半端者かそうでないか
【捨てられた異界】
異界獣は一所に留まらない。自身の巣となる異界を作り、それはやがて界層構造を成す。人種が堕ちなければ魔力は喰らえないため、異界の穴を随所に生み出す。しかし、魔力の吸収効率が悪いと判断すると巣を移動し、別の巣を構える。“異界獣もまた異界を渡る”。捨てられた異界は徐々に形を失い、概念を失い、収縮していずれは世界と繋がっていた全ての穴ごと消える。
『あの“穴”の中はただ閉じていくんだ。中で閉じ切ったとき、どうなるかなんて考えたくもないね』
*
「今月の志望者は十名。毎月に実施しているが、一段と少ないことを先に伝えておく」
ギルドより派遣された冒険者が資料と顔を確かめながら、志望者の少なさに嘆息する。
「テスト内容は至極単純だ。私たちは半端者を冒険者としてギルドに登録させたくはない。育たず、枯れて行く様など見るに堪えないからだ。所属すれば誰かから基礎を教えてもらえる、戦い方を学ばせてもらえる……そんな甘い考えを持ったままここに集まった者は居ないと信じたい。だが、毎回のことながら一人や二人は紛れ込む。そのために私たちが呼ばれるのだ。冒険者になると決めたなら、今日この日に自身が出来得る限りのことをして仕上げて来ていることが前提だ。とは言え、教会の祝福を受けていないが故に甦ることの出来ない死が、突如として顔を覗かせて来ることもまた事実。だからこそ、各々にまず配る物がある」
冒険者たちの手から直接、アレウスは紙の人形と長方形の紙を渡される。
「一つは『身代わりの人形』。一度だけだが、死んでも生き返ることが出来る。しかし、たった一度だ。二度目は無い。二つ目はエルフ界隈では呼び方が違うようだが私たちは『栞』と呼んでいる。エルフの製紙技術でしか作られない高価な物だが、中堅の冒険者ともなれば必ず一枚は手にしている。ロジックを開き、書き換えることで身体を強化する方法は知っているな? この栞は、所有者の意識を保たせたままに所有者とロジックを開いた者が求めるテキストを早期に呼び出してくれる。つまり、戦いながらにしてロジックによる強化を可能にし、またその効果を絶大な物へと上昇させる」
「……あの時、使っていたのはこれか……」
あの男はロジックを開かれながらもアレウスと話をした。その時に、『栞』は使われた。直後の覇気や、折れた剣を握りながらも異界獣に突撃したそれら全ては、強い力として顕現したためのようだ。
「ただし、『栞』によって行われる強化は通常の書き換えとは意味が異なる。書き換えは身体のストッパーを外す強化だが、『栞』はエルフの魔力が身体を巡る。エルフの魔力に呑まれてしまえば、自分で自分を制御できなくなる。特に生き様に左右されやすい。人より凄絶に、苦難と対峙した回数が多ければ多いほど制御は利くが、ぬるま湯に浸って生きて来た者ほど呑まれる。だが、安心して欲しい。ただの冒険者志望の者たちの暴走など私たち中堅冒険者にしてみれば赤子の手を捻るようなものだ。まかり間違っても死ぬことはない。死ぬとすれば、使いどころで使えないか、使わなくても良いところで使ってしまうような愚か者だけだ。そんな愚か者が、この中に居るわけでもあるまい?」
挑戦的な言葉を耳にしつつも、アレウスは栞を早々とボトムスのポケットにしまう。アベリアは鞄の、特に取り出しやすいところへと収めた。
「テストでは異界を使う。とは言え、異界獣が捨てたものだ。奴らにとって異界は巣穴。だが、ずっとその巣穴に閉じこもり続けるわけではない。奴らも成長する。その度に、新たな巣穴を――異界を作る。捨てられた異界は基点を失い、虜囚となった者たちも消えて行き、界層自体も浅くなる。今回、入る異界は全二界層へと収縮している。基点の消失は当然のことではあるが、一ヶ月ほど潜っていなければまず発狂しない。私たちはそんなに長い間、君たちを放置するつもりもない。ただし、そこまで手を焼かせるような馬鹿者が居たなら、間違いなく冒険者にはなれないだろう」
異界に潜ることは元々、アレウスがずっと求めていたことだ。テストの時から捨てられた異界とは言え、潜れるのはありがたい。
「申請された通りでは、四人、四人、二人の構成だったな。ならば、二人組は最後にしよう。当たり前だが、魔物を倒した数が冒険者への近道とはならない。そして、合わせて三組が行動するが堕ちる場所は時間をズラせばバラバラだ。十人が揃って、同じところからスタート出来るなどとは思わないで欲しい。それでは、一組目を異界の穴に向かって案内する。はぐれることなく、付いて行くように」
四人組がまず、冒険者に連れられて森の奥へと消えて行く。
「懲りずに来たのか、アリス」
「そう呼ぶのはやめろと言ったはずだ」
「異界に潜ったあとじゃ引き返せないぞ。今の内にやめておいた方が良いんじゃないか?」
アレウスは苛立ちながら男を睨むが、しかし同時に彼が纏めたのであろうパーティの装備や荷物を見て、冷静になる。
こんな男たちを相手にしていても無意味だ。そう思えてしまうほどに、呆れた装備だった。これが一人だけならまだしも、まさかの四人揃ってピクニックにでも行くのかと思うレベルであった。話せば話すほど、自身の価値が下がる。だから、口論は無駄なのだ。
「次、喋っていないで案内役の冒険者に続け」
男たちはアレウスたちを鼻で笑いながら、森の奥へと消えて行く。
「魔力切れに注意しろ」
「二界なら、まず無くならない」
「だとしても、魔法を使えなくなったら」
「短剣を使う。杖の打撃が有効な相手は限られて来るから」
