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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第3章 -その血を恥じることはなし-】
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感情があるから殺意がある

「蠱毒というものをご存知でしょうか?」

 眠っているクラリエを起こすのは躊躇われたため、二人で支度を済ませて小屋を出た。実際に深く眠っているかどうかは分からない。しかし、彼女は亜人を感知するための『森の声』を聞くことができないのだから、エウカリスよりも魔物に対する感知範囲は狭い。

 ただし、アレウスたちが小屋から出て行く気配を彼女が感じ取らないかどうかまでは定かじゃない。眠っているように見えたので、眠っているということにしただけである。

 なんにせよ、二人でベースから出たのは確定したことなので、そこにクラリエを誘わなかった点にはなにかしらの除け者意識を働かせたわけではない。

「呪術の類と聞いたことがあります」

「毒を持つ虫を一ヶ所に集め、共食いさせ、生き残った虫の毒を採取する。この毒は呪いの念が込められるために、大抵の者は死にます。この蠱毒はエルフの掟で禁止されていて、毒物を用いる私ですら手を出したことのない代物です」

 言いながらエウカリスは弓矢の準備を進める。

「ですが、この世界ではまさにこの蠱毒に近しいことが行われています。異界獣が亜人同士を争い合わせ、倒し、生き残った亜人が異界獣の命令を受け、ベースへと襲いかかって来るのです。なので、襲撃は大抵が一匹か二匹なのですが、どいつもこいつも一手や二手で倒せるような個体ではありません」

「なんでそんなことを異界獣がさせるんですか? 自分から手を下せばいい話じゃ?」

「それは私にも分かりかねますが、争わせ、倒し、共食いした亜人は非常に純粋な魔力の塊を内に秘めています。それを倒させることで、魂の虜囚が持つ魔力を高めさせているのではないかと」

「生き残った亜人を、ベースの魂の虜囚と戦わせる。これも……?」

「ベースからは少しずつ魂の虜囚が減り、それに合わせるように異界に者が堕ちてきます。魔物と魂の虜囚を異界獣が強引にかけ合わせているからなのでしょうが、なんともやり切れない気持ちにもなります」

 最後には異界獣が送り込んだ全ての亜人を倒した者、或いは亜人が残る。それを喰らうことで異界獣は異界に満ちる莫大な魔力を一挙に吸収しようとしているのかもしれない。普段から異界に住まう全ての生命体から魔力を吸い取っているはずなのだが、最高効率を求めている。

「ただ、今は細かいことは考えなくて結構です。要は生き残るために、ベースを守るために戦う。それだけのことを考えればいいのです」

 エウカリスが一回の跳躍で近くの建物の屋根に乗り、そこから更に跳躍してアレウスより先を行く。高所を取るための跳躍力はどこから得られるものなのだろうか。ニーナも射手ではあるが、高所を確保する方法は跳躍ではなかったはずだ。クラリエも比較的、簡単に高所を取るために跳躍できてしまうので、エルフの身軽さは他の人種には真似できない。


 生き残るために、とエウカリスは言ったが、それが簡単にできているのならアレウスは早々に彼女からの信頼を勝ち得ていたはずである。


「亜人討伐の連中は?!」「あいつらがこんな夜中に起きて仕事すると思ってんのか?!」「じゃぁこいつは誰が倒すんだよ!?」


 戦々恐々とした人々の叫びと、逃げ惑うところを通過しつつ、二人はベースに侵入してきた亜人を捉える。


「エウカリスだ」「エウカリスさん、頼みます!」「あいつらは昼間しか働かない」「あなただけが頼りなんです」


「随分と頼られているんですね」

「これは頼られているわけじゃありません」

 溜め息混じりにエウカリスは言う。

「要するに、亜人殺しになりたくないから、経験のある者に押し付けているだけです」

 矢をつがえて、エウカリスは弦を引き絞る。

 亜人は外で見掛けた獣や人と魔物が混じったような容貌ではなく、限りなく人に近い姿を取っている。逆関節でもなく、四足歩行でもなく、ましてや体のどこにも人間の皮膚が纏わり付いているわけでもない。

 ただ、それは人に近しいほどに倒し辛い。殺し辛い。殺人という感覚に近くなる。

「私は援護しかしません。あなたが死にそうなところで適度に矢を放って、それを止めます」

「あくまで僕に殺させようって話ですか」

「三度です。三度、あなたが亜人を殺し損ねるか亜人に殺されかけるかしたならば、私はあなたを見限り亜人を始末したのち、この場を去ります。クラリェット様も連れて、あなたの前から姿を消すことを先に告げておきましょう」

