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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第3章 -その血を恥じることはなし-】
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外に出たいという気持ち


 堕ちて行く最中にアレウスはシオンを捉えた。“穴”に堕ちた場合、異界に放り出されるまでの時間は一瞬である。それは経験から断言できることだった。しかし、今回の“穴”は堕ちてからしばらく、それこそ十秒以上は異界の大地に降り立つこともなく、中空を彷徨った。無重力でも水中でもなく、確かな落下の感覚はあるのだが、着地点が見えない。これでは着地など出来ずにこのまま落下死してしまうのではないか。そんな不安もあった。だが、そんな不安以上にアレウスは不思議な力としか思えないほどの引力で同じく落下中のシオンに引き寄せられ、そしてその手を掴んだ。

 こんな風に掴めるとも思っていなかったし、同じ界層に降りることが出来るとも考えていなかったので、堕ち切った先で彼女の腕を尚も掴んだままでいられたのは運が良かった言える。

 そして、あれほどの落下の感覚を味わっておきながら、五体満足であることもまた運が良かった。断じて奇跡ではない。アレウスは奇跡が存在しないことを知っている。だからこそ、これら全ては因果――運命を司る女神の(おぼ)し召し、又は小さな悪戯に違いない。


「なんで……」

 シオンがアレウスの腕を払って、それから立ち上がろうにも立ち上がれずに前方に滑って、転んで距離を取った。その後、ようやっと出たのは悲壮感に溢れる声だった。

「なんで、君まで堕ちているの!?」

 自分だけが堕ちるならそれで良かった。そう言いたげな言葉にアレウスは頭を掻く。女性の扱いに長けているわけではない。気の利いた言葉を掛けられるわけでもない。だからと言って、この場で歯の浮くような台詞を思い付いたとて、彼女が求めている答えになりそうもない。


「望んで堕ちたんじゃありません。シオンさんのように、僕も堕とされたんです」

 だから、嘘をつく。嘘と偽りで五年を生きて来たアレウスにとっては造作もない。この咄嗟の嘘を見抜けるのはアベリアしかいない。そして、この場にアベリアは居ない。

「本当に?」

「本当です。『影踏』さんは自由に動けずとも近付けば、相応の抵抗をしますし、ひょっとしたら返り討ちにだってされるでしょう。でも僕は、自由であっても、あのハイエルフには敵わない。僕に関しては完全に弄ばれて、放り込まれただけです。もっと分かりやすく言うなら、シオンさんのせいで堕ちたってことでしょうか」


 責任を嘘をついて、わざと背負わせる。何故なら、シオンはそうして欲しいと表情に出していたからだ。それが望みであるのなら、彼女の望み通りの言葉を口にする。責任とは時として重荷であるが、時として理由にもなる。この場合、シオンが異界で生きなければならない理由となる。


「……あたしのせいなら、せめてアレウス君だけでも脱出させないと」

 アレウスの思った通りの台詞をシオンが口にする。ただし、これもシオンの演技の可能性はあった。自ら求め、自ら理由とし、自ら結論付ける。アレウスという存在を利用することで、なんにせよ彼女も死にたくはないのだ。それはとても単純明快な願望である。

「何界層か、分かりますか?」

 人種としては恐らくエルフ――あのハイエルフの言い方からしてほぼほぼ確信に変わっているのだが、とにかくエルフであろうシオンならば界層の把握が出来るかも知れない。精霊、妖精の類に最も近く、魔法の叡智に最も長けているのなら可能なのではないかと思った。

「とても期待されているみたいだけど、あたしは駄目だから。使える魔法はたった一つで、金属性。それ以外の魔法に関するあらゆることは感じ取れない。それに、呪言の使い手は、魔法には普通なら近付けない。金属性の魔法が一つ使えるだけでも珍しい話なんだから」

「そうなんですか? そういう体質だった?」

「元々とも言えるし、逆に元々じゃなかったかも知れないとも言えるかも」


 どちらとも取れないことを言われ、アレウスは自らがシオンに向けた、無茶振りにも近い期待感について反省する。誰しもに得手不得手があるのなら、エルフにだってそれはあるはずだ。シオンがエルフに近い人種だろうと決め付けて、それならば文献や噂通りに魔法に深く富んでいるのではと思ってしまった。それはシオンという人物を見ていない。彼女の生き様を無視し、彼女の人種、種族で推し測ろうとした。


「ベースを探しますか」

「ベース?」

「基点とも言える場所です。魂の虜囚たちが作り上げた村みたいなところです。場所によっては魔物の集落だったりもするわけですが」

 アレウスは自身の装備を確かめる。カプリースの水流に呑まれてしまい、非常食の類は全て駄目になっただろうと思いきや、どれもこれもが水を吸っている気配はない。あれは、あくまでアーティファクトが生み出した水であり、ピスケスの異界にあった海水とはまた別物らしい。ならば、生物――呼吸をする者だけを対象として溺死させるような効果があるのかも知れない。


