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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第3章 -その血を恥じることはなし-】
132/705

2-4

 彼女が選択権は与えられていなかった。

 俺が彼女に与えたのは、苦しみ以外のなにものでもない。

 だから、彼女が英雄になるその日に、俺は殺されようと決めたのだ。

 ルーファスと出会ったのは、そう決意してから五十年余りが過ぎた頃のことだ。

~~~


 いつもは穏やかな気持ちで歩く廊下を、今は迫り来る恐怖から逃れるために走る。出来ることならば部屋に置いたままにしている沢山のクラリエにとっての想い出の品々を掻き集めたかったのだが、叔父はそんな時間すら惜しいらしく、決して引き返すことを許しはしなかった。

「叔父様」

 声を掛けたが、叔父はなにも答えはしない。屋内から外へと続く通路を進んで来たが、出口には多くのハイエルフが集まっている。クラリエは叔父に言われたことを思い出し、このままでは捕まってしまうのではないかと不安を募らせていたが、叔父はそんなクラリエに反して、自身あり気に、且つ冷静に出口周りに居るハイエルフに近付く。

「状況は?」

「弟君」

 イプロシア――クラリエの母親の弟であるため、公式の場ではそのように叔父は呼ばれているらしい。

「この場で感情論は必要無い。淡々と事実だけを述べろ」

「獣人が森を侵略しています」

「人語を理解しているため、交渉も可能かと思いましたが進撃が止まりません」

「既にエルフが襲撃に対して反撃を開始していますが、ここに数匹ほどが辿り着くやも知れません」

「そうか。全てを狩り終えても、その後の始末が面倒になるな」

「……クラリェット様を連れ出すのですか?」

「なにか問題があるか?」

「いえ、我らの宝であるクラリェット様をこのような時に外へと連れ出すのは危険かと思いまして」

「その通りです。クラリェット様は神域の奥へとお隠れになられた方がよろしいのでは?」

 叔父にハイエルフが陳情する。どれもこれもクラリエを思ってのことであるが、言われた通りに神域の奥地で身を潜めれば、その後、ハイエルフではないことに気付かれてしまう。クラリエですらその事実を未だに受け止め切れてはいないのだが、叔父の言葉には差し迫ったものがあった。普段から叔父はクラリエのことを気に掛け続けてくれた。だからこそ、声音が、そして表情が、どれもこれも真実であることを告げていたのだ。

「一度、神域の外へと逃がす」

「環境に適応する訓練はまだしておりません!」

「危険を承知で外へと出る。それは我が偉大なる姉上も果たしたことだ。訓練とはなんだ? 神域から外へと出て、少しずつ体を慣らす訓練か? それではいつまで経っても姉上を越える英雄にはなれはしない。この時、この瞬間がクラリェット・ナーツェに与えられた試練だ。この試練を越えなければ、英雄にすらなれはしない」

 その言葉にハイエルフたちが黙り込む。

「お前たちが心配するのも無理はない。だから、俺が同行する。俺は既に適応を済ませている。彼女が体調不良を起こせばすぐさま神域へと帰って来よう。しかし、それまでに獣人たちを排除し切れていなければ、穢れがクラリェット・ナーツェを蝕みかねないぞ?」

「そうだ。あのミーディアムたちの排除こそが最優先すべきことだ」

「神域が穢れてしまった時、クラリェット様がお隠れになられていたら、体を壊してしまいます」

「弟君の言う通り、ここは一時、神域から離れさせるべきです」

「クラリェット様、どうかご自分に自信を持って下さい。あなたには偉大なる者の血が流れていらっしゃいます。その血があれば、環境への適応など造作も無いことでしょう」

 クラリエはハイエルフの一人一人に握手を求められ、その全てに応じたのち、叔父を追い掛けて屋外に出る。森の日差しはいつも通りであり、水の清らかさにも変わりはない。しかし、小鳥たちの姿は見えず、それよりも大型の鳥たちはけたたましい鳴き声を上げながら、羽音を立て、虫たちですらも木々から土の奥深くへと隠れようとしている。

「襲撃は今までもあったの?」

「俺が産まれてからは三回だ。一回目と二回目はヒューマン、三回目は、」

「獣人」

「この森では禁忌を破るエルフが少ない。だからこの森出身のダークエルフはほぼ居ない。そのためか、そっちからの恨みを買ってはいても襲撃の対象にはなっていないようだな」

