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エボリューション9(≒125)  作者: 雨宮吾子
新世界へ至る道
6/15

06

 私が再び裏庭を訪れたのは、葬列を見てから少し経った頃のことだった。


「死の前に人は平等である」


 60番が口にしたその言葉から、私は海を連想した。人を大きく越えた存在として、死と海には共通点があるように思えたから。それに北館に行けばネイビー氏と出会うかもしれないし、あの少年――彼は51番と呼んでくれと言っていた――とも話してみたいと思った。

 果たして、私はネイビー氏と裏庭で再会した。


「朝早くからご苦労なことだねえ」


 私はその朝に目覚めるとすぐに裏庭へ向かうことにしていた。ぐずぐずしていると60番と顔を合わせることになりそうだったのだ。裏庭へ行くということを、彼に知られたくはなかった。

 早朝の裏庭は静かなもので、ベンチに座っていたネイビー氏の他には二、三人の姿が見られるだけだった。彼らはやはり、いずれもが東棟の人間だった。

 ネイビー氏は以前会ったときと同じ濃い紺色の作業服を着ていて、煙草を片手に海を眺めていた。


「この前の葬列を偶然目にしました。あの丸太小屋の中には、何があるんですか?」

「うん、隠すことでもないから答えよう。地上部分には私の居住スペースがあって、地下には墓地があるんだよ」

「じゃあ、貴方は墓守のようなこともしているんですね」

「ふん、墓守か。面白いことを言うねえ、たしかにその通りだ」


 ネイビー氏は静かに笑いながらもそう答えた。


「まあ、カタコンベのようなものだ。地下の様子については守秘義務があるから、それ以上の詮索はやめてくれよ」


 私はあることを尋ねようとしていたから、その言葉に牽制されてしまった。

 先日の葬列の主は西の人間だった。では、東の人間も同じように埋葬されるのだろうか?


「好奇心というものを適度に自制しなければ、恐ろしい結果を招く。君がここで暮らしていくのなら、徐々に色々なことが分かってくる。今はそのときではない、それだけのことだよ」


 彼は私を慰めるようにそう言った。私には他にも気になることがあったので、そちらを尋ねることにした。


「葬列の先頭にいた人は副院長先生なんですね。どんな人なんですか?」

「彼は几帳面だよ。実務型の人だから、トップに立つ種類の人ではないかもしれないがねえ。まあ、君もいずれ彼と関わることになるだろう」


 ネイビー氏は病院のスタッフとしてというよりも、年長者としてそう答えたようだった。


「しかし、君も以前会ったときと比べると様変わりしたねえ。西の人間としての自覚を持ったんだろう?」

「そうですね。喜ばしいことではないかもしれませんが」

「いやいや、良いことだと思うよ。自分の状態を自覚することが、回復に至る第一歩だからねえ」


 それから私たちは他愛のないことを話した。そうするうちに日が高いところまで昇ってきて、ネイビー氏は煙草を少なからず消費した。


「では、そろそろ行くよ。君はゆっくりしていってくれ」


 やがてネイビー氏が去り、私は一人になった。その頃までには裏庭も少しずつ賑わうようになっていて、芝生の上には少人数でサッカーを楽しむ人々の姿があった。

 51番の少年がやって来たのは、それからすぐのことだった。彼は私の姿を認めると、一目散にこちらへ駆けてきた。


「やあ」

「久しぶりだね」


 彼はさっきまでネイビー氏が腰かけていたのと同じ場所に座った。煙草の臭いが残っているのではないかと訊いたが、彼は別に気にならないと言った。


「もうこの病院にすっかり慣れたんだね」


 私が彼と初めて会ったのは夏の頃だったから、彼がそう感じたのも無理はない。だが、ネイビー氏といい彼といい、私の外見のどこを根拠にそう感じたのだろう?

 私はそんなことを気にしたが、口には出さなかった。


「前に言ったもの、持ってきたよ」


 そう言って彼が入院着のポケットから取り出したのは、子供が携帯するのにも苦労しない程度の小型ラジオだった。


「すっかり忘れていた、ありがとう」


 私はラジオを受け取ると、すぐに電源を入れて電波を拾おうとチューニングを調整した。しかしなかなか電波は入らず、ノイズが聞こえてくるばかりだった。


「場所が悪いのかもしれない。お兄さんに貸してあげるから、自分の部屋に持ち帰って使ってみると良いよ」

「良いのかい?」

「うん、今の僕にはあまり必要のないものだから」


 私は重ねて礼を言うと、ラジオを自分の入院着のポケットに入れた。

 それからまた、彼と他愛のない話をした。


「この海の先には何があるんだろう?」

「さあ、僕には分からない。でも、予感がするんだ」

「予感?」

「そう。いつかこの海の向こうから、何かがやって来るような気がする。それが全てを変えてくれるような気がするんだ」


 それは子供ながらの純粋な希望だったのだろう。しかしそのとき、彼の思い浮かべる全てというのは、果たして何を指していたのだろう。そこに絶望はあったのだろうか。


「このラジオは友人と一緒に聞こうと思うんだ」

「お兄さんの友達って、どんな人?

