世界が拒む
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「これは一体、どういう状況なんですか?」
カプリースのアーティファクトによる津波、洪水とも呼べるような水の流れが静まり、クルタニカの大詠唱によって生じた荒れ狂う竜巻も微かなものになったため、被害や状況の確認のためにリスティはアベリアたちを連れて前線へと赴いていた。勿論、彼女たちの後ろには複数の上級冒険者が身構えており、いついかなる魔物や獣人の急襲への備えも取っている。
「クルタニカはガルダの血を半分引いているミーディアムだからね。私も久し振りに見た」
シエラが氷で出来ている卵を眺めながら言う。
「死ぬ寸前に残っている魔力で、卵の殻のような氷を作って、その中で回復を待つんだ。即死じゃない限り、魔法を使わずともクルタニカは傷を癒やせる。だけど、この状態を狙われたりしたら死んじゃう。だからこの子も、死の経験がないわけじゃない」
氷の塊とも呼べる氷晶の中で、どのようにして回復するのかは担当者であるシエラも知らない。
「ガルダは不死鳥の生まれ変わりなんて言われたりするからね。ミーディアムであっても、そうやって転生に近い再生が出来るのかも知れない」
「でも、クルタニカが一番得意なのは風魔法なんじゃ」
「そこは、触れないであげてよ。クルタニカもいつかはあなたに事情を話す時が来ると思うから」
アベリアの疑問を、シエラがこれ以上の追及を拒む形で閉ざす。
《獣人の勢いがかなり弱まっているよ。僕のアーティファクトを怖がって逃げ出した……とは言い辛い。きっと、『人狩り』が姿を消したからだろう》
水溜まりが人の形を作り、カプリースとなって状況を伝えて来る。
「あなたは他にやることがあったのでは?」
リスティは強めに言う。
《なにを言っているんだい? やることって言うのは戦況の把握さ。僕のアーティファクトが満足して消えてしまった以上、足止めはもう出来ないから、もっと別の方法で最前線を維持させなきゃならないからね》
飄々とした物言いをしつつ、カプリースが骨の短剣をアベリアの足元に投げ付ける。
《獣人の姫が持っていた短剣だ。あるだけで疫病をもたらす物かと思えば、そうでもないらしい。僕は短剣を使えないから、アレウリス君の戦利品として君が持っていると良いよ》
「……この臭いを追って、獣人がやって来るかも知れない」
《ふふふ、良い読みだ。良い想像だ。良い仮定だ。けれど、そんな心配はいらない。何故ならもう、僕のアーティファクトで濡れて、臭いは残ってはいないから》
カプリースは骨の短剣を持たせることで、更なる釣り餌として機能させようとしているのではとアベリアが読み解いたのだが、男の言う通り、骨の短剣からは臭いが消えている。しかし、それでは満足できないため、アベリアは自身の持っている聖水で骨の短剣を清める。
《さて、面倒事は嫌いなんだ。異界については関わらないよ。まぁ、その代わりに街についてはしっかりと守らせてもらうから安心して、“穴”を探すと良い》
「それはつまり、街は守っても周辺への配慮は一切しないという宣言ですか?」
《そのように受け取ってもらっても構わない。なにせ僕は、配慮なんて昔から出来た試しがないから。それでは、ごきげんよう》
カプリースを象っていた水は再び、バシャリと音を立てて水溜まりに戻った。
「敵に回したくはないけれど、味方であっても気を許すことの出来ない相手だね」
ヴェインの言葉にアベリアが肯く。
「“穴”には性質がある、みたいなことを言っていたな、小娘?」
「うん。だから、それをずっと考えているの」
ガラハの問いに答えつつ、アベリアはクルタニカの氷晶に触れ、それから振り返る。
