§2 邂逅(004)
◇◇◇
向いてないよ、この仕事。
リカさんの言葉を、頭の中で反芻する。
声が出ないということが、客商売では致命的だということは、ボクだってわかっている。
でも、向いていないと言われても、ボクには他に行き場なんてないのだ。
目当てのお酒は、一番近い酒屋では売っておらず、もう一軒、二丁先まで行かなければならなかった。
慌てて飛び出したせいで、コートを着てこなかった。
雪こそ降ってはいないが、ワイシャツ一枚では堪える寒さだ。
信号待ちでガタガタ震えながらも、どうにか買うことの出来たお酒をシッカと胸に抱く。
一本、およそ九万円。
ボクの三週間分の給料だ。
信号が青になると同時に、ボクは駆け出した。
仕事に向いてようが向いてなかろうが、お客様を待たせるのは良くない。
人を掻い潜りながら、ボクは店へ急いだ。
横断歩道を渡りきった時、すれ違った女の人がよろけて尻もちをついた。
振り返ると、彼氏らしい男と一緒だったし、大丈夫だろうと思って会釈だけして、ボクは再び走り出した。そもそも、ぶつかった感じは、しなかった。
「ちょっと神邉!女の子がコケてんだから、手ぇ貸してよ」
・・・え?
驚いて振り向いたが、その時にはもう、彼らの姿は雑踏に紛れて見えなくなっていた。
カミナベ。
確かに、そう聞こえた。
「放課後、ツチヤたちとゲーセン行くんだ。テンも来いよ」
この間見た夢で、カミナベはそうボクを誘った。
あれは、現実でもあったことだ。
五年前、中学三年の秋だ。
夢の中のボクは、「やめとくよ」と言って断った。
現実のボクは、首を振って断った。
その時カミナベがどんな顔をしていたか、ボクは覚えていない。
だから夢でも、カミナベの顔を見ていない。
それが最後になるとは、思いもしなかった。
その翌日から、カミナベは突然学校に来なくなった。
誰かが担任に理由を尋ねたが、担任は「本人の事情」というだけで、何も教えてくれなかった。
その後、JASS-0にスカウトされたらしい、という噂が立ったが、真偽のほどは定かではない。
国民を守るヒーロー的イメージに加え、適性検査の合格率が十パーセント未満であるというプレミア感も相まって、子どもたちの間でJASS-0、とりわけアシカビのパイロットというのは憧れの職業である。
いつも宿題をボクに写させろとせがんでいたカミナベが、そんな難関の適性検査をパスできるとは思えない。
カミナベはいつも皆の中心にいるヤツだったから、誰かがそのイメージだけで言った言葉が一人歩きしたのだろう。
いずれにせよ、そんな噂も、皆が受験勉強に本気になり始めた頃には立ち消えになっていった。
それから半年後、ボクは中学校を卒業し、進学先の高校には同じ中学出身の人はいなかったから、カミナベの噂を聞くことは全くなくなった。
久しぶりに耳にしたその名前に、うしろ髪が引かれる思いをしながらも店へ帰り着くと、ドアを開けるや否や尖った視線に射ぬかれた。
ボックス席のリカさんだ。
笑顔でお客様の相手をする合間に発射される鋭利な視線が、「遅い!」「何やってんのよ!」と、ドスドスボクの体に風穴を開けていく。
「お帰り、テンちゃん。うわ、顔真っ赤だな。今、割と忙しくないから、少し裏で休んでいいよ」
買ってきたお酒を渡すと、ヨシザキさんがそう言ってくれたので、ボクはそのままロッカールームへ引っ込んだ。赤っ鼻のまま接客するのは、みっともない。
鏡台の前の椅子に腰かけ、人心地つくと、ボクはズボンのポケット中で、チョコレートを探した。
包みを開き、口へ放り込んだとき、鏡の中の自分と目が合った。
背も伸びていなければ、肉付きも相変わらず悪いので、ボクの容姿は、まるで中学生男子のようだ。けど、実際に中学生だった頃は勉強のできる優等生、というイメージだったヤツが、今は大学を中退して繁華街のクラブでバイト生活なんて知られたら、やっぱり驚かれるのだろうか。
しばらくそうして、マジマジと自分の顔を眺めていたが、赤みが引いたので、深呼吸を一つして、ボクはホールに戻った。
「お疲れ。大変だったね」
仕事に戻るや否やハラダが声をかけて来たが、ボクはオーダーを取りに行くフリをしてやり過ごした。