「亜人殺しもできない輩とは一緒にはいられないってことですか」

 返事はない。しかし、返事がないことが答えでもある。

 アレウスは短剣を抜き、亜人との間合いを測る。いつもなら剣を構えて攻めるところが、今回は奥の手の短剣から始める形となる。剣で牽制し、間合いを詰めたところで短剣で奇襲をかける。そうアレウスはルーファスとの稽古のあとに組み立てていた戦略なのだが、獣人と戦った際も結局それは役には立たなかった。想像とシミュレーションは何度も行ってきたが、現実は怖ろしいほどに想像の余地を越えてくる。それも、大体が現実がこちらを追い詰めてくるのだ。

 一呼吸を行い、精神集中を行う。筋肉の動き、自身の動かせる関節の限界範囲。それらを体中で感じたのち、アレウスは前方に駆け出す。亜人がこちらに気付き、振り向いた。

 瞬間、呼吸が止まる。悪寒が走る。

 目の前にいるのは亜人。決して、人種ではない。魔物に分類される生命体だ。なのに、顔を見合わせただけで手が止まっていた。


 殺すのか?


 そんな問い掛けを自分自身にしている。その数秒が命取りとなる。手を止めたアレウスに亜人は容赦なくその爪を振り下ろしてきた。刹那に、エウカリスの放った矢が亜人の爪を弾き、軌道を逸らさせ、一撃は辛うじてアレウスの真横を掠めた。


「一度死にましたね」

「ただの爪の一撃で死ぬとも思えないんですけど」

「あなたは異界で傷を負うことがどれほど危険であるかすらも忘れているのですか?」


 ど忘れしていたのか、はたまた異界であることすらも頭から放り出してしまうほどに動揺してしまっている。呼吸が乱れている。整えていた調子が一気に崩れていく。先ほどの悪寒が抜け去ってはくれない。死ぬ一撃を見たからではない。ギガースと戦って以来、その一撃が殺されるか否かを見極められるようにはなったが、亜人の爪の一振り程度で手も足も止まってしまうほど、鍛え方が甘くなったわけでもない。

 ただただ、殺人へアレウスの意志とは裏腹に、他の部分が抵抗をしている。意志は心から表出した感情であるとするならば、心と意志が反することは多分にある。表出し切った意志を追い掛けるように、心が殺人を拒む信号を出した結果、精神に激しい乱れが生じる。

 やらなければならないのにやらない。心が思っていることと感情が一致しなければ体が動かない。そして、やりたくないのにやれてしまうのは、意志に対して心の命令が強く働いているからとするならば、アレウスは前者の状況に陥っている。

 殺すのかと問われれば殺すとアレウスは断言できる。しかし、それをアレウスの心が問い掛けられた場合、殺さないと主張する。鬩ぎ合ったから止まったのではない。意志が心に折れたからこそ、止まった。殺すという意思表示は心の殺したくないという信号を上回ることはなく、その相反する感情が混線した結果、なにもかもが中途半端になって体の全ての機能に異常をきたし始めている。


「僕はなにと戦っている?」

 自身に訊ねる。勿論、魔物である。魔物の中の亜人である。それらは全て認識している。

 魔物なら沢山、倒してきた。初級、中級まで登るまでの間に倒した数はひょっとすると他の冒険者よりも少ないのかも知れないが、それでも冒険者としてやれるだけの数の魔物を倒してきたつもりだ。倒せない魔物は倒せないままに逃げもしたが、こうして魔物と対面して恐怖で足が竦んで動かなかったことはあれど、それ以外の感情で足が動かなくなったことは一度もない。

 鹿を狩る。魔物を狩る。それは同義である。生きるために、命を貰う。生命を守るために、魔物を倒す。

 人が死ぬのは沢山見た。死体だって山ほど見てきた。そういうところで生きて、外の世界を知った。魔物の倒し方だってあの男に教わった。教わったことを昇華して、自分のものに変えてきた。

 なのにどうして、亜人を前にして戦えなくなっているのか。何故、短剣は振るおうとすれば止まり、先ほどから亜人の爪から逃れる動きばかりを取っているのか。

 人種に似ているだけだ。人種ではない。むしろ魂の虜囚を解放するためならば、この亜人を倒さなければならない。

 しかし、魂を解放するということはつまり、ここに留まっていた魂が死ぬということだ。そしてそれに手を下すということは、自身が殺すということだ。

「感覚で生きてさえいれば、そのように思考の迷路に迷い込むこともなかったでしょうに」

 エウカリスは感覚で殺しているのだろうか。感覚で、人を殺すというのだろうか。


 違う。いつだって人種を殺すという部分には感情が混ざる。感情を殺して人種は殺せない。感情があるから殺せるのだ。殺すという感情が、殺意という欲があるからこそ殺せるのだ。


