠れていません」
「休める時に休めなければ、肝心なところで失敗を重ねることになりますよ?」
「ギルドの担当者にも似たようなことを言われた気がします」
「担当者?」
「僕たち冒険者をサポートしてくれる人です。依頼という名のクエストを紹介してくれたり、僕たちのパーティ構成などについて一緒に考えてくれます」
「……なるほど?」
これはイマイチ、ピンと来てはいないらしい。
「僕は生き急ぎすぎだとよく言われます。目標達成のためには、地道な経験を積み重ねるのが大事だと」
「真っ当な意見のようにしか聞こえませんが?」
「誰に話してもそう言われる気がしてなりません」
アレウスの目標へと向かう焦りはアベリア以外には伝わらない。なにを期待していたのだろうか。
そんなことを思いつつ、クラリエが起床し、二人の準備が整ってから三人でベースの中を見て回る。
「なんか、寝る前よりもエウカリスがアレウス君に優しくなっている気がする」
「そうですか? 私は誰にだって平等に接しているつもりですが」
「いや、最初にアレウス君に対してはゴミを見るような目をしていたよね?」
「実際、役に立たないならゴミと同等と考えていましたから」
「今はそうじゃないってこと?」
「ゴミから虫に格上げといったところです。エルフは動物や虫も見捨てはしませんから」
人種としてはまだ扱われていなかったらしい。相応の優しさを垣間見せたものだから、ちょっとはヒューマンについての考え方を改めてくれたと思っていたのだが、そう簡単に凝り固まった偏見は取り除けはしないようだ。
「異界で食べられるものってあるの?」
「色合いや見てくれは悪いですが、外の世界と同様の性質を持った作物を得ることができます。加工や調理も難しくはありませんし、なんなら武器や防具も扱ってくれています」
「エウカリスが出してくれた蜂蜜茶も色合いは悪かったけど、味はおんなじだったもんね」
「いいえ、同じではありません。同様の性質ではあれど、品は落ちます。それに、収穫のサイクルも乱れていますし、路頭に迷った者たちが夜な夜な忍び込んでは物盗りを行っているとも聞きます」
「生きるためにやっていることだ。それに、捕まえて殺したところで魂の虜囚は数日後に異界の中だけで甦る」
「はい。だからこそ、まだ虜囚になっていないのであれば早々にここから出るべきなのです。私やアレウスのように年単位で過ごしていい場所ではありません」
かと言って、早々に出られるような場所であれば魂の虜囚やベースも存在しないのである。
「この異界の地図って作っていますか?」
「地図……は、ベースを中心には描いてはいますが、更に遠くまでは調べていません。複数人で行動しようと死ぬときは死ぬものですし、安全とは言えませんがベースに逃げ込むことのできる限界ギリギリの辺りまでになります」
「それで充分なので、あとで見せてください」
「減るものではありませんので構いませんけど、おぼろげな記憶だけで不鮮明なことを書き加えたりしないでくださいよ?」
やろうとしていたことを見通されていると、なにも言えない。それはクラリエも同じだったようで、視線を逸らして誤魔化している。
「お、エウカリスちゃ~ん」
食材調達のために簡易的な市場のような、もしかすると外の世界では闇市とでも言われそうなところを歩いていると女連れの男がエウカリスに声を掛けて来た。しかし、エウカリスはその声に返事をすることなく食材を並べている商人との交渉を続けている。
「そんな無視することないじゃん。お互いにこのベースを守る仲間なんだからさぁ」
商人との交渉を済ませ、何度も使い回されているのであろう古びた紙袋に入れられた食材を受け取り、代金を支払う。しかし、出されたのは紙幣でも硬貨ではない。この異界でのみ使える通貨だ。手の平に収まるほどの大きさの丸い金属に装飾が施された木製の、これまた丸い物をはめ込まれている。ビトンにはこのような木製の装飾は施されない。
「ちょっと話を聞いているかなぁ?」
「仲間と思ったことは一度もありませんので、それでは失礼します」
男を素っ気なくあしらい、エウカリスが元来た道を戻り始める。
「夜中に出て来た亜人を殺したの、エウカリスちゃんでしょ? いやぁ、助かっちゃったなぁ。俺たち、それどころじゃなかったからさぁ」
「そのご様子だと誰にも訊いてもいないのでしょうね。私は殺していませんよ。殺したのはこちらのアレウスです」