「僕の分を切り詰めれば二人で二日分にはなります。革袋の水も、大切に使えば二日は飲めるはずです。シオンさんはどうですか?」

 剣はない。短弓は今回、持ち込んでいない。それもこれも最前線で戦うことが前提だったためだ。目の前に獣人と魔物が押し寄せて来るのに、狩人や射手でもないアレウスが弓を持ち込むべきではない。

 短剣は何故かある。不思議なことに、アレウスの傍にはいつも短剣がある。あの男から譲り受けてからずっと、どんな危険な場所に赴いても必ずと言って良いほど、手元にある。手放した記憶は無いのだが、堕ちている最中に手放してしまっていたかも知れないとも思っていたのだが、杞憂だった。

 ポーションは少ないが、幾つか。ブラッドポーションもある。多少の怪我ならば治せそうだ。しかし、毒や寄生虫、疫病は治せない。そして、聖水がない。異界では魔物を倒したのち、即座に聖水で清めなければ臭いで追い掛けられてしまう。外の世界でも起こり得ることのため、アベリアには常備させていたのだが、アレウスが持ち歩いていたわけではなかった。


 アレウスは小さな呼吸を繰り返す。それから深く息を吸い、吐き出す。体は痺れない。意識も朦朧としない。異界の空気は外の世界と変わらず、呼吸しても良さそうだ。


「あたしは……食べ物は、正直……これぐらいと、飲み水も……これぐらい」

 シオンが自身の鞄――ポーチとも呼べる入れ物から乾パンや水の入った小瓶を取り出し、見せて来る。

「無いよりはマシです。これで二日と半日分にはなりますよ。僕が食べたり飲んだりを更に切り詰めれば三日ぐらいでしょうか」

「君のことだから、駄目って言ってもやりそうだけど、そういう善意の押し付けはやめて。二日と半日がタイムリミット。それ以上は無し」

 シオンの強い眼差しに、アレウスは仕方無く首を縦に振る。

「それまでにベースさえ見つければ、助けが来るまで凌ぐことは出来ます。ただ……ベースは大抵が異界の深くにあるので、堕ちる穴を探す必要がありますが」

 本来なら、探すのは登る穴である。しかし、“周期”に乗じた魔物と獣人の襲撃に対しての防衛戦中の出来事だ。まずは街を守り切ってからの捜索が考えられる。二日と半日で、それも二人だけで脱出できるのならば気にするほどのことでもないのだが、そんな容易い構造を異界はしていない。


「周辺について、ちょっとだけ調べましょう」

 空には赤い太陽が見え、空は夕焼けのように赤い。だからと言って、これは夕方と判断するのは早計過ぎる。草花はどれもこれもが色が薄く、枯れ草にしか見えないのだが、引き抜いてみれば根っこはしっかりと生えており、この色合いで自生していることが分かる。アレウスとシオンの周辺はこのような枯れ草にしか見えない草花が織り成す草原が広がっている。どこまで続いているのか、はたまたここまでしか続いていないのか。これは足を使って調べなければ分からない。

 続いて、傍には今のところ魔物の気配はない。アレウスの耳はシオン以外の呼吸音を聞き取っていないし、気配を感知してもいない。

「異界に堕ちたのなんて産まれて初めてだけど……本当に、あたしたちの世界と似通っている場所なのね」

「似て非なる場所ですよ。洞窟ばかりの異界だったり、海中のようで海中じゃない異界だったり……腹立たしいほどに、よく出来ている」


 広さはこれから歩かなければ判別不可能だが、もし広いならば異界獣が潜んでいるのは確定する。捨てた異界であったなら、そこまでの小規模な異界まで縮むからだ。


「シオンさ、」

「クラリエ」

「……クラリエ?」

「あたしの本名はクラリェット・ナーツェ。あのハイエルフが言っていたでしょ……? あたしが黙っているから、聞かなかったことにして、そしてあたしにも訊かないようにしているんだろうけど、そういうのは後々でギクシャクして来るから、もう白状する」

「ナーツェ……やっぱり、イプロシア・ナーツェの? あの、ハイエルフが言っていた通りだったんですか?」

「そうよ。あたしは、イプロシア・ナーツェの娘。そして、」

 シオン――クラリエは黒衣の一部を緩めたことで、彼女の顔や肌を隠していた布が解けていく。

「野蛮なエルフとも言われる、ダークエルフ」

 褐色の肌に、尖った耳。金に混じる銀の髪。そして、アベリアに勝るとも劣らない美貌が露わになる。

「……え、いや、でも、イプロシア・ナーツェは僕の読んだ文献ではハイエルフだと書かれていましたけど」

「でも、あたしはハイエルフじゃない。森の声が聞こえないから……エルフでもなく、ひょっとしたらハーフエルフ。だけど、こうして呪いを身に浴びてしまった以上は総称してダークエルフ。エルフが作り出した魔法で……同時に極めて呪いに近しい代物なの。呪いが浸透して行くと、こんな風に肌の色が変わって、髪の色も変わって行くのよ。だけど、悪いことだらけってわけでもない。体に入り込む毒素を排除しようと呪いが動くし、ハイエルフやエルフよりも頑丈……魔法の叡智のほとんどは……使えなくなってしまうけどね。森の声は前々から聞こえていなかったから、別に構わないんだけどさ」


