死を怖れぬ戦士
馬のように獣人に扱われる騎獣を見るのも初めてであるのだが、それ以上に気持ちが落ち着かない。ガルムを相手にしていた時には感じてはいなかった別の感情が湧き上がっているのだろうか。それとも、獣人という存在がアレウスのアーティファクトに強い負荷を掛けて来ているのだろうか。確かに右目は蛇人――言うなれば獣人のような生物から奪い取っている。反応するのも不思議な話ではない。
だが、動悸がするのはどうにも説明が付かない。ガルムに短剣を突き刺し、息絶えさせてから休憩とばかりにその場で鼓動を落ち着かせようと努めても、心臓の高鳴りがいつまでもいつまでもやまない。
「鎗の使い手は前面に出ろ。相手は獣人とその従者だ。馬を傷付けるような嫌悪感は無い!」
冒険者が騎兵を下がらせつつ、鎗を持つ冒険者が走り出す。
騎兵に対して鎗兵が強いとされる一番の理由は、単純にリーチと斬撃ではなく刺突にある。自身が馬に轢き殺される前に、乗り手か馬を傷付けることの出来るのは近接での戦いにおいては鎗以外には頼れない。ただし、効果的ではあるが被害をゼロに出来るというわけでは決してない。タイミングを逃せば乗り手の得物に切り殺されるだけでなく、馬――この場合は騎獣だが、それに轢き殺される。そんな大博打に、この場面においては鎗の使い手は常々に立たされる。
「固まって凌げ! 鎗の筵を敷け!」
上級冒険者の指示の元で、鎗を持つ冒険者がラインを築き上げながら、自身の身長の二倍以上はあるだろう大鎗を斜め前方へと持ち上げる。馬防柵もそうであるが、騎獣に傷付くことを怖れるという本能があれば、自ら鎗の餌食になるような真似はせず、必ず止まる。そこで下がった騎兵を再び上げて、蹴散らす算段なのだろう。
「正義のために」「正義のために!」「正義ノために!!」
アレウスは目を疑った。
騎獣は冒険者が築き上げたラインを一切、怖れることなく突撃し、鎗の餌食となる。しかしながら一切の減速をしない突撃の連続でラインが崩れる。それだけでなく、騎獣から投げ飛ばされる形でラインを飛び越えて来た乗り手の獣人が次から次へと猫のようなしなやかな着地を見せて、上級冒険者の予想を裏切る形で最前線よりも内側へと入って来てしまった。
「前衛! ガルムとハウンドの始末は後方に任せろ! 獣人を殺せ!! 奥に通せば街へ病を運ぶぞ!!」
そう言う上級冒険者は騎獣とその獣人との戦いに手一杯で、こちらまで意識を向け切れていない。
状況は一変している。通常であれば、怖れて止まるはずの騎獣が怖れず突撃した。たったこれだけで作戦の一つに綻びが出た。騎獣はそれだけに留まらず、雄叫びを上げながら馬防柵に突っ込み、その身を犠牲にして破壊まで始めている。
一際大きな音を立てて馬防柵を壊した騎獣から、放物線を描きながら中空で身をクルクルと何度も回転させながら獣人がアレウスの前方に、しなやかに着地する。
「一つ、鼻に障る臭いが混じっているかと思えば、同胞の眼球を強奪したヒューマンの臭いか」
堪能な人種の言葉に思わず面喰らう。先ほどまでの「正義のために」と叫んでいた獣人の多くはどこか片言のように聞こえたのだが、この獣人は流暢に、それこそ人種と変わらない遣い方をする。
いや、まず獣人はミーディアムである。人種の血が半分入っている。なのに獣の血が混じっているからと、勝手に人語が堪能ではないと決め付けていたアレウスの差別的な感覚が邪魔をしただけに過ぎない。
「どいつもこいつも正義のためにと叫んでうるさいが、死を怖れないのは良いことだ。おかげでヒューマンの裏を掻くことも出来ているようだからな。死を怖れぬ戦士こそ、至上の戦士……勝手に死んで行きさえしなければ、な」
