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異世界で壊す異界のロジック  作者: 夢暮 求
【第2章 -大灯台とドワーフ-】
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嗤う男

 ガラハが復讐を果たすために取った行動は殺人ではなく、殺人を前提としておきながらも裁定はドワーフの里全体で行うというものだった。心境の変化には驚かざるを得なかったが、彼がまだ理性的とも言える選択を取った以上、アレウスもまた過去の復讐に囚われて、奴らへの殺意は胸の中に収めることとなった。

 夜明け前に神官と霊媒師の拘束をデルハルトと『影踏』が済ませる。霊媒師は悪霊に命令して拘束を解くのではないのかとアレウスは怪訝に思ったのだが、『影踏』は「俺が見張っている最中に逃げることは絶対に出来ない」と言い切ったため、任せることにした。しかしながら、未だに町民の洗脳にも近い信仰心は解けていない。

「シオンさんが教会の床石が怪しそうに見ていたんですけど」

「あいつが感知してんなら、『影踏』と同じぐらいには信頼できそうだな」

「僕の発言だった場合は信用できないと?」

「まぁそんなもんだ。中級に上がったとは言え、まだ俺からしてみれば新米だ。全幅の信頼は置けやしねぇな……にしては、『影踏』はお前を高く評価している。霊媒師の指を切るのもあいつなら間に合ったはずなんだが、お前に一任させた。そこは喜んでおけ。人の指を切ることを任されたのは喜ぶべきなのか、って疑問はあるだろうけどな」

「大事な局面で僕を試したんだと思います。失敗していても、『影踏』さんは油断なく僕の尻拭いをしていたはずです」

「だろうな。だが、お前は成功した。そこんところは変わらねぇ。ちょっとは前進していると思え」

 アベリアたちは『影踏』と共に『異端審問会』の二人を見張り、同時に奴らに逃走の手段を町民が与えないよう、そちらの監視に移ってもらった。そして、アレウスはデルハルトと共に教会へと足を踏み入れ、床石を入念に調べている。

「……ここだけ、床石の形が正方形じゃありませんね」

「確かに。んじゃ、ちょっくら持ち上げてみるとするか」

 デルハルトは歪な形をしている床石の端に指を引っ掛け、そこから力を込めて持ち上げる。

「穴?」

「この床石だけじゃねぇな。おい、ちょっと手伝え」

「分かりました」

 一つ目の床石を基点として、そこから周囲の床石を丁寧に持ち上げ、剥がして行く。

「丁寧に縄梯子まで付いてんな……降りる覚悟はあるか?」

「はい」

「良い返事だ。じゃ、さっさと行くぞ。さっさと行って、見たくねぇもんはさっさと見て、記憶に留めて、さっさと立ち去るに限る」

 デルハルトが先に縄梯子を使って、降りて行く。アレウスは彼からの合図を待ってから縄梯子を使い、同じように地下へと降り立った。

「ランタンはあるか?」

「このランタンはかなり小さいですけど」

 夜襲のためにランタンは軽量な物を選んだ上に使わなかった。本来のランタンは未だにキャンプ地に置きっ放しだ。

「構わねぇ」

 火打石を使って芯に火を灯し、ランタンの蓋を閉じる。

「……なんです、ここ?」

「見りゃ分かるだろ。地獄、或いはそれにかなり近いところだ」

 さざ波の音だけが聞こえ、微かに潮の香りもする。しかしそれ以上に、見たくもないものを目にしてしまう。

「床が湿っていますけど」

「血じゃねぇな。海水か……潮の満ち引きにも寄るが、体の下半分ぐらいは常に海水を浴びているようなもんだったんだろうな」

 地下はデルハルトの言う通り、地獄絵図である。死体が連なっており、そのどれもが尋常ではないほどの苦痛にもがいたような顔をしている。

「ここに閉じ込められ、真水を与えられなければ喉が渇き、耐え切れずに海水を飲む。飲めば飲むほど喉は渇き、やがて死に至る。我慢し続けても喉は枯れ、潮にやられて声も出せない。ましてやここまで深ければ、大声を出しても地上には届かない」

