間違った判断
渋々といった具合でリスティは地図を取り出し、ジッと見つめる。
「大体、アレウスさんはよく一人で出掛けるのにどうしてアベリアさんはそうやって…………いや、でも、男性から誘われた時の断り方がまだ拙いようですので、心配するのも僅かながら理解できますが……」
「箱入り娘ではないんですけど、僕と同じで常識知らずなところがありますので」
「それはよく分かり…………あれ?」
リスティが首を少し傾げる。
「ここは街の女性がよく通うお店が沢山ある場所ですね……男性に誘われてこのような場所に向かうとは思えませんが」
「そうやって、女性が好む店に誘って、まずアベリアさんの心を掴もうとしているのかも知れませんよ」
「その場所ってここから五分くらいで行けるところですよね?」
「ええ、そうですけど……あなた方、本当にアベリアさんを――」
全てを聞く前に二人はリスティから逃げるようにギルドを飛び出す。
「俺になにか大切なことを言い忘れていたりしないかい、アレウス?」
リスティがあまりにもアレウスの態度を怪しんでいたためか、一緒にギルドから出たというのにヴェインはどこか不審そうに訊ねて来る。
「最低限必要な情報は全て伝えたつもりだ」
「じゃぁ秘密はあるってことか」
最低限であるのなら当然、最上限もある。そのようにヴェインは受け取ったらしい。言葉で丸め込むにしても、ここで変に彼を拒絶するようなことを言えば今後のパーティでのコミュニケーションに亀裂が生じかねない。
「アベリアに変な虫が付いているかもってのは僕の予想に過ぎない」
「そんなことだろうと思ったよ。アベリアさんがアレウス以外の男と一緒に居るところなんて想像できないよ」
リスティと同じように呆れたように溜め息をつく。
「でもおかしいだろ」
「なにがだい?」
「誰に見せるでもないのに、衣服を買いに行くのは。まだ今、普段着や外行きの服はそこまで汚れちゃいないんだ」
アレウスは下着、或いはブラという表現を避けた。独占欲なのかは知らないが、ヴェインにありのままを伝えた際にアベリアの下着姿を妄想されるのが我慢ならなかった。
「ふぅむ……女性は衣服については何着も用意したがるものだよ。俺たちなんて今日でも明日でもずっと同じ服、同じ柄でも構わないのに女性はそれじゃ駄目らしい」
「そうだとしても、アベリアは家計がまだ不安定なことを熟知しているはずだ。浪費はしたがらないし、変に物をねだって来たことだってない。そりゃ手にしたらなかなか手放さないくらいの強欲さはあるんだけど」
今もまだ、アベリアは物を捨てられない。使えなくなったとしてもあとで使うかも知れないからとずっと部屋に溜め込む。使い古した衣服も千切れば包帯の代わりになるとはアレウスも思うのだが、さすがに割れてしまった食器や腐食した部位を切り落とした結果、使える長さにならなくなってしまった木材などはどのように役立つのかはさすがに分からない。そういった物だけに限らず、加工の際に出て来るような端材にすら興味を持ってしまうのだから手に負えない。
しかし、今回の件に関しては「勿体無い」や「物欲」だけで済まされるものではないのだ。
「思うんだけど、アレウスが正直になにかを言えばアベリアさんは洗いざらい全てを白状……じゃないな、全てを語ってくれるはずだよ」
「僕は別にアベリアに固執しているわけじゃなくて、アベリアがどうして買い物をしたがっているのかを知りたいだけだから」
「そういう煮え切らない態度は取らない方が良いよ。アレウスはよく人を勘違いさせる」
「勘違いさせているか?」
「男はともかく女性陣は君の欠点すらも美徳と捉えるような危うさを持っているね。多分だけど、たとえ実力が伴っていなくてもひたむきな姿っていうのは魅せられるものなんだろう」
「実力が伴っていないは余計だろ」
口を滑らせたわけでも、わざと悪口を言ったわけでもなさそうなのでアレウスもそこまで怒りを表明しない。
「逆に実力が伴っていたなら、今頃はハーレムだろうね」
物凄く嫌な表現をされた。
「この国でハーレム……重婚するとどうなるか知っているか?」
「切り落とされるか潰されるかのどちらかだったかな」