「まず、どうして“穴”は『人狩り』と呼ばれるエルフの傍にあったのか。そして、その人はどうして“穴”の性質を見極められていたのか。そこも気になるけど、一番の気になるところは、戦場に出現した理由」
「人種が沢山、集まるからだと僕は思ったけど違うのかい?」
「それなら街中で良い。異界獣は死体は欲しがらない。あくまで生きた人種だけ。だから、戦場に“穴”を持って来るよりは、街中の人気の少ない場所に置いて、ピスケスの時みたいに引き込むべき。全ての“穴”は罠のように機能するんであって、見つかりやすい場所にわざわざ現れない……ってアレウスは言っていた」
「手っ取り早く人種を魂の虜囚にしたいなら街のど真ん中に出現させて、なんでもかんでも引き入れりゃ良い。けど、異界獣はどういうわけかそういう目立つことを避ける。だから私たちギルドの人間も手を焼くのさ」
ヘイロンがアベリアの説明を補足する。
「だったら、現状でのアベリアさんの仮説を私たちに教えて欲しいんだけど、出来るかな?」
シエラに目線を合わせて、アベリアは口を開く。
「二人を異界に堕とした異界獣は、争いを好んでいるのかも。人種が争い、血を流す……そんな戦場に、自らの“穴”を出現させて、命を心の底から冒涜せしめようとする者が戦場における敗者を、ゴミを捨てるかのように“穴”に放り込むのを誘う。戦場に立つ者全てが崇高なる精神の持ち主じゃない。この異界獣はそういう、人種の醜さを利用しているんじゃないかな」
*
「異界に五年……て?」
静かに歩いていると小声でクラリエが訊ねて来る。
「クラリェットさんには、」
「クラリエで良い」
「えーと、クラリエさんには秘密に――ガラハにはバレているのかバレていないのか分からないですけど、一応はまだ話していませんが、僕とアベリアは子供の頃に異界に堕ちています。助けが来るのに五年掛かりました。それまで僕は採掘と盗み、アベリアは乞食暮らしをしていました」
彼女が指差す方向に足の向きを変えて、アレウスは中腰のまま移動する。
「こんなことを話すのは、クラリエさんが自分の秘密を打ち明けてくれたからです。あのハイエルフの襲撃と、この緊急事態を前にしても尚、話そうとしなかったなら僕も打ち明けはしませんでした」
「アベリアちゃんには、了承を得ているの?」
「あいつは僕の判断に文句は言いません。特に、過去を打ち明ける相手については感覚が合っているので、事後報告でも怒られはしません。クラリエさんに話した以上、ガラハと……あとはクルタニカにも話を通しておこうとは思っていますけど」
「叔父さんには?」
「『影踏』さんは……話してはいませんけど、なんかもうバレているような気がしています」
小さくクラリエが笑い、しかし場が場であるためすぐに表情を引き締め直した。
「御免ね、想像したら笑っちゃった。そうなんだよ、叔父さんにはなんでも見抜かれる」
「あの人もハイエルフ?」
「叔父さんは……言葉だけじゃ伝わらないか。えっと、あたしの御母様の弟なの。だから、ハイエルフ。あたしとは違う」
「クラリエさんがハイエルフじゃない根拠は?」
「神域を出なきゃならなくなった時に叔父さんに言われたんだよ。ショックだったけど、それ以上に色んなことが重なったから、落ち込んでいる暇なんてなかった。叔父さんは早い内に冒険者になったみたいだけど、あたしはそんなすぐにはエルフ以外を信じられなくてさ、そのエルフもダークエルフのあたしを受け入れるわけもないから、その日暮らしで住むところを転々としていたかな。冒険者になったのは、叔父さんがあたしの前に戻って来てから。つい最近」
「だとしてもエルフの言う、つい最近の感覚が僕には分かり辛いです」
「ハーフエルフでもヒューマンよりは長寿だからねぇ。あたしもアレウス君より年上だし、長生き。一応、エルフよりもハーフエルフはその名の通り、寿命が半分ぐらいになるらしいけど、それでも長生き。ハイエルフが三千年なら、エルフは二千年、ハーフエルフは千年かな」