 デルハルトは死体の中に子供を見つけ、悲壮感に溢れる表情を浮かべたのち、その瞼を閉じさせる。

「腐乱臭は潮が消し去って……死体は流れ込む海水で、塩漬け……」

「人種の所業じゃねぇぞ。こいつら全員、密告者によって奴らに捕まった連中じゃねぇのか?」

「ちょっと待って下さい」

 アレウスはランタンの灯りを壁に向ける。デルハルトがそれをジッと眺め、黙読している。

「……決まりだな。書いてあるのは、あいつらと密告者への恨み辛みだ。かなり具体的に書かれている物もある」

 壁にはこれでもかと言うほどの大量の殴り書きがある。どれもこれも石で傷を付けて書かれた物だが、海水が到達しない高さの文章もあって読めない物はほとんど無い。

「お前、死体運びは済ませているか?」

「はい」

「ならこいつら全員を地上に運ぶぞ。さすがにこのままにはしておけねぇ」

「それは僕も思っていました。でも、運ぶとなるとかなり手間になりませんか?」

「手間だろうとなんだろうと、こんな状態で死んで、しかも死体まで放置されてるんじゃ魂は巡らねぇ」

「……井戸だと釣瓶(つるべ)を使いますよね? あれって、滑車を使って引き上げるんですけど、あの原理を使えば上に運ぶことが出来ると思います」

「そうなるとまずは滑車と縄の調達か。それくらいは町の井戸から拝借するか」

「新たに滑車も縄も作り直しになってしまいますけど」

 死体運びのために使われた滑車や縄を町民が使いたがるわけがない。

「辛いこと、苦しいことがあるからと神の御言葉という謳い文句で誘われて、思考を捨てた結果が招いた町民をそこまで気遣ってやる必要もねぇとは思うが、場合によっちゃ俺たちで作ってから帰ることにはなりそうだな。俺はここで壁に書かれていることを出来るだけ羊皮紙に書き写しておく。その間に井戸から滑車。あとはそれを引っ掛けるための木材、縄を調達して来い」

「分かりました」

「こんなことなら『御霊送り』の出来るクルタニカを連れて来るべきだったぜ」

「……『御霊送り』なら、アベリアも出来ますけど」

「マジか? そっちの方も任せちまって良いか?」

「問題ありませんよ」

 むしろ、ここにデルハルトを置いて先に上がることの方がアレウスにとっては気にすべき点だったのだが、どちらかが上に行かなければ死体の運搬はままならないため、様々な感情を飲み込みつつ縄梯子で地上に出る。

「アベリア、『御霊送り』なんだけど一人で出来……どうした?」

「町の人が神官を解放しろってうるさくて。『影踏』さんが神官と霊媒師に睨みを利かせている間は私たちが町の人が暴徒化しないように抑えなきゃならないんだけど」

「なるほど。そっちはなんとかするよ。『御霊送り』は出来そうか?」

「ヤドリギとヒイラギがあれば。クルタニカから、やり方は教わっているからヴェインに少しだけ手伝ってもらえば出来る」

「なら、そっちの準備も頭に入れておいてくれ」

 伝えることは伝え、アレウスはヴェインとシオンのところまで走って行く。


「神官様を離せ」「神官様を返せ」「不当な拘束だ」「冒険者として恥を知れ」「プライドは無いのか」


 相変わらず、冒険者の地位は場所によって差があり過ぎる。軽んじているところほど、蔑まされやすく、重きを置いているところほど感謝の言葉を用意している。今回は神官に楯突いた形であるので、人々からの軽蔑の数々はあまりにも攻撃的である。


「これまでやって来た行いの数々を悔い改めることが出来ないから、そうやって盲目的に信じていた者を信じ続けようとする。思考を閉ざしているからこそ、現状から逃避する。あなたたちのやっていることは、建設的なことでは決して無い」

「よそ者が偉そうに」

「なら、よそ者だからドワーフを見殺しにしても良かったと?」

「神官様が仰ったから私たちは逃げただけだ」

「何故、ドワーフのことを考えもしなかった?」

「……それは、」

「あなたたちは考えることから逃げ出した。正しいことをしているんだと自分に言い聞かせているだけだ。神の御言葉だったと理由を付けて、自分自身の罪には決して向き合わない。そして今はこう思っている方も居るんじゃないか? 自分は悪くない。神官が、言ったからやっただけだ、と」

 アレウスは睨みを強くする。

「ドワーフだって人種だ。命は平等であり、軽んじられて良いわけじゃない。個性が違う、特徴が違う、生き様が違う、考え方が違う。そんなものは、ヒューマン同士でも言えることだ。なのに、ヒューマン同士で馴れ合って、ドワーフだけを迫害した。神官が仰ったから正しいことなんだと、自分に言い聞かせながら彼らを苦しめた。到底、許容出来ることじゃない。それでも僕たちはあなたたちを殺せない。助けなければならない。守らなければならない。あなたたちはあまりにも無責任だ。やったことの責任も負わずに逃げ続けようとする。信仰という言葉だけで、全てが赦されると思っている」

「宗教とはそういうものだ」

「違う。罪を認めない者を宗教は救わない。罪を認め、罪に向き合い、罪と歩くことを決めた者に道は示される。信仰とは、崇めるとは、奉仕しただけ(むく)われなければならない。苦しくて辛いだけで、自分自身を見失い、他人の尊厳を放棄することは信仰することでも、功徳を積んでいるわけじゃない。密告すればあなたたちは報われたのか? 一時的に命拾いをしただけで、あらゆる他人を信じられなくなるどころか、知人すらも信じられなくなったんじゃないのか? そんなものは神の御言葉でも御心でもない。報われたわけでもない。より深く疑心暗鬼になり、誰一人として心を開けないそんな生き様のどこが報われている? 目を逸らさず、正しさを見つめろ。あなたたちは罪を背負わなければならない。だから、なにに(すが)ったところですぐに報われる日は訪れない」

