「島原の乱」
「逆オレオレ詐欺」の探偵調査を進めていた博幸は、失踪した女性全員が南島原市出身だという事が分かり南島原市に向かう事にした。
~疑惑~
早朝、民宿『琴』のスペシャル朝食セットをしっかり食べ終えてから、女将特性コーヒーを飲んで寝ぼけた頭を起こした。昨夜は、結局200mの距離の距離なのにタクシーを呼んで民宿に帰った。帰りが遅くなって心配してくれていた、美人女将に本気で恋しつつもチェックアウトして民宿を後にした。美人女将に未練タラタラで後ろ髪を引かれつつも、車に乗り込みナビを南島原警察にセットした。
島原市から南島原市までは251号線を真っ直ぐ海岸沿いを走って行けばいいので楽な道のりである。俗にいう島原街道である。島原街道を1BOXカーで走らせて約40分、南島原警察署前に到着した。
南島原市は人口約5万人の都市で、人口からすれば島原市より少し大きい都市である。だが、元々2006年の平成の大合併時代に行政に促されて周辺の8つの町が合併して新たに出来た都市のため、広範囲で纏まりがなっていない。考えてみても8つの町が集まったのである、中々纏まれと言っても難しいところもあるのだろう。報道関係者が島原市に拠点を置く気持ちもわからないでもない、市としては南島原の方が大きいが、組織・規模・歴史が古いのは島原市であろう。
しかし観光に至っては、キリシタンの町そして天草四郎時貞が3万7千人を引き連れて徳川幕府と戦った『島原の乱』の戦場になった歴史上の地で一本化している。そこはまとまっているから観光に力を入れているのであろう。
その他の産業は漁業・農業・観光業とほぼ島原市と同じである。
南島原市は8つの町が合併した市であり、案の定まとまりが無かった。南島原警察署にナビを設定して正解であった。なぜなら問題となっている「原城」に一番近い警察署で情報収集にはもってこいの場所だったからである。
警察署についてみると案の定、マスコミ・報道関係者が集まっていた。
緊急対策本部のある島原警察署よりも人数が集まっているところをみると、何か動きがあったらしい。
「何かあったのですか?」何気に下っ端そうなマスコミに声をかける。
「いや~昨日また行方不明者が出て、被害者6名になったみたいだ。」
「そうですか~。」白々しく答える。
「これで行方不明者6名のうち4名が南島原市南有馬町の子で、2名も元々ここに住んでいたと分かったので、緊急対策本部が島原市から南島原市に移されるみたいだ。」
ラッキーと心の中で叫んで、お礼を言ってその場を後にした。
レンタカーに乗り込み、まずは現場近くの民宿を抑えてから、今回の事件を整理する事にした。宿泊先を押さえておかないと、緊急対策本部が移されて困ったマスコミ関係が慌てて宿泊先を探し出すだろうから、その前に民宿を抑えたかったのだ。
何とか民宿を抑えた後、今回の事件を整理してみた。
最初の事件は今から約半年前の9月26日、第1の行方不明者「安藤 由美」(23歳)が、南有馬町の『南有馬診療所』から受けた1本の電話から始まる。
輸入貿易会社で働いていた彼女の事務所に、南有馬病院から一本の電話があった。電話を取った後、父が危篤ということで急遽早退して帰宅している。羽田空港から長崎空港まで飛行機を乗った記録はあるが、その後の消息は分かっていない。
翌月28日、第2の行方不明者「伊藤 三咲」(21歳)が、勤めていた大手携帯電話会社S社に出勤した後、同じく父危篤の知らせを受けて帰宅している。
その後も同じように毎月末に南有馬の若い女性が行方不明になっているのだ。マスコミが騒がないはずがない。
そして昨日、6人目の行方不明者が出てしまった。これでまたマスコミの取材熱が沸騰するだろう。
取材陣が殺到するおかげで情報が手に入りやすい反面、彼の裏の仕事がやりにくいのも事実である。
「早々にケリをつけたいな~!」と本音が出てしまう。
『本店』から直接俺に依頼がくるという事は、【闇の世界】の住民が関与しているのは間違いない。しかも日本支店を経由せずに直接『本店』から指令がくるのだから、普通のエクソシストには手に負えないレベルなのだろう。
割の合わない依頼を受けてしまったかな?と思いつつも車を南有馬病院に向けた。
行方不明者全員が南有馬病院から連絡を受けているという事で、警察の捜査のメスが入っていた。それを取り囲むように、マスコミと野次馬が群がっていた。
検診を受けに来たようにみせかけて病院内に入り、情報収集に当たったが目ぼしい情報は取り分け見つからなかった。
分かった事は、電話局の履歴で病院内から行方不明者全員に電話が掛けられているという事実だけである。
病院を後にして、次は行方不明者全員の家族に聞き込み調査をしたが、警察やマスコミの相手に嫌気がさし、誰も取り合っては貰えなかった。
最後に昨日から行方が分かっていない『益田 真紀』(21歳)の泣き叫ぶ家族に門前払いにあって、仕方なく車に戻って捜査の仕切り直しをしようとした。
