卑屈過ぎる
ぬかるみに足を取られながら、しかし決して転ばないようにアレウスとガラハが二手に分かれる。スライムはこの場から動けない状態なのだから、ないも正々堂々と真正面から二人揃って攻める必要はない。最後に動くこととなったヴェインが注意を引き付けるために残り、そして正面から鉄棍をスライムに打ち込む。粘液が衝撃を受けて波打ち、それでも核までその力が伝わることはなく、やがて消える。打ち込んだ鉄棍を引き戻そうとすると、粘液が途端に蠢き、凄まじい力で鉄棍を体内へと引きずり込もうとする。それに抗うようにヴェインが引っ張っているところに、右からガラハが戦斧を振るう。粘液を少しだが断ち切り、核から離れたことでスライムとしての機能を失って湿地の水と化して沈む。そこでスライムがグネグネと揺れ、粘液を触手のように伸ばし、複数本で後退するガラハを追い掛ける。左から剣戟を振るったアレウスもまた、スライムの触手による妨害を受け、後退を余儀なくされる。
「やっぱり、流すしかないか」
ヴェインは鉄棍の引っ張り合いが劣勢だと悟ると、自身の魔力を鉄棍へと送り込み、それを力強く左へと振るうことで鉄棍を引き抜くと同時にスライムを構成する粘液を僅かに引き千切る。
「思った通り、魔力は通す。打撃はともかく、魔力は吸収しなきゃならないからね」
打撃は威力の減衰が著しいものだったが、魔力を通した途端にすんなりとヴェインの腕力でもスライムを引き剥がすことが出来た。それは魔力を吸収する体質であるがために、攻撃に用いられる魔力にも反応せざるを得ないスライムの弱点とも言える部分に他ならない。
問題は、その魔力をアレウスとガラハは持ち合わせていないことだ。スティンガーの力を借りればガラハでもヴェインと同等のことをこなせるのかも知れないが、『教会の祝福』を受けていない妖精であるスティンガーをスライムの触手に近付かせることはしないだろう。アレウスがアベリアを必要とし、大切に想っているように、ガラハもスティンガーを寵愛している。
だからこそ、ガラハに言おうとしたことをアレウスは無理やり喉の奥へと引っ込める。似た者同士、同族嫌悪、様々な感情が駆け巡る。だが、それらは全て自分自身の身の回りのことに置き換えることも出来る。似ているということは、感情の共有が可能であるということだ。ガラハもまた、アレウスがどうしてスティンガーの力を求めないか、その感情を汲み取っている。
二人の動きは果てしなくバラバラな物であるが、感情が重なる以上はいずれ、行動も重なる。それを表すかのようにアレウスの剣戟とガラハの戦斧は、触手を避け切った先、――スライム本体を同じタイミングで切り裂いた。物理に強くとも、断ち切られ、千切れれば核との繋がりが解けて粘液は水へと還る。斬撃は魔力を帯びた攻撃には劣るもののまだ有効に見える。あくまで現状は、ではあるが。
触手はアレウスとガラハの頭上を踊り、なにやら見失ったような動きを見せたのち、ヴェインが自身に纏わせている魔力を感知したらしく、その大半が彼へと向かって行く。
「魔力には過敏でも、魔力を持っていない者は見つけ辛いようだな」
言いながらガラハが更に粘液を裂く。
「とは言え、核はその限りではないな」
ガラハが戦斧を振り乱しながら向かおうとした先には甲殻に隠れた核がある。スライムはどうやらそれを読み取ったらしく、幾つもの核が粘液の中を俊敏に泳ぎ、甲殻も合わせてガラハとアレウスの反対側へと移ってしまう。そこはヴェインに近い位置ではあるのだが、触手に追い掛けられてしまってはそこへ向かうのは困難となっている。
「痛覚は持っていないが、衝撃と刺激から攻撃されている方向を予測している」
「それは難儀な話だ」
アレウスの気付きに対してガラハはスライムが僅かに伸ばした触手を避けながら答える。
核が水を粘性のある物へと変え、そしてそれをスライムという体を構成させる物へと変えているのであれば、核からはアレウスたちには見ることの出来ない一種の神経が通っているのだろう。それらが衝撃と刺激に反応し、核は攻撃されている部分を特定し、そこから出来る限り離れたところへと逃げる。それを繰り返すだけならばまだ良いのだが、核が湿地の水分を取り込み、粘液へと変質させてスライムの体にしているのであれば、アレウスたちがどれだけ切り刻んでも、ヴェインがどれだけ魔力の通った打撃を行使してもこの大型となってしまったスライムが小さくなることは永遠に無い。
「でも、僕たちに出来ることはこれだけだ……僕たちに出来ることは……」
そう呟いたその先で、アレウスはスライムに取り込まれたアベリアと視線を交わす。
「ガラハ、無茶を承知の上で言う。僕をアベリアのところまで連れて行け。ヴェインも! 協力してくれ!」
「連れて行く? 一体どのようにして?」
「切り刻んで出来た道を突き進む」
「切ったところで、すぐにその道は塞がる。まさから自分からスライムに取り込まれたいわけではないだろうな?」
「アベリアのところに行けなかったなら、言った通りになるな」
アレウスは右手に剣を、左手に短剣を握る。
「本当にやる気なのか? 正気の沙汰とは到底、思えないな」
