生態を知らない
「それにしても、原生生物の大半が湿り気を好むのは一体どうしてなんだろうね」
湿地帯と呼ぶには広さが足りないが、適度にぬかるみ、適度に湿った地面に足を取られながらも、アレウスたちは目的地を目指す。
「生命の根源は海だからじゃないか? 原初の生命は水辺が無いと生きて行けないはずだ……人種も水が無きゃ、死んでしまうが」
アベリアの『軽やか』を使ってもらっても良いが、彼女の『沼』よりも湿地のぬかるみは、まだ体を動かそうという意欲が湧く。アレウスも作戦とは言え、あの『沼』に足を沈めた経験があるため比較も可能である。だからこそ、ここでアベリアの魔法が強力なのだということを改めて思い知る。天才、才女と呼んでも差し支えないほどの魔力の冴えに対し、自分は果たして釣り合いが取れているのだろうか。そんな、下らないことさえ考えてしまうほどだ。
「なにか言いたいの?」
アレウスの視線にアベリアが気付き、真意を訊ねられる。「いや、なんでもない」とお茶を濁して、アレウスは歩を進める。
「スライムの討伐は核を潰すことが絶対条件だ。でも、潰すだけが全てじゃない。貫くことだって出来るだろうし、ヴェインの鉄棍ならスライムの体内から押し出すことだって出来るはずだ。核そのものがスライムと捉えても構わないはずだ」
「その考え方をオレは持っていなかったな」
横槍を入れて来るかと思いきや、ガラハは「なるほど」と言った具合に顎の髭を軽く撫でていた。
「気掛かりなのは、スライムを形成する体を核が失っても生存可能なのかどうか」
アベリアは足元を確認しつつ、呟く。
「核を二つ持っているとして、片方を体から弾き出すことに成功しても、その核が絶命することなく再び肉体を得て、スライムになるんだったら……生存本能で、分裂することだってスライムはやって来ると思う。それに、湿地で動くなら『沼』の魔法も効果が薄いだろうし、動きを遅くさせるような手は使えないかも」
「動きを遅く……実際、どれくらいの速度でスライムが動くかが分からないと、なんとも言えないな」
シオンの呪言はどうなのだろう。そうアレウスは思ったのだが、この場に彼女は居ない。崩壊した村の依頼や、ギガースとの戦闘、その後のドワーフの里との関係修復の依頼まで、なにかとパーティとして行動を共にすることが多かったため、自然と頭数に入れてしまっていた。思えば、彼女をパーティには誘っていないし、彼女側から正式に入れて欲しいという言葉も無かった。だからと言って、アレウスがパーティの話を振ったところで、首を縦に振ってくれるような雰囲気も無かったのだ。
それでも、今回も気配を消して付いて来ているのではないだろうか、という気持ちもあった。ただし、それは押し付けがましい期待感に過ぎない。彼女には彼女の事情がある。これまで付いて来てくれていたのだって、たまたま手が空いていたからなのだろう。そんなシオンの気遣いを考えもせず、当然のように享受していたことをアレウスはここに来て、恥ずかしく思った。
で、あるならば。アレウスは土産話の一つでも用意しなければならないだろう。またシオンと会った際に、会話を弾ませる材料となる冒険の話を用意したい。スライム討伐はきっと彼女も興味を示すに違いない。そうでなくとも、話すキッカケとなるのであれば、今日、経験するであろうあらゆることはしっかりと言葉で表現できるほどに体感して味わっておかなければならない。それが良い経験か、それとも悪い経験となるかはともかくとして、である。
アレウスは自分自身のシオンに向けている意欲に対してそのような感想を持つ。他人に隙を見せず、常に疑心暗鬼で、信じているのはアベリアのみ。信じたい相手だけ信じる。そんな性分であるはずなのに、この場に居ない彼女に土産話など用意しようと思っている。これほど珍しいこともない。
「スティンガーが捕捉したな」
「僕の感知には引っ掛かっていない」
気配を察することも、痕跡を見つけることさえ出来ない。なのでアレウスは素直にガラハの言ったことを受け入れられない。
「きっと、スライムが原生生物に近しく、知的生命体と呼ぶには難儀なせいじゃないかい? 君は言葉として生物だとは口にはしていても、無意識の内にスライムを生物として捉えられていないんだよ」
「そんなことで技能が鈍るものなのか……?」
「だって君は動かない物体の存在を感知はしないだろう? 有ることは分かっても、気配が物体から放たれているとは思わないはずだ。それは脳が無意識の内に、物体に生命が宿っていないと判断して、そこから放出されている存在感をシャットアウトしているから、とも言える」