創世の時代から生きている。ならば、この世界の仕組みについてはエルフの森を訪れるのが手っ取り早いようだ。ロジックの仕組みも、なにより“穴”がいつから現れ始めたのかも、観測し、尚且つ生き証人となれるのはエルフしかいない。
「ダークエルフは……呪いの質にもよるから、あとあたしがどれくらい生きるかは分かんない。それより、アレウス君はあたしのことを毛嫌いはしないんだ?」
「人種やら呪いやらより、僕は人格を重視します。疑心暗鬼で、素直には人を信じられず、沢山の嘘を盛り合わせて、見定める。そんな権利、僕やアベリアにはないのに、ずっと続けています。直そうと思っても直せないんですよね、五年で僕たちは心に傷を負い過ぎましたから」
クラリエの足音が聞こえなくなったため、アレウスも足を止める。振り返ると、彼女はやや右側前方を指差している。そちらに視線を向けると、魔物の姿が見えた。
「魔物? いや、人間?」
「亜人だよ」
「亜人?」
「要は“穴”から出て来ていない獣人ってこと。外の世界の獣人は最初期より繁殖を繰り返しているから、魔物の血は薄くなっているけど、ここに居るのは血が濃い奴ら。だから亜人」
ピスケスの異界で見たマーマンと同種なのだろうか。外の世界には獣人だけでなく、魚人も海に住んでいるとアレウスはギルドで酒を煽っていた冒険者が語っていたのを聞いていたのだが、見ていない以上は事実とは受け入れられそうもない。
だが、向こうに立っているのは明らかに魔物でも人でもないが、魔物でもあり人でもある生き物だ。ゴブリンやコボルトのような魔物らしい容貌をしていない。数え方は一人で良いのか、一匹で良いのか。しかし、倒す対象であるのだから匹と数えたい。
なにより、混ざり方が薄気味悪い。防衛戦で戦った獣人よりも薄汚く、人の腕かと思えば獣のような爪があり、首から先は狼かと思いきや、張り付いているのは人間の顔面である。しかし開かれる口は獣らしい牙を揃えている。
人面犬。アレウスは記憶に残る怪物の話を思い出す。あれも犬に人間の顔が張り付いていた妖怪だったが、亜人はそれ以上に生物としてアンバランスが過ぎる。
「……倒したことがない。クラリエさんは?」
「あたしもないよ」
「あれを倒した場合、殺人になるんでしょうか」
「獣人と戦った以上、もう殺し云々の感情は捨てなきゃ駄目だよ。ただ、良い気はしないよね、絶対に」
防衛戦では獣人と戦いはしたが、殺すまでには至っていない。それどころか逆に殺されそうだったくらいで、ついでに命を拾われてしまった。獣人が引き連れていた魔物ならば何匹かは相手をしたのだが、なんにしたってあの場面ではアレウスに運が無さ過ぎた。カプリースの横槍、『異端審問会』のハイエルフの襲撃など、全てが全て、アレウスの手に負えないものばかりだ。
その先に待っていたのが異界なのだから、参ってしまう。参ってしまうが、クラリエには嘘をついたものの、自らの意思で“穴”には飛び込んだ。この事実だけは、否定的であってはならない。
「この異界は亜人が主体なのか?」
アレウスはそれから、やはり一匹一匹、姿形が異なる亜人をクラリエと協力しながら複数発見する。一匹だけならば、偶然の産物であるが、これだけの数ならば必然である。
「亜人から獣人への目覚めも偶然の産物なのに、亜人そのものがこんなにも沢山……それも、どいつもこいつも人と呼べない姿ばっかり」
「降霊術やら霊媒体質っていうより、無理やりくっ付けられているような亜人ばかりですね」
「マーマンはこんなに気持ち悪かった?」
「気持ちは悪かったですけど、もっと上手く混ざり合っていましたよ」
だから、こんな合成に失敗したような魔物ばかりを見つけてしまうのは不自然だ。