 クルタニカのようには行かないものである。言葉は選んでいないし、思ったことをそのまま口には出しているが、町民から向けられる視線は話をする前と変わらずギラギラとしたものを感じる。


 そんな風に落ち込んでいるところに、アレウスに向けてなのかは分からないが一人の男が拍手をする。


「その若さでなんとも素晴らしい価値観を持っている。君の言っていることは素晴らしく、尊ぶべき言葉の数々だ」

 男は立ち上がり、近付いて来る。

「しかしながら、受け入れ難く、認め難く、理解し難い。どれだけ正しい言葉を並べても、どれだけ当たり前のことを口にしようとも、ぼくたちはそれを素直には、飲み込めない。飲み下せない。何故だか分かるかい?」

 男は右目を覆っていた包帯を(ほど)いて行く。

「頭が悪いからじゃない。無知は言葉の理解力に確かに影響を及ぼすだろうけれど、人が心を込めて伝えようとする努力は、声音で分かるものだ。だったら、どうして頭が理解しようとしないのか。そんなのは、単純なんだよ。冒険者は戦う力を持っていて、“彼ら”は持っていない。つまり、無力なんだよ。無力な者は、力ある者の言葉をすぐには受け入れられない。その逆もまた然り、だ。だって君は、未だに町民がどうしてこんなにも神官を(した)っているのか、理解出来ないのだろう?」

 本来、右目があるべきところには虚空があった。眼球が見当たらない。がらんどうのように空っぽである。

「だったらそれは価値観の押し付けだ。そして、ぼくはそれが大の苦手なんだ」

 右手が伸びる。あまりにも速く、その手はアレウスの片目を狙っていた。気付いても遅く、身を下がらせても男の手は逃がしそうとはしてくれない。

「貴様は何者だ?」

 男の手を『影踏』が止め、アレウスは尻餅をついて難を逃れる。

「では逆に問おう。君は、何者なんだい? なにを持って、己を語ることが出来る? いやね、これは哲学でもなんでもない話なんだよ。君は己の中にある、一体なにを主張することで己を認識しているんだい?」

「答える義務はない」

「そうさ! まさにその通りだ! だったらぼくにだって答える義務はありはしない!!」

 声高に宣言し、男は狂ったように嗤い出し、『影踏』に抑えられていない左手が伸びる。手の平を空に向け、指が、人差し指から順に折り畳まれて拳となる。だが、それはわざわざ『影踏』への抵抗のために拳を握ったのではなく、遠くにあるなにかを自らへと招くような、そんな動きに感じ取れた。


「アレウス!!」

 焦りの込められたヴェインの声が耳に入る。上半身を曲げて、後ろを見ると神官モドキの顔から大量の血が噴き出し、そして右目が失われている。


「やっぱり、三下(さんした)レベルのゴミのような存在には荷が重い代物だったようだ。折角、貸して上げたのに一言もお礼を言って来ない。それどころか、計画も白紙になってしまった。返してもらうよ、ぼくの“眼”を」

 握り拳を解くと、男の手の平には眼球があった。

「なにをした?!」

「なにって、貸していた物を返してもらったんだよ。そりゃ、当然だろう? けれど、折角のコレクションだったのに……ゴミに触れて穢れてしまった。これはもう、いらないな」

 再び拳を握り、男の手の中で眼球が潰れる。同時に神官は糸が切れた操り人形のように事切れて、倒れた。

「悪の道に堕ちたとは言え冒険者を殺したところで、すぐに甦る」

 アレウスがそう言っても、男は嗤い続けている。

「『教会の祝福』だろう? でも悪いね。そういうのは全部、ゴミからは剥ぎ取っている。だって、ゴミがぼくたちの足取りを掴むような要因になったら困るだろう? ゴミはすべからく、ゴミと判断した時に処分出来なきゃね」

「そこの霊媒師はくれてやるよ。そいつはぼくの管轄じゃないからね。でも、いずれは迎えが来ると思うよ?」

 男は『影踏』の手を払い、追い討ちを掛けようとした彼から逃れるように後ろへと跳ねる。その背後に生じた歪みの穴が男の体を吸い込んで行く。

「ごきげんよう。運が良ければまた会おう、アレウリス・ノールード……そして、ナーツェに連なる血統の者よ」

 歪みの穴は男を飲み込み、そしてそれ以上のなにかを吸い込むことはなく、そのまま消えた。


「『影踏』さんの技能で追い掛けることは出来ないんですか?」

「追わない方が良い」

「追えるってことですよね?」

「追えたとしても、追わない方が良いと言っている」

 『影踏』はなにやら苛立ちを隠せないようだった。ここまで冷静ではない黒衣の男を見たことがないため、アレウスはその制止を受け入れる。

「あれは『魔眼収集家』。上級冒険者を五人以上連れていなければ見つけても交戦を避けろと言われている」

「……僕はこの町では偽名で通していました。なのに、どうして本名を……?」

「一言で表すなら、“そういう者”なのだ。そして」

 黒衣の男が視線がシオンに一瞬だけ向くのをアレウスは見逃さなかった。

「ナーツェの血族についての情報も、奴は既に手中に収めている」

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