某コンビニエンスストアに止めてあった車に乗り込もうとした時に、後ろから女の子(?)の声が聞こえてきた。
「あなた人間じゃないの?」
「誰だ!?」博幸は振り返った。そこには金髪で赤い瞳を持つ小さな少女が立っていた。
「人間じゃない者がここにいる。あなたは誰?」
「俺は人間だ!」
「嘘、あなたには大きな魔力を感じるもの。」
声は耳を通して聞こえるのでは無く、頭に直接響く感じであった。
「あなたは誰?あなたは私達を助けてくれるの?」
「助ける?俺が?どういう事だ?」
「あの人に見つかっちゃう。もう行くね。」
「あの人とは誰だ?」
「魔物になった魂・・・フランシスコ」
「魂?フランシスコ?」
「ちゃんと私の事を見つけてね。」
そう言い残すと、物凄い光と共に少女は消えて行った。
コンビニエンスストアの自動ドアが開く音が聞こえた。誰にも見えていなかったようだった。
頭を整理するために、コンビニエンスストアでコーヒーを買って車の中でコーヒーを飲みながら一息ついた。
コーヒーを飲みながら少女が残したキーワード「フランシスコ」を思い起こしていた。そして一つの歴史的人物と繋がる。『天草四郎時貞』、洗礼名『フランシスコ』。
博幸は慌ててipadを開いて『天草四郎時貞』について調べた。
『天草四郎時貞』(洗礼名:フランシスコ)所説あるが、1623年長崎生まれ。益田四郎として生をうける。幼少の頃より学問の才があり、キリスト教に関しても熱心に勉強していたといわれている。祖父の住んでいた天草では新天地となり、天草四郎時貞と呼ばれキリシタンから「天の使い」と崇められていた。その頃1637年~1638年、3代将軍徳川家光がキリスト教廃止の方針を打ち出し、信仰が深かった天草や島原では特に弾圧が強くなっていた。その上凶作が続いていた天草・島原地方では、弾圧と容赦ない年貢の取り立てに、幕府に対して不平不満が募っていた。そのような時代もあり、奇跡を起こす“神の子“として崇められるようになっていた「天草四郎時貞」の名は、天草地方ばかりでなく島原地方の農民の間にも広まり、疲れきった農民はその奇跡によって救われることを期待するようになって行った。1637年10月15日、島原で遂に一揆が勃発。それと呼応するように同月29日には、天草のキリシタンからも一揆を起った。
天草の一揆勢は島原地区とも連絡をとり、有明海に浮かぶ湯島(談合島)にて協議、キリスト教の名の元に団結した、その後上津浦から本戸(本渡)に向かったとされる。そして広瀬の戦いで三宅藤兵衛を切腹させ、海を渡って島原の一揆勢と合流した。デウス(神)の旗のもとに島原半島の原城に立てこもった。原城に立てこもった一揆勢は、天草から島原に渡った一揆勢も合わせると3万7千人にも及んだとされている。この一揆勢は天草四郎の指揮のもとに団結して、12万を超える幕府軍に対して抵抗を続けました。しかし大軍に取り囲まれ、食糧や玉も尽きた1638年2月28日に遂に原城も落城した。一揆勢は最後まで戦って討ち死にし、生き残った者も全て処刑された。原城の外には数千もの首がさらされたといわれている。
一揆勢と運命を共にした天草四郎時貞(洗礼名:フランシスコ)ですが、その死体も見つかっていないと言い伝えられている。最後までその姿を現さないまま闇の中へ消え去ってしまったとされる。当時、若干15歳の総大将は、数名の兵を連れて生き延びているとか、数千の同胞のさらし首を見下ろしながら徳川幕府に永遠の呪いをかけて闇の世界に落ちたとか、色々な噂が飛び交っていた。江戸時代に入ると天草四郎時貞題材にした伝説や怪奇小説も多数出版されていた。
ネットで一通り調べ終えた博幸は、若干15歳で総大将に担がれた少年の心情に同情を隠し切れない。現代なら中学3年生か高校1年生、自分の娘と同じような歳の子が3万7千名の兵を引き連れて、12万の大軍と戦ったのである。彼は生前、重すぎる十字架をせよわされたのだな。と父親の歳になるとそんな事まで考えてしまう。
もう一つ気になる事は、さっき突然現れた少女の事だ。あの少女は12,3歳だろうか?少女は「フランシスコ」と呼んでいた。だとすると、今度の事件に天草四郎時貞が何らかの形で関与しているかもしれない。もしくは直接的に関わっているかも?彼に近づくにはあの少女にもう一度会う必要があるかもしれない。
「あ~頭痛いな~!」車内で博幸が叫ぶ。
「仕方ない、ルミを呼ぼう!」と言って、秘書の波木 ルミにメールを送る。
「それとそれなりに武器が必要だな!」博幸はルミに特殊武器を持参するように伝えた。
「さて帰るか~!」車の中で独り言を叫んで、朝予約した民宿「桜園」に車を向けた。
コンビニエンスストアで出会った、不思議な少女。その少女が話した『フランシス』とはあの『天草四郎』なのか?
次回『原城跡』をお楽しみ下さい。