2-2
産まれた時から生き方が決められている。
けれど、産まれた意味については誰からも教えてもらってはいない。
なにより、愛情の果てに産まれたのかすらも定かじゃない。
~~~
「ねぇ、乳母様? あたしのお母様は確かに大英雄に違いないけど、『星狩り』がお母様のように語られないのはどうしてなの?」
「『星狩り』は確かにエルフの誉れとも言えましょう。ハイエルフの中でも『大賢者』と名高いイプロシア・ナーツェ様と同格と捉える方も少なくはありません」
「では、どうして『星狩り』の一族はあたしたちの一族のようには扱われないの?」
同じ森ではないが、同じような神域で生きるハイエルフである。なのに、神域から一族が追い払われつつあるという話をクラリエは気配を消して、皆が密かに話しているところから拾った。
「彼女は『灰銀』なのです」
「はい……ぎん?」
「ハイエルフであっても、生粋のハイエルフかどうか疑わしい。我々のように金、或いはそれに限りなく近い色合いの髪を持つ者は紛れもなくハイエルフ。けれど、銀色に近い色合いの髪質では、外部からの血が混じっている可能性が少なくないのです。もしくは……ハイエルフとして産まれはしたものの、ハイエルフとしての素養のほとんどが失って産まれてしまったか。いずれにせよ、そんな者を謳いはすれど、イプロシア・ナーツェ様と同様に語るわけには行かないのです」
エルフの血はとても複雑である。ハイエルフはハイエルフ同士でしか産まれない。ハイエルフに僅かでも、神域の外の世界に適応したエルフの血が混じれば、以後、その血筋はハイエルフから外される。
ハイエルフは純血、エルフは、エルフという人種の中における混血。クラリエはそのように自分の中で分類付けた。
そして、ダークエルフはハイエルフとエルフのどちらであっても、森の戒律を破った者たちを指す。
ダークエルフで無くとも、混血の可能性があるというだけで英雄とは謳われない。なんとも難しい話である。もしも自身が『星狩り』であったなら、灰銀として産まれて来たことを恨むだけでなく、ハイエルフという純血種そのものを恨むようになってしまうだろう。『星狩り』自身は紛れもないハイエルフだと言っているのに『髪質が違う』、又は『産まれて来る際にハイエルフとしての素養が現れなかった』。たったそれだけで、英雄と呼ばれない。
ただでさえ、ハイエルフは外の環境に適応しにくいとクラリエは教わっている。神樹が垂らす雨の雫で体を清め、日の光ですらも森の陰りの中で浴びて過ごさなければならない。それらを行わなければ、あらゆる疫病に冒される。そのように言われているのに、外への憧れと死への覚悟を持って飛び出し、人の世に出て、冒険者として成熟することは生半可な気持ちでは至れないのだ。
それだけの苦難、苦痛、壁を乗り越えても、森では認められないとなれば、なんのための覚悟だったのか、なんのための努力だったのか。報われない努力ほど虚しいものはないに違いない。
「ハイエルフじゃないと森の大英雄として名が刻まれないなんて、一体、どこの誰が決めたことなの?」
「戒律ではないにせよ、ハイエルフやエルフの中でも常識です。だからエルフが森の外に出るということは、森での世捨て人になるも同然なのです」
「私は、世捨て人になるためにお母様みたいになりたいんじゃないんだけどなぁ」
「クラリェット様が世捨て人に? そのような笑えない冗談はよして下さい。あなた様は、イプロシア・ナーツェ様を越える御方。森の外に出る日が訪れたとしてもそれは天命であり、使命。我々はその名が森まで伝わるまで、ただ待つのみです」
乳母ですら絶対の成功を信じて疑わない。嬉しいのか、それとも不安なのか。どちらとも言えないためにクラリエは苦笑いを浮かべて誤魔化す。
「それで、今日の弓術はどうでしたか?」
「う~ん……あたしには弓の才能は無いみたい」
「ここだけの話ですが」
乳母がクラリエに耳打ちする。
「あなた様の御母上様も、弓が上手いとは言えなかったんですよ」