 神域と呼ばれる範囲は神樹の傍にある木造の建物から、円形に広がっている。その範囲は神樹の枝葉の端から端まで。クラリエの居る場所からならば、ここからでも見える神樹とはまた異なる大樹のところまでだ。この方角の目印はその大樹であるが、他の方角となるとまた別の草木が目印となる。

「神域の外に初めて出たら、なにが起こるの?」

「まず空気の質が違う。外の空気は煙たく感じ、呼吸に乱れが生じる」

「神域の空気は神樹によって浄化されているからだよね?」

「ああ」

「水は?」

「泥を飲むような感覚だ。食べる果実も、どれもこれもが飲み込んでもあとで吐き気に見舞われる。日差しにも眩暈を覚え、夜の月明かりでさえも眩しく感じる」

「叔父さんはそれでも外の世界に適応できたの?」

「生きるとは、そういうことだからだ。泥を啜っても、不味い物を食べてでも、命を繋ぎ止める。それが寿命を縮める行為であるのだとしても、その日を生き延びなければ明日は来ない」

「明日は……来ない」

「お前はハイエルフではないから、俺よりも体の拒絶反応は薄いだろう」

「……そう」

 ようやく外の世界を見ることが出来る。ようやく外の世界に出られる。それはクラリエにとって喜ばしいことであるはずなのに、自身がハイエルフでないという事実だけがそこに陰を落とす。


 突如として飛来した矢を叔父が素手で掴み、その場に投げ捨ててから短刀を引き抜く。


「誰だ?」

「クラリェット様を逃がすことなんて、させない」

「さっきの侍女か。いや、もう侍女ですらないな」

 話を聞いていたか否かを叔父は訊ねない。そこを訊ねれば、クラリエが外へと連れ出されようとしているこの場面について、疑念を抱かれかねない。そして、こちら側から相手になにかしらの情報を与えることにもなる。『話を聞いていたのか?』はつまり、聞かれたくない話をしていたことを言い表していることに他ならないからだ。

「何故、『異端審問会』に付いた?」

「私は……『灰銀』だから……!」

 侍女の金色の髪から色が抜けて行き、銀に近い色へと変わる。

「魔法で偽っていたか。『灰銀』のやりそうなことだ」

「その言い方が! その、傲慢な考え方が! ハイエルフであるのにハイエルフとして扱われない全てのことが、憎くて仕方が無い!!」

 侍女は再び矢を放つ。叔父は短刀でそれを真上に弾いて、勢いが落ちた矢を掴み、(やじり)を眺める。

「さっき放った矢には塗られていなかったが、これには草花の毒が塗られている。どうして不意討ちの一発を毒の矢にしなかった? それはお前がまだ、殺すべきかどうかで悩んでいるからじゃないのか?」

「たとえ不意を突いても、ナーツェの眷族であるあなたには気付かれてしまいます。弾かれてしまいます。ええ、全て分かっています……けれど、この目で見て、確かめるまでは貴重な毒の矢を使うわけには参りません」

 目で見たことしか信じたくはない。その意思はクラリエもまた抱いていたものだ。

「待って……ねぇ、考え直して? あたしたちはきっと、話せば分かり合えるの」

「そうやって、情で(ほだ)されるほど『灰銀』は甘くはありません」

「『灰銀』でありながら、偽り、更には姉上の子供に矢を向けた。お前は禁忌に触れた。もう『灰銀』どころかハイエルフには戻れない。野蛮なエルフへの仲間入りだ」

「あはははははっ、また御冗談を……私はダークエルフになるより先に、あなたに殺される。そうでしょう?」

「分かっているじゃないか」

 叔父が跳ねる。侍女が矢を放つ。二人の力の差は歴然で、傍目であるクラリエでも分かる。どう足掻いても、侍女が叔父を射抜くことは不可能だ。そして、もう叔父の短刀は侍女の首に向かって振られている。

「待って!!」

 それでもクラリエが強く叫ぶ。

 叔父の腕が一瞬、止まる。その一瞬、侍女はつがえていた矢を放った。叔父にではなく、呆然と立ち尽くしていたクラリエにその矢が刺さる。

「ちっ!」

 力の限りをもって侍女の首を刎ねようとしたが、そこで叔父はクラリエを数秒、見た。その後、加減を緩め、叔父の短刀は侍女の頸動脈を裂くだけに留まる。血飛沫を上げながら、侍女はゆっくりと倒れて行く。しかしその表情は儚くもありながら、どこか満足気で、なにかを“やり遂げた”かのように喜びながら、絶命した。

「人を傷付けること、殺すことに達成感を憶えて死んで行く……世の中には、こんな連中ばかりなのか?」

 呟きながら、叔父は短刀を納めてクラリエの傍に戻る。矢は急所を外しており、それほど深くも刺さってはいなかったためにすぐに引き抜かれるが、毒はクラリエの体内を巡る。