汚れ、脂ぎった髪の毛。皮脂に塗れた体。異臭を放つのは肉体か、それとも身に纏っている皮鎧か。手に握るは骨の短剣。それも右と左に一本ずつ。爪は鋭さを残してはいるが、得物を扱う上では邪魔にならない長さ。ただし、両足の爪まではその範疇では無い。
「それに、騒がしいのは嫌いじゃない。静か過ぎる方が嫌いなくらいだ」
目と目が合う。
「貴様はどうだ? 死者を冒涜せしめし強奪者」
返事をしないアレウスに、小さな溜め息をついたのち獣人が背中に回ってしまっていた首飾りを胸元へと戻した。
「女?」
「御託は良い。この戦場で最初に殺す相手と決めた。同胞の誰にも寄越しゃしない。貴様はワタシが喰い破る」
「獣の王か姫を見つけ次第、殺せ!! 獣人共が崇め奉る血族に死を与えれば、奴らの指揮も下がる!!」
「ひ、め、っ!?」
「御託は良い、って言っただろ。強奪者」
声を出し切ろうとした刹那、眼前まで迫り、凄まじい勢いで剣戟が繰り出された。反射的に腕が動き、剣でそれを凌いだ。そんなアレウスに獣人が囁くような声でそう発する。隠し事でもしているかのような、それでいてこの場で自分が獣の姫であることを周囲に知られないようにしたのだろう。
「さぁ、同胞から眼を強奪したくらいだ。すぐに死んではくれるなよ?」
腕力では敵わない。直感的に察したが、遅い。アレウスは獣人に力で押し切られ、体勢を崩すだけでなく距離が空いた。詰め切った距離よりも、振りかぶるだけでなく踏み込む力も込めることの出来る具合の良い距離。それを見事に作り出した獣人が振り切る短剣から逃れるべく、アレウスは体勢を戻すことを諦め、自ら草原に体を放り出す。そこから転がって凌ぐ。追撃を考え更に数度回転して移動し、あるタイミングで腕に力を入れて素早く身を起こす。獣人が無理に抉じ開けた具合の良い距離よりも大きく開いた距離を視認し、続いて獣人の動向を探る。
「……はっ、命の奪い合いで考え事はやってはいられない」
なにやら色々と考えていたようなのだが、そんな自分自身を鼻で笑い飛ばして、獣人は短剣を手元で数度、遊ぶように回転させて握り直してからしなやかさと膂力を兼ね備えた――ヒューマンでは出し切れないであろう一瞬の加速で、アレウスが必死に作り上げた距離を詰めてしまった。
「ほら、ちょっとは遊んでくれよ。それとも、遊ぶ覚悟すら無いのに戦場に出て来たか? 恨まれる覚悟も無く、目を奪ったか? 強奪者!」
短剣の扱いが常人の域ではない。アレウスの知るような短剣術とは型が異なり過ぎる。対応が遅れずに済んでいるのが嘘のようである。獣人がわざとアレウスが対応出来るように手を抜いているのでは、とすら思えて来る。
舐められているのは性に合わない。手を抜いているということは即ち、隙を作ってくれているということだ。
アレウスは目を見開き、その隙を逃さない。両手の短剣を振り切ったのちに生じる獣人の独特な癖。剣戟の先に見える、僅かな静止。そこにアレウスは左手の剣ではなく右手の短剣を滑り込ませる。
「それくらいはしてくれないと話にならない」
跳ねて、獣人は刺突を避けた。そこからアレウスを飛び越えて、後方に回る。背中に一撃を貰う前にアレウスは身を回転させ、案の定、繰り出された剣戟を防ぐ。
「言葉を交わしながら、獲物を弄ぶのも楽しいが、強奪者を前にこれ以上の御託は無用か。御託は良いと言っておきながら、ワタシがそれをやっちまっていた」
三回の後方への跳躍で適度な距離を取り直した獣人がそう呟く。
「何故、街を狙う?」
「知らないな」
「知らないわけがないだろう。魔物は“周期”で街を狙う。だが、獣人がそれに乗じて一気に押し掛けて来るのはどうしてだ?」
「さっきワタシは言ったよな?」
獣人の全身から殺意が芽吹く。それは気配であり、無意識の代物であり、そして同時にオーラと呼べるほどの強い力の波濤である。
「御託は無用だ」
獣人の両目の虹彩から光が消えて、黒く染まる。




