§2 邂逅(003)
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一足飛びに間合いを詰めて、間髪入れずの右フック。
華麗なステップと、腰の捻りの効いた骨太なパンチに圧倒され、何が起こったのかを認識したのは殴られたヤツが吹っ飛んでからだった。
「おい沖田、もういい加減にしておけよ」
「うるさい!」
俺が窘めるのもきかず、沖田はまるで水のように飲み干した焼酎のグラスを、ドンッと音を立ててテーブルに置いた。
二十歳そこそこの女の子とは思えない、堂に入った仕草である。
ーーもちろん、褒め言葉ではない。
「飲まずにやってられっかっつーのよ。なんでアタシが謹慎な訳ぇ?くっそー、ミヅハの実証実験も見れないとか、最低マジ何なの!」
俺はお前の方が『マジ何なの』だよ。大の男、しかも特務部隊の隊員を一発で沈めるとか、ホント何者・・・
喉まで出かかった言葉を、俺はグッと飲み込んだ。
そんなことを言った日には、クダが長くなるのは目に見えている。
事の起こりは、今日の昼間。アシカビの換装用四肢の調整を終え、ドックを出ようとした時のことだ。
出入り口で、向かいから来た男に呼び止められた。
「よう、神邉。先輩に挨拶なしかぁ?偉くなったもんだなぁ、准尉殿」
中西元。ガタイの良いこの男は二十六期で、入隊は俺より一期早いが階級は軍曹。俺の一つ下である。
「済みません、中西・・・先輩」
軍曹、と言わずに、わざとらしく「先輩」というと、中西はあからさまに嫌な顔をした。
厳しい適性検査をパスしJASS-0に入隊すると、全員が訓練生として一般的な飛行機からアシカビ機まで、操縦を徹底的に叩き込まれる。
標準的な訓練期間は三年。
その過程で、適性によって陸上勤務に従事する者と、アシカビ機のパイロット候補生とに選別されるのだ。
JASS-0の母体が自衛隊と警察であることから、設立から30年以上経った今でも、適性検査を受ける者の多くはその二つの組織の出身者である。
死んだ東川は高卒後二年間、交番勤務のお巡りさんだったと言っていたし、中西は確か、航空自衛隊に在籍していたと聞いたことがある。
そんな中にあって、中卒で、しかも訓練期間たった一年で正規パイロットに任命された俺は、後にも先にも非常に特殊な例なのだ。
それが、中西など入隊時期の近い隊員たちとギクシャクしている要因の一つである。
「あ、神邉!良かったぁ、まだ居て。あのね、さっきの新兵器の話なんだけどね、」
俺と中西の微妙な空気に割って入ってきたのは、ドックから追いかけてきた沖田だった。
「あ、ごめん、話し中だった?」
「いや・・・」
「新兵器?」
耳ざとく聞き返したのは、中西である。
「見ない顔だけど、神邉のお友達?アタシ、城之崎重工の整備士の沖田。よろしくね。そう、新兵器。明後日、神邉機で実証実験するのよ。そうそう、それを言いに来たんだった。神邉、明後日、あけといてね。ヒト・マル・マル・マル、ドックに集合」
「へぇ、またお前の機で実験なんだ」
マイペースな沖田は、ここに至って初めて、中西が俺のお友達ではないことに気が付いたらしい。
「神邉ってさ、ケガ少ないじゃん。ずっと不思議っつーか、キモチワルイって思ってたけど、そういうことか」
「・・・何ですか」
「整備士たらしこんで、お前の機だけ新兵器の実装早めてたってことだろ?ハナっから戦力が違うんじゃ、どうしようもねぇや。いいねぇ、顔の良いヤツは」
アホか・・・
もう放っておいて帰ろう。そう思った瞬間、俺の横を風が走った。
「舐めんなアホが!!」
予想外のことが起こると、人間の脳は通常時より処理速度を上げるというのは本当らしい。
怒鳴り声と共に炸裂した沖田の渾身の一撃に、文字どおり吹っ飛ぶ中西の姿が、俺の目には丸でスローモーションのように映った。
「何やって・・・コラ、沖田!」
騒ぎに駆け付けたおやっさんが引き剥がしにかかっても、マウントポジションを取った沖田は中西の胸ぐらを掴んで離さなかった。
「実験がどんだけ怖いか知ってんのか!神邉に謝れ!謝れっ!!」
「いいから、沖田」
「でも!」
「いいから」
強く制するように言うと、沖田は渋々立ち上がり中西から離れた。
俺が右手を差し出すと、中西は、らしくもなく素直にその手を借りて立ち上がった。よっぽど、何が起こったかわかっていないらしい。