「解毒薬を……いや、すぐには作れない」

 毒を持つ草花は沢山ある。その内のどの毒を用いたのかが分からないために、それに特化した解毒薬の作成は薬師の仕事になる。叔父はその道を知ってはいても、深くを知ってはいない。

「あたし……死ぬ、の?」

「神域の外にも出ていないクセに死ぬわけがないだろう」

「でも……毒」

「全身に回るまでには時間がある」

 叔父が常に肌身離さず持ち歩いていたペンダントを外し、チャームを開く。

「そのペンダント……御母様からの大切な贈り物なんじゃ?」

「恨むなら、俺を恨め」


 叔父はクラリエを抱きかかえ、まず神域の外へと連れ出す。続いて身軽に森の中を駆け抜けて、開けた場所に彼女を下ろす。


「これは、姉上が残した“形ある魔法”だ。もっとも、解毒とは程遠い……毒を毒で制することになる。だが、少なくともお前を蝕んでいる毒に殺されることはなくなり、そしてお前の重荷もこれで解消される」

 意識が遠のこうとしている中で、叔父がペンダントから取り出した片手に隠れる程度の紙切れをクラリエの腹部に服の上から当てる。

「複数のエルフが唱えてようやく形になる魔法を、こんな紙切れ一枚で済ませられるのだから……俺は永遠に姉上には届かないのだろうな」

 遠のいていた意識が覚醒する。腹部から全身を、さながら蛆や蛇が蠢いているかのような錯覚に苛まされ、心臓を今にも止めようとしていた毒などとは程遠い、信じられないほどの激痛にのたうち回る。そうして転がったクラリエの周辺の草花はしおれ、枯れて行く。

「俺が背負うのは永遠に下ろすことの出来ない罪の十字架だ。いつかきっと、お前に殺される。そうは分かっていても、あの場で死なせることなど出来ない。何故ならお前は……大切な、姉上の娘……俺にとっての、唯一無二の姪なのだから。どんな姿になろうと、お前を見捨てはしない。お前に殺される、その日までは」


 一対のピアスがクラリエの両耳に掛かる。そこから迸る痛みも加わるが、次第に全身を這い回っていた蛇や蛆のような感覚は薄れ、そして痛みも引いて行く。筋肉の緊張が解け、そのままクラリエは深い眠りに落ちる。


 次に目を覚ました時、叔父の姿はもう見えなかった。代わりに、クラリエの正面には初めて見る獣人の姿があった。荒々しい鼻息、臭い、エルフとは似ても似つかない体躯。そのどれもに知的好奇心をくすぐられたが、同時に自分の死が間近に迫っていることも悟った。


「待て、そのエルフは厄付きだ」

 獣人の握り締めていた石斧がクラリエに振り下ろされる前に止められる。クラリエを殺そうとした獣人の後方から、また別の獣人がやって来て、周囲の臭いを嗅いでいる。

「殺せば厄を貰う」

「エルフは全て殺せと言わレタ」

「そうだが、好んで厄など貰いたくはないだろう?」

 やや片言の獣人は諭され、石斧を下げて、クラリエを見逃して森の中へと突き進んで行った。


「二度目は無いぞ、厄付きエルフ」

「……二度も会うと思うの?」

「面白い返事だ。しかし、二度もこちらは厄付きエルフを拝みたくはない。厄などもらって、王になる道を閉ざされたくはないのだから」

 そう言って、先ほどの獣人を追い掛けるようにその獣人もクラリエの前から居なくなる。


「……ピアス……なんで? それに……なに……これ?」

 クラリエは耳に掛けられたピアスに触れ、続いて腕を眺める。神域で暮らしていた頃の真っ白な肌が薄褐色に、さながら蝕まれるかのように染め上げられつつある。しばしその侵食を見つめて、ピアスと肌の色の変質がなにを表しているのかを理解する。

「野蛮な……エルフ。毒を殺すために、呪いであたしは……ダークエルフになったってこと、か」

 不思議とショックは無かった。逆に変な笑いが込み上げて来る。今の状況に悲観しているというよりは、あらゆる重荷から解放されたことで心が喜んでる。

「もうクラリェット・ナーツェは名乗れない。名乗らなくて良くなった。なら、新しい名前を考えよう……叔父さんとは、またいつかどこかで会えるだろうから、その心配はしなくて良さそうだし」

 『見捨てはしない』という言葉は、朦朧とした意識の中でも聞き取れた。いずれ叔父はクラリエの前に戻って来る。殺されに来るのか、はたまた見守りに来るのかはさておくとして、自分の生き様を自分以外の誰か一人でも知っていてくれているのなら、クラリエは生きて行ける。


 だから、クラリエは立ち上がり、そのまま森を出た。

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