「ひょっとしたら、異界獣がそうさせているのかも知れません」
「異界の主のこと?」
「はい。異界を自分の好きな道理に作り変えて、巣穴にしているんです。魔物と魂の虜囚に干渉して、強引に二つを一つにしているのかも」
「それにどんな意味があるの?」
「管理がしやすいんじゃないでしょうか。魔物は異界獣の代謝物で、魔力が失われれば消えます。それを虜囚となった魂と合成することで、半永久的な命を与える。そうすると、亜人からも魔力を吸い続けることが出来ます。ついでに、尖兵にだって出来ます。魂の虜囚は餌ではありますが、決して異界獣には従いはしませんから」
「それ、推測? なんかもう、結論にしかあたしには聞こえない」
「異界には詳しいんです」
「詳し過ぎて、あたしの脳が追い付かない」
クラリエは少しばかり、アレウスの異界への適応力の高さに辟易しているようだった。
「刺激しないように移動しましょう」
「待って。あたしたち、なんの痕跡も残していないけど?」
「草原地帯のど真ん中に痕跡を残したって、なんにもなりませんよ。もっと分かりやすい目印に傷痕を付けるとか、ですかね。亜人ではなく、人種としての痕跡を残す場合はなにが良いのか……」
「でも、悩んでいたって時間ばかりが無駄に過ぎるだけだよ」
「ですね。なので、考えながら移動します。思い付いたら、実行に移しましょう」
「前向き過ぎる……」
随分とげんなりとした返事をされたので、アレウスは逆に首を傾げた。
「普通、絶望するでしょ? もっと戸惑うでしょ? あたしはアレウス君に付いて行っているからその過程を飛ばしているけど、絶対に一人だったら動くことさえ出来てない」
「絶望なら沢山してます。でも、それで足を止めていたら、僕を助けてくれた人には届かない。自分が『異端審問会』にやたらと関わってしまう理由にも辿り着けない」
「それなんだけど、アレウス君は死者を冒涜している、よね?」
ロジックには『死者への冒涜』が刻まれている。そしてクラリエには出会った当初から見抜かれている。隠すことではなさそうだ。
「はい。生きるために『オーガの右腕』と『蛇の目』と『エルフの耳』を代替物にしています」
「魔物、ヒューマン、エルフかぁ」
「スネイクマンは獣人でも魔物に入るんでしたっけ?」
「さっきの亜人よりは人種に近いらしいけど、思考が獣人よりも魔物寄りだし、リザードマンと同義だってされる場合もあるらしいし。でも、獣人とするなら四つになる」
「……でも、それがなにか関係あります?」
「あるよ。君の体には四種の血が流れている。昔に聞いた話だと、獣人は魔物から派生したから、魔物でもなく獣でもなく人でもないから、三分の一を表す『ワン・サード』と呼ばれていた時期もあったの。でも、君は四つ。多分だけど、世界の範疇を、世界の道理を越えてしまっている存在。でもそれって、世界にとってはとてつもないほどの異常な存在でもある。だから、『異端審問会』が、じゃなくて、世界が君を拒絶している。君がどれだけ抗っても、こうして異界絡みの事態に巻き込まれてしまうのは、世界が君を世界じゃないところで排除したがっているから……なんて、ね。途方もない話をしちゃったね」
どんな入れ物にもキャパシティ――許容量はある。想定された重さや数ならば問題無くとも、許容量に収まらない大きさ、数、想定していない形の物を詰め込もうとすれば、入れ物は壊れてしまう。
異界ではなく、世界にもまたそんな限界、臨界と呼べる概念が存在するというのなら、まさしくクラリエの言っていることは正しいことになる。
だが、アレウスは異界のロジックを開いたことはあっても、世界のロジックを開いたことはない。
「僕は僕自身が生きるために、世界の概念を……世界のロジックを開かなきゃ、ならないのか?」




