到着
様々なリスクを考えて、使わずに済ませられれば良かったのだが、それはもう不可能だとアレウスは判断した。下手をすれば開いた直後に神官モドキの魔力が逆流する。それだけでなく、ガラハがアレウスの開く能力に拒否反応を示せば、戦斧で上下に体が両断されるだろう。
だが、神官モドキが口にする「賭けだった」という言葉をアレウスは認めたくはない。奴がやったことは賭けではなく、ただの保険である。だからこそアレウスは自分自身が思う『賭け』に出るのだ。
なによりも、もうガラハと戦ってはいられない。同じように心が激しく痛む。そして彼もまた苦しみの中でもがいていた。互いに心を痛めながら刃を交えて、一体なにになると言うのだ。真に刃を向けるべきは神官モドキだ。
「僕はお前を解き放つ。抵抗するな……ガラハ!」
彼の体から大量の文字が溢れ出す。
「神官でもない輩が“ロジック”を開く? そんなはずはありません!」
「悪霊共! あの不届きな輩を今すぐ憑依して殺せ!」
「全ての悪霊は正しいところへと導く。“迷える者に、鐘の音を”!」
「アレウスの邪魔は絶対にさせない」
「おっと! あなたも通しはしないから、霊媒師さん?」
アレウスを守るようにアベリアたちが展開している。そちらの動向も気になるが、まずはガラハの“ロジック”に集中しなければならない。
ガラハには無いはずの魔力がアレウスの中に入り込んで来る。刺すような痛みが肉体の内部から襲って来るが、精神力だけで跳ね除ける。これぐらいの痛みには耐えられる。なんのことはない。アレウスは思う。こんな、ゴミのような魔力如きに自身が負けるわけがない、と。
「逆流するはずの私の魔力を全て、跳ね除けている? あり得ない……あり得ない! あり得ません! 町民よ! 今こそ一つとなる時です! 不倶戴天の敵であるアルフレッド・コールズに神の裁きを下しなさい! 殺せ、今すぐあの罪人を殺せ!!」
どこからともなく町民が現れ、恐怖を顔に張り付かせながらアレウスへとにじり寄って来る。彼らを一瞥したのち、アレウスは構わずガラハの“ロジック”が開き切るのを待つ。
「お前を助けるために僕が死ぬなんて御免だからな……さっさとテキストを作り上げろ」
文章を成して行く文字に対して、アレウスは急かすように言う。しかし、そのように命じて今までテキストが成立する速度が加速したことは一度も無い。無駄だとは分かっているが、思わず声にしてしまった。
「これが、神の裁きだ」「神に命じられただけだ」「神様は私たちをお救い下さる」「神様が、言ったことなのだから」
包丁を持った男が駆け出した。急所だけは守らなければならない。アレウスはそう思い、出来る限りの防御姿勢に移る。
馬の嘶きが聞こえた。途端、アレウスに包丁を突き立てようとしていた男の傍を月毛の馬が駆け抜け、妨害すると共に男の前で激しく暴れ、追い払う。しかしアレウスに対しては同様の動きを取ることはなく、さながら自身を守っているようにすら見えた。
「神様ってのは信心深い者のところに来るわけじゃねぇ。己の心に正直に生きている者のところに降りて来るんだよ」
馬を先行させたのだろう男が言い放ち、震えている町民たちを手で押し退けてアレウスの元へと歩いて来る。
「だが、たまぁに物好きな神様も居てな。たとえば、このガキのように、不誠実でありながらもそれを自覚し、正直ではなくとも信念を持って真っ直ぐに生きていると、神様は意外と見離さない。俺なんかは特に嫌われそうな生き方をしているが、今まで一度足りとも幸運が尽きたことはねぇなぁ。今日だってギリギリ間に合った。俺の愛馬でギリギリだったんだから、まさに幸運の神様が俺に手を差し伸べてくれたってことだ」
「デルハルトさん?」
「構わず続けろ。ちっとばかし、遅くなっちまったが間に合ったんだから全て良しってことにしてくれや」
「“我が命に答えよ”。鐘の音に縛られない者たちよ! 奴を殺せ!」
「敵には霊媒師が居ます! 目に見えないスピリットを使役して、襲って来ます」
「そりゃまた難儀な敵だ」
左手に盾を、右手に鎗を構えてデルハルトは前進する。そして、なにも無いところで軽く鎗で正面を薙ぐ。途端、複数の悪霊がアレウスにも視認出来るレベルで姿を現し、その体が塵へと還って行く。
「こいつ……見えているのか」