俺は、その手にグッと力を込めて握り込む。
「痛って・・・」
「中西先輩。ドックに来てるってことは、アンタなんですね。東川の後任」
現在JASS-0で保有しているアシカビ機は百三十八機である。
アシカビがパイロットひとりひとりに合わせた調整を必要とする以上、パイロットの数は常に機体と同数だ。死んだら、補充する。
「昇任、オメデトウゴザイマス。これだけは言っておきますけど、作戦行動中は、先輩後輩なんて関係ないですから」
軍隊を放棄するという憲法第9条の建前はいったんおいておくとして、俺たちJASS-0は対アラバキを目的として設置された軍事組織である。
軍事組織の根幹ともいえるのは、堅固且つ絶対的な指揮命令系統で、階級制はその肝だ。
パイロットに任命されるということは、中西の階級は俺と同じ准尉になる訳だ。
しかし、JASS-0の決まりごととしては、階級が同じ場合、その階級の在任期間が長い者の方が上に立つ。中西と俺では、准尉の在任期間は、改めて言うまでもなく俺の方が長い。
「死にたくなければ、指揮系統を乱すようなことはしないでください。それが嫌なら、俺なんかさっさと抜かして偉くなればいい」
カッと中西の顔が赤くなった。
俺はジッとその目の奥を覗き込んでいたのだが、おやっさんに「神邉、」と肩を叩かれたのを潮時に、手を放した。
ネオンの合間の夜空に、沖田の雄叫びが響く。
「マジ腹立つ中西ィ!あんな奴にアタシの整備した機体ブッ壊されるかと思うとマジ腹立つんだけどーーー!」
「もうわかったから。真直ぐ歩け、真直ぐ」
機体がブッ壊れるのは前提なんだ、という突っ込みは、勿論しない。
とりあえず思うのは、今が冬で良かったということ。
千鳥足の沖田の腰を支えて歩いている訳だが、厚手のコートのおかげで、感触に戸惑うことはないから。
夕方、誘われるというよりは拉致されるといった方がピッタリの状況で地上へ連れ出され、適当に入った居酒屋で乾杯からガンガン飲みはじめ、飲み潰れ、今に至る。
週末ということもあってか、繁華街は人で溢れていた。
アラバキが高崎市を破壊したのは、丁度一週間前の今日だ。
電気、ガス、水道。現地では全く復旧の目途が立っていないと聞いているが、この街はいつもと全く変わらない。
「俺なんか、先週の避難で商談ぶっ飛んだんだぜ」
交差点で信号待ちをしていると、隣にいた二人連れのサラリーマンの会話が聞こえてきた。
「え、なんで?お前の会社って避難区域外だっただろ」
「別件の営業でこっちに出て来ててさぁ、出先の会社で、最悪だよ。俺がどんだけ苦労して開拓したと思ってんだ、マジで。JASS-0がなんだってんだよな。ヒトの仕事潰しておいて、街守れないってどうゆうこと」
「確かに。俺らの税金、なんだと思ってんだろうな」
最初のアラバキの飛来から約三十年。
完全な排摘はおろか、その正体すらわかっていない状況において、JASS-0への風当たりは年々強まるばかりである。
基地の外へ出れば、こういった会話はよく耳にする。
当然、聞き流すべきところなのだが、
「ちょっとアンタら!」
傍らの沖田がいきなりその二人に絡み始めた。
「ちょ、沖田!」
ギョッとして、咄嗟に口を塞ぐ。が、間に合わない。
「何にも知らないクセに、わかったようなこと言うな!高みの見物しやがって!おい、聞いてんのか!」
「やめろ沖田!スイマセン、こいつ酔っぱらいで・・・」
丁度信号が変わったこともあって、サラリーマン二人は顔を見合わせ、向こう側へと渡って行った。
「お前、いい加減にしろよ」
「なによ!なんでジャマすんのよぅ!って・・・わ、」
「おい、大丈夫か?」
横断歩道の向こう側から、酷く慌てた様子で走ってくる人がいた。この寒いのにコートも羽織らず、バーテンダーなのだろうか、白いワイシャツが寒々しい。
沖田の脇をすり抜けたのだが、丁度その時、沖田がよろけて転んだのだ。
接触したようには見えなかったので、多分、沖田が勝手にコケたのだ。
バーテンはパッと振り向いて沖田に会釈をしたが、よっぽど急いでいるらしく、そのまま走り去った。
「もう、なんなのよぅ!ちょっと神邉!女の子がコケてんだから、手ぇ貸してよ」
「あ・・・ああ」
気もそぞろに手を差し伸べ、沖田を起こしてやる。