僅かに垣間見えた母親の強い一面では無く弱い一面に、クラリエは苦笑いではなく確かな笑みを浮かべる。
「そうだったの?」
「ええ。ですから、魔法へ傾倒して行ったのかも知れません。とは言え、外へ出るためには的に連続して射掛けて、どれもが命中するぐらいの腕前は必要でしたが」
「お母様もやっぱり苦労していたの?」
「よく叱られていましたし、よく練習に付き合わされました。ただし、決してめげない性根の強い部分がありましたから……どうにかこうにか乗り越えておられました。十回やって、一回だけの成功でした」
「一回だけ?」
「たった一回でも、成功は成功です。それが偶然であろうと無かろうと、あなた様の御母上様はやり切ったのです。それを誰が文句の一つでも付けられましょうか」
「成功は成功……か」
クラリエは乳母が置いていた果物ナイフを手に取る。
「ねぇ、乳母様? あたし、こっちなら百発百中なのよ?」
そう言ってクラリエは手元で果物ナイフを逆手に持ち、そして投擲する。クラリエが狙いすました通り、果物ナイフは木の柱に掛かれている的に刺さる。
「凄いでしょ?」
そう言って振り返った瞬間、乳母はクラリエの頬をはたく。
「なんと……なんと、野蛮なことをするのですかあなた様は!」
「え、だって……投擲術は弓術と同じくらい大切なことで、」
「あなた様に必要なのは弓の技能と魔法の叡智! そのような野蛮な技能を培わなくて結構なのです! 」
感情的に怒鳴る乳母は、同時に自分がしでかしたことに気付き、大きく狼狽える。
「ああ……私は、クラリェット様になんてことを……この手が、勝手に、あなた様を……どうか、どうかお許しを!」
ヒステリックなまでに乳母が蒼白になった顔を両手で覆い、泣き叫ぶ。
「次は無いと思え」
叔父の冷たい言葉が乳母に投げ掛けられた。クラリエは掴み切れていたが、乳母は叔父の気配を掴めてはいなかったらしく、その闇から零れ出た言葉に小さな悲鳴を上げたのち、フラフラと自室へと戻って行った。
「私に手を上げただけで、乳母ですら殺すの?」
「危害を加える者は全て始末しろと上から言われている」
「上からって……あたしの育ての親よ? あたしが間違ったことをすれば叱るのが親の役目でしょ?」
「育ての親であっても、産みの親は俺の姉だ。姉と同様の権利が与えられているわけではない」
神域で過ごす自分自身こそが邪魔者なのではないかとすら疑いたくなるほどである。これでは、自由の身でないのはクラリエではなくクラリエに関わる全ての者ではないか。
「ハーフエルフが羨ましい」
「ミーディアムに思いを馳せるな」
「森を捨てて、森の声も聞かずに済むんだよね? 戒律に縛られず、外界でのんびり暮らせるなんて、どれだけ幸せか」
「さながら自分自身が不幸だとでも言いたげだな」
景色の中から、ゆらりと現れた叔父がクラリエの投げた果物ナイフを柱から引き抜く。
「では聞くが、お前は森の声を聞いたことがあるのか?」
クラリエは不意に訊ねられて、スーッと血の気が引いて行く。
「……無い。あたし、一度も森の声を聞いたこと……ない」
「月に一度、神樹の下で開かれる集会ではどうしていた?」
「叔父様に……言われたことをそのまま復唱していた、けど……? だってそうしろって言ったのは叔父様でしょ?」
「つまりはそういうことだ」
「どういうことなのよ!? ねぇ?! 叔父様!!」
叔父は真相を告げずにクラリエの前から景色に溶けて、消え去る。
神域で育ち、神樹の下で生きて来た。
なのにクラリエは一度も森の声を耳にしたことはない。
「あたしは……まだ、聞こえていないだけ。これから聞こえるようになるだけ……そう、絶対にそう」
不意を突くようにクラリエの胸中に残ったシコリを取り払う術はない。だからこそ言い聞かせるしかないのだ。
言い聞かせて、否定する。
否定しなければ、仮説に潰される。良い意味での可能性なら別であるが、悪い意味での可能性に潰されたくはない。
「絶対に森を出てやる。森を出て、あたしはイプロシア・ナーツェの娘らしく、英雄に……ならなきゃ……!」




