虚人
『虚人』、そう呼ばれる怪物が現れたのはいつだったか。ニュースでは虚人に喰われたという話題が報道されるのがごく普通のこととなっていた。
公に知られている情報として、虚人の活動時間は夜。人々は、夜の外出は常に死と隣り合わせな状況を余儀なくされていた。
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「まさかこんな時間になるなんて」
街灯が少なく、人気がまったくと言って良いほどない夜道を吉野智哉は走っていた。時刻は午後八時過ぎ、この時間は虚人と遭遇してしまわないようほとんどの人が既に自宅にいるため人通りの多い場所ですら閑散とする。そのため、ただでさえ人通りの少ない場所は人がまったくいないのがむしろ当たり前である。辺りに響くのは、どこかから聞こえる犬の鳴き声と智哉の走る足音のみ。
「お兄さん!」
そんな智哉を誰かが呼んだ。走りながら振り向くと、一人の少女が智哉を追いかけているのが見えた。
「ま、待って、たすけて!」
少女の声に智哉は足を止める。少女は智哉に追いつくと、膝に手をつき息を整えた。
「虚人に追われてるのか?」
智哉は少女に尋ねる。
「……」
「どうした、大丈夫か?」
黙る少女に問いかけ、すこし近づいた時だった。智哉のネクタイが掴まれ、引っ張られる。
「?!!?!」
「えへえへへ、つかまーえた!!」
顔を上げた少女の目は真っ黒だった。智也の背筋に冷たいものが走る。
「うわあああああああああああ!!」
慌てて少女を突き飛ばした。しかしすごい力でネクタイを握られているため、ぐいっと引き戻される。
「いた、だ、きます!!!」
大きく口を開けた少女は智也の首に噛み付こうとする。
「っ!!」
智哉は反射的に少女の腹部を殴った。首を逸れ、左腕に噛み付かれたが少し力が緩んだ隙に少女を突き飛ばす。
「…虚人かよ」
少女は地面に倒れこんだがすぐに立ち上がる。しかし骨が脆いのか、地面と体の下敷きとなった左腕はおかしな方向に曲がっていた。
「お兄さん、ひどい、なあ」
「ひどいのはどっちだよ」
左腕の痛みが尋常じゃなく、脂汗が滲み出てきた。出血量も多く、視界もちかちかとする。
「でもね、お兄さんも、ね、そのうち、私みたいに、なるよ。だから、ね、ね、ね、食べさせて」
再び少女、いや少女の姿をした虚人は智也に襲い掛かる。智哉は諦めた顔で目を閉じた。
「戦いにおいて、敵に背中を見せるのは『舐めプ』というのよ」
声に反応して目を開けた。そして惹き付けられた。赤い鮮血を浴びた一人の人間に。
「あれ、ワタシ、なンで」
虚人の首と胴体が離れていた。その言葉を最後に虚人は灰となり、風に乗って消えた。
「相も変わらず、空っぽなのね」
そう呟いた彼女はまるで、死神のようだった。