「自信満々の目で見られたら、その自信の理由を確かめに行かなきゃならない」
出来ることならばアベリアに、ではなく、自分自身の力だけでこの状況を打破したかったのだが、どうやら彼女はそんなことは望んではいないらしい。悔しい話である。見返りを求めないほどに助力を受けているのに、アレウスはまたそれに応じることが出来ない。彼女がスライムに取り込まれた瞬間に、自分自身の手だけで救ってみせると誓ったというのに、それを破らなければならない。
それはパーティの全滅を逃れるための、苦肉の選択である。ここでパーティのことを考えないのであれば、アレウスは力尽くでアベリアを救い出し、彼女の代わりにスライムの餌食になる。そんな自己犠牲の策ならば幾らでも思い付いている。しかし、それではなにも成せない。果たせない。
「男としても、冒険者としても情けない……僕はずっとこうやって、誰かに手助けをされながら、一人ではなんにも出来ないんだろう」
もしそうなのだとしても、パーティが全滅しないのであれば受け入れなければならない。
「次に同じようなことを言ったなら、君を殴る」
ヴェインが鉄棍に流す魔力を解き、そして自身に纏わせていた魔力も解いてアレウスの元へと走って来る。触手が彼の居場所を見失い、スライムの体内へと戻って行く。
「君が一人でなにも出来なかったところなんて、数えるぐらいしかないだろ」
「……いいや、ずっと助けられてばっかりだ」
「だったら、どうして君はそうやって何度も助けられるんだい? 助けてもらえるんだい? 勘違いしちゃ行けないよ、アレウス。俺たちは、なにも出来ない奴に、なんの理由も無しに助けはしないし、手も貸しはしないんだ」
アレウスはヴェインを見る。
「助けられるということは、その前に助けられるだけの価値があることをしてくれているからだ。だから俺は君を助けたいと思うし、今だってアベリアさんを助けたいと思う。それは君が成したこともそうだけど、アベリアさんに成してもらったこともあるからだよ。助けたいと思う気持ちは、心の支えになってくれている相手にしか抱けない感情だ。支えてくれているのなら、支えてあげることは出来ないだろうかと詮索する。それが無いのに手伝うのはよっぽどのお人好しさ。君みたいに」
「お人好し……?」
ドワーフの大長老を思い出す。それと自分自身を照らし合わせても、アレウスはお人好しではないはずだ。
「冒険者を辞める道があっても、それを良しとせず、どこの馬の骨とも知らず、ましてや同じ人種でもないドワーフの里に向かい、更にはそこでの頼まれ事を完遂しようなどとは、よっぽどのお人好しでなければ考えることすらしないだろう」
「……お人好しなわけじゃない。僕は冒険者で在らなければならない。だから冒険者を辞めるわけには行かなかったからドワーフの里にも向かったし、そこでの無理難題にも応えようとしただけだ」
「しただけ。君はよくそう言って、自分の利益になるかならないかと理由を付ける。方針がハッキリしているから俺は好きだけどね……騙し続けるのも悪くない。そこに対してはなんにも言わないさ。でも、俺もガラハも、君が手を貸して欲しいと言えばちゃんと答えるぐらいには、君という存在に助けられているし救われても居る。勿論、これはアベリアさんにも言えることだ」
嘘だな、という気持ちをガラハに視線で伝えるが、珍しくアレウスから目を逸らそうとはしない。
「君が無茶を承知で、と言うのならやってみよう。やり遂げてみせよう。そう思うのは、君ならやってくれるだろうと思うからだ。そこには君が積み上げて来た実績がある。助けられてばかりだと嘆きながらも――実際、そういう風に思うようなことばかりが君の記憶には焼き付いて離れないんだろうけど、それでもブレず、揺らがず、日々、たゆまぬ努力を続け、人助けを続ける君に、俺は付いて行くと決めたんだ」
少しばかり、卑屈になり過ぎていたのかも知れない。元々がそうだったわけではないのだが、異界に堕ちてからは卑しく、様々なことに屈することが多かった。そのために自分自身を正当に評価出来ずにもがき続けている。それはもう、直しようのない性格の一部である。アレウスはこれからも、ベストを尽くせないかともがき続ける。自己を低く評価する。
だが、周囲がアレウスと同じ評価を下すわけではない。アレウスが自己的な評価を低く見積もったとしても、周囲は平均以上の貢献だと判断するかも知れない。丸っ切り逆の評価になることもあるかも知れない。
自分だけの評価を受け入れて、周囲の評価を受け入れない。それは自惚れ以外の何物でもない。たとえ卑屈であったとしても、正当な評価に対しては素直に受け入れるべきなのだ。
「あのヒューマンと視線を交わしただけで勝算を垣間見たのであれば、オレにも見せてもらいたいものだ。それで貴様の価値を、この目で真に見極めることが出来るやも知れないからな。場合によってはそこのヒューマンが言ったように、オレもまた力を貸す気になれるかも知れない」
怯える必要は皆無である。
「アベリアのロジックを開きたい。『栞』は使わずに、あいつの魔力を一時的に書き換える」
ここには手を貸してくれる者しか居ないのだから。