そうしてようやく男の視線がアレウスに向いて、あからさまに見下したような表情を作ってから大きな声で笑う。
「冗談キツいよ、エウカリスちゃん。こんなガキが亜人を殺せるわけがない。でもまぁ、そうやって自身の手柄を謙遜するような君も嫌いじゃないよ」
「……どうやら目が見えておられないようです」
「ちょっと、エウカリス! 良い気にならないでよ? 夜中にベースに現れた亜人がたまたま弱かったから死なずに済んでいるようなものなのに!」
男が連れていた女がそのようになじる。
「私は一度、お伝えしたはずです。ここを襲撃する亜人は、外で争い、殺し、鍛え上げられた個体だと。即ち、蠱毒の術に近い方法で強くなった個体がやって来ています。確かに僅かな強弱はあれど、大抵は外で駆けずり回っているような亜人よりも一回りか二回りは強い個体です」
エウカリスは男を一瞥したのち、小さな溜め息をつく。
「複数人で相手取って、ようやく渡り合えるあなたたちに比べ、アレウスはまだマシでしたね。者としては未だ欲が足りず、あなた方には劣りますが、それ以外の全てはあなた方より優れていることでしょう」
「また過大な評価をもらってない? アレウス君、大丈夫?」
「大丈夫じゃないですよ……」
「自分で言っていたこと、忘れちゃったのかなぁ」
ヒソヒソとアレウスはクラリエとエウカリスの後ろで会話を交わす。
「そんなガキが亜人をどうやって倒したんだよ。エウカリスちゃんの援護してもらって、もうほとんど動けないところを殺したとかそんなんじゃないの?」
「私はアレウスの二度の死を防ぎましたが、三度目は訪れはしませんでした。あなた方は、最初に私に協力を仰いだ際、似たように提示しました。そしてこの要求を誰一人として達成することはありませんでしたね」
「そこまで言うんなら、俺たちも確かめたくなっちゃうなぁ」
「確かめる?」
「エウカリスちゃんがそこまで言うほどのガキなのかどうかが知りたいなぁってね。また強がりを言って、一人で戦う理由を付けているんじゃないかなぁってね。俺たち、仲間は見捨てたくないわけ。だからいい加減、俺たちの家に来いっつーこと」
「その下劣な視線を向けないと誓うなら考えたこともあったかもしれませんが、大体の目当てが分かっている今、その言葉に従うわけにはまいりませんね」
目当て。その言葉でアレウスはすぐに、男の目的がエウカリスという戦力ではないことを察する。要するに、体目当てというものだ。そのような話はギルドでも耳にしたこともあれば、街中を歩いていると井戸端会議をしている女性たちから聞こえてきたことさえあった。アレウスには到底、理解しかねる感性である。
「……はぁ? まぁ、どのように確かめるのかは知りませんけど、後悔することになりますから早めに撤回した方がよろしいのでは?」
「お、受けたね? じゃぁ、そこのガキに勝ったらエウカリスちゃんは俺の家に来ること」
勝手に話が決まってしまっている。
「と言うわけで、よろしくお願いします」
「いや、そんな流れ作業のように言われても困るんですけど」
「問題ありませんよ。あなたが負けた際には私があなたに引導を渡してクラリェット様と雲隠れするだけですから」
「それが大問題なんですよ」
「あと、クラリェット様となにやら過大な評価を受けて困っているなどという話をされておられましたね?」
「地獄耳ですか?」
「私は、常に過小も過大もしない評価をあなたに向けているつもりです。逆に言うと、私の発言を過大だと思われたのであれば、それはあなたが自身の力を過小に評価してしまっている一面でもあるのです。過不足はありません。あの程度の輩にあなたが負ける道理が見当たりません」
「それが過大評価なんですよ」
「では、この一戦で気付いてもらいましょう。私が夜中に見た、あなたの可能性に」
「……一つ、聞いておきますけど、勝つためならなにをしても構わない?」
「殺さないなら。殺してもあの者たちは数日後に戻ってはきますが、戦力が欠けるとベースの維持が難しくなりかねませんので」
気乗りはしないが、あの女連れの男を放置しておくと今後、なにかと厄介になりそうだ。そうならないためにも力の優劣関係は早めに築いておいた方が良いのかもしれない。
「殺すためにも欲が必要で、殺さないのも欲が必要ってなると……僕は後者の欲の方がちゃんと扱えそうだな」