「じゃぁ僕は、スライムをこんなにも注意深く探索しているのに、脳がそれら全てをシャットアウトして、無意味にしているってことか」
変にしっくりと来てしまった。ヴェインの言うように、アレウスはスライムを生物としてカウントして良いのかどうかで悩んでいる。しかし、悩んでいるということは生物であるという選択肢も少なからずあるということだ。しかし、無意識の内に脳がその選択肢を最初から無いものとしてシャットアウトしているのであれば、アレウスの悩みはあってないようなものになってしまっている。
「難儀だな……ガラハ? スティンガーが捕捉したところはどこか教えてくれるか?」
短剣か剣かで悩んだが、まずは剣を抜いた。スライムとの接触を極力避けるのであれば、短剣よりもリーチのある剣を選ぶのが得策である。
「あの木の近くだ」
湿地に根を張り、しっかりと育ち切っている木をガラハが指差す。ここからそう遠くはない。アレウスが湿地に足を取られなければ走れば十歩ほどで至る。
「重量軽減の魔法、唱えようか?」
「もっと接近してからで良いんじゃないか? ここからだと、攻撃を仕掛けたところで効果が切れてしまいそう……だ……?」
なにか違和感をアレウスは覚えた。アベリアとの会話の中で、物凄く大切ななにかが欠け落ちているような気がしたのだ。だから徐々に声量を抑え、違和感の正体を突き止めようとする。
見落としはミスに繋がる。それどころか、パーティの崩壊だってあり得る。
では、アレウスの本能はなにを一体、そんなに怯えているのだろうか。
「魔法をすぐに唱えられるようにした方が良いかい?」
「一気に攻めるなら、準備はするべきだ」
「ガラハに賛成」
「よし」
この会話の中にも、アレウスはなにか強い違和感を覚えた。
魔法、魔力、そしてリスティの言葉を思い出す。
「待、」
「“満たせ”」
「“集まれ”」
まさに刹那と呼ぶに相応しいほどの瞬間、湿地のぬかるみというぬかるみから泥に塗れた粘性の液体が、その内側に核を携えて、さながら生物の如く一斉に飛び出す。いや、飛び出すだけではなく、その姿形からは想像出来ないほどの加速でもってアベリアとヴェインの体に張り付いた。
「ガラハ!」
アレウスがそう叫ぶと、既に戦斧を抜いたガラハはヴェインに飛び付いたスライムに攻撃を仕掛け、その粘性の液体を寸断し、ともかくも彼の体から引き剥がす。しかし核を捉えることはならず、幾分かの液体を失いつつもスライムは湿地のぬかるみを物ともせずに距離を離して行く。
そこまで見届けてから、次にアレウスはアベリアに張り付いているスライムを引き剥がしに掛かる。剣でアベリアの皮膚から削ぎ落とすように、しかしながら彼女の肌は傷付けないように剣を振るう。
「嘘だろ」
そう呟くアレウスに、ガラハが言葉を失いつつも応援に入る。しかし、剣と戦斧でどれほどスライムを引き剥がそうとしても、剥がれてはくっ付き、また剥がれてはくっ付きと、大量のスライムはこのことを最初から狙っていたかのように凄まじい速度でアベリアを、粘性の液体を共有し、合体、吸収を繰り返して巨大な塊となって彼女を内部に取り込んでしまった。
「俺をすぐに諦めたのはどうしてだ?」
言いつつヴェインが鉄棍で微かに見えたスライムの核を突こうとするが、すぐさま粘性の液体の中を駆け抜けて消えてしまう。
「魔力の質の違いだ。ヴェインも魔力を沢山持っているから狙っていたんだろうけど、アベリアの魔力の量はそれを上回っているから、より沢山吸収できる方に集中してしまったんだ」
もっと早くに気付けば良かった。
リスティは言っていた。「スライムは魔力を吸収するために肉体を消化する」のだと。つまりは魔力の流れとなる魔法の準備段階、或いはそれを行わずとも常に体内、体外に魔力を循環できる者は、スライムという魔物にとっては、この上の無いほどの御馳走である。
違和感の正体はこれに尽きる。スライムが魔力に反応するのか否か。その確認を行わず、ヴェインとアベリアが魔力を循環させてしまった。それは、リーダーであるアレウスが真っ先に安全が確保出来る地点で、包囲されない状況下で調べなければならなかったことだ。
「だから……僕が責任を持って、命の限りを尽くしてお前を助けなきゃならない」
ミスをしたのなら取り返す。だが、ヴェインを異界に堕としてしまった時のような焦りは禁物だ。ミスはミスを誘発する。だからこそ冷静に、それでいて迅速に。
二の轍は踏まない。そして同時に、引き下がらない。『教会の祝福』があるのだとしても、こんなところでアベリアに死の体感などさせてなるものか。




