思考の迷路には入らない
「ここまで合体して大きくなるなんて、アベリアさんの魔力は格別というか破格ってことかい?」
「スティンガーの魔力にも、そのヒューマンの僧侶の魔力にも反応しない。取り込んだ方から魔力を搾り取るだけ搾り取ってから、次の狙いを決める気だ。ただ、取り込んだ方があまりにも魔力を膨大に宿しているせいで、それもままならんようだが」
本能のままに、食欲という名の元に魔力を求め、御馳走を取り込んだ以上は食事が終わるまでは他に見向きもしない。スティンガーがガラハの指示でスライムの気を引こうと飛び回っても、アベリアを体内から吐き出さない上に動かない。
「アベリアがこのままだと溺死する。頼む」
「食事に夢中だから、捉えるのは難しくはないはずだ」
ヴェインが言いながら鉄棍で湿地を打つ。
「“空気よ、一方より集まり給え”」
風が舞い上がり、ヴェインの目の前で渦を成し、球体のように固まったのち、僅かに発光しながらスライムの体内へと送り込まれる。そのまま体内で動けずにいるアベリアを捕捉し、光の足枷と錘が装着される。その代わりに、周囲の魔力を酸素に変換され、彼女に与えられる。
「間違い無く掴んだ」
ヴェインの言葉通りにアベリアの呼吸を表すように口から水泡が零れ出る。それからも規則的に水泡が口から吐き出されていることから、粘液の中で、ともかくも息を続けられる状態にはなったらしい。
錘が乗ったことで体は一気にスライムの中心部から湿地という地面擦れ擦れまで下がる。だが、ヴェインの魔法のコンセプトは元々、呼吸をしながら水底を歩けるようにするために考案された。なので、粘液という体内であっても、彼女の体が沈んだこと自体は想定した通りの挙動となる。むしろ、こうなってくれなければヴェインの魔法が届いていなかったことを意味する。魔力を扱えないアレウスは目で見える形でしか成否を判断出来ないため、思った通りになってくれて、ようやく思考は回る。
一息はつけない。安心も出来ない。だから思考を回し続けるのだ。スライムに吸収し尽くされる前に、救出をする。誰に課せられたでもない、自分自身が課したことだ。撤回はしない。逃げもしない。これまでのアベリアの献身に報いるために、そして二人で異界を壊すために。
「不甲斐無いリーダーで申し訳ないな、ガラハ。見切りを付けたんなら、置いて行ってくれて構わない」
「生憎だが、この場であのヒューマンを見捨てるという選択をオレはしない。あの港町では、悪霊を見ることの出来るその眼、その魔力に助けられている。恩を仇で返せばドワーフの恥だ」
そうは言っているが、単純にガラハは自責の念に駆られているように見える。スティンガーに索敵をさせ、木の近くにスライムを捉えた。そこへ意識が向いてしまったがために引き起こされた事態だと考えているに違いない。それは確かな事実なのだが、スライムという言葉の裏に隠された、アレウスの前世の記憶がもたらす“決して強い魔物では無い”という身勝手なイメージが油断を招いたこともまた事実だ。
だからこそ、アレウスとガラハは同等の責任感に突き動かされている。そして、アレウスはアベリアへの強い想い、ガラハは彼女への礼儀という感情が先行する。似た者同士がもたらす意地と意地の張り合いである。
それでも、ヴェインはこの二人のやり取りを中断させるような、或いは間を取り持つような言動を取らなかった。意地を張らせていた方が、互いに研ぎ澄まし合う。無茶を通すようなことがあればその時に止めに入れば良い。彼は二人を見てそんな第六感のような、超感覚めいた物の指令に従っていた。
「アベリアの魔力を吸収するのなら、殺す前に出来る限り搾り取りたいはずだ」
「消化するまでの時間はふんだんということか」