「面白くて親切で、そして奇妙だな。彼に音楽を聞かせてあげたらきっと喜んでくれるだろう」

「仲が良いんだね」

「君の友達にはどんな子がいる?」

「僕には友達と呼べるような人はいないんだ。だってみんな、大人ばかりだから」

「……そうか。じゃあ、私と友達になろう。大人と子供だって、友達になれるんだよ」

「本当に?」

「ああ、もちろん」


 こうして、私はここで二人目の友人を持つことができた。たしかに友人というには少し歳が離れていたが、そんな些細なことは気にしなくて良いと思えた。

 そうやって話していると、今度は60番に新しい友人のことを話したくなった。私はポケットの中のラジオを握りしめて、51番の少年に別れを告げた。






「元気かい?」


 私はそのまま60番の部屋に顔を出した。


「これは珍しいお客さんだな。君の方から僕の部屋に来るのは久しぶりじゃないか」


 彼の言う通り、私の方からこの部屋にやって来るのは珍しいことだった。いつもは彼の方から来てくれるものだから、ついそれが当たり前のように感じてしまっていた。けれど、今日はそのお礼として手土産を持って来ていたので、心のどこかで感じていた申し訳なさは薄らいでいった。


「何か大事な用かい」

「これ、何だと思う?」


 私がポケットから取り出した携帯ラジオを見て、60番は目の色を変えた。しかしそれは、私の予想していたのものとは少し違った。


「どうしてこんなものを?」

「ある友人から借りて来たんだ」

「友人……?」

「ああ、彼はひが――」

「待ってくれ。その先は聞かなくても分かるから言わないでくれ。しかし、君は厄介なものを持ってきたな」


 今度は私の表情が曇る番だった。


「ここでは禁止されているのか?」

「いや、公に禁止されているわけではないし、僕らがこれを持っていたとしても何も言われない。しかし、東の人間がこれを隠し持っていたということが問題なんだ」

「何だって?」

「事情は例の如く複雑だよ。しかし、しかし……」


 彼は何か迷っているようだった。

 そういうことなら早く51番に返そうかと私は考えたのだが、次第に60番が思い悩んでいることが何となく理解できるようになった。


「少しだけなら、聞いてみてもいいんじゃないか」


 結局、私のその一言が決定打となった。

 私は来客者用のイスに座り、60番はベッドの上で身を起こして、ベッド脇に置いたラジオから流れてくる音に耳を傾けた。


「なかなか、難しいものだな」


 電波状況はお世辞にも良いとは言えず、電波を拾うのに苦労した。


「This is London Calling」

「I Have a Dream...」


 いくつかの言葉や音楽と出会い、そして別れた。それらはほとんどが明瞭に聞き取ることができず、また遠い異国の放送を奇跡的に拾っただけという印象がした。しばらく二人でラジオと格闘し、やがてある周波数を探り当てた。

 それは比較的に音の聞こえが良く、話している言葉も明瞭に聞き取ることができた。しかしその言葉は、私たちには理解できない異国語だった。


「何を話しているんだろう」

「さあ、聞き慣れない言葉だな」


 何かを宣言しているかのような放送で、60番はどこかの国営放送か何かなのではないかと推測した。実際のところは定かではないが、同じ文言を繰り返し伝えようとしているのは分かったし、それがどうも重苦しい内容を伴っているような口調だったので、私も60番の意見に同意した。

 気になったのは、その繰り返しの文言の後に続く行進曲だった。まるで何かを鼓舞しているような、そして何かをかき消そうとしているような意図があって、その行進曲が配置されているように感じられた。


「ふん、面白いじゃないか」


 私はその行進曲を薄ら寒いものとして捉えたが、60番は意外にも気に入ったらしかった。

 それは理性の問題ではなく、ほとんど感情的な問題であるようにも思えた。一つの放送から感じ取れることは様々であり、そこに優劣は存在しない。それに人というものは自分が思っている以上に感情で動いているものだから、私が感じたことも60番が感じたこともいずれ押し流されて、時間を経た後にようやく理性が働き始めるのかもしれないと思えた。

 しばらく同じ放送の繰り返しを聞いた後で、私はこう尋ねた。


「それにしても、このラジオはどうするべきだろう」


 そのときの彼こそ、正に感情的に物事を捉えていた。


「僕の手元に置かせてくれ」

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