「何?どうしたの?」
「いや」
一瞬見えたバーテンの顔が、記憶に重なる。
「似てた気がしたんだ。--友達に」
その後、沖田が酔いを醒ましたいというので、俺たちは帰り道の途中で見つけた小さな公園に立ち寄った。
ブランコに腰掛け、自販機で買った缶コーヒーで手を温める。
しばらくそうしていると、
「ごめん、さっき」
沖田がポツリと口にした。
「ああ。ビビった。いきなり喧嘩吹っかけるし、中西みたいに殴り倒したらどうしようかと」
「・・・ごめん」
冗談のつもりだったが、月明かりの下、沖田は思いのほか消沈し黙り込んでしまった。
「ありがとな。JSASS-0や・・・俺のために怒ってくれて。けど、別にいいんだよ、俺は」
「神邉?」
「中西と上手くいかなくても、一般人に悪く言われても、俺は別に気にしないし、俺は俺の仕事をするだけだから。沖田が怒ることないんだよ」
「偉いね、神邊は。アタシはそんな上等なもんじゃなくって・・・八つ当たりなんだ」
「は?」
「本当はね、怒る資格なんてないんだ、アタシ。アタシも同じこと・・・ううん、もっと酷いこと言ったんだ、あの子に」
「あの子って?」
「・・・アタシ、八歳の時に東京に引っ越してきたんだけど、その前は名古屋に住んでたのね」
「名古屋って、じゃあ十二年前の・・・」
「うん。名古屋の悲劇の生き残り。両親が死んで、親戚を頼ってこっちに来たんだ」
名古屋の悲劇。
十二年前の七月、十三体の小型球状のアラバキが東海地方上空に同時多発的に現れた事件だ。
それまで飛来していたアラバキは、能登と同じ大型の円筒形が一体現れるということばかりであったため、初動が遅れ、日本有数の大都市であった名古屋市が復旧不能なまでに破壊されるという結果になってしまった。
アラバキの圏界面到達が午前三時四十二分。多くの人々が、寝こみを襲われた格好である。
「転校した学校にね・・・」
そこで沖田は、言葉を詰まらせた。
「沖田?」
「神邉さぁ、城之崎工業の社長の娘が誘拐された事件、覚えてる?」
「誘拐?」
「うん。まぁ、知らなくて当たり前か。色々規制かかったみたいで、ほとんど報道されなかったから」
話がどこに繋がるのかが見えなくて、俺は話の先を待った。
「その社長娘、転校した先の学校で、同級生だったんだ。長い髪の毛をいつも綺麗に結んで、フリフリのスカートばっか履いてて、ザ・お嬢様って感じだったんだけどね。でもすごく気さくっていうか、いい子でさ。アタシ中々クラスに馴染めなかったんだけど、一番たくさん話しかけてくれたりして。けど、ある日、言っちゃったのよ。『アンタなんか大っ嫌い。アラバキでお金稼いで贅沢してるくせに、話しかけて来ないで』って」
戦争で軍需産業が潤うのは、想像に難くない話だ。
今では押しも押されぬ城之崎工業がその地位を築いたのも、アシカビの開発に成功してからだ。
「小学生が言うには、随分痛烈なセリフだな」
「まぁ・・・オトナの受け売りだったんだけど。でも、本心でもあったんだ。アタシは名古屋を知ってるから。だからって、言っちゃいけないことだよね。・・・その直後だったんだ、その子が誘拐されたの。身代金目的だったみたいだけどさ、一緒だよね、アタシとその犯人。あの子、悪いことなんてしてないのに」
「それで、その子は?」
「無事保護されたんだけど、その後は一度も学校来ないまんま、転校しちゃった。だから、謝れないまんま」
「それで城之崎の整備士になったのか?」
「ううん、それは偶然というか、おやっさんとの縁、かな。一介の整備士がご令嬢に会えるわけないし、だからずっと、後悔したまんま。今は自分自身も、アラバキを飯のタネにしてるんだし、ホントどうしようもないよね」
沖田は自嘲するように唇を歪めると、ぬるくなってしまったコーヒーのプルタブを開け、一気に飲んだ。
「ごめんね、詰まんない話して。酔っぱらいの戯言だし、忘れてよね」
アラバキを飯のタネにしている。
それは、俺も同じだ。
俺も、沖田を習ってコーヒーを一気に飲むと、五メートルほど先にあるゴミ箱をめがけて缶を放った。
が、力加減が悪く、缶はかすりもしないで手前に落っこちた。
「下手くそ」
「だな」
ブランコを下りると、缶を拾って、ちゃんと捨てる。
「・・・帰るぞ、沖田」
振り向いて声をかけると
「うん」
沖田も、ブランコを下りた。