いわゆる去勢である。切り落とされるのも玉抜きも想像しただけで寒気がする。特にアレウスは未だ、その機能を正しい用途に使ったことがないのだからいつかのように虚偽の疑いを掛けられて裁判でそのような判決が下されたならば、泣き喚くに違いない。
年相応の性衝動が戻りつつある今、たとえいつ使うかも分からないのだとしても“それ”を持っていることに意味があると、アレウスは思い始めている。
「それを知っていて、そういう怖いことを言うのはやめろ」
「まぁ滅多なことでバレないと思うから」
「バレなきゃ良いって事柄は魔物に対して向けることだけだからな」
魔物に対してのみ許される。人権云々を通り越して、魔物はその全てを世界から排除しなければならない生命体である。そんな魔物に情けや容赦を掛けるわけもなく、ありとあらゆる汚い手段を用いての勝利すらも正当性を主張できる。これが人種相手だったならば批難どころかその冒険者が所属するパーティとその一族郎党は生きる場所を無くしてしまうだろう。
「大体、僧侶がハーレムとか言うな」
「確かに。でも君は、僧侶から見ても危なっかしいからなぁ」
「なにがどう危なっかしいのか分からない……」
ヴェインの言う危なっかしいとは恐らく、アレウスが女性との交友関係にあるに違いない。しかしどれだけ思い返してみても、ニィナやリスティ、そしてクルタニカやシオンたちから変に意識させられるような言動を取られたことはない。
そこまで考えたところで、アレウスは首を軽く横に振る。クルタニカだけは要注意だった、と。アプローチを掛けられたわけでも押されたわけでも誘われたわけでもないのだが、魅了されそうになった。ああ見えて、クルタニカは遊んでいるのかも知れない。でなければあのような言葉を耳元で囁けるはずがないのだ。
そこまで決めて掛かっているが、実際にアレウスはクルタニカが遊んでいるところを見たことは一度も無い。なので、あくまで妄想でありそれが暴走しているだけに過ぎない。それもこれも、アベリアがクルタニカと一緒に下着を買いに行くなどと言い出したせいである。そして更に文句を付けるのならば、暑さのせいだろう。
「ちょっと待てよ? 女性がよく利用する店が並ぶんだよな?」
「リスティさんはそんな風に言っていたね」
「男が歩いていたら目立たないか?」
「え、今頃気付いたのかい? もうそんなのは承知の上で歩いているんだとばかり」
非常にマズいことになった。下着を買うということは即ち、それ専門の店に行くということになる。ただでさえ女性物の下着を売っている店を覗く時点で怪しいというのに、その店で買い物を楽しんでいるアベリアとクルタニカを隠れて観察するなど、ただの変態である。虚偽の疑いではなく正当な疑いで去勢されかねない。
「旅は道連れ世は情けって言うよな」
「いやぁ、旅で道連れになることはパーティである以上は覚悟しているけど、街で道連れにはなりたくはないよ」
合点が行った。ギルドを飛び出してからヴェインはどうにもアレウスを説得に掛かっていたが、つまりそういうことである。自分もまた変態に見られたくはないし、疑いを掛けられて捕まりたくはない。そういう思いが噴出したのだ。
「冒険者って去勢された場合でも甦ったら機能が回復したりしないのか?」
「魔法で異常を正常と見なすような処置を施されたら、死んで甦っても治らないよ。それにアレウスは『教会の祝福』を受けていないから、回復魔法を掛けても……」
「それは本当か?」
「本当も本当。こればっかりは嘘をつかないって。だって俺にも関わることなんだから」
アベリアのことになると引くに引けない。しかしながら、このまま驀進すれば男の象徴が危険に晒される。
まさかの両天秤にアレウスは激しく悩む。
「……やめよう」
「それが正しい判断だよ」
「一回、ギルドに戻ってアベリアが店から出てから尾行しよう」
「今日のアレウスは間違った判断を下し続けているよね。やっぱり正しい選択をし続けていると、こんなどうでも良いことで揺り戻しが来るんだろうな」
「どうでも良いとか言うな」
「でもこれが命を賭けた戦闘じゃなくて良かったと俺は本当に心の底から思っているから」
半ばアレウスを見ていない、遠くを見つめるような目をしながらヴェインは呟くように言った。