「どの程度かは分からない。ある程度は引き付けるけど駄目だと思ったら自分で判断しろ」
「アレウスも」
「ああ」
「ん? 君たち、神官を連れていないのか?」
「え……はい」
「回復は……魔法職志望のアベリア・アナリーゼが受け持つのか。だが、本当に回復が使えるかどうかロジックを開けて確かめさせてくれないか?」
二人の了承もなく、神官の男が近付きアベリアのロジックを開こうとする。反射的に体が動き、アレウスは神官の喉元に向かって短剣を突き付けていた。
「必要ありません。使えるかどうかは僕が一番よく知っています。無意味にロジックを開いて、彼女に疲労を与えないで下さい」
「短剣を納めたまえ、アレウリス・ノールード!」
刃を突き付けられながらも神官は不遜な態度を崩さず、こちらを睨んでいる。
「神官様が下がるのが先です。でなければ僕はこの短剣を納めることが出来ません」
冒険者は神官と顔を合わせ、言葉を必要としない表情でのやり取りを数秒行ったのち、神官がアベリアから離れて行く。ゆっくりと短剣を鞘へと納めて、アレウスは警戒体勢を解く。
「君たちにとって、必要のないことをしてしまったようだ。だが、せめてフードを取ってもらいたい。顔が資料に載っている通りのものか、そのままでは判別出来ない」
神官とは打って変わって、冒険者はこちらを警戒しつつも無駄な争いを避けるように言葉を選び、要求して来る。
「……アベリア」
これはさすがに応じる。ここで断れば、テストを受ける前にしてアレウスたちは追い出されてしまいかねない。
「うん」
アベリアがフードを脱ぐ。零れ出る銀の髪が風を受けて揺れ、光を浴びて輝く。翡翠の瞳はキョロキョロと踊り、冒険者を見つめて止まる。
異界に堕ちた年齢は九歳。五年生存して十四歳。そして一年が経って、十五歳。その齢にして、周囲の者の息を呑ませるほどの美しさが、さながら時を止めたかのように静寂を訪れさせる。
「資料の通りですか?」
アレウスの声で冒険者はハッとして、資料とアベリアの顔を確認し、首を縦に振った。
「たまに志望者に扮して自身の弟子を確実に冒険者にしようとする輩が居てね。少し、疑り過ぎたようだ。だが、そのような疑いを掛けてしまったのは君の態度の悪さにあると自覚してもらいたい。アレウリス・ノールード」
「気を付けます」
そう答えつつ、アレウスは視線でアベリアに促し、彼女はフードを被り直した。
「それでは、異界の穴へと向かいなさい」
アレウスたちは冒険者に連れられて、森の奥へと案内されて行く。
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「あれは冒険者にはなれないでしょうね」
資料を持った冒険者に他の冒険者が声を掛ける。
「いわゆる半端者ですよ。目上に逆らう者ほど痛い目を見る。自身のパーティの神官に楯突いたからと言って、あんまり気にしては行けませんよ」
「いや、私が普段から組んでいる神官には休みを与えていてね。今日は別のところから派遣された神官を引き入れている。とは言え、神官に危機が迫ってしまったのは私の責任になる。申し訳ないね」
冒険者は答えつつ、神官に謝罪をする。
「話を本筋に戻しても良いかな? アレウリス・ノールード……確かに素行は怪しいが、それだけで物事の本質を全て見定めた気にはならない方が良いだろう」
「どういうことです?」
「彼は思ってもいなかったことをしたんだよ。虚を突いた。志望者がなにかと反発するのはよくあるが、さすがに神官に兇器を向けることは今までなかった。思っていても、それをやらない。神職に歯向かうことは即ち、神様への反抗だ。罰が当たることを誰もやるわけがないんだよ」
「結果として、罰が当たるんでしょう。これから」
「いいや……あの目は違う。罰などとうの昔に受けているとでも言いたげな目だ。だからもはや、己に降り掛かる罰など怖くなどない。そんな目を久し振りに見てしまってね。思わず、高揚した。これは面白い志望者が来たものだ、とね」
不敵な笑みを浮かべたのち、冒険者は神官に「災難だったね。けれど、物事に順序はあるんだ。その順序に抵触してしまえば、志望者であっても油断ならない大敵になりかねない」と伝えてから、森の奥を見つめる。
「異界には先に冒険者を潜らせているか?」
「ええ。これから俺も行かせて頂きます。魔法での声のやり取りが可能なことは前日に確かめていますが、もしものこともありますので現場での判断を重視させて下さい」
「構わないさ。そもそも、このテスト自体が例外だ。今まで異界を使ったテストなど実施したことがない。どうにも、私としては納得の行かない点も多い」
チラッと冒険者は神官を見つめ、それから自身の剣の柄に手を掛けた姿勢を維持する。
「では、ここでまた」
会話を続けていた冒険者は複数の仲間を連れて、森の奥へと消えて行く。
「……いずれにせよ分かるだろう。半端者か、それとも覚悟をして来た者か。装備の違いで一目瞭然ではあったが、準備は良くとも他が酷い有り様だったなら冒険者にはなれないぞ、アレウリス・ノールード。君は一体、私になにを見せてくれるのかな?」
言いつつも、その声はどこか嬉しげである。そして冒険者はこう続けた。
「『英雄とは、目指すものではない。産まれた時より、既に英雄なのだ』。おや、どうしたんだい神官様? ……ああ、これはとある至高の冒険者が仰っていたことだよ。はからずとも、その意味を一握りであれ、理解したような気になってしまったよ」