そのため、アベリアの呼吸が確保出来ているのであれば、まず最初の死の危険からは解放されたことになる。しかし、取り込まれているアベリアにしてみれば一刻も早く脱出したいに決まっている。アレウスは剣先を湿地に軽く突き刺し、短弓に矢をつがえ、スライムの核に狙いを定める。複数個ある核は粘液の中を泳ぐように、或いは蠢くようにして移動をしているが、そのどれを狙うでもなく矢を放つ。
途端、全ての核が襲来する矢に極端なまでに反応して、素早い移動を見せ、更には単細胞生物――アメーバらしからぬ甲殻のような物に隠れてしまった。矢は粘液の中をしばらくは突き進んでいたが、やがて勢いを失ってスライムの体内で漂うだけとなった。
「ニィナでもないと射抜けないか」
そうは呟いたが、ニィナでもスライムに隙が生じていなければ、今の核の動きには付いて行けていないだろう。ともかくも短弓による狙撃はアレウスの腕では困難であることは判明した。剣を引き抜き、握り直してガラハを見る。
「スティンガーの“妖精の一刺し”は使えそうか?」
「あれは固体ではなく流体。それも複数のスライムの集合体だ。核そのものにスティンガーが刺さなければ効果は出ないだろう」
「一応は核がスライムの粘液を引き止めて、あの形を作っているから魔力の流れのような物は感じるけど、それが魔力を吸い取っているせいで、下手をすれば“妖精の一刺し”がアベリアさんに干渉しかねないよ」
ヴェインには魔力の流れが見えるのだが、出て来た言葉から突破口を見つけられない。
「唯一の救いは、アベリアを取り込んだままスライムが動けないところか」
酸素供給の魔法によって強い重量負荷が掛かっている。彼女を取り込んだままではスライムは移動できない。たとえ体が粘液で構成されているのだとしても、流体である以上は、移動しようとすればアメーバのように粘液の多い箇所、少ない箇所が生じる。ヴェインの魔法は地上に近ければ近いほどに重みが増す。アベリアの周囲から粘液が減れば、その分だけ重量負荷が強くなる。スライムがそれに気付かないのであればありがたい限りなのだが、どうやらアベリアが中心部分から粘液の底へと沈んだことで、単細胞生物らしからぬ知能でもって、重みを理解しているらしい。
「溺死の危険性は無くなったが、アベリアの魔力が生命線な以上、時間を掛けての救出は無理だ」
時間稼ぎにはなった。しかしそれは、制限時間が延長されただけに過ぎず、以前としてその秒針は刻一刻と進んでいる。
「手に負えないか、小僧?」
「そうだな、考えれば考えるほど埒が明かない。でも、それで諦められるほどアベリアの命を軽視してはいない。甲殻に核が隠れるのなら、甲殻を壊せば良い。粘液を切って切って、切り続けて、核に辿り着けば良い。ただただ、僕たちはそれを成せば良いだけだ」
考えることは無駄ではないが、アレウスたちの手札で姑息に、或いは慎重に行えることはもう無い。あとは大博打とばかりに危険な手札を晒して行くだけだ。
「力尽くで行く。死なない奴だけ前に出ろ」
「面白い言い回しだ」
「死なないかどうかは、やってみないと分からないさ」
ガラハもヴェインもアレウスと同じように結論へ至ったらしい。
考え続けてアベリアの魔力を吸収させているよりも、動いて、叩いて、切って、その中で救出方法を模索する方針に切り替えなければ、ずっとここで二の足を踏むだけだ。
「あいにく、僕にはお前にくれてやれる魔力ってのは存在しない。だから、ありがたく思え」
だからこそ、アレウスが道を切り開く。リーダーが決断してこそのパーティだ。迷いが生じているのであれば、リーダーが示さなければならない。そこに年齢差は関係無く、勇ましく在れるかどうか。
それを見て、仲間が奮い立ち、同じように突き進めるかどうか。
ただそれだけのことなのだ。