「戒律を破ったんですか?」

 エルフは掟、戒律などに厳しい。それでも呪いを浴びるほどの所業を行うのはごく僅かである。厳しくはあるが、同時に仲間をそう容易く切り捨てもしない。だから、呪いを掛けて森を追放するとなると戒律の中でも禁忌中の禁忌を破ったということになる。

「破ってない……いや、掟を破ったからダークエルフなんだけど……ハイエルフでもないあたしが居ちゃいけない場所に居たわけだし……でも、あたし自身が破りたくて破ったわけなんかじゃない」

「なら、呪いを受ける必要なんてないんじゃ」

「あたしは、ダークエルフにならなきゃ、死んでいた。変な話だけど……この姿になってからは、叔父さんみたいな身軽な動きも取れるようになった。神域から出る時も、適応に苦しむこともなかったし」


 そうは言われても、アレウスはエルフの生き方を知らない。神域というのがどんな場所であり、適応がどれほど難しいのかも知りはしない。


「神域と言いましたけど、そこはどんなところなんですか?」

「……つまらない場所だった。ハイエルフがハイエルフのために用意した、不可侵の領域。穢れにうるさくて、生き方を決められて毎日を過ごす。神域の外に出ようとしたら見張りや監視が付くし――あたしの御母様が偉大なる英雄だったこともあって、あたしにはほとんどの自由が無かった。あたしに与えられていた自由は神樹の枝葉の先端まで。その先は、ほとんど歩いたこともない。不思議な話でしょ? あたしは、エルフとして産まれたのに、エルフの森での生活をしっかりと見たことはないんだよ」

「どれくらい?」

「アレウス君が考えるよりも長く、途方もないほどの時間」

 知らないのならば、知っていることに置き換える。

 異界で過ごした五年と、クラリエが過ごした途方もない時間。それはきっと比べるまでもなく、クラリエの方が長いに決まっている。異界と神域の暮らしではやはり神域での暮らしの方が豊かであったに決まっている。

 しかし、根底が大事なのだ。アレウスとクラリエにとって、いつ終わるとも知れない日々が続くことの苦しみは共有できる。彼女が神域での暮らしを苦しみと思っているかどうかは措いておき、そうだろうという仮定を立てて自分自身の中で共感できる形に変えるしかない。

「一日でも早く外に出たいという気持ちを持ったことがありますか?」

「あるよ。掟を破ったこととそれにはなんの関連性もないけど。ずっと、外に出たいと思って仕方が無かった」


 その言葉だけで充分だった。アレウスはもうなにも訊く気は起きなかった。


「場所は神域ではなく異界になってしまいましたが、異界から外に出ることを目標にはしておきましょう。助けが来てからになりますけど」

「凄く簡単そうに言うけど、簡単じゃないんでしょ?」

「魔物の種類さえ特定出来れば、ベースに辿り着くのは簡単だと思っています。今回はピスケスの異界のように海中を泳いだり歩いたりするわけでもないですし、リオンの異界のように洞窟探検を余儀なくされるわけでもありませんから」

 空気に関しては心配無用だと判断したが、遅行性という部分は捨て切れない。特殊なガスなどを人種に嗅がせるような魔物が蔓延っていることが分かったならば、生き様の終わりも覚悟しなければならない。

「クラリェットさんは鼻が利きますよね? この周辺で変な臭いが漂っていたりします? 説明し辛いんですけど、体に悪そうな臭いみたいなのは?」

「ううん、そんなのは全然……風に乗って、魔物の臭いはして来るけど」

「なら、動きましょうか。草原ということで、魔物の耳が良い場合、足音で勘付かれます。音は出来る限り立たせず……いや、僕の方が注意するべきことか。魔物の臭いがする方向に行きたいので指で臭いの元の方角を教えて下さい」

「自分から魔物に近寄るの?」

「この異界の魔物を早めに特定しておきたいんです」

 リオンの異界はガルムの種が多く、ピスケスの異界は水に適応した種が多かった。異界獣ごとに産まれ落ちる魔物の種が異なるのなら、この異界にも主だった種が存在するはずだ。


「なんか……あんまり動揺していないね。あたしは、結構、怖いのに」

「五年」

「五年?」

「僕が異界に居た年月です。クラリェットさんに比べれば、瞬きをしたような年月でしょうけど……まぁ、ヒューマンの僕にとっては地獄のような日々でした。なので、僕たちは今、地獄を歩いていると思っておいて下さい」

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