「前衛の奴らはどいつもこいつも幽霊が見えないって思ってんなら、そりゃ間違いだ。見えねぇ奴はとことんまで見えねぇ。見える奴はとことんまで見える。俺はツイているからな。これまでその手の類で困ったことはない。ついでに手の内をバラすなら、前衛で盾を引っ提げて後衛を守る仕事をしてんのに、幽霊すらまともに狩れねぇなんてのは情けねぇにも程がある。だから、エルフに打ってもらった鎗を使わせてもらっている。ただ、これをバラしたところでテメェらに俺を止める方法は無い」
デルハルトは鎗を巧みに片腕だけで回して見せる。その行為自体には儀式のような、或いは『技』の前兆のようなものは無い。強いて言うならば、曲芸と一緒である。自分はこれぐらい上手く鎗を使って手元で遊べるんだぞと見せ付けているだけだ。
しかし、熟練した者ほどこうやって自身が愛用する武器を使って手元で遊ぶ。そこには熟達した武芸の冴えが感じられ、それ以外に無理矢理な理由を探すのならば“隙を見せられるほど余裕がある状態だ”という挑発だろうか。
そんな安い挑発に乗る輩はほとんど居ないだろう。アレウスは自身でデルハルトの鎗遊びについて研究をしていたが、適切な答えには至らなかったためにそこで思考はガラハの方へと切り替えた。
「包囲しろ」
霊媒師が悪霊に命令を下す。デルハルトは呆れたように溜め息をつき、鎗を構え直す。
「多勢に無勢だ。どれだけの悪霊を始末しようと、私には貴様が処理する速度以上に悪霊を呼び戻す自信が、」
闇夜より現れ出でて、霊媒師の後ろから首元に短刀を当てた『影踏』が、そこから躊躇いなく腕を引く。鮮血が迸るかと思いきや、姿を晒した鬼の悪霊の首が刎ね飛ばされ、地面に落ちる前に塵となって消える。
「なんだ……今のは?」
「服従させていた霊体を身代わりにしたか。これまで雑多な悪に下った冒険者たちの首は刎ねて来たが、霊媒師ばかりは『首刈り』の抜け道があるのは面倒だ」
黒衣を闇に紛れさせ、『影踏』は再び姿を消す。
「私は今までの人生において何度も死に掛けはしたが、『首刈り』されるほどの隙を見せてはいないはずだ」
「ならばさほどの死の恐怖を体感したこともない人生を歩んで来たのだろうな。なんとも悪のクセに腑抜けているな。言っておくが、そこの腐った神官の首を先に刎ねなかったのは情けだ。刎ねる相手を見誤ったわけではない。それに、『首刈り』から逃れられる霊媒師の首は一度は刎ねておいた方が先々において有効となる」
「おじ……『影踏』も来ていたの?」
「悪に下った冒険者の風上にも置けない連中を始末するのは、お前がなにをしているかを見に来たついでだな。死んでいないようでなによりだ」
「あたしを甘く見過ぎ」
「そうだとありがたい限りだが」
これらの会話を『影踏』は姿を隠し、シオンは霊媒師の行く先を予測しつつ魔法で作り出した短刀を投擲しながら行っている。
「見つけた」
そしてアレウスはガラハのテキストが生き様を描き出した中に、複数の書き換えられた痕跡を見つける。
「前後の文脈から、本当のテキストに近しいものに書き直す……書き加えられたところは、消す」
ドワーフは“ロジック”の抵抗も魔力に対する抵抗も低い。今回はそれが裏目に出たのだが、こうして書き直す上では助かる。本来のテキストに近しい文章へと戻せば、ガラハは時間こそ掛かるものの、元通りの生き様を送ることが出来るようになる。
テキストの中に『サバイバーズ・ギルト』を見つける。アレウスはそれをジッと見つめ、指を滑らせて消し去ろうとしたが、妖精がすぐ近くで拒むかのように首を振ったのでそのままにしておく。
妖精は心の底からガラハを信じている。そして死んで欲しくないとも思っている。だが、誰かの手によって生き様を書き換えられ、生かされることの方が酷であると。そう言いたいようだ。
「罪悪感を持って生きるのか、それとも耐え切れずに死ぬのか。それを決めるのは僕でもなく、神官モドキでもなく、ガラハ自身だ。その先に待つ結果を、お前は受け入れる……そうなんだな?」
妖精は首を縦に振る。
こんなにも理解してくれている仲間が居るのだから、ガラハには出来ることならば生き足掻いてもらいたい。だが、それは願望の押し付けである。アレウスは件の箇所を丁寧に書き直して、“ロジック”を閉じた。
「道は作ってやる。だけど、その先をどうするかはお前が選べ。僕はその選択についてなにも言わない、なにも語らない。だから、お前がやりたいようにやれ。妖精が信じているお前の本当の生き様を見せてくれ」
アレウスはそう言い残し、前線で圧倒的な活躍を見せているデルハルトの元へと急いだ。