「そのように立ち回っている様は、見るに堪えません」


 エウカリスが罵りつつ、アレウスに向かう爪を再び矢で弾き返す。

 彼女の中でアレウスは二度死んだ。三度目があったとするならば、それは彼女の信用を失う瞬間となる。


「どうする……どうするじゃない」

 自分で言って、自分で否定する。感情の迷路の出口を探す。

 感覚的に戦えていたのなら、思考せずに戦うことができていたのならこの出口も素早く見つけられるのだろう。それこそがエウカリスの言いたいことだとするならば、思考し、理論的に物事を考え、戦略を練ってしまうアレウスはいつまで経っても出口には辿り着けない。

「生きるために殺す。生きるために……人殺しになる……」

 右腕を奪った。左耳を奪った。右目を奪った。どれもこれも、死体から奪った。死者への冒涜と罵られ、スカベンジャーと言われようとも傷付きはしない。

 なのに、人殺しだとか、亜人殺しだとか罵られることだけは想像するだけで悲鳴を上げたくなってしまう。この違いは一体どこにあるのか。死者と生者。そこになんの違いがあったというのだろうか。

「いや、あったんだ。あの時の僕は、まだ希望を知らなかった。外の世界に出られるという希望を、知らなかった」

 そして外の世界を知った。

 どうせ死ぬのだから、死体から奪ったって構わない。どうせ自分も死ぬんだから、死体を雑に扱ったって構わない。どうせ死ぬんだろうから、どこの誰かに殺されていようと知ったことではない。


 興味がなかった。他人の生命に興味がなかった。だが、それはどれもこれも過去の話だ。


「もうやめますか? これ以上、亜人に攻められたら誰かが犠牲になりかねません」

「誰かって、誰ですか?」

「魂の虜囚の中でも、ここで生きることさえ難しい。そんな者たちですよ」

 つまり、昔のアベリアのような乞食。戦うことも、生きる術も知らない最下の者たち。

 もしも、この場にアベリアがいたならば、どうするだろうか。もしもアレウスではなく、アベリアが堕ちていたならば、どうするだろうか。

「殺す」

 そう、こんなにも悩まずに亜人を殺す。それは、明日死んでしまう乞食――最下の魂だとしても、アベリアは見捨てはしない。


 心の悲鳴とは裏腹に、無理やり体を動かす。爪を短剣で捌き、左に、右に、そして脇を抜けて背面を取る。亜人が振り返ったところで短剣を構え、刺突を繰り出す。しかし、アレウスの手は再び止まる。

 亜人の顔が、亜人に残されている顔が、とんでもないほどに絶望に満ち溢れた人種の顔を張り付けていたからだ。「助けてくれ」、「死にたくない」という言葉が視線に、顔に乗っている。

 動きを止めたアレウスに亜人は再び爪を振るい、それを可能な範囲で避け切って、懐に潜り込む。


 殺す殺したくない。

 殺す殺す殺す殺す嫌だ殺す殺す殺す殺す嫌だ嫌だ無理だ嫌いだ逃げたい殺す殺す殺す殺すなんで僕が殺す殺す殺すなんで殺す殺す殺す殺すな殺せ殺す殺したくない殺す殺せ殺せ殺せ無理無理無理僕じゃない無理無理無理僕がやりたいわけじゃない嫌だ嫌だ嫌だやりたくないやりたくないやりたくない殺す殺す殺す殺したくない殺したくない殺したくない殺したくない。



 ……………………………………………………

 …………………………

 ………………

 …………

 ……



「ぁああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」



 爪によって左腕を僅かながら切り裂かれ、鮮血が迸る中、殺意と後悔でグシャグシャになった表情を浮かべながら、アレウスは右腕に握る短剣を亜人の喉元に突き立て、そこから右へと切り開く。信じられないほどの血が噴き出し、アレウスの体が赤く染まって行く。しかしその血は決して人種のものではなく、肌を濡らして数秒で黒ずんでいく。


「…………そうですか、あなたはそういう顔をするんですね」

 エウカリスが棒立ちしているアレウスに近寄り、その表情を読む。

「私の自惚れと、そして私の言動の全てにおいて謝罪をさせて頂きます。申し訳ありませんでした。ですが、亜人を殺すたびにそんな顔をされてはたまりません」

「分かっているよ……そんなこと、くらい……」

「次からはもっと精悍な顔立ちをするように努めて下さい。でないと私まで感化されて、泣いてしまいます」

「泣いてない」

「本当に、不思議なヒューマンです。何故、エルフの私があなたの涙を見て、泣きそうになっているのか……分かりかねます」

 エウカリスがアレウスに小さな布を差し出し、涙を拭うように促す。

「アレウリス・ノールード……いえ、アレウス。クラリェット様を世界に帰すために、そしてあなたを世界に帰すために、作戦を練りましょう」

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